西の方に紅茶と皮肉が上手い国があるらしい。 作:のるどすとりーむ
「容疑者は?」
「三時の方向、路地裏です」
「わかった。ならば君はそっちから、俺は向こうから追いかける」
薄曇りの空のロンドン、観光地として栄える場所とは正反対な路地裏を駆け回る、二人の黒スーツと一人の浮浪者。
「ひいぃっ……!」
浮浪者はぎょっとした表情で逃げている。積んであったゴミの山を蹴り倒したり、立てかけてあったはしごを倒したりして妨害をしようとする。もはやその行動が一般人が逃げるときにするものではないと、彼らには明らかである。
「待て!お前には不法滞在とスパイの容疑がかけられている!」
「そんなの知らねえよっ……!」
「スパイはみんなそう云う!」
先回りをして、ゴミ箱の裏に隠れる。
「なんだよっ、もうっ……!」
容疑者がこちらに向かって走って来たところで、ゴミ箱から片足を出す。
見事に容疑者が引っかかり、大きく前に転がる。
そのタイミングを見逃さずに拘束する。
「確保……!」
今日も彼は一つ一つ仕事を潰していく。
─────
「やあ、ノア・ガーディナー君。元気にしていたかな?」
かつて霧の都と呼ばれた都市、ロンドン。中心部のロンドンシティには石畳の道と計画的に整備された区画や、伝統的な建築様式の建物が並んでいる。おそらく東洋の人々が見れば、「ハリーポッターの世界に迷い込んでしまったかもしれない」と思い込んでしまいそうなくらいだ。
その中の官公庁の建物の一室で、黒色のスーツの青年が、とある初老の男性の机の前に立っている。
「まあ、元気です……少なくともあなたとお会いする前までは……ですが」
「ハッハッハ、君は相変わらず皮肉が下手だな。英国人たる者、そのたくさんある舌で皮肉ぐらい上手くできてもらわないと困るがね……!」
白いひげを上下させながら笑う上司を前に、少し不服そうな表情をみせるノア。顔を少ししかめさせながら、暗い声でこう言う。
上司は眼の前にあった紅茶を啜る。
「それで、俺を呼んだのは何の用ですか?」
「え?ああ、……君を呼んだのは他でも無い」
ティーカップを机に戻すと、すぐに上司は表情を変える。先程までの笑みは消える。
「ノア・カーディナー。お前はイギリス保安局─────MI5のエージェントとして、十分この英国のために活躍してくれている」
「まあ、当然のことですが……」
ビリビリと、オーラのようなものが上司から出ている上司をものともせず、ノアは至極当然のように言う。
「そこで、上層部、もとい私は君にとある決断をした」
ゴクリ、とつばを飲み込む。一体どんなことを言われるのか、不安と期待に押しつぶされそうなる。
「君、左遷ね」
「…………へ?」
間抜けな声が出た。
「ちょ、ちょっとどういうことですか!?この俺を左遷!?あなたはすぐに眼科へ行くべきだ!」
すぐさま反論しようとする。
「お、その皮肉は十二点……。まあそれより、……お前は若すぎる。だから一回経験を積んでこい。」
「それでも!第五対策室って…………俺のキャリアはここで終わるのか……!」
ノアは青ざめる。
(第五対策室って、あの変人どもの窓際部署だよな!?……終わった……)
第五対策室とは、MI5に置かれている部署で、国内外におけるイギリスの脅威を排除するのが目的で作られてる。が、しかし今はただの窓際部署となっている。噂では、1日の半分をクリケットに費やしても問題ないらしい。
「嫌ですよ!あんな変人共の住処!」
「大丈夫。君には実家みたいなところだから」
「それって俺が変人だと言いたいんですか?」
「そうだ、よくわかったな」
そのジジイはニコッと笑ってみせた。
─────
「あ!お前がノアか?よろしくな!」
「ああ……よろしく……」
すぐに室長の元へ行くことになってしまったノアは、その話題にあがっていた室長の見た目に失望している。
栗色のボサボサで短めの髪の、見た目は50代くらいのおっさんがノアの肩を少し強めに掴みながら言う。
「ようこそ!俺等の第五対策室へ!俺はテムズだ!第五対策室の室長をしている!」
「……」
(この陽気なおっさんが新しい俺の上司?ああ、終わった。多分この人間と俺とでは相性が悪いだろうな)
少なくともノアは自分のテリトリーにずかずかと入ってくる人間は嫌いなのである。
「そうだ、早速だが君にはいい知らせと悪い知らせがある。どっちから聞きたい?」
「……良い知らせで」
「君は今日から第五対策室の一員として頑張ってもらう訳だけど……そこで君にはバディ─────もとい相棒がつくことになった。入っておいで」
「失礼します」
金髪碧眼で、腰までくらいのストレートヘア−。顔立ちは非常に整っている。しかし、目つきが少々怖い。なんというか、サーバルキャットのような印象の、20代くらいの女性が入ってくる。ここでノアが注目したのは、彼女の見た目から分かる年齢だ。同い年だろう。しかし彼がMI5に入った時に、既に同期は敵ではないと理解している。つまりノアにとっては取るに足らない同期と一緒に行動しないといけないのだ。
「……なるほど、それで?いい知らせは?」
「……ノアさん。ずいぶんと失礼なことを言いますね」
(女─────いやサーバルキャットがなにか言っている)
「じゃ、チェンジで」
「そういうことじゃありません」
「いやいや、いきなり連れてきた、こんな仕事ができなさそうな奴が相棒?それは俺にとって悪いニュースこの上ないね!」
ノアは左遷のショックなのか、少し言葉が荒くなっていた。
「……よく喋りますね。スパイだったら失格ですよ。……だからSISに入れなかったんじゃないですか?知りませんけど」
ノアは少し意表をつかれた。ちなみにSISとはイギリス秘密情報部─────MI6の別称である。
「……ハッ!どこでそれを知ったのは知らないが、少なくともお前みたいな奴には言われたくないな」
反論にすらなっていないが、なにか言い返したかったノアは捨て台詞のような事を言う。
ここで室長が無邪気に会話に割り込んできた。
「え?ノアお前SIS志望だったの?」
「ええ、まあ」
「なら第五対策室にピッタリじゃないか!ここは国外の調査もできるぜ!……まあ肝心のSISには嫌われていけどな!」
室長はガッハッハと汚い笑い方をする。ノアはそれをひどく苦い顔をしながら見る。
「あ、そうそう。良い忘れていた悪いニュースだけど……。ここで新人たちの歓迎会をしたいところなのだが、珍しく俺等に仕事が入った。さっきスコットランドヤード、ロンドン警視庁から依頼が来ていてな。二人共ちょっと行ってきてくれ」
─────
「こんにちは」
「お待ちしておりました、こちらです」
取調室に案内される。
「不法滞在者の可能性があるということですが」
「そうです」
「ならばそちらの仕事では?」
「こら」
女がノアに小突く。
「いえいえ、そう思う気持ちもわかります。ただ……その人が不審すぎまして……」
「ふむ……」
取調室の重厚な扉が開けられる。
「この人は……まあ、見ての通り日本人なのですが、怪しい点が多すぎまして……念のためスパイではないか調べてもらえますか?」
警察の人がノアに耳打ちする。
「わかりました」
(尋問は俺の得意分野だ)と自信満々にノアは座り込む。
「こんにちは、私は保安局のノアと申します」
「よろしくでござる」
(保安局の名前を聞いて特に変化は無い。タダのやばい一般人か、それとも熟練のスパイかの、どちらかに分かれるな)
「えーと、名前の方はムサシさん、でしたか?」
手元の書類を見ながら会話をする。
「そうでござる」
ムサシの格好は江戸時代の浪人のようで、紺色の着物に、無精髭、まとまりの無い髪というTPOを完全に無視している見た目である。
「イギリスへはどのような目的で?」
「もちろん観光でござる!先程、大英帝国博物館に行ったのでござるが、まさに圧巻でござった」
「それは何より」
「ロンドン橋も見たでござる」
「あそこですか……童謡のようにはなっていませんでしたか?」
「ハハ!ノアさん、拙者のイギリスへの知識を舐めすぎでござるよ!落ちるなら橋じゃなくて恋のほうが良いでござるよ!」
ムサシは大笑いする。
(なんで異国の人間にまで俺の皮肉は通じないんだっ……)
ノアは肩を震わせていた。
「……なるほど。どうやら本当に観光目的のようですが……おい、お前」
ノアは後ろで立っている、新しい相棒に声をかける。
「お前ではありません。私にはエリスという名前があります」
ここで初めて彼女の名前が明かされた。
(おめー「エリス」って一回も名乗ってないから名前知るわけないだろ……!)と思い、少々怒りが込み上げてくるノアだったが、どうにか抑え、
「じゃあ、エリス」
と、彼は少し眉間がピクピクしながらも笑顔を作って対応する。
「気安く名前で呼ばないでください」
これをエリスは軽く突っぱねる。
「……」
もはや呆れの感情が出てきていたノアは、沈黙する。
「はぁ~……全く何なんですか……?で?要件はなんですか?」
(やれやれ、こいつはどうしようもないな)とでも思っているのかというくらい、でかいため息をして、呆れたようにノアに尋ねるエリス。
「……日本大使館に、この人の照会をしてくれ」
「貴方に指図されなくてもとっくの昔にしています」
「そ、そうか……」
(だったらさっさと言えよ!)と思い再び怒りが込み上げてくるノアだったが、どうにか抑えた。
「で、結果は?」
「……正規ルートでイギリスに入国していますね。日本ではマスコミ関係者らしいです。そうなのですか?」
「ござる」
首を少しオーバーに縦にふる。
「ふうん……それで?どうしてそんな格好をしているのですか?日本のサムライはもういないでしょう?」
「……そうでござるね。強いて言うならここで『サムライスピリッツ』を伝えるためでござるね」
「は、はあ?」
会話が成立しない。
(駄目だ、コイツ話が通じねえ)
頭を抱えるノア。
「全く、さっきの威勢は何処だったのですか?代わってください、私がやります」
ここで意地を張る必要はないと判断したのか、ノアはすぐに席をエリスに渡した。
「ムサシさん、貴方は今スパイの嫌疑がかけられています」
「そうでござるか?」
「そうです。もしかしたら二度と日本に帰れなくなるかもしれませんよ?」
「それに関しては問題ないでござる」
「と、言うと?」
「さっきも言った通り、拙者はマスコミでござる。もし日本の記者である拙者がイギリスから帰国できなかったら、どんな拡大解釈したニュースが流れることやら……あまり日本のマスコミの腐敗度を舐めないでほしいでござる」
誇れることではないが、堂々という彼の姿にはなにかプライドのようなものが見えた。
(もしかしてコレが「武士道」とか言うやつか?)
ノアは一人ニヤけながらそう考えた。
「そ、それはそうかもしれませんが……」
エリスもムサシに押されるようだ。
(そこは一応否定するべきところでは……?)とノアは心の中でツッコむ。
「ま、拙者は普通に協力するでござるよ。まだ観光したいところがたくさんあるでござるからね」
「え?そ、そうですか……ならば滞在時のホテルの場所など─────」
取り調べはいきなり順調に進んだ。
─────
「ご協力ありがとうございました」
夕方になってから、ようやく彼は問題ないと判断され、取り調べは終了した。
「いえいえ、大丈夫でござるよ。……そうだ!ノア殿!」
ムサシが懐から名刺を取り出す。
「今度一緒に飲みに行こうでござる!」
「え?ええ?」
「じゃ、失礼するでござる」
ムサシは警察署を出て、雑踏の中に消えていった。
「あれ?ノアさん、その名刺なにか変じゃないですか?」
「変?」
ノアは名刺を見てみる。しかしその殆どが日本語で書かれているので、彼には読めない。……それでも名刺の中の唯一の英語をだけ読むことができた。
【Cabinet Intelligence and Research Office:CIRO】
「CIROって……」
「ええ、内閣情報調査室、日本の情報機関です」
「やられた……」
ノアは少しうなだれた。
(というか情報機関が名刺作るなや。サラリーマンの国過ぎるっつーの)
ノアは心の中でそう思った。
─────
「おつかれー二人共!どうだった?」
室長が元気に尋ねてくる。
「コイツと仕事すること以外は概ね問題ありませんでした」
「同じく、この人と一緒に仕事をすること以外には」
珍しく二人の意見は合ったようだ。
「ハッハッハ!そうかそうか!……ところで聞いたぞ、内閣情報調査室を逃したんだって?」
「え、ええ」
ノアは少々苦い顔をしながら言う。
「まあ、問題ないんじゃないか?」
「え?」
「一応今は日英の関係は悪くない。むしろTPP関連で良好に近い状態とも言える。国家安全保障の面から見ても特に不安な点は無いと思うよ」
「……まあそれだと良いのですがね……」
「それより今はノアの左遷祝だ!飲むぞー!」
「祝うな祝うな!そんなもの!」
(だめだ、ここで上手くやっていいける気がしない)
ノアはそう思った。
「……大丈夫大丈夫。ウチ等はそう簡単に情報を渡したりしないから」
「……分かりました」
それでもノアは釈然としなかった。
頑張って毎日連載しますので、
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