先日の夢野さんと神野さんとの会話の後、俺は重大なことを忘れていることを思いだした。それは――
「光ちゃんのサイン貰い忘れたーーーーー!!!あぁぁぁぁ!!!」
「うるさ」
このときのために特注の色紙も飾る用の用具も場所もすべて整えていたというのに、なんという初歩的なミス。やってしまった。完全にやらかした。何をやっているんだ俺は。
「まぁまぁそんなに落ち込まずに。せっかくなので季乃ちゃんのサインを上げますよ!」
「要らんわ」
「酷い!」
だっていくらでも見てきたしもう持っているし。
季乃にぽこすか叩かれるのをガードしていると、有希はめんどくさそうに口を開いた。
「というか何勝手に喧嘩吹っ掛けてきてんの?迷惑なんだけど」
「あーそうだな。悪い」
「悪い、悪い、悪い、いっつも悪いね」
「なんか今日はいつも以上に機嫌が悪いな。どうした?相談には乗るぞ?」
「季乃。サイコキネシス」
「キキキキィー!じゃないですよ!勝手にポケモンにしないでください!」
「季乃って、くさ、あくって感じだよな」
「コノハナだね」
「マスカーニャって言ってくださいよ!」
ピーピー騒ぎ出した季乃の後ろにいた鏡花が口を開く。
「でも速いか遅いかの話では?」
「そうだけどさ。相談もなしに私たちのいないところで勝手にやられると腹立たない?」
「違います。すばやさの話です」
「なんでそこ引っ張るんですか!私が遅いと言いたいんですかー!!」
鏡花に飛び掛かり返り討ちにされている季乃を横目に見つつ、俺は有希に言葉を掛けた。
「まぁ勝手にしたことは申し訳ない。だけど、ちゃんと収穫もあったぞ」
「何?」
「夢野光。素顔が超絶可愛い」
「アホ」
そこまで言わんでも……まぁ冗談だけど。
「光ちゃんね。あの子、わりと挑発に乗りやすい。精神的に熟しているように見えて内面自体はかなり子供っぽさがあった。プライドを刺激するような言葉を与えれれば、乗せやすいかもな」
「へー」
有希は興味なさげにそう呟く。どっちかというとこれは季乃に聞かせておくべきかもな。そう思い季乃の方を向くが、地面にダウンさせられていた。あいつ弱すぎだろ。
「聞いてますのでお構いなくー」
……らしい。季乃の行動は無視しよう。
「たぶんそのプライドはライブバトルに勝ち続けている事によるものが近いかもな。だから刺激するならそこだ。ただ、それによってどうパフォーマンスに影響するかどうかは未知数だ。それだけで勝てるなんて考えは止してくれ」
季乃はいつの間にか立ち上がり、再び鏡花に飛び掛かる。鏡花は半身になってそれを躱し、季乃は床へと落ちた。痛そう。
「後は……そうだな。こればっかりは言葉で言っても伝わらないと思うが、独特な神秘性があった。なんというか次元が違う?天上の人?的なイメージだ」
「なにそれ」
「会ってみたらわかる」
有希は不審げな表情を浮かべたが、鏡花には心当たりがあるらしい。季乃は地面に沈んでいるからわからん。
「もしかすると帝王学に似た何かを修めているのかもしれません」
「どういうことだ?」
「他人の印象は自身の容姿、振る舞い一つで操作できる、ということです」
「……なるほど」
だとすると厄介だな。それはつまり自身がそう見えるように計算して実践していることになる。そこまで計算高いのなら、ライブ中はもっと計算されているのだろう。
「私もやってみましょうか?」
「できるのか?」
「えぇ。多少ならば」
そう言うと、鏡花はその佇まいを直し、瞳を一瞬だけ閉じる。綺麗なその所作に目を取られていると、やがてその口から柔らかな響きが紡がれる。
「~~♪」
言葉はない。鼻歌程度の声音だ。だけど、心を奪われるようなそんな音色。夢野光とはベクトルが違うが、合点がいった。
「鏡花、ありがとう。これが見せ方か……」
正直理論的には理解できなかったけれど、感覚的にそれを理解させられた。惹かれるとはこういったことを言い、そして惹かせるための技術があれなのだろう。
「エフ分の一ゆらぎ声ってやつにも似てますよね。音の周波数的に規則正しく心をリラックスさせる声です」
「はい、季乃さんの言う通りです。季乃さんが歌う際に使っているテクニックの一つでもありますね」
「ネタバレやめてください!」
なるほど。だから季乃は理解できたのか。あいつも色々と考えて歌っているんだな。
「その前の所作も意識を奪うための行動でしょ?演劇とかでよく見るよね」
「その通りです」
有希も普段から踊りの技術を学んでいるから、所作に関しては通じるところがあったのだろう。なるほどな……これはつまるところ、あれだな。
「俺が見るより皆が光ちゃん見たほうがよかったんじゃないか?」
「うん」
「ですね!」
「その通りかと」
……ショックだ。なんということだろう。俺が至らぬせいで大事な動きを学べる機会を奪ってしまったのか。俺の力が足りなかった。力が欲しい。
「こいついっつも落ち込んでるね」
「そろそろ闇落ちするんじゃないんですかね?オデアイドルホロボスみたいに」
「事前情報無しだと、その言動を詳しく見ることもないかと思われるので仕方ないかと」
「フォローしてくれるのは鏡花だけだよ。本当にありがとう。大好き」
「やめてください」
「もう俺はダメかもしれない」
二つの冷たい視線と、季乃の暴力に耐えつつ、俺は言葉を続けた。
「まぁ過ぎた話は仕方ない。ともかくこれが俺が光ちゃんに感じたすべてだ。何か質問ある人」
「ない」
「ありませーん!」
「私も大丈夫です」
「じゃあ話し合いは終わり。皆お仕事にゴー!」
「いやお兄ちゃんが送るんでしょ」
そうだった。