「こんばんは、早苗……咲夜なら今夜はもう来ないと思うよ」
私が声をかけると、おしるこの缶を握りしめていた早苗は顔を上げる。
「妖夢さん……こんばんは。いえ……咲夜さん待ちというわけでは……」
「そうなの?……隣、座るね」
私は返事を待たず、早苗の隣に座る。
付き合いはここ半年だが、この子はどこか不自然に遠慮しがちだと、私は思う。
だから、座っていいかはあえて聞かない。
この子がここに来るとき、一人にしていいと、私はどうしても思えないから。
冥界ハイウェイ第二PA──午前一時
「早苗はおしるこが好きなの?」
そう言って、私は早苗の持っている缶を指差す。
「いえ……いつも、というより、ドライブイン夜雀の自販機ではカフェオレです。……この冥界ハイウェイで魔理沙さんが最後に飲んでいたのがおしるこだったから、ここではついおしるこのボタンを押してしまうんです。……変ですかね、私。魔理沙さんとそんなに付き合いがあったわけではないのに」
「変じゃないよ。私は冥界の住人だから、亡霊の皆さんから話を聞くことがよくあるんだけどさ。最後に飲んだものって死んでからすごく自分の中で大きくなるんだって。……だから、早苗がここでおしるこを選んでくれると、魔理沙も喜ぶんじゃないかな」
早苗は無表情のまま、そうですかね……、と呟く。
私は冥界の空を見上げる──あの夜もこんなふうに紫がかっていたんだろうか。
あれから咲夜と冥界ハイウェイで会うことはなくなった。
多分来てはいるのだと思う。
コーンポタージュの在庫が減っているから。
冥界ハイウェイの自販機は白玉楼の管理であり、私が補充を担当している。
鈴仙は「咲夜以外飲んでる人を知らない」と言っていたが、当然だ。
実際に咲夜しか飲まないし、咲夜のために入れているのだから。
いまは、コンポタよりもおしるこの消費が多い。
あれは早苗だったのか。
私がそう考えていると、早苗が不意に言う。
「……やり残したバトルなんです」
「……咲夜のこと?」
「はい。……どうして咲夜さんにこだわるのか、疑問に思ってそうですね」
「まあ……そうだね。言いたくないのかなって思って聞かなかったけど、ずっと疑問だった。私や鈴仙狙いってわけじゃなさそうだったし。半年前くらいから早苗がここに来るようになって、私や鈴仙と走り始めて……走りを見ててわかるよ、あなたは咲夜を待ってるってことが」
「走りを見て、何を感じました?」
「……前に話したと思うけど、私は白玉楼の剣術指南役なんだよね。私は、走りも剣も、自分自身を鍛えるものとして捉えてる。だからストイックに誰かと競うけど、その奥では自分自身と戦ってる。……剣には心が映るの。剣筋を見ればその人自身がわかるし、それは走りも同じだと、私は思う。早苗の走りは……そうだね、同じ領域の強者を求めてる走りだと、私は思った。打ち負かして、認めてほしいと願う走りっていうのかな」
私がそう言うと、早苗は一瞬私の目を見て、すぐ目をそらして話し始める。
「……そこまで気づかれてるとは思いませんでした。その通りです。私は……認められたいんです。私は元々、外界の走り屋でした。詳しくは話せませんが、色々あって一度道を外れ、競技として走り始め、公道の走り屋になりました」
「そうだったね。私は詳しくないけど、フォーミュラっていうすごいマシンを使うところまでいったんでしょ?実際、幻想郷で早苗に走りで敵う相手なんてそうそういないだろうし」
「私なんて、大した結果残せてませんよ……だから、私は公道に『逃げた』んです。そして、時間をかけて気持ちが変わっていって……霊夢さんたちと『走り合い』たいと思いました。あの頃、霊夢さんは阪神環状、咲夜さんは冥界ハイウェイがホーム。魔理沙さんはRに乗り換えて、ホームを定めずマシンに習熟中でした。……新たな走り出しは幻想郷でと思ったので、咲夜さんをターゲットにしたんです」
「そういうことだったんだね。……咲夜は、冥界ハイウェイに来てはいると思う。だけど、魔理沙の四十九日以来、ここを走ってるのは見たことない。……私はね、咲夜がもう誰かと走らないってことはないと思うよ。でも……それがいつになるかはわからない……」
魔理沙の事故以来、咲夜がFCに乗っているところを見たことがない。
気になって紅魔館のガレージを覗いたとき、タイヤの銘柄が変わっていたから、乗ってはいるのだろう。
だから、多分時間停止で下見してから、誰もいない時に走ってるのだと思う。
「咲夜さんは、怖気づいたんですか」
「……早苗、その言い方は違うと思うよ?咲夜はあのとき、魔理沙を止めようとしてたから……後悔してるんだと思う。私や鈴仙には言わないけど。早苗が言いたいこともわかるよ。事故が怖くなって走らなくなるのなら、最初から走るなってことでしょ?私は冷静に聞くし、正論だとも思うけど……鈴仙ならカッとしてるかも」
私が言うと、早苗は眉を下げて頭をかく。
ワンテンポ遅れて、口を開く。
「……すみません。昔から私、言葉選びが下手というか、ズレてるって言われるんです。……事故が怖いのは、当たり前だと思います。でも、それが公道です。……外界では、走り始めたばかりの人間は言うんです。『怖くても踏め』と。わかってくると次にこう言います。『怖いと思わない奴から死んでいく』。『怖いという気持ちを呑み込みながら、いつか死ぬかもとわかってる』それが死なない公道ランナー、『わかってて速い』やつの走り……」
早苗は言葉を切り、PAと本線を隔てる壁を指さして言う。
「魔理沙さんの事故以来、冥界ハイウェイの外壁には保護魔法がかけられてますよね。衝突しても、ある程度は乗員の安全が保証されるように。……私は、冥界ハイウェイは公道の形をしたサーキットになってしまったと思います。あれ以来、幻想郷の『走り』は『安全に楽しく』という競技路線に傾きつつあります。この間の文々。新聞の一面の、八雲藍のコメント*1にそのスタンスがよく現れています。……誰もが事故に遭遇して、誰かが走りの中で死んで、そうして初めて、自分たちのやってることの意味を知ります。公道ランナーは口を揃えて言いたがります──走りを『わかってる』『わかってない』……私は一人の公道ランナーとして思います──公道に『わかってる』やつなんていない、と。わかってれば公道ランナーなんてやらないんです」
「わかってない」その意味を私は考える。
幻想郷にクルマが持ち込まれてからというもの、魔理沙の事故が起きるまで、誰もクルマで死んではいなかった。
思うままにクルマを操る喜び、駆け抜けていくスピードの興奮──その裏側にあるものを、私たちはわかっているつもりだった。
クルマを持ちこんだ紅魔館は、外界のクルマ事情にも精通していた。
だから、クルマを引き渡すとき外界の事故について口やかましく伝えていたし、「扱えないマシンは調達しない」というスタンスの上で依頼を受けていた。
道路整備や管理にも必ず紅魔館が噛んでいたのは、面白くも事故りにくい走りの場を提供したかったからだろう。
魔理沙の事故以来、幻想郷の走りはスポーツ路線を歩みつつある。
楽しく安全にステップアップしていく空気にシフトし、私たちが走り始めたときのような、どこかギラついた危うさはなくなりつつある。
私は精神面の鍛錬という目的だし、鈴仙は楽しく上達したいタイプ──だけど、咲夜や早苗、そして魔理沙のように「渇いた」人間にはもはや幻想郷に走る場所を見つけられないのかもしれない、と私は思う。
「妖夢さん。私は正直、今の幻想郷に走る場所を見つけられないんです。ここにあるのはモータースポーツであって、『走り』じゃないんです。……私は元々モータースポーツの人間でしたし、幻想郷のあり方を否定しようとは思いません。公道の形をしたサーキットが乱立してるなんて、外界の人間からしたら垂涎ものですし……私もいずれは公道を卒業し、この幻想郷でモータースポーツの世界に戻るつもりです。……公道ランナーなんて、間違ってますから。『間違ってるとわかっている。だけど踏む』そんなのなにもわかってない、ただ自分に酔ってるだけです。でも──公道でしかわかり合えない人がいて、わかり合いたい私がいる。それが私にとって、咲夜さん……そして、霊夢さんと魔理沙さんだったんです」
私は──こうして早苗と『言葉で』わかり合える。
鈴仙ともわかり合えるし、咲夜ともわかり合えていた。
でも、咲夜が魔理沙や霊夢のことを話すときの空気は、どこか引っかかっていた。
咲夜が遠く感じるような──あれは多分、公道の走りの中でしかわかり合えない者の気配だったんだろう。
いまはそう思う。
そして、霊夢の持つ「
「だから、早苗はさっき、『怖気づいたんですか』って強い言葉を使ったんだね。咲夜が『公道の』走り屋ではなくなってしまうかもしれなかったから。もう咲夜がステアリング自体握らないと思っていたら、わざわざ早苗はここには来ないよね。……ねえ、早苗。早苗のこと、もっと私に教えてよ──」