栃木県、日光市・那須塩原市の境界付近
もみじライン──午前一時
「いい夜ね、咲夜」
レミリアお嬢様が、月を見上げてぽつりと呟いた。
瞳は静かな潤みに満ちており、かつて「こんなに月も紅いから」と言った獰猛さは、もはや影も形もない。
お嬢様にはときどき、こんな夜がある。
ナイーヴとはすこし違う、しかしたおやかで神秘的な、乙女のビロードを感じさせる夜が。
「はい。お嬢様──」
今夜はどうして、外界に?──私はそう問おうとして、やめる。
それは従者として、野暮な振る舞いに思ったからだ。
お嬢様は、私のFCのボンネットを撫でながら振り向き、口を開く。
「──そう、それでいいのよ、咲夜」
お嬢様がそう言ったとき、二台のロータリーサウンドが近づいてきた──
─────
「やっほー、レミリア」
「こんばんは、レミリアさん。咲夜さんも、こんばんは。いい夜ですね」
近づいてきたクルマの正体は新旧RX-7──シルバーミストグリーン・メタリック*1のSA22Cと、メタリックマゼンタのFD3Sだ。
それぞれからドライバーが降り、私たちに挨拶する。
FDからはミスティアさん──そういえばFD乗りだったか──SAの方は──
私の問いを見透かしたように、SAのドライバーが鈴を転がしたような声で答えをよこす。
「こうして姿を見せるのは初めてかな、咲夜ちゃん。私は古明地こいし。ちょっぴりロータリーに詳しい
「こんばんは、ミスティア、こいし。来てくれて嬉しいわ」
古明地こいし──冥界ハイウェイで忍び込んできた、あの?──*2
私が口を開く前に、お嬢様が二人に挨拶する。
どうやらお嬢様は顔見知りらしく──余計なことを言うな、ということだろう。
「咲夜──今夜はあなたに、ロータリー乗りを紹介しようと思ってね。こいしとはミスティアの屋台で知り合ったの」
お嬢様は「どうだ」と言わんばかりにふんすと胸を張る──いけない、「忠誠心」が鼻から出そうだ。
かわいい。
「ありがとうございます……たしかに、私は他のロータリー乗りを知りませんでしたから。SAを見るのは初めてです。それにこのFD──まさか──」
「さすがね、咲夜。この二台を組んだのはこいしなの。チューニングはセブンの宿命──この二台も、例外なくチューンドよ。こいし、紹介して」
「そうだね。夜は長いようで、案外と短い。さくさく進めていこ」
こいしはそう言うと、SA22Cのボンネットを開く。
一見しては、特に変哲のないエンジンルームだ──紅魔館の蔵書の写真と特に変わらない。
しかし──この濃密な気配はなんだろう。
SA22Cの立ち姿、そしてエンジンルームからは濃密な走りの予感がする。
私は気になって運転席を覗き込むが、追加メーターくらいしか目立つところはない。
「こいし──さん?私にはなにが違うのかわかりませんが、しかし速さの気配が伝わってきます。このSA22C──どこが違うんですか?」
こいしの表情が変わった。
ピクリと眉が上がり、お嬢様をちらりと見る。
こいしの気配が──違う──
「ふふ──レミリア、この子、なかなかいいね」
「当たり前でしょう?咲夜は私の従者よ?」
そういう意味じゃないんだけどね──こいしはそう言いながら、私の方に向き合う。
「こいしでいいよ、咲夜。『さん』はいらない。エンジンルームを見たあなたの瞳で、メカニックへのリスペクトは伝わったから──このSAで、メカ的に手が入ってるのは足回りとエンジンだけだよ。オリジナルの12Aをバラして、チタン製高燃焼効率の軽量ローターを組み込んでるの。あとは私の好みに合わせて足回りをイジっただけ」
「えっ──それだけ、なんですか?」
「そうだよ、それだけ。──でも咲夜、いまのあなたにはわかるでしょう?この濃密な走りの気配が。極まったエンジンってのはね、クルマの立ち姿すら支配するんだよ。もっとも、私はエンジン屋だからそう思うのかもしれないけれど」
ミスティアさんがそれに合わせて口を開く。
「こいしさんのロータリーは『組み』が違うんです。パワーよりも『タッチ』──感性にダイレクトに訴えかけてくるんですよ」
タッチ──たしかに、ロータリーの「良さ」を具体的な言葉に落とし込むなら、そのフィーリングだろう。
ロータリーを知れば知るほど、ロータリーは数字じゃないと思う。
数字を求めるのなら、正解はいくらでも他にある。
「トータルセッティングはお姉ちゃんの方が得意なんだけどね。お姉ちゃんが全体の絵図を書いて、私がエンジンを組み、それを中心にお姉ちゃんが絵図を修正しながら仕上げていくの」
こいしがそう言うと、お嬢様が驚いた顔をする。
「驚いた──あなたが一人で全部やってるんだと思ってたわ」
「整備レベルならできるけど、『チューニング』になると私はエンジンだけ。だからこのSAは私だけの作品だけど、みすちーのFDはお姉ちゃんとの合作だよ」
そう言いながら、こいしはミスティアさんを見やる。
ミスティアさんは頷き、FDのドアを開ける──そういえば、FDのドアノブは窓の横にあるんだったか。
ボンネットを開いたミスティアさん。
エンジンルームを覗き込んだ私に、こいしは言った。
「咲夜。これが古明地チューンの、現状の最高傑作──FD3S、NAキャブ仕様だよ」