エデン条約ら辺の話はこれだけです。話の本筋に関係する事柄では無いのでね。なので今回の話は完全に蛇足です。
プルルル。と、電話の着信音が鳴る。寝惚け眼を擦りながら電話をかけてきている相手の名前を見れば、そこには『シン』の文字。
「こんな時間になんの用でしょうかね…?」
時間は午前三時といったところ。普通は起きているような時間ではありません。彼の場合は仕事柄、どの時間に起きているとかはあまりあてになりませんがね。
「はい、もしもし」
『おう、悪いなこんな時間に電話しちまって』
「大丈夫ですよ。して、要件は?」
『てめぇのとこの小娘居んだろ?あいつについてちょっと聞きてぇんだが…』
小娘、と言うと…ミカさんの事ですかね。私の所の、というのは些か語弊があるかと思いますが。
「ミカさんですね。彼女が何かしましたか?貴方が聞きたいことと言うと、それなりのことでしょうし…」
『お前から見て最近おかしな所は無かったか?どれだけ些細なことでも構わん』
おかしなこと…おかしなことですか。普段通り、特段変わったことは無かったと思いますがね。この前の一件に関しては私が悪いのでノーカンです。
「いえ、特にこれといっては」
『そうか。なら良いんだが』
「他には何かありますか?」
『特にはねぇな』
この時間に電話。目的はミカさんのことを聞くだけ。⋯ふむ。
「では、もう一つ。⋯それは私に話せるような事柄ですか?」
プライベートな事柄ではまず無いでしょう。となれば仕事のことになる訳ですが、ミカさんはトリニティのトップ格の一人。そんな人物のことを聞きたいとなると…ゲヘナからの依頼か、トリニティからの依頼か。どちらにせよ政治絡みでしょうね。
『いや…。…あ?ちょっと待てよ。…ああそうだ。あぁ。…良いんだな?分かった。……東雲、聞こえるか』
シンはしばらくの間誰かと話してから再び私に声をかけてきました。
「はい」
『クライアントから許可が出た。お前も知っておいた方が良いだろうとさ』
私も知っておいた方が良い、ですか。一体どのような内容なのでしょうか。悪い内容でなければいいのですがね。
『気を悪くしないで貰いてぇんだが。…現在聖園ミカには、トリニティの裏切り者である嫌疑がかけられている』
「…裏切り者、ですか」
それはまた、なんというか…。
「彼女、そんなことできます?結構こう、直感で動くアホの子みたいなイメージなんですけど」
『中々ひでぇこと言うなお前も。だが、こればかりは紛れもない事実だ。詳しい内容までは言えないがな』
シンが言うのであればそうなのでしょう。私は事情を知らない以上、これといって口出しもできませんし。まぁ、出来ることは有益な情報が入ればシンに連絡するくらいでしょうか。
「了解です。私の方からも探ってみましょう」
『…良いのか?』
「?何がです?」
『いや…お前⋯あー⋯っと、その、なんだ。あの小娘のこと結構気に入ってたろ?』
なんだ、そんな事ですか。
シン、貴方はまだ人の気持ちには疎いようですね。早いところそのあたりも直した方がいいですよ。これは今後行う予定の『キヴォトス恋愛観察共有会』にも参加させねばなりませんね。
「問題ありませんよ。…私は聖園さんのことを信頼していますので。裏切りだなどと、そのような事を彼女がする筈がありませんから」
〜〜〜〜〜
「というわけでして、ミカさん。その辺どうです?」
電話があったその日の昼下がり。いつも通りに店に顔を出したミカさんに、電話で語られた内容をそのまま話しました。
こういうのは真っ直ぐ当たって砕けろです。本来であればとても褒められた方法ではありませんが、彼女相手であればこれくらい愚直な方が却って良い方向に転がるでしょう。
さて、ミカさんの反応ですが⋯
「え、えっと〜…」
……おや。これは、ちょっと予想していない方向に行くかもしれませんね。少なくとも心当たりがありそうな反応です。…私の彼女への信頼も地に落ちるかもしれません。
いえ、好きという気持ちが変わることは無いですがね?それは人としての信頼関係とはまた別物なのです。
「…キリキリと吐きなさい。大丈夫、怒りはしませんから」
「うっ…。あ、あのね…?その、こんなことになると思ってなかったんだけどね…?ほ、本当だよ?」
「具体的な内容を話してください。そこが分からないことには判断がつきませんので」
私の言葉にいよいよ観念したのか、ぽつりぽつりと聖園さんは事を話し始めました。
「レンさんがゲヘナ出身だって知るよりも前の事なんだけど…私、エデン条約に反対してて、それで、…アリウスの娘達と仲良くしたいなーって思ってて…」
エデン条約、というのは聞き覚えがありませんが…アリウスですか。あそこは昔にトリニティから迫害を受けて、現状残っているかも分からないようなものだと思っていましたが…まだ存続していたのですね。
「それでセイアちゃんが私の案に反対したから、嫌がらせのつもりで…ちょっと痛い目を見てもらおうかなって」
セイア、といいますと…聖園さんと同じティーパーティーの百合園セイア嬢のことですか。
…大体の概要が見えてきましたね。要は百合園セイア嬢にアリウスの生徒を引き連れて襲撃をかけたと。
「でもレンさんの出身のこと知って、話も聞いて、やっぱり良くないかなって思って。嫌がらせも止めようと思って、アリウスの協力してくれてた娘達にもそういったんだけど…」
「だけど?」
「私が知らない内にやっちゃったみたいで…実際のところはミレニアムの男子学部の生徒会長の協力もあって、未遂に終わったみたいなんだけどね?」
ふむ、ふむ。それはまた…。
「ミカさん。⋯それは裏切りと取られても仕方ないのでは?」
いえ、取られても仕方ない所の騒ぎではありませんね。紛うことなき裏切りです。途中までしか手引きしていないとはいえど、実際問題ミカさんのせいで百合園セイア嬢の身に危険が及んだ訳ですから。彼女なりの考えがあってのこととはいえ、これはちょっとまずいですね。
「うっ…そ、そうだよね…ちゃんと謝るつもりだったんだけど⋯中々機会が無くて⋯」
ごめんの一言で済むような事であれば、まだ良かったのですが。
…直感で動くアホの子というのも、あながち間違いでもないじゃないですか。半分くらいは冗談のつもりだったんですけど。
「はぁ…どうします?」
「へ?どうするって…?」
「このまま黙っておくのか、それともしっかりと謝罪するのか、ですよ。前者であれば私も何も言わずにいます。後者であれば同行しましょう。一人というのは中々勇気が出ないものですから」
あえての二択ではありますが…彼女は優しい娘です。実質的には一択でしかありません。私が見てきた貴女は、私が信じる聖園ミカという少女は。こういう時はしっかりと謝れる。そんな娘ですから。
「……謝る。私が蒔いた種だし…」
「よろしい。では早速行きましょう」
「えっ!?ちょっ、ちょっと心の準備が…」
「こういうのは早い方が良いのです。取り返しがつかなくなる前に、ですよ」
っと、その前にシンに連絡しておかないといけませんね。アポ無し凸程ストレスなものはありませんから。…ねぇ、ミカさん。今は喜びの方が強いですが、前は結構なストレスだったんですよ?
『もしもし』
「もしもし、東雲です」
『…なんか分かったのか?』
神妙な声ですね。まぁ、このタイミングで私からのコールとなるとその絡みしか無いでしょうし、当然ではありますが。
「分かった所の騒ぎじゃありませんよ。今からミカさんと其方に向かいますので」
『今から来るって、そりゃまた急だな』
「ええ、まぁ…。それと、桐藤ナギサ嬢と百合園セイア嬢にもコンタクトを取っておいてください。これはティーパーティーの三人で話すべき事柄です」
『…大丈夫なんだな?』
シンの不安も当然のこと。ですが、大丈夫。
「勿論。私が信じるミカさんを、貴方も信じてください」
『⋯分かった。必ず連れてくる』
「はい、よろしくお願いします」
〜〜〜〜〜
そんなこんなでティーパーティーの三人が揃いました。他には私とシンのみのこの状態。ミカさんの傍には私が、桐藤ナギサ嬢と百合園セイア嬢の方にはシンが控えています。
私はお二人と顔を合わせるのは初めてなのですが、ナギサ嬢は前にミカさんが語った通りアラタ君に似ている⋯ということはないですね。彼女は一体、何処を見て似てると言ったのでしょうか?
ですが、アイカさんの面影は感じます。眼鏡をかけたら大分近づくのではないでしょうか。同じ桐藤の者ですし、自然なことなのかも知れません。シンは気付いていないようですけどね。
「…それで、ミカ。話というのは?」
話を切り出したのは百合園セイア嬢。聞けば今は身を隠している状態だったのだとか。そんな彼女が姿を表すのは、とても危険なことではあるのですが…。事が事ですし、仕方ないことでしょう。
「えっと…あ、あの…」
中々謝罪の言葉を口にすることが出来ずに、しどろもどろになっているミカさん。
罪悪感やこの場の重圧。彼女はトリニティのトップ、その一角とはいえどまだ十七歳の子供。自身がもたらしたことの重大さを理解していればこそ、たったの一言の高い壁。それを口にするのは難しいでしょうが。
「ミカさん、大丈夫ですよ」
その壁は、時間があれば一人でも。
誰かに背中を押されれば、時間さえ必要とせず。
貴女は超えてゆける。それが聖園ミカという方ですから。
「ナギちゃん!セイアちゃん!ごめんなさい!!」
ミカさんの唐突な謝罪に、ぽかんと口を開けて呆けているお二人。まぁ、そうなりますよね。仔細を話していないのに、初手から謝られてもよく分からないでしょう。
「…私が、ナギちゃんが探してる裏切り者。セイアちゃんを危険に晒したのも、私のせいなの」
「⋯⋯」
「⋯そう、でしたか」
⋯さて、ミカさんの謝罪は聞き届けました。これ以上我々がここにいる必要は無いでしょう。政治絡みの案件に首を突っ込める程偉くもないですし、これもまた彼女等の青春の一幕なのでね。
私は部外者。シンは⋯どうなんでしょうか。
目線を彼の方に向ければ、どうやらお互いに同じことを考えていたようで。頷きをもって返答が返ってきました。
話している三人の邪魔をしないように、そっと部屋を退出。
我々の事を気にする様子は無く、このままでも問題は無いでしょう。
静かに扉を閉めたところで、後ろから声をかけられました。
「東雲」
「なんでしょう」
「助かった。俺だけじゃ、あそこまで上手く事を運ぶのは無理だったろうよ」
⋯なんと。
「貴方、素直に礼を言うことが出来たのですね。いつもは憎まれ口ばかりなのに」
「憎まれ口はてめぇ仕込みだ。⋯今回は、どうしても何とかしてやりたかったんだよ」
「⋯ほう」
シンがそう言うということは⋯どちらですかね。
自身の理念に基づいた行動か、それとも純粋な好意か。
…聞くのは野暮でしょうか。
どうするべきか悩んでいると、こちらの心情を察したのか静かに話し始めした。
「ナギサがな⋯重なったんだ」
「それは⋯」
重なった。つまり⋯。
「自己満足なのは分かってる。俺の昔話なんてアイツにゃ関係ねぇ。⋯それでも俺は、見て見ぬふりなんて出来なかった」
具体的なことは何も話されなくとも、シンが何の話をしているのかは分かります。
「まだガキなんだ。仲の良い奴と笑いあって、気に食わねぇことがありゃ喧嘩して。何かあっても『ごめん』の一言で終わって、そっからまた笑顔で仲間と過ごす。そんなガキにとっての当たり前を、アイツは捨てようとしてた」
脳裏に浮かぶのは彼の弟。父を亡くし、自暴自棄に陥った兄を支える為に子供であることを捨て去った子供。
十六という歳で大人に成る事を選び、その為に大事にしていたものの多くをその手から離した少年。
「子供が自分の大切なものを手放さなくちゃいけないなんて、そんなこと…俺は許容出来ねぇ。例えデカいシマのトップだろうと、そのシマを守る為だったとしてもだ」
正に嘗ての焼き直し。しかし、その結果は全く違うもの。
「⋯貴方はそれを止める事が出来たのでしょう?子供のままでいていいのだと示すことが。大切なものを捨てさせないように助けることが。…出来たのでしょう?」
私の問いに対してシンは言葉は発さずに頭を一度、縦に振るだけでした。
「ならば誇りなさい。貴方は過去の過ちを繰り返さずに済んだ。そして、一人の少女を救ったのですから」
「⋯⋯あぁ。⋯てめぇのお陰だがな」
「良いのですよ。使えるものはなんでも使うべきですから。喧嘩と同じです」
「⋯そうだな」
サングラスに隠れた彼の目は、見えないけれど。確かに暖かなものでした。
⋯さて。湿っぽいのはこれで終わりです。
「シン。一つ聞きたいのですが」
「あん?なんだ?」
「ナギサ嬢のことはどう想っています?」
「⋯…普通、この流れでそんなこと聞くか?」
私、ああいう空気得意じゃないんですよ。
それに…私の嗅覚は並のそれを凌駕している。恋の匂いには敏感なのです。
そう、匂うんですよ!シンに好きな人が出来るなど、そんなの大事件なのですから!余計にプンプンと匂うんです!
「流れなど関係ありません。それで?どうなんですか?」
「…はぁ。惚れたも腫れたもありゃしねぇよ。ただほっとけねぇ奴ってだけだ」
「…本当に?」
いや、そんな筈は無い…!私のセンサーが確かに恋を捉えているのです…!
「本当だ。てかよ、てめぇは自分のことを気にするべきじゃねぇのか?」
話を逸らされた感じはありますが…シンの心配も当然ですね。彼とこの話をしたのは、自身の気持ちが分からなかった時に一度。それとミカさんに何故眼鏡が合わないのかで一度。その二度だけでしたから。
「問題ありませんよ。自身の想いは自覚しました。後は伝えるだけです。…今回の一件が落ち着いたら、と考えています」
その時には例の物も出来上がっている頃合でしょうし。
「…へぇ、そうかい。月並みな言葉だが…頑張れよ」
一言。その言葉にはどれだけの意味が込められていたのでしょうか。過去の私を見ていた彼だからこそ、たったの一言が私の心には大きく響きます。
「…ありがとうございます。貴方にそう言って頂けると、勇気が出ますね」
「もう一つ。…アラタは上手くいったらしいぜ」
「そうでしたか。であれば、私も負けてはいられませんね」