ウマ娘まとめ   作:深由貴

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朝雨の保健室

早朝。私がトレーニングルームを訪れると、そこには片手でバーベルを持ち上げる彼女の姿があった。本当なら、見つからないように、被らないように、時間を調整したい。けれど、授業時間以外ほとんどずっとトレーニングをしている彼女と時間をずらすなんて不可能だ。ましてや、今日は雨。授業前に泥まみれになるわけにもいかず、彼女と同じ空間でトレーニングをするしかなかった。まあいい。因縁の相手がすぐ近くにいる方が、本番に近い精神状態が作れる。私はダンベルの並んだ棚から、二つを選び取った。次は、次こそは、絶対に負けたくない。

 

「……よし。朝はこのくらいにしておきましょう」

 

ダンベルを片付けていると、ふとバーベルが目に入った。先ほどまでこれを片手で持ち上げていた彼女の姿が脳裏に過る。私の悪い癖だ。自分には無理だと分かっていても、ついつい彼女に近づこうと無茶をしてしまう。私の対抗心など気にも留めずにバイクを漕ぐ本人を目の前にして、私はその悪い癖を抑えることができなかった。

 

「……このくらいなら」

 

手近にあった少し軽めのバーベルに右手をかける。ウマ娘離れしたあの筋力には敵わずとも、私にだってこのくらいならできるはず。そう自分の力を過信したのが悪かった。

 

「っ……!!!」

 

バーベルは、いとも簡単に私の手から滑り落ちた。限界地を超えた重さ、ダンベルトレーニング後の疲労と手汗。最悪の要因が重なってしまった。ドンッ!と鈍い音がする。咄嗟の判断も間に合わず、バーベルは私の右足を直撃した。直後に襲ってくる激痛。私は歯を食いしばり、その場に座り込むことしかできなかった。何とか足の上からバーベルを取り除くことはできたものの、痛みから立ち上がることができない。今この部屋にいるのは、私とバイクを漕ぐ彼女だけ。痛さと情けなさで涙が出る。それを隠すように、私は思わず目をギュッと瞑った。次の瞬間、身体がふわりと浮く感覚がした。驚いて目を開けると、彼女と目が合う。

 

「動かないでくださる?」

「な、何を……!」

「凄い音でしたわよ。早く保健室へ」

 

俗にいう『お姫様抱っこ』の状態で、私をがっちりとホールドする彼女。私は仕方なく、その肩に手をまわして身を委ねた。逃げようとしても、彼女のパワーには敵わない。それに今これを拒否してしまえば、私は痛みが引くまであの場所で1人耐えるしかないのだから。

 

「どうして……こんなことを……」

「目の前で知り合いが動けなくなったのを放っておくほど、私は薄情ではなくってよ」

 

私を抱えたまま、いとも容易く階段を下りていく彼女。小象ほどの重さの鉄球を顔色一つ変えずに持ち上げるその筋力を考えると、自分より小柄なウマ娘1人なんて、何も持っていないのと同じなのかもしれない。

 

保健室の扉を開けると、そこに先生はいなかった。まだ朝の六時を回ったばかり。まだ出勤していなくても当然の時間である。

 

「まあ、応急処置程度はできるでしょう。少しいい子にしていなさい」

 

そう言うと、彼女は私を椅子に座らせた。抱き上げられていた感触が、まだ身体に残っている。私だって、目の前で知り合いが怪我をしていれば、迷わず同じことをするだろう。けれどあの非情なまでに勝利に貪欲な、一度も勝ったことのない私のことなんて目に入っていないであろう彼女に助けられたその事実に、ほんの少し、複雑な気分になる。倒すべき宿敵に弱さを見せたことでプライドが傷ついたのか、あるいは、冷徹だと思っていた彼女が私へ優しさを向けたことに対する勝手な失望か。

 

足に冷たいものが触れる。どうやら氷水を用意してくれたらしい。

 

「痛みは?」

「……少しはマシになりました」

「そう」

 

彼女はそれ以上何も言わなかった。わざわざ私の目の前に椅子を持ってきて腰掛け、時折新しい氷を入れてくれる。この異様な空間に、雨音だけが響いている。

 

「……トレーニングは?」

「私が戻ったら、先生が来るまでどうするつもりですの?」

 

どうやら先生が来るまでは、私から目を離さないつもりらしい。驚いた。まさか彼女にこんな世話焼きな一面があったなんて。まあ、この点に関してだけ言えば、日頃から妹たちの世話をしている私の方が遥かに格上だけれども。

 

「随分と不服そうですわね。そんなに私に恩を売りたくないのかしら」

「そうかもしれませんね。それに、あなたが私に優しさを向けたことに驚いて」

 

無意識のうちに、表情が硬くなっていたらしい。思っていたことがそのままするすると口から出てきた。先輩相手に、我ながら凄いことを言ったものだ。

 

「別に、優しくしたつもりはありませんわ」

「人として当然のこと……とでも言うつもり?」

 

その問いに、彼女は笑みを返すだけだった。雨音以外何も聞こえない、けれど不思議と居心地の悪くない空間。

 

「あら。誰かいるの?」

 

どのくらい時間が経っただろうか。先生の声で、私はふと、現実に呼び戻されたような感覚になった。

 

「すいません。自主練中に器具を足に落として……」

「分かったわ。見せて」

「それでは、私はこれで失礼しますわ」

「待って」

 

先生に軽く会釈をし、その場を去ろうとする彼女。私はとっさに呼び止めた。

 

「何かしら」

「……ありがとうございました」

「素直にお礼の言える人は嫌いじゃなくってよ。ヴィルシーナさん」

 

そう言うと、彼女は保健室を後にする。今日のこの出来事は私にとって、不思議と悪くない思い出になった。理由は……自分にも分からない。

 

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