咲夜に早く知らせなくては──
鈴仙・優曇華院・イナバは、自分が飛べることも忘れて、ぱたぱたと永遠亭の廊下を駆けていた。
霊夢が目覚めたことの安堵、これから霊夢の前に立ちはだかる障害──目覚めたと咲夜に報告できる嬉しさ──でも咲夜は、霊夢が手足を失ったままだとは聞いていない。
──私はどんな顔をして伝えたらいいんだろう。
鈴仙が俯きながら走っていると、廊下の角から人影が現れる。
慌てて止まろうとする鈴仙を、その人物は片手でそっと受けとめる。
「すみません、お師匠様……ってあれ?」
「んー、残念。永琳じゃないわ。……私が部屋の外にいるのがそんなに珍しい?」
艶やかさの極み──桃色と臙脂の和服様に身を包んだ黒髪の女性は、鈴仙に問いかけながらゆっくりと頬を撫ぜる。
「ちょっ……姫様!近いです!なんか……よくない気がします!こういうの!」
「あら。鈴仙あなた、『こっち』もいけるクチなの?……冗談。怒らないの。仕方ないわ、私の美が天地を揺るがすなんて、空が青いことよりも明らかだもの」
そう言いながら女性は、絹よりも艶のある黒髪をそっとかきあげる。
この女性の名は蓬莱山輝夜──かの有名な「かぐや姫」その人である。
ただ髪をかきあげただけなのに、桃とも桜ともつかぬ春の香りがほのかに漂う──かつての
所作の一つ一つが光を放つ美しさ──世界中のダイヤモンドをかき集めたとて、その輝きに届きはしない。
それはさながら、月に手を伸ばすようなものだ。
この調子に乗せられてると時間がいくらあっても足りない──そう思った鈴仙は慌てて本題を切り出す。
「あー、姫様。実は私、いまから急いで紅魔館に行かないといけなくて」
「そうなの?私、あなた『で』遊ぼうと思ってたのに……この輝夜の願いをあなたは叶えようと思わないの?」
「……私は姫様に求婚してませんから。『難題』出してもダメですよ。あなた『で』って言ってますし」
口元に人差し指を当てながら「おねだり」する輝夜に、鈴仙は内心グラつきながら応答する。
「ひどいわ。あなた『と』ってときもあるんだから。でもそうね、出かけるならちょうどいいわ。私も行く」
「はい。……はい?姫様も行くんですか?」
「紅魔館って、例の吸血鬼の屋敷でしょ?面白そうじゃない。それに、私ドライブって気分だったのよ。クルマでいきましょう」
輝夜はそう言いながら、鈴仙にキーを投げる。
鈴仙は反射的にそれを受け取りながらため息をつく。
「姫様のクルマで行くんですね。……まあ、咲夜が元気になりそうな話題は少しでも多い方がいいか。……ちなみに、運転は」
「あなたよ、鈴仙。私は運転が好きで、さらにハンパなく上手いけど、いい女は助手席が一番似合うものなの。覚えておきなさい」
「姫様に『いい女』論語られて反論できる人、この地球上にいませんって……」
輝夜は「早くしなさい、鈴仙」と言いながら、鈴仙の数歩前を飛びはじめる。
「落ちこむことないわ鈴仙。あなたも十分いい女よ。私ほどじゃないだけで」
慰めかわからない言葉を聞きながら、鈴仙は永遠亭の玄関に向かうのだった。
─────
「そこにいるんでしょ?入ってきなさいよ」
鈴仙が部屋を出ていって数分後。
じっと右足のあった部分に目を向けていた霊夢は、唐突に口を開いた。
霊夢の言葉を受けて襖が開き、紅と藍の衣服に白髪の女性が姿を現す。
「ずっと襖の前に立ってるって、悪趣味だと思わない?八意永琳」
「私は患者のメンタルケアを大事にしてるだけよ。一人で落ち込む時間が必要かと思って」
八意永琳と呼ばれたその女性は霊夢の隣に正座し、触診を始める。
「宇宙人は知らないけど、私は特に必要ないわ」
「それならよかった。大体の地球人は必要みたいだから。……宇宙人は嫌い?」
「『嫌い?』って探ってくるところはね。あとはなんだっていいわ。地球人にも嫌なやつはいるし、宇宙人にもいいやつはいる」
霊夢の言葉を受けて、永琳は「ふふっ」と笑う。
「なにがおかしいのよ」と霊夢は口をとがらせる。
「いや、なんでもないわ。思ってたより『あなたがあなたのまま』だったから。それに私は月人よ。まあ、広義では宇宙人だけど」
「たしかに、あなたはベタベタヌルヌルしてないわ」
「どういう解釈よ、それ」
「紅魔館で読んだ『まんが』ってやつに出てきた宇宙人がベタベタでヌルヌルだったの」
霊夢は紅魔館図書館で読んだアメコミの一シーンを思い出したのか、「うえぇ」と顔をしかめる。
「そういうのもいないわけじゃないけど、最近は話聞かないわね。というか、あなた漫画なんて読むのね。うちにも好きな子がいるわ」
「そうなの?私は、魔理沙に勧められただけ。押しつけられちゃって……って……ねえ、魔理沙って誰?」
話しながら違和感に気づいた霊夢は、はっとしながら永琳に問いかける。
永琳は触診の手を止め、霊夢を静かに見つめる。
永琳の瞳のなかで、あらゆる知識と真理が交差する──その閃きを霊夢が観測することはできない。
数秒ののち、永琳はなにか「合点がいった」という表情で、口を開く。
「……いずれわかる、かもしれない。いまはそうとしか言えないわ。……ところで霊夢。あなたまだ『走り』たい?」
「……わからない。手足もこうなっちゃったし。なにもかもが『走り』に繋げられてしまうのに、うんざりした気持ちも、すこしある。だから、わからない。そもそも、もう走れないわ、私。アクセル踏めないもの」
「……そう、そうね。すこしゆっくりしていきなさいな。じきに見舞いも来るだろうし。私は御暇するわね」
永琳は話を切り上げ、部屋をあとにする。
霊夢は自分の瞳から一筋、伝うものがあることに気づいた。
右の瞳──癖で左手で拭おうとして、霊夢はふと、考える。
自分はいつまで、こうした事実と、それに反射する感情に向き合えばいいのだろう──
霊夢は静かに身体を起こし、折り曲げた左足を、残った右腕で抱きすくめていた。