俺たちの母親は常に海外で仕事しているキャリアウーマンだ。
俺たちが独り立ちできるようになるまで育ててくれた後、溜まっていた仕事をこなすかのように海外へ飛びまわり、家に帰ってくることも少なくなった。先月も母から帰ってこれないという趣旨の連絡があったばかりだ。
連絡はないが、今月も厳しいだろうな、なんて考えていたときだった。
「たっだいまー!」
母が帰ってきた。
「え、ど、どうして?なんかあったの?」
「別に何もなかったよ。何かないと家に帰っちゃダメ?」
「そういう意味じゃないんだけど…」
俺は急いで自室からリビングへと向かうと、その途中にいた母と言葉を交わす。数ヵ月ぶりに見たが変わっていない。正真正銘の母親だ。
「有希もただいまー」
「おかえり」
「ドライだねぇ」
母はけらけらと笑みを浮かべると、持っていたキャリーケースを仕舞いに自室へと向かった。その間に俺は有希へと話しかけた。
「……母さんが帰ってくること知ってたのか?」
「うん、連絡きたし」
「俺には来てないんだが」
「ウケる」
ウケる、じゃねぇんだよ。せっかく母さん帰ってくるならもうちょっともてなしというか、準備しておきたかった。
「はい、これお土産」
自室から戻ってきた母は、俺たちに向けてそれぞれ小包を渡す。俺に渡されたのは、ノートが一冊入りそうなほど細長い袋だった。
「開けていい?」
「どうぞー」
「……え、うわ!」
普段はテンションの低い有希が珍しく興奮している。こっそり覗き見ると、俺でも知っている海外で有名な高級チョコレートが入っていた。
「本当はフランスケーキを買ってきたかったんだけどね。さすがに飛行機には乗せられないなって」
「ううん、大丈夫。ありがと」
「ということで、海外のパティシエに頼んで日本で作ってもらいましたー!」
そう言ってテーブルの上に置かれたのはこれまた有名店のケーキだ。絶対おいしいやつだ。甘いものが得意でない俺でも食べたくなる。
「っ!!!ありがと!お母さん大好き」
「私も大好きだよー」
母と有希が抱き着き合っているのを横目に見ながら、俺は自分に渡された小包を開く。中から出てきたのは色紙と手紙だった。
「ん?……母さん、これは……え?まじ?本物?」
「本物、本物。仕事で会う機会があってね。いやー本物のアイドルは眩しくて直視してられなかったよ」
そこにあったのはアメリカで…いや世界中で活躍している、知らない人のいないと言ってもいいくらいの超有名アイドルのサイン。そして手紙には、Thankyou For ShinjiMidou と達筆な字で書かれている。しんじみどう、御堂慎二。……俺へ向けたメッセージレター!?うそでしょ!?
「え、あ、そ、え、う」
「壊れちゃった」
「いつものことだよ」
有希の毒舌も今なら全く入ってこない。それほどの興奮に俺は襲われていた。
「あ、ありがとうございます!家宝にします!」
「私が書いたわけじゃないけどね。まぁ今度会ったら伝えておくよー」
さすがは母親。あなたが神だ。これから毎日拝んでおきます。ありがたやーありがたやー。
「きも」
有希の言葉で現実に引き戻される。そうだ、こんなことしている場合ではない。傷がつかないようにカバーをつけて…このメッセージレターはどうしようか。置き場所も考えて……。
「ふふふ、そんなに喜んでもらえるともらってきたかいがあったねぇ。よかったよかった」
……どうやら心の中の想いが表情に出ていたらしい。少し恥ずかしくなった俺は、もらったこれらを自室へと運び込むことにした。
それから少しだけゆっくりとして、夕食の時間が近づいてきた頃。出前でも頼もうかとネットで探していたとき、母親から手料理が食べたいとの要望があった。
「はい!オムライスが食べたいです」
母の資金ならいくらでも名店に行けるだろうになんでわざわざ…とは思ったが、頼まれたものは仕方がない。冷蔵庫を見ると丁度材料もあったし、調理することにする。
「言っておくけど、そんなうまくはないからなー」
「いいのいいの。まずくてもタッパに入れて持って帰るから」
いや持って帰るなよ。そもそも空港通るのか?それ。
さすがに持って帰らせたくはないので、いつもより丁寧に作ることにする。バター入りのチキンライス作って…別のフライパンで卵を炒めて同じ皿に盛り付ける。……フライパンからの盛り付けって難しいんだよな…。
四苦八苦しながらも三人分のそれが出来上がり、付け合わせのスープも出来上がったので、一緒にテーブルに運び込む。
母はその様子にふむふむと頷くと、出来上がったそれを見て、口を開いた。
「盛り付けに失敗して卵が破れているとことか、丁寧にやろうとしてバターが少し焦げているとことか、ケチャップの量がわからずに微妙にかけなおしているとか、いいねぇ。家に帰ってきた実感がする」
「うるさいな。あんまりうまくないって言っただろ」
「ごめんごめん。つい嬉しくてね」
……それはわかるけどさ。
母はオムライスを口に運ぶと、丁寧に咀嚼し、一言美味しいとだけ呟く。
それを見て、俺もオムライスを口に運んだ。……別にまずくはないが、それほど美味しいってわけでもない。まぁ普通だわな。
「スープ濃ゆ……」
「文句言うな」
有希に言葉を返しながらも、俺たちはのんびりとした夕食を共にした。久しぶりの会話のある穏やかな夕食だった。
その翌日。まだ日も上がり切ってないころ、昨日帰ってきたばかりの母は手慣れた様子で準備をしていた。
「こんな朝に起こしちゃってごめんね。なるべく一緒にいたかったんだけどね」
母は次の仕事があるらしく、朝にはもう出発しないといけないそうだ。駅まで送っていくつもりだったが、母が頑なに首を縦に振らないので、それは諦めることにした。
「……次はどこに行くの?」
「イギリスかな。ちょっとトラブルがあってね。しばらくはそっちにいるかも」
イギリスかぁ。また遠い国に行くんだな……。大変な仕事だ。
「……着いたら連絡してね」
「もちろん、私がさみしいので連絡しまくります」
「対応するこっちが大変だからそれは勘弁してくれ」
冗談よ、と母親が笑う。次会えるのはまた数ヵ月後かなぁ。このやり取りももう何回もやっている気がするがいまいち慣れる気がしない。
「それじゃ、そろそろ時間だし、最後に……」
母親は俺たちへと近づくと、俺と有希に同時に抱き着いた。
「……慎二。有希をお願いね。後、無理しちゃダメだよ。何かあったら相談して」
「わかった」
「……有希。これから大変になるだろうけど頑張って。有希ならできるから。後、ちゃんと慎二にも相談するんだよ。何かあったとき私はすぐには駆けつけられないから」
「……うん、わかった」
そう言って母は俺たちから離れると、入り口の戸を開け、外へと出た。
「じゃあね!元気でね!」
「うん、お母さんも元気で」
「体調崩さないようにな」
「ばいばーい!」
母は別れの寂しさを吹き飛ばすように元気に手を振ると、自宅の前に止めていたタクシーに乗り駅へと向かっていった。
残された俺たちは母を乗せたタクシーが見えなくなるところまで見送ると、お互い何を言わずに家へと戻る。
……静けさには慣れていたが、昨日まで常に声がしていたのが急になくなると、途端寂しくなる。
「なぁ有希」
「……どうしたの?」
「昨日のオムライス美味しかったか?」
「……まぁいつもよりかは美味しかったんじゃない?」
「そっか。それはよかった」
その日はお互いに静かに家の中で過ごした。