かごめ──かごめ──
かごのなかの──とりは──
いついつ──でやる──
「………………うしろのしょうめん、だあれ?」
感情のない──それでいて歌うような──舌足らずな発音で、フランドール・スカーレットは呟いた。
R34型スカイラインGT-Rのボンネットに腰かけていたフランドールは、ふわりと浮かび上がって月を見上げる。
いつのまにか、他のクルマがいなくなってる──それに、夜空は星一つなく、アクリルガッシュで塗りつぶしたように真っ黒──筆先をべたりとぶつけたように、月が浮かんでいるだけ──
内心そう思いながらも、フランドールは感情を一切表に出さない。
──ぱちぱちぱちぱち
「あなたの歌声、せつなさにひび割れていて、色彩豊かな虚無そのものね。素敵な『かごめかごめ』……
まるで抑揚のない、形式だけの拍手と褒め言葉。
声の方向へ──フランドールがくるりと顔を左に向けると、見知らぬ少女がそこにいた。
「辰巳第一PA」の看板に腰かける少女の容姿は、金髪に赤く大きなリボン。
洋風の襟がついた白い巫女服に、リボンと同じ色の袴──霊夢とアリスを足して二で割ったような容姿だと、フランドールは観察する。
「見た目の」年齢は咲夜と同じくらいだ。
右手には見知らぬ弦楽器を持っている。
六角形の箱に細いネックを取りつけたような楽器だ。
どうやら左手に携えた弓で弾くものらしい。
一見した印象では、変形した三味線にチェロの弓を合わせたようである。
「あなたの歌声のお礼……観客は『いなくなっちゃった』けど、いいわよね。あなたに聴いてもらえたら、それでいいわ」
フランドールが何も言わないでいると、少女はそう言って音楽を奏で始める。
──西洋音楽の文法にはまるで存在しない旋律。
東洋の音楽?それとも民俗音楽だろうか。
どこか不安定で落ち着かなくなるメロディなのに、耳を傾けてしまうのはなぜだろう。
音量が大きいわけではない──しかし、「目に」飛びこむ音楽だった。
そう──目で聴いている、とフランドールは感じていた。
耳で聴いているはずなのに、目が反応している。
目が離せない──それは美しくもあり、かぎりなく不安にさせる旋律だからだ。
注意深くなくてはいけない──強大な吸血鬼に警戒感を抱かせる音楽、そしてそれを奏でる少女は誰、とフランドールは目を細める。
はたして、演奏が終わり、少女は弓を下げながら口を開く。
「どうだったかしら……フランドール。これは、アトランティスの音楽よ。一万年以上も前に海に沈んだといわれる幻の帝国、アトランティス……この曲の題は『ほろびゆくわれらの
「ふーん……アトランティスって本当に存在したんだ。プラトンの妄言*2とばかり思ってたけど……たしかに、この世のものとは思えない旋律ね。私は嫌いじゃないわ」
「そうでしょう?かつて圧倒的な繁栄を誇りながら、物質主義に溺れ、最後は神罰によって滅んだ伝説の帝国アトランティス……そしていまとなっては、その栄華は幻想そのものとされている。吸血鬼に『妄言』呼ばわりされるんだもの。悲惨よね」
少女は、やれやれ、とジェスチャーし、腰かけていた看板から降りる。
フランドールは一切、その少女から目を離そうとしない。
「……それで?あなたはアトランティスの音楽を私に聴かせて、何の話がしたいの?本筋にすぐ触れようとしないのは、長命種特有の悪い癖よ。こんな『夜』をつくるんだもの……あなたが『ろくでもない』存在なことくらい、すぐわかることだわ」
「ふふ……そう急かさないでよ。私はまだ『私が定まっていない』んだから。今夜はご挨拶だけ……だけど、そうね。アトランティス……あなたのクルマもそうよね」
少女はそう言って、フランドールの34Rを指差す。
「2002年排ガス規制*3からもう五年以上経つけど……この間デビューしたR35型GT-Rはついに『スカイライン』じゃなくなったわ。280馬力自主規制に始まったスピードの夢は……結局十年ちょっとでその幕を閉じた。その栄華はちょうど、走り屋って存在の全盛期と重なるわ。あなたのお姉さんが走っていた時期にはもう下火、風前の灯。いまの走り屋は、かつて伝説と呼ばれた時代を追いかけてるだけ……それっぽく真似して、それっぽく自己満足に浸ってるだけ。ずっと90年代の幻想に囚われてる」
フランドールが「続きを話せ」と言わんばかりに無言で顎をくい、と上げたのを見て、少女はつまらなさそうに続きを話し始める。
「……それって、アトランティスみたいじゃない?かつて『あった』と言われた幻想を、誰かの記述で信じて追いかけて。まあ、『走り屋』の本能にはしっくりくるのかもしれないけれど。目に浮かぶようだわ……次に進もうとする時代を、過去を追いかけたい一心でせき止める。アトランティスなんて、『なんだこんなもんか』って話よ?よくて投石機が『ハイテク』な軍事国家なんて、自動小銃と核ミサイルの時代にはただの児戯だわ」
「……私は、そうは思わない。幻想はたしかに、いつも美しいわ。美しくないものは、人の記憶に残らないもの。でも……あの時代を生きたクルマたちには、いまの時代にはない『スピリット』──エンジニアの意地と矜持が生きている。今はたしかに、難しい時代かもしれない。でも、そういう時代があった事実は、未来のエンジニアをきっと鼓舞するわ。いまはただ、時代の土壌が痩せているだけ……だから私は、このかよわい灯火を絶やしてはいけないと思ってるの」
フランドールがそう言い返すと、少女はひとつため息をつく。
「へえ、あなたはそう思うのね。そうして生まれたクルマたちが、たくさんの人々を不幸にしてきたのに。フランドール……あなたはその『時代の象徴』ともいえる34Rでたくさんの『同世代』を、この首都高で葬ってきた。この九ヶ月ほど、ね。同じように、無謀な運転でクルマが死に、人が死に……それを『走り屋』の一言で見ないようにしてる。その灯火を絶やしかけたのは、自分たちなのに。そして生き残ったクルマたちを中古車として、新しい世代が追い求める。まさしく伝説……」
「……でも、伝説がいつも人を駆り立ててきた。幻想に人は、夢をみるのよ」
フランドールが苦しそうに言い返すと、少女は髪の毛をくるくると指先で弄りながら、口を開く。
「くすくす……それは過去に囚われてるだけ。『カゴメカゴメ』……あなたとおんなじよ、フランドール……『籠め、籠め』って、ね。あなたが地下室に……そしていまは、霧雨魔理沙に囚われてるのと、おんなじなのよ……あら、嫌だ。危ないわねえ」
フランドールが右手を握りこむと、少女は驚いた顔をする。
「ありとあらゆるものを破壊する程度の能力」ですら「壊せない」ものに遭遇するのは、フランドールにとって初めての経験だった。
──直撃したはずなのに。
「──あなた、何者?」
「くすくす……答えるにはまだ早いわ。あなたとすこし、問答してみたかっただけだから。──あら、あらあら」
フランドールの質問を躱した少女は、唐突に北の空を見やる。
「……なによ」
「んーん……そうきたかあ、って。あなたのところのメイド長さん、掴んだみたい。あの子も『プレイヤー』になるのかあ……ふーん……置いてかれないようにね?フランドール」
脈絡なく咲夜に言及されたフランドールは、無言で右手を握りこむ──しかし、少女はかすり傷ひとつ負わない。
「だからあ、無駄だって。そもそも私、あなたの敵じゃないわ。味方でもないけど。まだ決めかねてるのよねえ、私」
「……敵じゃないなら、せめて名前くらい教えなさい」
「そうだね……いいよ、教えたげる。あなたも『プレイヤー』候補だし。喜んでよ。今回名前教えるの、あなたが初めてだからさ」
少女がそう言うと同時に、少女の姿は失せ、代わりにブリリアントブラックのFD3Sが現れる。
運転席側のパワーウインドウが開き、少女が自らの名を口にする。
「私の名前は、
言うやいなや、FDは辰巳第一をフルスロットルで駆け抜けていく。
3ローター20B
FDが走り去ると同時に夜が去る。
ビル明かりに照らされた現実の東京の夜のまばゆさに、フランドールは思わず目を細めてしまっていた。
それは、吸血鬼が「幻想」ではなかった頃にはありえない光景だった。
真夜中の東京の空は、人間の営みに赤く燃えさかっていた──