マネージャーの朝は早い。午前五時に起床し顔を洗うと、すぐに朝食の準備に移る。
食パンをトースターに入れ、スクランブルエッグとベーコンを焼くと、インスタントコーヒーを淹れて手早く食器に乗せてテーブルへとイン。最後に焼き上がった食パンを付ければ朝食の完成だ。
テレビで最新のニュースや天気予報を確認しつつ食事を済ませると、一度二階に登り、有希の部屋をノックして声を掛けておく。
一階に降りると、再度同じ品の準備を進める。今度は卵は甘めに。コーヒーも甘めにだ。
出来上がったのでテーブルに並べ、再度二階に登る。有希の部屋をノックして中に入ると、案の定横向きにすやすやと眠っている有希の姿が目に入る。起こすのは怖いが起こさないともっと怖くなるので、強引に起こしつけ、一階へと連れて行く。
有希がのんびりご飯を食べているのを横目に、俺は出社準備を進めようとスーツを手にとって。
「……今日休みじゃないの?」
「あ」
有希の言葉に、ようやく思い出した。
有希のふわぁという気の抜けた欠伸が響く。
そうだった。忘れてた。昨日休みもらったんだっけ。
「完全に忘れてた」
「忘れんなし」
「しばらく休み無かったからなぁ……」
「バンプロはブラックだよ。私も休みない。誰かが休ませてくれない」
「準決勝の後二連休あったじゃん」
「二連休は連休って言わない。それが普通」
「……確かに」
「ブラック企業の申し子め」
俺はスーツに着替えるのを止め、代わりに私服へと着替える。なんだか私服も久しぶりな気がする。
「今日どっか行くの?」
「何も決めてない」
「そ、家でのんびりするなり、好きにしたらいいんじゃない」
「……もしかして心配してくれているのか?」
「なわけでしょ。馬鹿じゃない?」
「これがツンデレか」
「きしょ」
意訳すると、べ、別にあんたのためなんかじゃないんだからね!ってことだろう。俺にはよくわかる。本当に俺のためなんかじゃないんだろう。心が痛い。
「一応言っとくけど、家で仕事したら駄目だから。皆で本気で怒るから」
「しないよ。データ持ち帰ってないし」
「どうだか」
本当にする気はないんだけどなぁ……信用失うのは悲しいよ。
「あ、そうそう。今日もバンプロまでは送ってよね」
「……俺休みなんだけど」
「お兄ちゃんでしょ」
「こんなところでお兄ちゃんを使うな」
「季乃も送ってあげてよ。メッセで伝えたから」
「俺休みなんだけど」
「ウケる」
「ウケねぇよ」
準決勝で勝っても普段の有希はいつも通りだ。我が儘で毒舌で面倒くさがりで、手間のかかる子だよ。お姫様かっての。
「というか有希いつまでぐうたらしてんだよ。髪整えてこい」
「はいはい」
そんなこんないつも通り軽口を飛ばし合いながら、朝の時間を過ごし、支度を終えると二人して車に乗り込む。
季乃の家には車で五分程度走らせればすぐにたどり着く。
「おはよーございます!」
「おはよ」
「おはよう。後ろ空いているから……って助手席乗るのか」
「そういう気分です!」
「そうか」
古風な屋敷の前に立っていた季乃は、車を止めると助手席に乗り込んできた。シートベルトをきちんと締めているのを確認して、車を走らせる。
「なんだかすっかり様になりましたねぇ。昔は車乗るだけで震えていたのに」
「慣れだ慣れ」
「小鹿みたいに震えていて可愛かったのに」
「俺も大人になったんだろうな」
「前までニートだったのに変わるものですね」
「成長したんだろう」
「可愛げもなくなりました」
「悪かったな」
赤信号を目にしてブレーキを踏む。滑らかな停止もお手の物だ。自慢するほどのことじゃないけども。
「でも、私は今の慎二さんも大好きですよ!」
「そうか」
「本心で言ってますからね?」
「わかってるよ」
「……もう、いけずですよ。いけず」
「俺もお前らのことは大好きだぞ」
「べー」
酷い返しだ。季乃だって、俺がちゃんと返事をするのは期待していないだろうに。
そんなこんな軽口を交わしながら進んでいくと、ビジネス街に入り、バンプロダクションの大きなビルも視界に入る。ビルの前で車を止めると、季乃に降りるように伝え、後ろの席を覗く。
「有希、ついたぞ」
「すぅ……すぅ……」
「……」
運転しているときから寝息は聞こえていたから寝ているのは知っていたが見事に眠りこけている。
「季乃、起こしてあげてくれ」
「仕方ないですね。有希ちゃーん、朝ですよー」
「う……ん……」
有希は季乃の声で薄目を開け、めんどくさそうに再び瞳を閉じた。閉じるな。
「仕方ないですね。秘策です。慎二さんちょっと来てください」
「停車中なんだが……」
仕方ないので念のためエンジンを切って、季乃の案内通り後ろの席へ移動する。有希の前にたどり着いて何をさせるつもりか季乃に尋ねようとしていると、背後から強い衝撃が伝わり、思わず前に倒れた。
前、つまりは有希の体にだ。
「……」
「……有希、わかるだろ?季乃の仕業だ」
俺の目と鼻の先に有希の不機嫌そうな顔面がある。温かな吐息が顔に当たり、手のひらにも何やら柔らかい感触がある。やっぱり結構あるんだな。
「……った!!」
視界に火花が飛んだ。有希に肘鉄を喰らったということに気が付いたときには、彼女はすでに俺の前からいなくなっていた。
「あたっ!」
代わりに季乃が飛んでくる。慌ててその体を受け止めた。
「有希、暴力はよくないと思う」
「そうだそうだー!」
「セクハラもダメでしょ」
「そうだそうだー!」
「お前が原因なんだよ」
「あたたたっ痛いです!暴力反対!!」
目の前にある季乃の頭を拳骨でねじっておく。調子取り戻したと思いきや、すぐにこれだからな。季乃は変わらず制御できないというか、自由気ままだよ。
「季乃、行くよ。遅れる」
「はーい」
季乃は俺の手から離れると、軽やかに有希の前に戻り身だしなみを整える。二人でバンプロに向かおうとしているその背に俺は手を振った。
「いってらっしゃい」
「んー」
「いってきまーす!」
二人でイチャイチャしだしているのを横目に、俺も運転席へ戻る。やるべきことは終えた。何をしようかな、とスマホを見つめていると、一件メッセージが入った。
季乃ちゃんプレゼンツ!星見市観光ツアー!
「……相変わらず、季乃は目ざといな」
俺は車を走らせた。