「ねえ、紫」
ワンダーのシリンダーにキーを挿し込みながら、霊夢が唐突に呟く。
「環状で暴れて、京都でごろごろして、ときどき北の方まで走りに出て……最近は博打にも手を出してみた。私が勝ちすぎたせいか知らないけど、通ってたパチンコ屋は潰れたわ。でも──ずっと満たされない自分がいるの。トラクションがかからないっていうのかしら。私の言いたいこと……紫には伝わる?」
「なんとなくは、ね。……霊夢。あなたさっき、早苗がバトルを挑んだ理由、『興味ないから聞かない』って言ったけど──本当は違うんじゃない?……わからない、わかる気がしなかったんでしょ?」
私がそう言うと、霊夢は一瞬沈黙し、目線をステアリングに向けたまま答える。
「そう……多分そうね。魔理沙がいた頃は、走りで競うのは楽しかった。でもいまは──そう、わからないの。最初はイラついて仕方なかった。だから環状で暴れてたの。いまはなぜ、早苗が紫に頼んでまで、私にバトルを挑んだのか、わからない。なぜそこまで、速さで競い合いたいのかわからない」
「でも霊夢──あなたは今夜、ここに来た。走らなければわからないのよ。あなたの知りたいことは誰も教えてやれない。その答えは今この瞬間にはまだ存在していない──命のやりとりのなかで初めてわかることなのよ」
「命──そう、命。魔理沙は死の先で何を見たのかしら。私が追いつけないところに、魔理沙は行っちゃった気がする。──紫、今夜はレインバトル。荒れるわよ。死んでも文句言わないことね」
私は答える代わりに軽く微笑む。
霊夢はシフトをローへ──いつもより煽り気味、2000回転でクラッチをつなぐ。
それは博麗霊夢の静かな、戦闘開始の意思表示──
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「スタート前の信号が近づいてきたね、早苗」
コンビニを出て以来続いていた沈黙の帳を、諏訪子様が破る。
出るときにぽつぽつと降り出した雨は、一気にその勢いを増した。
私はワイパーのレバーを一段階ひねる。
天気予報は晴れだったが、念の為撥水コートをかけ直しておいた──それが功を奏した天候になったといえる。
それなりの雨ならばバトルに支障はないだろう。
「ええ、諏訪子様。霊夢さんもついてきてますね。──雨になりましたか」
「予報外の雨だね。七曲りの路面の水の流れ方は確認してないけど、大丈夫?」
「問題ありません。それを含めてフェアですから。路面は──」
私は軽くステアリングを左右に回し、路面コンディションを確かめる。
シート越しに腰から伝わる感覚は──
「──問題ありません。一気に降り出してくれたおかげで、しっかりウエットコンディションです」
「それならよかった。雨は降り始めが一番怖いし──こっちはFR、あっちはFFだからね。セオリー通りなら、あっちが有利だから」
「その代わり、パワーウエイトのバランスはこっちが有利ですから。降ってきたのは僥倖です」
かぎりなくフェアなバトルを──誰が見ても文句の出ない完全勝利を──
私は、妖夢さんと話した冥界ハイウェイの夜を思い出していた。
「わかり合う」とはなんだろう?──走りのなかでわかり合うって?
わかり合いたいと私は思った──だが、その輪郭を精緻に捉えられているとは言いがたい。
咲夜さんとの決着は、首都高に持ち越すことにした。
咲夜さんは元々最高速系の走り屋──だからこそ、首都高で
──私は、このバトルを最後に、シルビアの「走り」からは降りるつもりだ。
東風谷早苗の本気の峠バトルは、これがおそらく最後になるだろう。
咲夜さんは次のマシンで──「博麗霊夢」知る限り最速の峠下りスペシャリストを撃墜すること──それがシルビアと私の、最後のミッションだ。
バス停が見えてきた──私はハザードを焚く。
一回──霊夢さんがシフトダウン。
二回──紅白の機影が右へ。
三回──ワンダーが軽く加速。
四回──ピタリと並ぶ──私も一段シフトダウン。
五回──ハザードを消し、アクセルを開ける──
霊夢さん──がっかりさせないでくださいよ──
アクセルを全開──SR20が雄叫びを上げる──プロペラシャフトがパワーを伝達──リアタイヤが路面を蹴り出す──
路面を滑る水の流れすら、分子レベルでつかまえるように──すべて刹那に私は知覚する。
水流と血流がリンクし、沸騰する──この瞬間再確認する──私たちは──こうして並び、夜闇を切り裂くことでしか──自殺行為としか思えない夜でしか──わかり合えない獣なのだと、理解する。
命のやりとりの、いやはてまで──
喪失に軋む心の叫びを、魂の震えにかえて──
第一コーナー、突入──