次の日、特別試験を合格出来なかった俺たちは予定の通り合宿所に向かった。持ってきた荷物を置いた後、ハナコの発案で合宿所を一通り掃除することにした。担当していた掃除場所は一通り済ませて、他に手伝う場所がないか聞きに行こうと廊下を歩いていると、窓の外にひどく汚れている場所を見つけた。
「これはプールか? だいぶ使われてなさそうだな」
プールは底まで黒ずんでいて、何年も使われてないのがすぐに分かった。建物もそうだけど、多くの人が使う場所に誰もいないとなんだか寂しく感じるな。
「先生もこっちに来たのか」
後ろからアズサの声がして振り向くと、他のみんなも揃っていた。みんな掃除道具を持っていないから、どうやら掃除道具を片付けてから来たみたいだ。
「みんなも掃除終わったんだな」
「うん。だけど、ハナコがまだここが残ってるって言ってるの」
「うーん……。ここだけ掃除しないっていうのもちょっと気になるよな」
「ふふっ、わかります。先生も水着で遊ぶ皆さんを見たいんですよね?」
「え、もしかして先生もそういうのが……」
「そういうのじゃないぞ!?」
アズサはじっとプールを眺めている。何を考えているのか、それはわからないけれど、なんだか寂しそうに見える。じっとプールを見つめたまま、こんなことを呟いた。
「ここも、昔はにぎやかだったのかもしれない。それでも、こんな風に変わってしまう。『vanitas vanitatum』……それがこの世の真実」
「古代の言葉ですね、全ては虚しいものである……確かに、そうなのかもしれません」
アズサの言葉で、今までの旅で景色を思い出す。時の流れで朽ち果てた場所も、争いの果てに多くのものを失った場所もあった。だけど、いつかは消えてなくなるにしても……前に進むことには意味があるはずだって、俺は思ってる。
二人を励まそうと声をかけようとしたとき、ハナコがみんなのほうを向いて笑いかける。
「皆さん、遊びましょう! プールを掃除して、水を張って! 明日からは頑張ってお勉強をし続けないといけませんし、今日が最後のチャンスかもしれないじゃないですか」
「うん。たとえすべてが虚しいことだとしても、それは前に進まない理由にはならない。問題ない、ちゃんと水着も持ってきてる」
アズサはそういうと勢いよく部屋のほうまで飛んで行ってしまった。実は結構楽しみだったんじゃ?
「でも、いいんでしょうか? 試験だって控えているのに……」
「今日一日くらい息抜きしたっていいんじゃないのか? 俺も、このプールがきれいになったところを見てみたいな」
「そうですね……私も着替えてきます!」
みんなでプールを掃除して水を張ることにした。掃除にはそれほど時間が掛からなかったけど、水を張るのに時間がかかって、満タンになるころにはすっかり夜になってしまっていた。しばらくみんなでプールの水と、それに映る月明かりを眺めていたけれど、みんな一日中掃除をして疲れていたしもう遅い時間だからと今日はもう休むことになった。
みんなと別れた後、俺は自分の部屋でナギサとのやり取りを思い出す。みんなの無実を証明する。そういったけれど、どうすればいいのか見当もつかない。……裏切らない証明は、裏切る証明をするよりも難しいのかもしれない。もしかしたら、最初から疑っている人に信じてもらうことなんて出来ないのかもしれない。
「……いいや、そんなことはないはずだ」
疲れていたのか、少し弱気になっていたみたいだ。すこし気分を変えるためにホットミルクでも飲もうかと立ち上がると、ドアをノックする音が聞こえた。もうみんな寝ている時間だけど誰だろうか?
「先生、起きてますか……?」
「ヒフミか。どうしたんだ?」
「夜遅くにすみません。その……ちょっと眠れなくて」
ジャージ姿で恐る恐るヒフミが入ってきた。眠れないって言っていたように、少し緊張しているように見える。
「そうなのか? ミルクをあっためるところだったんだ。ヒフミもどうだ?」
「いいんですか? お願いします」
眠れなくなったヒフミのために飲みやすい温度のホットミルクを用意して、少し話をすることにした。
「それで、どうしたんだ?」
「その、試験のことで……。一次試験に落ちてしまって、これから二次試験、三次試験がありますが……それも全て落ちてしまったら……」
前に話した時も試験について何か知っている様子だったけど……。
「退学、だよな? やっぱり知ってたんだな」
「はい……。それに、今回の試験の評価システムとか、この合宿所を用意していただいたことだって何かおかしい気がして……」
「やっぱり、異常なのか?」
「……普通はこんなことしないはずです。それに、そのほかにも……」
ヒフミが俺と同じ情報をナギサから聞いていたとしたら、あとは裏切り者についても……。
「……ヒフミ。もしかしてナギサに、裏切り者を探してくれって頼まれたのか?」
「先生もナギサ様から聞いていたんですね……。でも、同じ学園の人たちを……それも一緒に掃除をして、一緒にご飯を食べた人たちを疑うなんて……」
手に持っていたコップを両手でぎゅっと握りしめて、顔を俯かせている。きっとヒフミにとって、みんなを疑うのは辛いことなんだろう。
「みんなを疑いたくありません。でも……ナギサ様はそんな冗談や嘘をいう方ではないんです……」
「ヒフミ……」
きっとヒフミも、補習授業部のみんなを信じたいんだ。だけど、ナギサのことを信じてもいるんだろう。だから、裏切り者が本当にいるかもしれないと思ってしまう。
「……ヒフミは誰を信じたいんだ?」
「もちろん、みんなのことを信じたいです。ですが、ナギサ様の言葉を思い出してしまって……」
信じたいのに信じ切れないのか。それで、どうすれば良いのかわからないのかもしれない。
「確かに、理由も無いのにただ信じるのは辛いかもしれない。それなら、信じられるようになればいい」
「どうやってですか?」
「俺たちがナギサに証明するんだ。みんなの無実を」
「証明……。でも、どうやって?」
「それは……まだ何にも思いついてないけど……」
「あ、あはは……」
バツが悪くなって、つい頭に手をまわしてしまう。本当に、どうすればいいんだろうな。いっそどこかにいるエデン条約を阻止しようとしている犯人を捕まえられれば簡単なんだけどな……。
「私も……みんなを信じたいです。だから、協力させてください!」
「ヒフミ……! ああ、よろしく頼むよ!」
よかった。少しヒフミが元気になってくれたみたいだ。……なんだかちょっと目に力が入りすぎてる気もするけど。
「ということで、まずはできることから始めましょう! 先生も手伝ってくれませんか?」
「……今からやるのか?」
「はい! もちろん!」
もう夜も遅くて俺もかなり眠いけど……、ヒフミがやる気になってるんだ。俺も頑張らないとな。……明日、ちゃんと起きられるかな。
結局、あの後ヒフミと一緒に二次試験の範囲の問題を集めて模擬試験を作った。ヒフミは模擬試験の結果をもとに現在の実力を測り、今後の対策を練るといっていた。考えないといけないことは多いけどまずは試験に合格しないとどうしようもないから、まずは部長としてみんなのサポートをするといっていたな。
証明については、二人で考えても結局どうすればいいのか答えは出なかった。本当の裏切り者を捕まえるために動いたほうがいいかもしれないけれど……補習授業部があるからそんなことをする時間はないわけだし。信じることよりも、疑うことよりも、何かを証明することが今は一番難しい。
今はみんな模擬試験を解いていて、文字を書き込む音がまばらに聞こえてくる。心地のいい音だけど、俺だけリラックスしている場合じゃないよな。少しみんなの様子を見てみようと、部屋の中を見回してみることにした。ヒフミとアズサとコハルは真面目に解いているみたいだけど、ハナコはなんだか余裕そうに頬杖をついている。
「……! ふふっ」
俺と目が合ったハナコが静かに笑いかけてきた。まだ始まって十分くらいしか経ってないはずだけど、あんまり問題を解いているようには見えないな。わざと手を抜いているのか、もう解き終わったのか、それとも分からないから諦めたのか……。どうとも取れるからなんとも言えないというか。もしかしたらこの中で一番つかみどころがないのは、ハナコなのかもしれないな。
模擬試験が終わり採点をした後、みんなの現状を共有することにした。ヒフミ以外は不合格の点数だったけれど、これは想定内だ。事前に二人で考えていた対策を取ることにした。アズサとコハルは試験範囲が一年生用だから、ヒフミとハナコで教えることにして、ハナコについてもヒフミと俺で原因を把握して解決することにしている。
「これが私たちができるベストのはずです! ……みんなで乗り切りましょう!」
「すごいですね……。昨晩だけでこんなに準備をするなんて」
「いえいえ……先生にも手伝っていただきましたし……」
「俺は何もしてないよ。ヒフミが頑張ったんだ」
実際、最初にアロナにトリニティの過去の試験問題を取ってもらって、それを使ってヒフミと一緒に模擬試験を作っていた。俺はあんまり力になれなかったからな……。そういえば、ヒフミがもう一つ準備があるって言ってたな。昨日は何も見せてくれなかったけど。
「それで、なんとご褒美を用意しちゃいました!」
そういってヒフミが得意げに大きな紙袋から取り出したのは、どこかで見たことあるようなぬいぐるみだった。いくつか種類があるみたいだけど、どれもふかふかそうで、大切にされているように見える。
「よい成績を出せた方には、このモモフレンズのグッズをプレゼントします!」
「モモフレンズ……?」
「あ、あれ……最近はやりの、あのモモフレンズですが……」
(それ、流行ってたのか?)
ヒフミと出会った時に見せてもらったけど、それ以来見かけた覚えがないぞ……?
「私はいらない。目が怖いし……それに名前が卑猥だし」
ペロロ……。確かに意識してみるとなんかアレだな……。
「うう……。確かにそう仰る方も一部にはいますけど……」
「……」
「あれ、アズサちゃん? じっとぬいぐるみを見てどうしたんですか?」
「か……可愛い……!」
「か、可愛いのか?」
「丸くてふわふわしたところとか! 表情が読めないこの目も!」
「そうなんです! それがペロロ様のいいところなんです!」
「うそぉ……」
驚く俺たちをおいてヒフミとアズサは二人で盛り上がっている。よっぽど気に入ったのか、置いてあるぬいぐるみを一つ一つ見ては楽しそうにヒフミに名前を聞いている。手に持っては感触を確かめたり、ぎゅっと抱きしめたりしているし、本当に気に入ってるみたいだな。……どこがあずさに深く刺さったんだろうか。
「アズサちゃんが欲しいものを持って行ってくれて大丈夫ですよ!」
「本当かヒフミ! ……約束しよう。必ずや任務を果たして、あの不思議でふわふわした動物を手に入れて見せる!」
「はい! ファイトです!」
「なんだかいい感じにまとまったみたいだな」
「ええ……」
二人のやり取りの最中、コハルはずっとモモフレンズのぬいぐるみを敵を見るような目で見ていた。……ヒフミがモモフレンズを広めるのも、結構大変そうなのかもしれないな。
その日の夜までみんなは勉強を続けていた。アズサのやる気が前よりも高まったことも関係あるのか、ハナコやコハルによく質問をしては知識として取り込んでいるみたいだ。コハルも質問されたところをしっかり答えられているみたいだし、この分なら二次試験で全員合格できるかもしれないな。
「コハル、ここも聞きたい」
「えっと……これは参考書で見たような……」
コハルが自分のカバンから一冊の本を取り出した。表紙に人が二人書かれていて、右上に『R18』って書いてあるな。
「なあコハル。この『R18』ってなんなんだ?」
「アールじゅうはち……。ちょっと待って! これは違うから!」
「先生。『R18』っていうのはですね……」
「わー! 言わなくていいから!」
コハルのブロックをするりと抜けて、ハナコは俺の横でニコニコと解説をしてくれた。
「いわゆるエッチなやつですね。特にこれはキヴォトスでもなかなか見ることができないレベルの内容のようですね。どうしてコハルちゃんが持っているのですか?」
「いや、そのっ……こ、これはほんとに私のじゃなくて……」
「ですが、考えてみたらそんなに変なことでもありませんね? 予行演習もバッチリ……つまり、合宿のために必要なものなんですよね、コハルちゃん♡」
「こ、これは違うんだってばああっ!」
泣いてしまったコハルを何とかなだめた後、正義実現委員会の押収品を間違って持っていたのだとコハルが教えてくれた。保管しておくはずが、何かの手違いでカバンの中に入れてしまったらしい。このまま手元に持っておくのはまずいということで、コハルが朝方こっそりと返しに行くことになった。もしばれた時に何かフォローを入れるために、俺も一緒についていくことにした。
外が少し白んできた中、俺とコハルは押収品を保管している校舎に向かって歩き始める。夏が近づいて少しだけ草のにおいが強くなってきている気がする。朝が早いからまだ眠たかったけど、新鮮な空気を吸って少し持ち直せたかもしれない。隣を歩いているコハルは気にしていないのか、それどころじゃないのか、顔を伏せたまま歩いている。しばらく歩いていると、コハルがぐいっと顔を向けて来て、頬を赤く染めたまま話しかけてきた。
「その、こればっかりは間違いだから! いつものはちゃんと隠……じゃなくて、あんまり持ち歩いたりしないし……」
この様子だとあながち違わないのかもしれない……。だけどここは黙っておいた方がいいよな。それに、昔は俺もよく何かやらかしては爺ちゃんに怒られてたし……。なんとか励ませないかな。
「まあでも……やるなって言われていることって、やりたくなったりするもんだよな」
「先生もそういうことあったの?」
「ああ。子供のころ、お化けを見たって言った幼馴染と一緒に夜に家をこっそり抜け出して肝試しをしたことあるぞ」
「怒られなかったの?」
「はははっ。抜け出したことがばれて爺ちゃんと妹にこっぴどく叱られたよ」
「先生って子供の時は結構ヤンチャだったんだ」
「まあな。お化けに追い回されて怖かったし、爺ちゃんに怒られて気分は最悪だったけど……今はもうみんなで笑い話にしてるよ」
最近になって昔何があったのか分かったから、っていうのもあるけど……。きっとそうじゃなくても、いつか笑い話にはなったはずだ。
「だからコハルも、そんなに気にしなくていいんじゃないか? 今は恥ずかしいかもしれないけど……いつか、笑える日が来るかもしれないだろ?」
俺がそういうと、コハルは俺と目を合わせたあと、少し考え込んだ。本当にそうなのか、考えているのかもしれない。こればっかりは時間が経たないと分からないもんな。
「ほんとにそう思えるかはわからないけど……先生が私のことを考えてくれてるってことは、少しだけ分かった……」
「コハル……」
「だから、私もひとつ秘密を教えてあげる!」
「秘密?」
「実は私……補習授業部がうまく回っているかを監視するためのスパイなの! 私がバカそうに見えるのも、全部フェイクってこと!」
もしかしてコハルもナギサに依頼されたのか? それか正義実現委員会も何か動いているのか?
「誰からの指示なんだ?」
「んと……は、ハスミ先輩よ!」
「……ほんとか? なんか変な間があったけど」
「あっ、疑ってるでしょ! 私はスパイとして大事な任務を任されてるエリートなんだから!」
「あっ、待ってくれよ!」
「早く来ないと置いていっちゃうんだからね! 先生!」
そのままずんずんと校舎のほうに進んでいってしまった。……コハルがほんとにスパイなのか分からないけど……まぁ、とりあえず元気になってよかったな。
「あら、コハルに先生まで……。ここへは成績が良くなるまで出入り禁止のはずですが」
コハルと押収品を返した後、ハスミが部屋に入ってきた。コハルはいきなりハスミに出会ってしまって頭が回ってないみたいで、視線をあちこちに彷徨わせている。
「えっと、コハルの教材を取りに来てたんだ。試験範囲のところのやつを」
「そうでしたか……それなら仕方ないですね」
「は、はい……」
コハルもほっとしたのか少し落ち着いたようだ。
「先生、少し席を外していただけますでしょうか。正義実現委員会としてお話したいこと、と言いますか……」
「ん? わかった。俺は廊下で待ってるよ」
「すみません……。ありがとうございます」
そのまま廊下でしばらく待っていると、二人の話し声がかすかに聞こえてきた。俺に聞かれたくない話なんだろうし、もう少し離れるべきかと思っていると、ひときわ大きな声が廊下に響いてきた。
「それではダメなんです!」
その声にはびっくりしていたら、そのすぐあとには話も終わって二人が出てきた。ハスミもコハルもいつも通りだし、いったいどんな内容を話してたんだ?
「お待たせ、先生」
「ハスミの声がここまで聞こえてきたけど……何話してたんだ?」
「別に大したことじゃないけど?」
「そうなのか?」
「うん。……帰らないの?」
「あ、ああ。帰るか」
ちょっと気になるけど……コハルが大したことじゃないっていうなら、これ以上聞くのも野暮だよな。もうすぐ朝の勉強が始まる時間だし、早く戻らないとな。