こいしとレミリアの間に沈黙の帳が下り、しばらくの時間が経った。
私はぬるくなったビールを流しこみながら、こいしが言った「咲夜が追う『なにか』の輪郭」について、思いを巡らす。
五年前に始まったレミリアのささやかな「ゲーム」は、運命の糸が幾重にも絡まり、複雑かつ巨大な繭になりつつある。
──なぜ、人はクルマを速く走らせようとする?
レミリアは知らないだろうが、私はこの「ゲーム」を最初から見てきた。
さらに言えば、「ゲームの始まり」より以前、本当のコトの発端から。
運命の火種自体はレミリアの首都高でも、1980年青山ゼロヨンでもないのだ。
本格的な「プレイヤー」の登場が、ここ最近の話なだけで。
レミリアは手に負えるのだろうか、このゲームを。
誰かがゲームの過程で犠牲になること自体は、「ありうる運命」として理解はしていただろう。
公道を走る──仮にサーキットだとしても、クルマを速く走らせようとする以上、当然のリスクだ。
しかし、彼女にとって「魔理沙の死」は予想外のイベントだったのではないだろうか。
──どこまでレミリアの「脚本」なのか、私は知らないけれど。
ミスティアに空瓶を渡し、新しい中瓶を受け取る。
グラスに瓶を傾けた頃、レミリアが口を開く。
「……多分ね。咲夜はすこしずつ、自分の過去を掴み始めてるわ。この間一緒に首都高に上がったアリスからの報告を聞く限りだけど。──ねえ、紫。シガールームの夜から半年経って、私たちかなり親密になれたと思う。その上で、ガラにもないこと言わせてちょうだい。……子育てって難しいのね。私、咲夜のことがなんだかわからないの。子であり従者、親であり主……そんな関係だからかしらね」
まさかのキラーパスに私は驚き、慌てて八目鰻を呑み込む。
「他人事と思って呑気に構えるのは紫様の悪い癖です」と、脳内の藍が何万回目かわからない苦言を呈す──私の頭の中でくらい、かわいいゆかりんのことをひたすら褒めたたえてほしい。
「んー……どうかしらね。きっと正解なんてないと、私は思うわ。私とあなたの関係だから告白するけど、藍なんていつも私に説教垂れてばかりよ?どっちが主人かわからなくなるくらい。……でも同時に、主従の関係はきちんと保ってる。私には藍を従えるプライドが、そして藍には私に仕えるプライドが、そこにはちゃんとあるわ。……当ててあげましょうか。あなたは咲夜が紅魔館を去るのが怖いのよ」
レミリアはハッと目を見開き、うつむいて言葉を発する──カウンターの下で忙しく手遊びをしながら。
「そう……多分そうね。人に言われると、それしかないように思えるわ。咲夜の身を案じてたけど、時を止められる咲夜が事故死するなんてありえないし──私は多分、走りの中で咲夜が真実を知って、その結果外界に『戻る』のが怖いの。このまま走りを降りてくれたら、咲夜は過去を知らないまま、ずっと私の従者でいてくれるわ。……それが咲夜を思った行動じゃないことくらい、私はわかってる。アリスにも『そろそろ真実を伝えるべきでは』って言われたわ。でも……」
「レミリアはさ、ロータリーを『選んだ』ことはある?」
レミリアが続きを言いかけたとき、こいしが唐突に口を挟む。
「……ないけれど、それが何?」
「だったら、咲夜の気持ちはわからないと思うよ。……気を悪くしないでね。ロータリー乗りはね、『選ぶ』生き物なの。たったひとつしか残ってなかったとしても、ロータリー乗りは『選ぶ』んだ。ロータリーという『正解ではない』択を選びとっていく気持ち……だからロータリーは『速い』んだよ。乗り手を選び、乗り手に選ばれるエンジン──それがロータリーなの。公道ランナーなんて、どこまでいっても肯定されるべきじゃない──だから私は、ロータリー乗りこそ究極の公道ランナーだと思ってる」
「……昔、似たようなことを言った人がいたわ。20Bエンジンに換装した、3ローターツインターボ、650馬力の黒いFD3S……50:50の重量バランスさえも捨て去ってしまったRX-7。GT-Rやスープラに乗り換えればもっと速くなれるのに──私は何度もそう言ったけれど、その人は結局首を縦に振らないまま、最期はそのマシンと運命をともにしたわ」
「ふふ、なかなか狂ってるけど、私は嫌いじゃないなあ。生きてたら話してみたかったよ。……それでね、レミリアが咲夜を『わかり』たいのなら、レミリアは選ばなくちゃいけないと私は思うの。『選ぶこと』を突き詰めなければ、咲夜みたいなロータリー乗りのことはわからないと思う。ただ『自分の無個性を唯一無二のエンジンで埋める』わけじゃなく、一瞬一瞬すらも選択しようとする心がローターの回転に共鳴したから、ロータリーを選んだ──咲夜はそういうロータリー乗りだから」
レミリアは宙を仰いで思案している。
レミリアはスープラ、私はポルシェ・911。
速さを求めた合理性の究極形をエボやRとするなら、スープラと911はどこかに妥協点を、そしてその妥協点でファンを生んだクルマだ。
間違ってるわけじゃない、しかし正しすぎもしない愛嬌──この二台のマシンにはそういうカラーがある。
エボやRを
マイナスな意見も大抵は、デザインの好き嫌いとメーカーのイメージバイアス、そして駆動方式くらいだ。
レミリアの過去は私の耳にも入っている。
スカーレット家の現在の地位は、ここ数百年間で時代の流れを正しく読みきった結果だ。
極端な話、妖怪と世渡りの論理で見たとき、ここ数百年間のレミリアの「正しくない」アクションなんて、公道レースと咲夜を引き取ったこと、この二つくらいなものだろう。
「正解」を選ぶのは案外とたやすい。
「正解」を踏みとどまらせるのは大抵、面倒臭さとチンケな反抗心だ。
「正しくないこと」や「間違ってること」を、快楽に流されず、非難を受けとめながら、自分で「選びとって」いくこと。
それはただ「正解」を選ぶよりも数段難しく──「正しくあること」は、それよりさらに難しい。
正解は誰かの歩んだ道を写しとっているにすぎない──正しくあることは、自らせめぎ合いに身を投じ、そうして得る立ち姿だ。
安全圏の部外者である限り、ただ「マル」を量産するマシーンの領域を出ない──正しくあることは、正しくないことを選びとった先でしか得られない果実だと、私は思う。
レミリアはしばし黙考した後、口を開く。
「──わかったわ。そこまで言うなら、あなたに咲夜のエンジンは任せましょう。でも──咲夜自身に選ばせるわ。あなたからはまだ干渉しないでちょうだい。……『ゲーム』に参加したいなら、ゲームマスターの言うことは絶対よ」
「大丈夫だよ〜。私は普段引きこもってるから。咲夜が不良少女になっちゃうね、紫さん」
「そうねえ、ロータリーは不良のエンジンだからねえ。……それはそうと、そろそろあの不良健康家出娘にも会いに行かなくちゃかしら。京都にいるみたいだけど、霊夢がパチンコとかにハマってないか心配だわ」
「私ならパチンコ屋の方を心配するわね。一度見せてもらったけど、あの子
「ええ、私に振るんですかそこ……いやまあ、そもそも吸血鬼の館でメイド長なんて、もうカタギやめてません?紅魔館自体、ひとつの武装勢力みたいなものですし……」
「……それもそうね。あの子には言ったか忘れたけど、紅魔館の食料庫には人肉もあるし……今更だわ。……はーあ!つかえがとれて、なんだか元気になってきちゃった!紫!こいし!今夜は飲むわよ!」
急に元気になってきたレミリアを見て、私はミスティアに小声で尋ねる。
「……ねえミスティア。あなたレミリアのライム酎ハイに何入れたの?」
私がそう言うと、ミスティアはかがんで一本の瓶を取り出す。
「甲類焼酎の代わりにスピリタス*1を使いました。やっと効いてくるって、吸血鬼はやっぱりお酒強いですねえ。……美鈴さんもフランドールさんもほとんど帰ってないみたいで、おまけに咲夜さんもああなって……魔理沙さんのことも結構気に入ってたみたいで、レミリアさん実はかなり参ってたんです。本当は良くないですけど、
私は首を横に振りながら答える。
妖怪、それも吸血鬼なら、スピリタスも問題ないだろう。
「幻想郷はすべてを受け入れるわ。私の『友人』に代わって礼を言わせて。……ありがとう。今夜のお代は私につけておいてちょうだい。後で藍が払いに来るわ」
あのレミリア・スカーレットですら、精神的に参っていたとは──半年で『友人』になっていたのに気づかなかった私は、幻想郷の管理者として失格だろうか。
やはり霊夢にもそろそろ会いに行かなくてはいけない気がする。
あの子がああなるのは初めてだから、正直めんど……優しくしてやらないと。
それに、魔理沙の遺体の魔力痕……あの件もある。
思っていたよりタスクは山積みらしい。
あーあ、と私はため息をつき──隣でレミリアが「そこ!辛気臭いわよ!」と騒いでいる──どこから藍に押しつけるか思案しながら、ミスティアに芋焼酎の水割りを注文した。