阪神高速16号大阪港線上り方面をひた走る、紅白のワンダーシビック。
朝潮橋のPAにも、そして大阪港線の路上にも、他のクルマの気配はない。
「……貸し切りね。変な感じ。街明かりは変わらず灯っているのに」
霊夢は呟きながら、市内中心部方面の高層ビルを見つめる。
聞き馴染んだVTECサウンドは聞こえない──しかし、霊夢はそれを特に不満には感じなかった。
かつて、B18CのSPLコンプリートに載せ換えたワンダー──ZCに不満なんてなかったのだと、霊夢はあらためて気づく。
ノーマル135馬力。
たしかにB18Cに比べたら非力だ。
しかし、霊夢はこのエンジンが好きだった──VTECも気に入っていたが、存外自分はZCが好きだったらしい──
いまさら気づくなんてね、と霊夢は独りごちる。
思えば、自分の感情をきちんと見つめたことなんて、なかったのかもしれない。
──物心ついた頃から、天涯孤独の身だった。
身の回りの必要なものは、紫にすべて与えられていた。
材料さえあれば、あとはすべてどうとでもなった。
それは霊夢が理解できるレベルまで手順が整えられていたからでもあるし、霊夢がそれを考えずとも理解できる存在だったからであるともいえる。
紫に与えられた環境、天が与えた才能──そして、「博麗の巫女」という「役割」。
霊夢は何も欲さず、そして何もかも満たされていた──霧雨魔理沙に出会うまでは。
魔理沙に出会ったのは、いまから五年ほど前だったか──境内の掃除をしていたら、偶然迷いこんできた金髪の少女。
霊夢が「人間」の姿を見るのは初めてだった。
御札を投げつけて傷一つ負わない存在と接触したのは、それが初めてだったのだ。
「──家出してきたんだっけね、魔理沙のやつ」
霧雨魔理沙は、名家の堅苦しさに耐えきれなかった、と「独立」した理由を語る。
しかし、霊夢だけはその本当の理由を知っていた。
「……金髪だから、自分の子じゃないってことにはならないでしょうに」
人里の大半が黒髪の幻想郷において、金髪は珍しい存在だった。
厳格な霧雨家の当主は妻の不貞を疑い、子である魔理沙を冷遇した。
それに耐えかねた魔理沙は家出を決行──博麗神社に「偶然」たどり着き、霊夢と邂逅したのである。
「そうしていつのまにか神社でごろごろするようになって……なんで私あいつのことばっか考えてるのかしら」
しばらくして、魔理沙は魔法の森に移り住み、どっかの大魔女に弟子入りしたんだったかしら、と霊夢は振り返る。
「それからもちょこちょこ来てたと思ったら、ぱったり来なくなっちゃって……久々に会いにきたと思ったら、シルビア乗りになってたんだっけ」
S13の助手席でレイクサイド・パークウェイを走った夜……そう、たしかちょうどこんな、人の気配もクルマの気配もない夜だった──霊夢は記憶の糸を手繰り寄せながら、西
─────
どこに向かうというのだろう──
──どこに向かえばいいのだろう。
霊夢はただ無心に、人の気配の絶えた環状線を周回する。
ところどころに分岐はあるが、支線を経由して必ず環状に戻ってくる。
一度降りればもう戻れない。
降りようとしなければ、このループは閉ざされたまま。
──単調なループに思えるだろう。
阪神環状は、けしてバラエティに富んだレイアウトとは言い難い。
他に一台もクルマのないこんな夜なら、なおさらだろう。
「Loop 1」「環状線 Loop」──矢印のまっすぐ伸びる方へ、紅白のワンダーはだだっ広い四車線を駆け抜けていく。
もう何周目かもわからない。
霊夢は環状線をぐるぐると周り続ける。
何分?何時間?
──それとも、何日?何年、だろうか?
フューエルメーターは真ん中からやや「F」に近い位置を指して動かない。
ワンダーと霊夢は、かつてないほどに一体化していた。
意識が環状の夜に霧となってとけゆく──それを自覚したとき、霊夢は目の前を走る一台のマシンに気づく。
「──あれは……セブン?」
RX-7──その姿は、夜の怪鳥を想起させた。
二枚羽の変形大型ウイングが印象的な、ブリリアントブラックのFD3S。
左右二連の丸いテールランプが、ぎょろりとこちらを覗きこむ──霊夢にはその尾灯が、四つの赤い瞳に思えた。
けして威圧するわけではない──だが、この禍々しさはなんだろう──せつない危うさ、そして目を逸らせない、秘めた優しさ──
しなやかに飛ぶ、夜の鳥──しかしそのエキゾーストは、滅びの歌を思わせる──きっと、こころゆるせない──
走る姿に翼があれば、きっとその羽ばたきは死を運ぶ──
FDは霊夢の前で一瞬ふるりと車体を揺らし、ハザードを二回、点灯させる──まるで「ついてこい」とでも言いたげに──
霊夢が息を飲む間に、FDは勢いよく大気を吸い込む。
3ローターツインターボ──20Bの心臓に、二基がけされたビッグタービンが過給を始める。
あたり一帯が真空になる──霊夢が初めて邂逅する、純粋な暴力としてのチューニング──本物のチューンド──
早く踏まなくては──早くエンジンに大気を吸い込ませなくては──「燃焼させる空気すべて」持っていかれてしまう──
霊夢はアクセルを踏む──地のない「夜そのもの」に、右足を踏み出す心地がした──