バンプロ…バンプロダクションは古くからある大手のアイドル事務所だ。
過去、現在含め実力のあるアイドルが所属しており、一時期はNextVenusグランプリのトップスリーまで独占したこともあるらしい。俺は見たことはないが、それほど有名なアイドル事務所だ。
「それではお話は以上になります。もし同意いただけるのであれば、こちらにサインを」
とはいえ、有名で大手だからといって無条件に信用していいわけではない。俺はあの日、有希に見せてもらった契約書と今しがた受けた説明を吟味しながら、抜け道がないか改めて考えてみる。
「……お兄ちゃん」
有希が机の下から小突いてくる。さっさとサインしろというのはわかるが、これは大事な話なんだ。家族をよくわからない場所には入れたくない。
「……もしよろしければですが、先に施設設備を見学されますか?レッスン中のアイドルもいらっしゃると思われますし」
「お願いします」
「……」
有希からの視線が痛い。いや別にバンプロのアイドルが見たいなんて思いで申し出を受けたんじゃないぞ、ちゃんと有希の未来のことを考えてだな。
「わかりました。すぐに……」
その言葉を遮るように応談室の戸が開く。そこから現れた人物は俺たちに向かって頭を下げると、目の前の女性…姫野さんと何かを話す。
「……大変、申し訳ございません。急用が入りましたので失礼させていただきます。すぐに代わりの者を用意しますので今しばらくお待ちください」
さすがは大手事務所、忙しそうだな。そんな思いで待っていると、出入口の戸が再び開き、そこから一人の少女が入ってきた。
「あ!有希ちゃん!それと…有希ちゃんのお兄さんですね!」
入ってきたのは見覚えのある少女。ベージュのセミロングに、明るい黄色の瞳をした少女。確か、季乃だったか。
「季乃……何しにきたの?」
「有希ちゃんがいるって聞いたら居ても立っても居られなくて……というのは冗談で、施設の案内役が必要って聞いたから立候補してきました!」
「そ」
そ、ってなんだよ。一言で会話をすますな。アイドルになるんだったらもっと愛想よくだな……。
「……ん?そういえば季乃ちゃんはなんでここに?」
「……季乃ちゃん?」
「えっと、有希ちゃんから聞いてなかったんですか?私と有希ちゃんでグループを組むんです」
あぁなるほど。そういうことだったのか。よかった、有希一人じゃ正直まずいと思っていたけどグループなら幾分か安心だな。
「それじゃあさっそく行きましょー!」
季乃はそう言って元気よく部屋を飛び出した。元気なのはいいが、周りの迷惑になっていないかがちょっと心配だな……。まぁこれくらい元気なほうがアイドルとしてはいいか。
「ねぇ」
俺も季乃の後をついていこうとしていると、有希に再び小突かれた。なんだよ。
「季乃のこと知っているの?」
「ん?あぁ前偶然会ってな。それから連絡先交換した」
「……そうなんだ」
「どうしたんですか?早く行きましょう!」
「……どうかしたのか?」
「ううん、なんでもない。行こ」
有希の含むような返事は気になったが、今気にしても仕方がない。バンプロを見学するためにも、俺は季乃の後をついていった。
「バンプロを見学するって言ってもですね。実際レッスンに使っているスタジオは別にあるので、あんまり見るところがないんですよねぇ。とほほ」
「だからスタジオの鍵持ってきているんじゃないの?」
「有希ちゃん正解です!ということで、スタジオに向かいましょう」
そこから少しだけ歩くと、どこか見覚えのあるレッスンスタジオについた。……あー、なんで見覚えあるんだろうなぁ。隣の喫茶店とかすごく見覚えあるなぁ。
「あ、やっぱり見覚えあったりします?ここの喫茶店アイドルがプライベートで良く来ることで有名ですよね」
……覚えているな。確かマネージャーとエンカウントした場所だろ?目の前にいて驚いた記憶がある。
「さぁさぁ入りましょう!」
入り口を通り、セキュリティを季乃が持っていた鍵で解除すると、堂々とした様子で中へと入っていく。
……今日は朝からバンプロの事務所に行くために準備していたから、星見プロのアイドルがここで練習しているのかは知らない。だけど、NextVenusグランプリが近い今、彼女たちもここにいる可能性が十分にある。
出くわしませんようにと祈りながら俺は、季乃の案内に従い、スタジオの中を見る。
俺がアイドルでない以上、設備自体はわからないが、それでも十分なスペースで機材もたくさんあるなという印象を受ける。目立つ汚れや埃も被っていないことから、整備もしっかりされているのだろう。
「お、早速アイドル発見ですよ!」
そう言って、扉の窓から覗いた先にいたのは、二人組のアイドル。息の合ったキレのあるダンスは素人の俺が見ても息をのむほどだ。
というかちょっと待て。あれLizNoirじゃないか。相変わらずカッコいい…じゃなくて、何練習中に突入しようとしているんだ。
「おはようございます!見学しに来ました!」
まじか。まじで入っちゃったよあの子。どうしようと有希を見るといつの間にか彼女も中に入ろうとしていた。おいおいまじか。
……まぁとはいえだ。有希も季乃もいわば同じ事務所所属。彼女らが入ることには問題はないのであろう。俺はここで待つとしよう。
「なーにやっているんですか。入りますよ!」
俺は強引に腕を掴まれ、中へと連れ出された。抵抗しようとしたが……思いのほか力が強いな。この子。
「何?誰?」
中に入ってすぐに見えたのは藍色のボブヘアのクールな少女。彼女…井川葵はそのシトリンのような黄色い瞳を真っすぐとこちらに向けていた。
「もう忘れちゃったんですか?季乃です!」
「あぁ君か。相変わらずいい性格しているよね」
「それはどうもー」
「それで後ろの人たちは?」
「こっちの子が私とグループになる子で有希ちゃんです!」
「……どうも。よろしくお願いします」
「へぇ」
「そしてこっちが……不審者さんです!」
「違うわ!」
何を人を不審者呼ばわりしているんだこいつは……まぁ否定できない部分があるのが悔しい。
……このまま季乃に主導権渡していると埒があかなそうだ。俺から説明しようか。
「……失礼しました。俺は――」
「――出ていってちょうだい」
……まだ何も言っていないんだが。
俺を言葉を断ち切ったのは薄めのグレーの髪をミディアムに伸ばした少女。彼女…神崎莉央はアメジストのような瞳を鋭くし、俺たちを睨んでいた。
「聞こえなかったのかしら?出ていってちょうだい。あなたたちが見るものはここにはないわ」
「それがですねー。私たちはLizNoirの皆さんを――」
「季乃。出るよ」
「……はーい。じゃあ失礼しまーす」
俺はせめてものお詫びに深く頭を下げると、先に出ていった二人を追って外へと出た。
あれがLizNoirことリズノワ。なんかピリピリしてたな。……グランプリ前だし当たり前か。特に彼女たちにとっては思い入れの強い舞台だろうし。
「怖い先輩たちでしたね……」
「……いや、あれは季乃が悪いと思うよ」
「そんなことないですよ?」
季乃はのらりくらりと有希からの追求を避けながらも、次のスタジオへと歩いていく。また違うアイドルを見せるつもりなのか?俺も邪魔したくはないんだけど。
「次の人たちは安心です!天使のような優しさをまとったアイドルたちですから!」
そういって彼女はノックもせずにスタジオの扉を開いた。
あまりの躊躇の無さに止めることもできず、俺は呆然と扉が開く様子を見ていた。
「ワン、ツー、スリー、フォー!」
中では見覚えのある三人組が、一挙一挙丁寧な動きで、だけどどこか激しさを感じる動きで踊っていた。
「あ、あれ?」
そんなときだった。彼女たちの一人が俺たちの存在に気づくと、踊りを止め不思議そうにこちらを眺めていた。
「も、もしかしてレッスンスタジオ間違ってましたか?」
「いえいえ大丈夫ですよ!スタジオは合っています!私たちがお訪ねしただけなので!」
「そうでしたか!よかったぁ……」
そう言って安堵するような息を吐くのは、深緑の髪をリボンで結びおさげにした小さな女の子。空のような瞳を輝かせた彼女…奥山すみれは不思議そうな表情を浮かべた。
「それなら皆さんはどうしてここに?」
「ふふふ、それがですねー」
「……情報収集、といったところではありませんか?」
疑うような視線を向けてきたのは薄茶色のハーフツインテールをした少女。いつか見た優し気な雰囲気はどこへいったのか、彼女…鈴村優は俺たちに厳しい視線を向けていた。
「違いますよー、先輩が後輩をいじめちゃだめですよ。私泣いちゃう」
「嫌やわーその反応。後輩言うんやったらもっと可愛げ持った方がええんちゃう?」
「あー、すみません。今、新人アイドルの設備見学をさせてもらっている最中で、それで挨拶していたんです。トリエルの皆様に会えたことがうれしくてつい舞い上がっているみたいなので…失礼しました」
売り言葉に買い言葉だ。これ以上、季乃に喋らせると何を言い出すのかわからないので、先に防いでおく。
季乃は不満げな表情をしていたが、あえて無視する。残念だが俺たちは喧嘩をしに来たんじゃないから我慢してくれ。
「なるほど。とすると、そちらの子が新人アイドルということでしょうか?」
三人の中の最後の一人。銀色の長い髪に炎のような赤い瞳をした彼女…天動瑠依は冷静に状況を当ててきた。
「御堂有希って言います。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
「よろしゅうなぁ。どこぞの子と違っていい子そうで安心したわぁ」
「えぇ!?まさか鈴村優さんが他のアイドルの悪口を!?これはスキャンダルに――」
「すみません、すぐ帰ります。邪魔して申し訳ございませんでした!」
季乃の口を有希に塞いでもらい、俺たちはその場を後にしようとする。季乃と有希がスタジオから出た後、俺も去ろうとして、天動さんに止められた。
「そういえばあなたは?」
「ん?あぁ俺は……」
「不審者です!」
「……有希の兄です。親代わりしているんで、スタジオ見学させていただいてます」
「そうでしたか。疑ってしまい申し訳ありませんでした」
「いえいえ、こちらこそ挨拶を欠いてしまい申し訳なかったです。後、練習邪魔してほんとごめんなさい。失礼します」
季乃がまた喋りそうな雰囲気を感じたので急いでスタジオの戸を閉める。
TRINITYAiLEことトリエル。さすがにオーラが違ったな。ライブとはまた違った顔がそこにあった。
できればもうちょっとゆっくり見たかったんだが、それを考えるよりも前に一つ言うことがあった。
「季乃」
「なんでうか?」
「……何食べてんのお前?」
「お菓子です」
「……」
なんか喋る気が失せた。有希に目を配ると、首を振っていたので、彼女はいつもこんな感じなのだろう。前会ったときはもうちょっといい子だった気がするんだけどなぁ。
「あ、そういえばあそこにリフレッシュスペースもあるんですよ!ついでなので私ドーナツ買ってきます!」
ほんと自由人だなあいつ。
季乃に案内されたリフレッシュスペースにたどり着くと、その一席に俺たちは座る。
……まぁ色々とあったが、レッスンスタジオで見たいものはこれで全部見れた。後はバンプロに戻ってサインするかどうかを決めるだけなんだけど……。
「有希」
「何?」
「なんでアイドルを目指そうと思った?」
……有希も、もう一人で考えることができる年齢だ。あまり過干渉はよくないと思っていたが、やっぱりこれだけは聞いておきたかった。
「なんでだろうね?」
「おい」
「冗談だよ。……私ね、高校の文化祭で季乃に連れられてライブやらされたんだ。すごく嫌だったんだけどね、皆が思いのほか喜んでくれて、なんかそれが嬉しかったんだよね」
「なるほど…それでどうしたんだ?」
「終わり」
「……ほんとに?」
「ほんとに」
「言っていい?薄っす」
「目潰すよ」
「やめろ」
こちらに迫りくるピースサインを必死に躱していると、やがて諦めたのか有希は深くため息をついた。
「別にどうだっていいでしょ、理由なんて」
「まぁそれはそうなんだが、やっぱり気になるもんじゃないか?」
「過干渉。気持ち悪い」
「お前、その口の悪さはなんとか直せ」
「遺伝でしょ」
……それを言われたら元も子もないんだが、確かに俺も口が悪い自覚はあるけども。アイドルだったらわりと致命的だぞ。
「まぁともかく、ライブというものが楽しかった。だから私はアイドルをやってみたい。それじゃダメ?」
ダメ、とは口が裂けても言えないな。夢を目指す子を否定することは俺が応援している彼女たちを否定してしまうことになる。
だけど、相手が有希で自分の家族だからこそ、俺は言わざるを得なかった。
「……アイドルはお前が思っているほど、甘い世界じゃない」
夢に向かって歩いていく。そう言えば綺麗な話だが、実際のところは誰かを蹴落としながら少ない席を奪い合っている。悲しいが、アイドルの世界はそんなものだ。
俺は、有希にそんな悲しい現実を理解してほしくなかった。
「ライブバトルでは常に勝者と敗者が現れるし、ファンの数も有限で魅力がなければすぐに離れる。仕事も大勢の中から奪い合って拾い上げていくもの。悪いんだが、アイドルというものは常に輝けるものじゃないんだよ」
それが俺が思うアイドルの理想と現実の差異。俺が今までアイドルを見届けてきてようやく理解したものだ。
「……まぁアイドルじゃなくても、現実ってそんなもんなんじゃない?」
「それは……そうかもしれないが」
「それにやってみないとわからないじゃん」
「確かに…そうだが」
「アイドルになりたいって夢を否定するの?」
「そういうわけじゃ……」
「ならいいでしょ?」
「んー……」
「ちょっろ」
「おいこら」
でもまぁ確かに有希が言っていることもその通りなんだよなぁ。現実なんてどこもこんな感じだし、何事もやってみないとわからないし、夢を目指す心を否定したくない。
俺はただ、有希に悲しい思いをしてほしくないだけ。たぶん、俺の本心はこれだと思う。
「じゃあさ、お兄ちゃん。一つだけ約束してあげる」
「ん?なんだ?」
「私さ。自分で言うのもなんだけど、アイドルの才能あるみたいなんだ。だからさ、今度のNextVenusグランプリ、絶対に準々決勝に勝ち上がってあげる」
「……おいおい、さすがにそれは傲慢じゃないか?しかもなんでそんな中途半端な場所を…」
「さすがにトップ4は無理だと思うから。トーナメントの相手次第ではそれも厳しいかもだけど、そこはご愛嬌ってことで」
「……予選は確実に勝てるという言い草だな」
「まぁね」
有希にしては珍しく強気な発言だ。それほど自信があるということだろう。
……根拠あっての自信か、知らない故の無謀かはわからないが、ここまで言われたら俺も認めざるを得ないな。
「……わかった。有希、頑張れよ」
「うん、ほどほどにね」
「いや全力でやれよ」
「疲れるし」
「お前な……」
「お、ナイスタイミング!お話は終わりましたか?」
タイミングよく戻ってきた季乃が、手に持っていた袋をテーブルの上に置き、早速と言わんばかりに中からドーナツを取り出した。
「あぁ丁度な。……それで二人でグループを組むのか?コンセプトは?名前は?楽曲の雰囲気はどうするんだ?」
「うるさいです」
「すみません」
「でも、私は優しいのでグループ名だけ教えてあげます」
「おぉ!」
「なんとその名は……」
「……(ごくり)」
「また次回で!」
「いい加減キレるぞ俺」
その日は結局、彼女たちのグループのことは何一つ教えてくれず、解散となった。
一度バンプロに戻り、鍵を返した俺たちは改めて契約書にサインをした。といっても、母からのサインは以前母が帰って来た時に貰っているらしいので、あくまで形式だけのものにはなっていたが。
「これから頑張ろうね!有希ちゃん!」
「うん、頑張ろうね」
そしてここに、新たなアイドルが誕生した。
彼女たちの存在が、吉となるか凶となるか、まだ誰も知ることはない。