朝の7時前、手洗い場の鏡で身だしなみを確認する。
毎日手入れを怠っていない給仕服にはシワ一つない、問題無し。朝に整えた筈の髪は少し乱れてしまっていた、水で濡らした手で直す。仕上げにポケットに入れていた香水を小瓶から取り出して、両手首に一滴垂らす。
給仕という仕事は第一印象が非常に重要だ。決して手を抜くことはできない。
特に俺のようにそれを武器にしている者は。
身なりを整えたら手洗い場を出て食堂へと向かう。もう間も無く、学院の朝食の時間が始まる前。何人かの給仕は食堂のテーブルを拭き、箸やフォークなどカトラリーが入った箱をテーブルに置いて朝食の時間の準備を進めていた。
俺は食堂前のボードに今日の一般生徒向けのメニューを記していく。毎日俺がやっている仕事の一つだ。
一、ご飯
二、お味噌汁
関東甲信越地方から取り寄せたお米や味噌やその他食材を用いたご飯とお味噌汁、これは基本的に毎日同じで悩むことなく書いた。
三、卵焼きか納豆をお好みで
学院で飼っている鶏から毎朝採れる卵で作る卵焼きとこれまた学院で作っている納豆だ。
上記三品目は大体毎日出てくるメニューなのでボードへの記載も簡素なものだ。
四、『お魚』
『お肉』
五、
毎日異なるのはここからの二品目、主菜とデザートだけ。
たまには主食はパンの日もあっていいと思うんだが、この学院の方針として最近は毎日ご飯だ。その方が安いらしい。一応、主食は無理でも主菜は魚か肉かを選べる。それで我慢しろということなのだろう。
俺は厨房へ一度行き、今日の朝食のメニューを確認する。それから食堂の入り口に戻ってボードに書き足した。
四、『お魚』琵琶湖で獲れたカツオの照り焼き
『お肉』ダンジョンで育った黒毛魔牛のすき焼き小鉢
五、学院所有の森で採れたバナナを使ったヨーグルト
「これで良し」
仕事の一つは終わった。尤も、一番楽な仕事で仕事とも呼べないほどだ。これからの仕事は当然、こんなに楽ではない。
俺は厨房に行き、今度は料理人たちの手伝いをする。そして『あれを持ってこい』『これを代わりに見ていろ』『料理を皿に盛り付けていけ』、そんな指示を飛ばされる。
本来、学院の朝食の時間における給仕の主な仕事は接客だ。生徒の注文を伺い、それに合わせて配膳を行い、最後に片付けをする。一方で調理の仕事は料理人の役目だ。学院には専属の料理人がいて、調理は彼らが行い、給仕は調理をしない。
だが俺の場合は事情が少々異なる。俺は給仕ではあるが、接客ではなく厨房に入って料理人の手伝いをしろと言われている。その理由は単純、今は料理人の数が足りていないからだ。とはいえ、厨房に入ったからといって別に調理をするわけではない。盛り付けや配膳の一部を手伝うのが主な仕事だ。
朝の七時、食堂が開いたらしい。生徒の声が聞こえてきた。これからどんどん仕事量が増えていく。この学院はホールはともかく、厨房は本当に忙しいんだよな。
──────────
忙しい。本当に忙しい。これしか出てこない。厨房はバタバタと騒がしく人が動き回り、給仕が持ってくる注文に何とか処理する。
一般生徒の食事はあまり問題にならない。何故ならその多くを事前に作っているからだ。メニューがあらかじめ決まっているものは前もって作っておけばいいだけ。
一方で朝食の時間帯にやってくるのは一般生徒だけではない。その対応までも少人数の料理人たちに押し付けるからとんでもないことになっていた。
特に食堂が開いてしばらくした頃のこの時間帯は本当に大変だ。厨房は純粋に人手不足。学院はもっと料理人を雇って欲しい。そう思いながら何とか自分に割り振られる業務をこなし続ける。
そんな時だった。この慌ただしい厨房にまで響き渡るような怒声が聞こえてきたのは。
「何なのですか、この粗末な料理は! あなたはこのわたくしを愚弄しているのですか?!」
その声を聞いて俺は思わず安堵した。近くの死にそうな顔をした料理人に声を掛け、今までやっていた作業を引き継いでもらう。それから俺は手鏡で身だしなみを確認しながら、逃げるように厨房を出る。
俺には料理人の手伝いの他にもう一つ重要な仕事があった。それはクレーム対応。特に相手が女性の場合の時の対応を任されている。
厨房で慣れない業務をするよりよほど良い。クレームもどうせ大した内容ではない。俺は意気揚々と怒声の元へ向かう。
「全く嘆かわしいことです! わたくしの家がこの学院にどれほど援助していると思っているのでしょうか! それなのにこの仕打ち、許せませんわ!」
「も、申し訳ありません! どうかお許しください!」
着いた先は予想通りの場所。この食堂に三つだけある、一般生徒には利用を許されていない個室のうちの一つ。優雅な調度品と贅沢なテーブルセッティングが醸し出す豪華絢爛な空間を演出する一室だ。
室内からは知り合いの給仕が叱責されて謝罪をする声が聞こえてきた。俺は廊下から部屋の中を覗き込む。
「麗香様の実家の華之宮家の爵位は公爵。しかもこの学院の運営資金の二割を援助しておられます。この意味をお分かりですか?」
「あんたみたいな取るに足らない給仕一人、簡単に解雇できちゃうんだよ? 立場を分かってないの?」
「重々承知しております! どうかお許しを!」
「今すぐこれを作った料理人を呼んできなさい、給仕! わたくしはあなたとその料理人二名の土下座と真摯な反省を要求します! これに応じなければ学院へ放逐を要求いたしますわよ!」
テーブルを挟んで二列に並べられている黒のソファーに座るのは三人の見知らぬ女子生徒たち。そのうち二人は知らない顔だ。しかし一人だけ、
雪のように白く、真珠のように透明な美しい肌。
金の糸のような髪を華麗に巻き上げた縦ロール。
燃える炎の煌めきを見る者に思わせる深紅の瞳。
絵画の世界から解き放たれたかに思われるほどの美貌と風格を兼ね備えた女性の中の女性。
彼女の名は
初めて目にした者の言葉を失わせる圧倒的な美しさから社交パーティでは『美の化身』と持て囃されている。
と、そのような女性だと俺は噂で聞いていた。確かにそこまで的外れな内容ではないかなというのが俺の第一印象だ。
「ご歓談中の所、失礼致します」
俺は声を掛けて部屋の中に入る。部屋の中に人々の目線が俺に集中するのが分かった。その中で気になるのはやはり
「………………へ?」
華之宮麗香は気の抜ける声を漏らし、瞬きも忘れて呆然と俺を見つめる。頬を赤くほてらせながら、俺の顔の形や輪郭を覚えようとするかの如く紅い瞳が忙しなく動き回る。俺へと突き刺さる視線に微笑みを返すと、彼女は慌てて目を逸らした。が、またすぐに俺のことを繰り返し盗み見始める。
俺を初めて目にした時の『美の化身』の顔は存外に間抜けだった。
さっきまで怒り狂っていた華之宮麗花があっという間に何も話さなくなった一方で、彼女の取り巻き二人もさっきまでの勢いを失った。
「えっ……? えっ……? か、かっこいい……」
「やッばぁぁ……エッグいイケメンなんだけど……」
小声で何かを呟いているがよく聞き取れない。しかし、聞かなくても話している内容はだいたい分かる。聞く必要はない。
何故なら初めて俺を見た女の反応なんて大体同じだからだ。
かっこいい、素敵、イケメン、付き合いたい。どうせこんな所だろう。聞かなくても分かる。
「お初にお目にかかります。
「あ、あの! その! えっと、大したことじゃないのですけれど!」
目の前の女三人が途端に挙動不審になる。華之宮も例外ではない。『美の化身』とやらも有象無象の女共も反応は全く同じだ。
俺は思わず心の中で爆笑する。本当にちょろすぎる。
何が美の化身だよ、笑わせやがって。
所詮はただの女だろうが。