いのち短し走れよ少女   作:夏色バレッタ

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最後のチューンドR

「お嬢様。いま大丈夫ですか?」

 

紅魔館の書斎のドアをノックしながら、紅美鈴は部屋の主に呼びかけていた。

 

「入りなさい」

 

扉の向こうから、レミリア・スカーレットが返事をする。

美鈴は部屋に入り、後ろ手で鍵をかける。

 

「そこまで用心しなくても、咲夜なら冥界ハイウェイまで走りに出てるわよ」

 

レミリアは書類に目を落としたまま美鈴に言う。

咲夜がいないならと、美鈴は本題を切り出す。

 

「聞きましたよ、お嬢様。魔理沙が32Rに乗り換えたそうですね。もしかしてあのGT-Rは……」

 

レミリアお嬢様は赤縁の眼鏡を外し、私の目をじっと見つめ、口を開く。

 

「……そうよ。スクラップ寸前だったけど、なんとか間に合ったわ。かつて紅龍レーシングのデモカーだった個体……美鈴、あなたが手がけた最後のチューンドRよ」

 

「お嬢様……一従者の身分で過ぎた口を利くこと、お許しください。……どうしてあのRを蘇らせてしまったんですか。あのマシンがどういう経緯を辿ってきたのか、知らないわけじゃないでしょう?」

 

「もちろん、よく知ってるわ。私のスープラも、美鈴、あなたの紅龍レーシングで仕上げた一台だもの──ボディを追い越すエンジン、針先の繊細さで詰められたセッティングに、規格外の大口径タービン……特有のアンダー傾向を打ち消すために煮詰められた足回りは、鋭すぎるコーナリングの代償に、高すぎる限界のニュートラルステアを手に入れた」

 

「──乗り手を著しく限定するGT-R。『Rは誰が乗っても速い』そんなことをぬかすサメたやつらを置き去りにする速さを──その集大成が、あの32Rでした」

 

「そう、それが紅龍レーシングデモカー……マシンの厳しすぎる要求は、事故と乗り手の死を重ね……そしてあなたは、チューニングから手を引いた」

 

その通りだ、と私は俯く。

流れの妖怪として東京に行き着いた私は、走りの世界に出会った。

腕さえあれば素性は問われず、存在意義は速さのみ──青山ゼロヨン、東名レース、首都高環状──そして、湾岸最高速。

時代の要求に合わせ、私は昼にエンジンを組み、夜になれば走りに繰り出す。

「あっち」での日々は、常に走りとともにあった。

 

首都高環状線がC1と呼ばれるようになり、最高速のステージは湾岸線へ。

メーカーの馬力競争はエスカレートし、Z32型フェアレディZの登場を機に、業界は280馬力の自主規制を設ける。

そのなかでもメーカーは宝石のようなエンジンを供給し、それに魅せられた者たちはスピードと運命をともにした。

RB26、2J、13B……時代が変わっても、速さのピークを生きたエンジンはその価値を失わない。

私がレミリアお嬢様に出会ったのは、そんな時代のことだった。

 

お嬢様はS15シルビアを駆り、C1に上がった。

ブリリアントブラックのFD3Sを追うために。

 

お嬢様の標的は、私が手がけた650馬力級のRX-7──エンジンを20Bにスワップした、3ローターツインターボ。

スクランブルブーストで瞬間的には800馬力を狙える怪物。

 

人間には過ぎた代物だった。

最高速が過熱するにつれ、私の客は日に日に減っていった。

腕のなさに客が離れたのではない。

減った客は皆、私のつくったマシンで事故死したのだ。

 

客の腕がないだけ──最初はそう思っていた。

私は客の要求に誠実に答える──あとは乗り手の問題だ、と。

しかし、そのFDは死なず、そして撃墜(オト)されることもなかった。

その速さに魅せられた客は、それを仕上げた私にチューニングを依頼する。

あのFDを撃墜(オト)すには、Rしかないだろう──とびっきりのチューンドR──とびっきりのRB26──

 

客のRを組む傍ら、私はデモカーとして一台の32Rを仕上げた。

FD3S撃墜のためにつくられた32R──これ以上首都高で死なせないために、私は我が子(FD)に引導を渡さなくてはいけない。

客で一番腕のいいR乗りに、私は32Rを託した。

そして、あのRに乗ってガレージに帰れた客はいなかった。

 

金が尽き、命を落とし──そうして客は消えた。

本気でFD撃墜を狙うR乗りがいなくなった頃、数少ない残った客で一番のFR使いだったレミリアお嬢様に、私はひとつの提案を持ちかけた。

とびっきりの2Jを組みます──あのFDを撃墜(オト)すためのスープラを──

 

S15のエンジンブローを機に、お嬢様はハイパワーマシンへの乗り換えを検討していた。

怪物には怪物を──800馬力級の心臓を持つ、真紅のJZA80スープラ。

お嬢様がスープラ、そして私が32R──コンビでFDを撃墜(オト)すつもりだった。

 

FDの最後はあっけなかった。

FD撃墜で一旗揚げようと目論んだとあるショップが、たちの悪い走り屋を雇ったのだ。

雨の横羽線を走行中に四台のマシンに囲まれ、FDは壁に激突、大破炎上した。

 

バトルモードだったなら、なんてことのない相手だっただろう。

しかし彼はその日、助手席に娘を乗せていたのだ。

それが運命の歯車を狂わせた。

 

その日を境に、お嬢様のスープラを除き、私はチューニングから足を洗った。

紅魔館の門番になり、助手席に乗っていた彼の娘──十六夜咲夜という名前を与えた──にメイドの仕事を教えこむ日々に没頭した。

 

咲夜ちゃんが走り始めてからは、私はFCにも手を入れている──咲夜ちゃんはなにも言わないが、多分気づいているだろう──死なせないための速さを与えるチューニング──

 

「32Rを手にした以上、いずれ魔理沙も次のステージに上がる日がくるわ。魔理沙だけじゃないでしょうね。霊夢も、そして咲夜も。運命の()は、再び回りだしたのよ……励みなさい、美鈴。私たちは誰も走りの中で死なせるわけにはいかないの。そして美鈴、あなたのとまった時は、あの子たちの速さのなかで、やがて動き始めるのよ」

 

「……わかりました。しかし、まだ時期尚早と言っておきます。それでは……」

 

「待ちなさい。……遠くはないうちに、R34型のGT-Rが必要になると、運命がささやいているわ。こちらで調達しておくから、いつでも走れるようにセッティングしておきなさい。想定ステージはそう……首都高C1。私とパチェ以外には知られないように」

 

「34R……?わかりました。『お嬢様の仰せのままに』」

 

「たまには皮肉っぽい従者も悪くないわ……出会った頃みたいで。……苦労かけるわ、ごめんなさい」

 

私はなにも言わず、書斎をあとにした。

冥界の方角を望み、咲夜ちゃんの無事を祈った。

祈るしかできない虚しさが、チューナーとしてのこころに深く突き刺さる夜だった。

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