キヴォトス人の『運命の人 』   作:Mr.@

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声を上げて泣く時はね⋯嬉しい時であって欲しいなぁって、そう思って書きました。




EP.short7 根無し草に幸福を

 

 

カチコチと響く時計の音。それ以外は何の音もしない静寂の間。

人っ子一人居やしない店内を、昼間の暖かな陽気が包み込んでいる。

 

今日はよく晴れて、正に快晴。

前なら絶好の仕事日和だったのだがね。こういった日は、海風が少しばかり恋しくなる。

だが、残念なことに今の仕事は天気が関係しない。

人が居ないのはただこの店の人気が無いだけだ。残念なことにね。

 

まぁ、客自体は時折来てくれるし、なんだかんだ言いつつ店を続けられる程度には稼げているのだが。

 

特段やることもない癖して、何となくグラスを磨く。

あまり使うことの無い透明の器からは、これ以上磨いても仕方ないだろ、と言わんばかりにキュッと音が鳴った。

⋯仕事道具にすら叱られるだなんてね。悲しいものだよ。

 

カーテンをしていない窓から太陽が私を照りつける。一生懸命照らしてくれるのはありがたい事だが、今の状況だと嫌がらせとしか思えない。

 

そんな折、チリン、と音がした。ドアにつけた鈴が人の来訪を告げたのだ。

 

物好きな来訪者を視界に収める。

束ねられた薄い緑の長髪に、少々暑そうな格好。背には巨大なガンケースとリュック。⋯私の見知った顔だった。

 

「あ、あのぉ⋯マスター⋯」

 

「ヒヨリ君か」

 

槌永ヒヨリ。

この歳にしては珍しいことに根無し草のようで、初めて会った時は店の前で必死にWi-Fiを探していた。暑いだろうと思い中に入れたら何故か懐かれてしまい、それ以来彼女は頻繁にここに来るようになったのだ。

 

「その、今日もお邪魔していいですかね⋯?」

 

「見ての通り店はガラガラだ。好きなだけ居るといい」

 

「え、えへへ⋯ありがとうございます⋯」

 

ちょこちょこと歩いて来て、私の正面にあるカウンター席にヒヨリ君は座った。ニヨニヨと暗い笑顔を浮かべている。

 

態々こんなところに来る理由は分からないが、ここが彼女にとって居心地の良いものになっているのであれば幸いだ。人の寄り付かない喫茶店を経営している甲斐が有るというものだよ。

 

「何か飲むかね?」

 

「⋯私、お金が無いので遠慮しておきます⋯。香りだけ楽しみますので⋯」

 

いつものお決まりのようなやり取り。

毎度毎度やっているが、彼女もいい加減察すればいいと思うのだが。

⋯まぁ、タダであることが当たり前になるのは、それはそれで良くないかもしれないがね。

 

「なに、サービスだよ。金銭を気にする必要は無いとも」

 

「えっ!い、良いんですか⋯!?では、オレンジジュースを⋯」

 

希望通りにオレンジジュースをコップに注いで出してやる。それを受け取ったヒヨリ君は、嬉しそうに頬を緩ませていた。

 

「えへ、えへへへ⋯」

 

彼女のこういった表情を見ていると自然と私まで笑んでしまう。

なんというか、娘を見ているような気分になるのだ。私にはそんなもの存在しないが⋯これが父性というものなのだろうかね?

 

「おかわりも自由だ。いつでも言いなさい」

 

「おかわりも自由なんですか!?⋯それって、つまり⋯上げて上げて、そこから一気に落とそうって、そういうことですよね⋯?今貰った分、巡り巡って…いつかその分が、大きな不幸になって帰ってくるんですよね⋯?」

 

「待て待て、何故そうなる?これは純粋な善意だ。何も打算的なことは無いのだが?」

 

相も変わらず不思議な娘だ。

こちらの良かれが彼女のマイナス思考のトリガーを引いてしまうらしい。素直に気持ちを受け取ってくれれば、私としてはそれでいいのだがね。

 

「だって、人生は⋯辛くて、痛くて、苦しくて⋯」

 

辛くて痛くて苦しい。それが人生、か。間違ってはいないだろう。

辛い時も、苦しい時も、痛い時も。人生には必ずある。私とてそういった経験はしてきた。

 

「君の言うことも一理あるが、それだけでは無いさ。人生には、同じくらいの楽しさ、喜び、幸せが満ち溢れているのだよ」

 

「⋯そう、なんですか⋯?」

 

「あぁ、そうだとも。生きていれば、それは必ず巡ってくる。今も君の元に幸運が訪れているだろう?⋯少しばかりの、だがね」

 

今の私が与えてやれる幸福は、せいぜいオレンジジュースくらいのものだ。それでも、幸せには変わりないだろう。⋯多分。

 

「え、えへへ⋯そうなんですね⋯。これも、幸せなんですね⋯」

 

並々に注がれたコップの中身を見つめた後、彼女は一気にそれを飲み干した。実にいい飲みっぷりだ。

 

「マスター!おかわりをお願いします⋯!」

 

「⋯ふふ。そうそう、幸せは享受出来るときにしておくと良い」

 

再びコップにオレンジ色の幸せを注ぐ。彼女の辛さが、少しでも緩和されるように。

 

「ところでだ。今日は何をしに来たのかね?」

 

「あ、それが⋯新しい雑誌を見つけたので⋯」

 

彼女は背負っていたリュックから、一冊の雑誌を取り出した。

その雑誌の表紙には綺麗な砂浜と海が写っている。

 

「『この夏行ってみたい海特集』?」

 

「はい⋯!海、きっと楽しいところなんでしょうねぇ⋯!」

 

海⋯海か。私にとっては懐かしい場所だ。

何処までも広がる青く輝く水面に、生暖かいベタつく潮風。強めの日差しがあれば尚良い。夏に行くにはピッタリの場所だろう。

 

とはいえ、私が思い浮かべるそれはこの写真のような、所謂ビーチとはまた違うのだが。

 

「ヒヨリ君は海に行きたいのかね?」

 

「人生で一度は行ってみたいです⋯!私が育った場所は、そういった所とは無縁でしたので⋯」

 

我々が生きるこのキヴォトスという地は、一つの大きな大陸になっている。故に、内陸の方で生まれ育ったのであれば縁が無いのも当然のことだ。

 

ましてや彼女は、こういった言い方をするとアレだが⋯一文無しな訳で。ともすれば、自力で行くには相応の時間と労力を費やすことになるだろう。

 

それでも、諦めずに一度は行ってみて欲しいものだ。

 

「海はとても良い場所だよ。私は好きだ。君も是非行ってみるといい」

 

「えっ⋯!マスターは海に行ったことがあるのですか⋯!?」

 

「元々、船乗りでね。時折恋しくなる程度には思い入れがある」

 

「⋯では、あの高そうな服は⋯」

 

彼女の視線の先にある、未練がましくかけられた真っ白な制服を見る。

それは私の過去の象徴。輝かしい栄光の記憶を閉じ込めた、写真のようなもの。

 

「私の現役時代のものだ。船乗りを辞めた今でも、あれだけは大切に取っておいている」

 

「へぇ⋯!そうだったのですね⋯!⋯マスターは、どんなお魚を捕っていたのですか?」

 

「⋯ふっ。⋯ハハハハ!!」

 

「えっ⋯?ま、マスター?どうしたんですか⋯?」

 

彼女の質問に耐えきれずについ、笑ってしまった。いや、まぁ、大概皆が同じような質問をしてくるのだが⋯何故だろうね。彼女と話していると、何度と他人に話したことでも面白く感じる。

 

「あぁ、すまない。少々可笑しくてね。船乗り、と一言に言ってもその種類は多岐にわたる。コンテナ船、ガット船、セメント船。ヒヨリ君が想像したような漁船もそう。他にも色々あるが⋯私が乗っていたのは白油タンカー。簡単に言えば油を運ぶ船だ」

 

「油を運ぶ船⋯?」

 

「ああ。車等に使用するガソリン。戦車の燃料なんかになる軽油。石油ストーブ等に使う灯油。航空機専用の油なんかもある。それら纏めてを白油と呼ぶのだが、そういった類のものを私が乗っていた船では運んでいたのだよ」

 

海上輸送の利点は、陸輸や空輸に比べて一度に大量の荷物を運べること。たった一つの大陸で構成されているこの地でも、その有用性は大きなものだ。

 

まして、先に挙げたような機械類を動かす為に必要な燃料となれば、その需要はピカイチだろう。

 

ふと、ヒヨリ君がじっとこちらを見つめていることに気が付いた。

 

「⋯マスター、楽しそうですねぇ⋯」

 

「おや、そう見えるかい?」

 

「はい。⋯今までで一番、楽しそうです」

 

楽しいかどうかを聞かれれば、間違いなくYESではある。己の全盛期の記憶だ。話していて楽しくない筈が無い。

まして、好きで好きで仕方なかった船のことなんて特に。

 

「君の言う通り、とても楽しいよ。私は船が⋯海が。大好きだからね」

 

「では⋯どうして船乗りを辞めてしまったのですか⋯?」

 

それは純粋な疑問だったのだろう。しかし、私の心にはそれが酷く痛く突き刺さった。

 

「⋯単純明快な事だ。身体が追いつけなかった。それだけの話さ」

 

「ですが、そういったふうには見えませんが⋯」

 

「船乗りというのはね、意外と重労働なのだよ。この歳では、とても続けられない」

 

辞めたのはほんの数年前だが⋯それまでは何ともなかった身体が、突然言うことを聞かなくなった。どれだけ経験を積もうとも、重なった歳には敵わないらしい。

私の辛く、苦しく、痛かった記憶だ。

 

「マスターにも、辛くて苦しいことが⋯あったんですね⋯」

 

「勿論だとも。先の言葉にも説得力があるだろう?幸せなことも、辛いことも、生きていれば必ず巡って来る。私の実体験だからね」

 

これは歳をとって良かったと思えることだ。酸いも甘いも味わったこの人生だからこそ、彼女のような悲観的な者に先人として語りかけることが出来る。

 

人生というものは、辛くて苦しいだけでは無いのだと。

 

ヒヨリ君は私の言葉を聞いて俯いている。この位置からでは表情を伺うことは出来ない。

しばらく口を開かなかった彼女は、私に一つの質問を投げかけてきた。

 

「⋯⋯今は、どうなんでしょうか?幸せなのか、それとも⋯辛いのか」

 

「今かい?そうだね⋯今は、幸せだよ。なにせ君が居る」

 

「⋯?私、ですか?」

 

こんなことを言われるなんて思いもしてなかったのだろう。

彼女は顔を上げてキョトンとしていた。

 

「そう。ヒヨリ君だ。これでも君の事は気に入っていてね。特段楽しみの無い私だが、君のお陰で楽しい思いをさせて貰っているよ」

 

船乗りを引退して何となくで始めたこの喫茶店。暇潰し程度のものだったが、今では私にとってなくてはならないものになっている。

正直なことを言えば、別に続ける必要なんて全く無いのだ。現役の時に余らせた生涯を過ごすに苦労しない程度は稼いだからね。

 

それでも続けているのは、一重に彼女が来るからに他ならない。

 

彼女が来てくれているから、未練と退屈に埋もれて過ごす筈だった老いぼれの人生を幸せで彩ることが出来ている。

 

「⋯う⋯」

 

口をへの字に曲げてヒヨリ君はプルプルと震えていた。一体どうしたのだろうか。疑問をそのまま口にしようと思った、その時。

 

「うわぁぁん!!!」

 

突如、大声を出して泣き出してしまった。

 

「ど、どうしたのかね?私が何か気に障るようなことを⋯」

 

「違うんですぅ⋯!そんなこと言われたこと無かったので、その⋯凄く、嬉しくてぇ⋯!私の人生は辛くて苦しいだけのものじゃなかったんだって、全てが虚しい訳じゃないんだって思ったら⋯!」

 

べそをかきながらも彼女は言葉を続ける。

 

「私、マスターと会えて幸せです⋯!マスターと会ってから、毎日が楽しいんです⋯!⋯うわぁぁん!!」

 

⋯そう言って貰えるのは嬉しいね。でも、私もこんなに馬鹿正直に好意を伝えられたことは無かったから⋯少し涙が⋯。

歳をとると、涙腺が緩くなっていけないね⋯。

 

「⋯まぁまぁ、落ち着きなさい。ほら、顔がベチャベチャだ」

 

「うぅ⋯」

 

涙や鼻水で汚れた顔を拭いてやる。

されるがままになっている様は、親に世話をされる幼い子供のようだった。

 

⋯ふふ。本当に子供が出来たみたいだ。

 

「落ち着いたかい?」

 

「はいぃ⋯すいません⋯」

 

鼻をすすりながらも何とか泣き止んでくれたようだ。

 

⋯しかし、そうか。『全ては虚しい』⋯か。

先の『人生は辛くて痛くて苦しいもの』というのもそうだが⋯そんな考えに至る程、彼女を取り巻く環境は酷いものだったのだろう。

 

それが例え勢いで出た言葉だったとしても。私の言葉に合わせたものだったとしても。

私と会えたことを幸運だと、そう言ってくれたのは嬉しい。

この老体にも生きる意味が出来た。これ程幸せなことは無い。

 

であれば今度は、私が彼女に幸せを。

 

その悲観的な考えが吹き飛ぶような。

今までの辛くて痛くて苦しいものが消え去るような。

 

オレンジジュースより、もう少しだけ大きな幸せを。

 

「ヒヨリ君」

 

「はい⋯?」

 

「君は海に行きたいのだったね」

 

「⋯そうですねぇ。マスターのお話を聞いて、一層行ってみたくなりました⋯」

 

その言葉を聞いて、決めた。

それは誰にでも出来るようなことかもしれないが。

 

私は彼女に、海を見せてやりたいと思った。

 

「であれば、一緒に行ってみるかい?」

 

「⋯!で、でも⋯迷惑なんじゃ⋯」

 

「迷惑なんかじゃないさ。私一人ではどうにも感傷に浸ってしまうからね。君も来てくれれば、楽しい思い出になりそうだと思ったのだよ」

 

とはいえ、強制は出来ない。

どうせなら歳の近い友人なんかと行きたいだろうし、こんなジジイと共に歩くというのは、彼女くらいの歳であれば避けたい筈だからね。

 

「⋯マスター⋯」

 

「なんだね?」

 

「⋯私、行きたいです。マスターと一緒に⋯海に⋯!」

 

⋯そうか。そう言ってくれるか。

断られても仕方ないと思っていたのだが⋯存外、ヒヨリ君の中での私もそれなりに大きなものだったらしい。

 

⋯あぁ。実感すると、余計に嬉しいものだね。

 

「⋯それで、なんですけど⋯」

 

両手で人差し指をつんつんと動かしながら、申し訳なさそうな顔で彼女はこちらを見ていた。

 

「他にも一緒に行きたい人達がいまして⋯」

 

「友達かい?」

 

「友達というか⋯家族というか⋯幼馴染というか⋯」

 

幼い頃から共に生まれ育った者が居るということか。

そして、この場面でその子等のことを考えるということは、だ。

 

「君の大切な人達なのだね」

 

「そ、そうです⋯!大切な人なんです⋯!」

 

であれば、聞き入れない訳にはいくまい。そも、どのような間柄だったとしても彼女の頼みであれば聞くつもりだったが。

 

「その子等も連れてくると良い。良い思い出とは、親しい者と居て初めて作り出されるのだからね」

 

「マスター⋯!ありがとうございますぅ⋯!」

 

再びプルプルと震え出すヒヨリ君。目には大粒の涙が装填されていて、今にも泣き出しそうだ。

 

「ああ、泣くなヒヨリ君。そんなに大したことじゃあ無いのだから⋯」

 

「⋯ずびばぜん⋯うぅ⋯」

 

 

良い思い出は、親しい者と居て初めて作り出される。

楽しくて、幸せで、喜ばしい。そんな感情を抱かせてくれる、親しい者と居て初めて。

 

こんな些細な事でも。

こんな日常の一コマでも。

 

私にとっては、良い思い出の一つだ。

 

 

 






『船に乗ってる』って言うと『何捕ってるの?』って聞かれるのは船乗りあるあるだと思ってます。

〜キャラ設定〜

潮崎ヒロシゲ

船と海が好きな、寂れた喫茶店のマスター。
元船乗りで、現役時代はバリバリのタンカーマン。
生涯現役だと豪語していたが、自身の老いによって言うことを聞かなくなっていく身体に嫌気が差し、退職した。そこには同じ船に乗る乗組員ヘの気遣いもあった。
彼の退職を惜しむ声も多く、喫茶店には休暇に入った同僚や部下が顔を出すこともしばしば。
ヒヨリとの間に恋愛感情は互いに一切無い。父と娘⋯というよりは祖父と孫娘のような感じ。
時折、一人で海に行く。小型船舶を所有しており、気晴らしの為にそれに乗っては感傷に浸ってしまっている。
『先生』との関わりは現状無い。が、ヒヨリが彼の話をしまくっている為、『先生』側からは認知されている。

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