「……き……ゆ…き……ねぇ有希!」
陽だまりが頬を撫でる。窓から差し込んだ午後の光は絹のように柔らかく、私の体を優しく受け止めてくれる。自然に還るかのような緩やかな微睡みの中、私の体は誰かの手によって強引に揺すられた。
「う……ん……」
徐々に体温が戻ってくる。体が熱くなっていく。そっと目を開けると、そこには見覚えのある少女の姿があり……再び目を閉じた。
「ちょっと有希!二度寝はダメだからね!」
ぐらんぐらんと私の体が揺れる。さすがにこうなっては私も眠れない。仕方ないので目を開き、目の前の無礼者に声を上げた。
「……何?」
「次の講義入っているんでしょ。そろそろ始まるよ」
「ふぁぁ……。もうそんな時間?」
「うん、有希も早く準備してよ。教授に怒られちゃうよ。あの人すぐ怒るんだから」
「はいはい」
「はいは一回」
「はーい」
寝起きの気怠さを抱えたまま、体を無理やり起こし、ぐっと伸びをする。窓から漏れ出す光が眩しい。
「もう、有希は本当にマイペースだね。高校のときからこんな感じだったの?」
「んー」
寝起きで少しずつ回ってきた頭で高校生だったときのことを思い返してみると、すぐに思い当たることがあった。それが一番記憶に残っていたから。
「まぁそうだね。でもあの時はもっとうるさいやつが近くにいたから、無理やり起こされて勝手に連れていかれてたよ」
「え、そうだったんだ……。私もそうしたほうがいいのかな?」
「やめて」
うるさいのはあの子だけで十分だ。二人も三人もいたらさすがに鬱陶しい。
「あはは、有希も大変だったんだね」
「……まぁ嫌いじゃなかったけど」
「ふふ、いいお友達なんだね。仲良くしてあげないと駄目だよ」
「ま、ほどほどにね」
荷物をまとめ、時計を眺める。そろそろ行かないと本当に遅れてしまう。
「わわ、そんな話している間にも時間過ぎちゃうよ!行こ!」
「うん」
彼女と共に私はお昼寝に使っていた部屋を抜け出すと、講義がある部屋まで小走りで向かう。幸い距離はそこまで離れていない。教室まですぐにたどり着いた。それはよかったんだけど……。
「……なんか騒がしいね」
「うん」
教室に入るとすぐに浮足立っているようなざわざわとした声が聞こえ始めた。彼らは窓の外を見ながら何かを口にしていた。
「窓の外……ってことは大学の正門あたりだよね?誰か来たのかな?」
「知らない。有名人でも来たんじゃない」
正直、興味がなかった。カードリーダーに学生証を通して出席すると、とっとと席を取り講義の資料を机に出す。始まるまでにはもう少し眠れるかもしれない。
「えええええ!!!!ゆ、有希!すごい人が来ているよ!」
そんなことを言った彼女は私の体を再び揺らし、窓を外を指さす。有名人なんて結構見てきたし、なんなら話したこともあるし本当に興味がない。悪いけどと、言葉を返そうとしていたけど、それよりも前に彼女が言葉を続けた。
「アイドルだよアイドル!今人気のアイドル!」
「……アイドル?」
「うん!えっと、ソロでやっているあの子!歌がうまくて、小柄で、可愛くて。でも毒舌で、腹黒で、バラエティーにもよく出ている子!えっと、名前なんだっけ……。き……き……きなんちゃらさん!」
「……」
どうやら、きなんちゃらさんが来ているみたいだ。そんな人知らない。
「来て!!」
私はそっぽを向いていると、彼女は強引に私の体を引っ張り、窓辺に連れて行こうとする。このまま引っ張り続けられるのも困るので、一目見て戻ろうと窓越しに外を覗く。
そこにいたのは、ベージュ髪の一人の少女だった。
「……」
彼女は正門前に立ちこちらに手を振っており、そして私が窓辺に立ったその一瞬、目が合った。嫌な予感がしてすぐに離れようとしていたが、それよりも前によく響く大きな声が私の耳に飛び込んできた。
「有希ちゃーーーーーーーん!!!!!!ちょっと来て下さーーーーーーい!!!!!」
「うるさ」
耳をつんざくような声に思わず耳を塞ぐ。というかあの子何してんの。あの子はもう有名人なんだから、もうちょっと世間の反応とか考えた言動をしてほしい。
「え、有希?あの子、有希の名前呼ばなかった?」
教室に別のざわめきが起き、視線が私に寄せられる。あぁもうめんどうだ。
「そんなわけないでしょ。聞きまちが……」
「有希ちゃーーーーーーーーーーん!!!!!来てくれないと私ずっとここで叫び続けますからねーーーーーーー!!!!!」
「……」
なんなのあいつ。思わずため息が零れる。私と話したいならもっとやり方もあっただろうに、なんでこう人を強引に巻き込むようなやり方をするのか。
「えっと、有希?知り合いなの?」
「……」
返答に困る。うんと答えて関係性聞かれるのもめんどうだし、違うといってしつこく聞かれるのもめんどうだ。あーもうなんでこういうことするかなぁ。
「あ、ごめんね。言いたくないなら言わなくていいよ。でも、あの子有希ちゃんと話したいみたいだよ。行ってあげたら?」
「……」
もう一度窓の外をちらりと向き、大きなため息が零れた。どうやら行くしかないようだ。
「教授への言い訳よろしく。あいつとあなたのせいだから」
「えぇ!!私!?」
背後から聞こえる酷いよーとの声を無視して、正門へと駆け出す。道中、教授とすれ違い、わかったように頷かれたから戻ってもそんなに怒られないと思う。たぶん。
そんなことを考えていると、あっという間に正門へと着いた。ベージュの髪がふわりと揺れ、丸っこい瞳が悪戯気に歪む。口元には三日月のような笑みが浮かんでいた。
「ふふふ、有希ちゃん。私から逃れることはできないんですよ?」
「……」
「あたたたたたた!!無言でつねらないでください!!」
率直に腹が立ったので彼女の頬をぐいっとつねる。せっかくだしもっとやってやろうと思ったけど、痣になっても困るので止めておく。
「もう酷いじゃないですか有希ちゃん。感動の再会ですよ」
「そうだっけ?」
「そうですよ!高校卒業して、有希ちゃんがアイドル辞めてからずっと会ってないじゃないですか!」
思い返すと確かに彼女と会っていなかったように思える。連絡は日ごろから取っていたからあんまり実感がなかった。
「もしかすると忘れ去られているかもしれないって不安だったんですよ?」
「えっと、誰だっけ?きなんちゃらさん?」
「季乃です!斎木季乃!!!今をときめく大人気アイドルです!!」
季乃は怒ったように頬を膨らませ、下から私を軽く睨む。揺れたベージュの髪はしばらく会えてなかったことを示すように少しだけ長くなっているように思えた。
「ごめんね。ちゃんと覚えてるよ。忘れるわけないじゃん」
「もう、あんまり揶揄わないでくださいね。季乃ちゃん悲しむので」
「なんかちょっとぶりっ子になった?」
「え、まじですか」
「まじ」
「気を付けます……」
最近の季乃はテレビにもよく出演し、その場その場に応じたアイドルらしい姿を見せている。その態度が日常の姿にも影響を及ぼしているのだろう。
「季乃は変わったね。芸能界に染まってしまったよ」
「有希ちゃんも変わってますよ。髪もすっかり短くなりました」
「こっちの方が手入れ楽だよ」
「……そのわりには癖毛跳ねてますけどね。まぁどっちの有希ちゃんも私は好きですよ!マイワイフ!」
「そういうとこは変わってないね」
「有希ちゃんもドライなところは相変わらずです」
思わず笑みが零れる。二人して少しだけ笑い合う。
「それで、どうしたの?」
季乃はテレビにラジオにライブに大活躍のアイドルだ。そんな彼女が忙しい合間を縫って、わざわざ私の大学を訪れたのには理由がある。そう思っての言葉だった。
「有希ちゃんに伝えたいことがありました」
彼女は佇まいを正し真剣な表情を浮かべる。
「有希ちゃん、そろそろYU☆KI★NOに戻ってきませんか」
「……」
古都こととの対戦後、いくつかの仕事を終えた後、YU☆KI★NOは休止した。本当は解散させる予定だったけど、季乃が泣きながらそれを留め、結局休止という形になった。
だからYU☆KI★NOというアイドルグループはまだ残ったままだ。
「嫌ですか?」
「嫌ではないんだけどね」
ライブステージの輝きは一瞬たりとも忘れたことがない。あの煌めきを身に宿してステージを舞うのは、私にとってたまらない喜びだ。
でも同時に悲しい気持ちが蘇ってくるのも事実だ。お兄ちゃんがいなくなったあの夜の事を。
だから私はステージを降りた。一度立ち止まって考えるために。でも、考えても考えても結局答えが出ることはなかった。
「なら!」
「もうちょっとかな。もうちょっと気持ちが整理できれば、私も前向きになれると思う」
それを考え抜くつもりはない。だって考え抜いた結果が良くない方向に向かっていったから。だからこれは、時間が解決する話なんだと思う。私の心の傷がかさぶたになって、それが完治するまで待たないといけない。きっとそういうことなのだろう。
今はまだその時ではない。
「……そうですか」
季乃は露骨に落ち込んだ様子を見せる。彼女には本当に申し訳ないことをしている自覚はある。それに私がいなくなっても一人でアイドルをやっているし、本当に立派だと思う。だからこそ、そんな彼女の隣に立つためには私も今の中途半端なままじゃダメなんだ。
「……じゃ、そろそろ講義始まるから」
彼女に背を向ける。そのまま立ち去ろうとしていると、私の手が強引に引っ張られる。振り向いた先には季乃の顔が目の前にあった。
「有希ちゃん、私はここにいます。ずっとここにいますから。だから」
私の手が離され、季乃と距離が空く。彼女はアイドルらしい笑顔を浮かべ、口を開いた。
「帰ってきてくださいね!ずっと、ずっと待ち続けてますから!有希ちゃんが胸を張って帰ってくるのをずっと待ってますから!」
「…………うん」
一つだけ返事を返し、私は今度こそその場を後にする。校舎に戻る寸前、ふと名残惜しくなって後ろを振り返る。
季乃はずっと、その場で手を振っていた。
「っ!」
目頭が熱くなる。視界が徐々に薄れていく。私はその感情に気づかないふりをして、さりげなさを装って手を掲げた。
「……ありがとう、季乃」
涙を拭い、私は歩みを進める。
夏の日差しが、心をそっと抱きしめてくれたようなそんな気がした。