夕暮れ。日が傾き、オレンジの光が辺りを包み込んだそんな時間帯。あの後も散々遊びつくした俺たちは帰りの電車の中でのんびりと駄弁っていた。
「今日は楽しかったですね!朝から色んな所に行けましたよ!」
「事前にリサーチしまくったからな、ただ歩き回ったせいで足が痛い……」
これは明日は筋肉痛だな、なんて思っていると、少し申し訳なさそうな表情で季乃は問いかけてきた。
「忙しい時期だったんですよね?迷惑じゃなかったですか?」
「そんなことないぞ。精神的なリラックスはできた」
「そうですか」
季乃も疲れているのかいつもの小悪魔的な様子はなりを潜め、どこかもぞもぞとした様子で俺の隣に腰かけている。
……何か話したいことがあるといった様子だが、彼女が口を出さないならば俺から聞くのも憚れる。
直接聞くより、話すきっかけとなることを用意することが必要と判断し、俺は季乃に向かって口を開いた。
「季乃、実はな。もう一か所だけ行きたいところがあったんだ。大丈夫か?」
「え?あ、はい!行きましょう!」
星見市の高台。麻奈ちゃんやサニピ、月ストの面々がデビューの時使ったステージも存在するこの場所は、夜になると綺麗に星空が見える。
桜が咲き誇り、海岸にも近く、天気がいい日は海に映った星も合わさって最高の景色が映り込む。
……始め、季乃と出かけることを決めて一番に思いついたのがこの場所だった。星が好きな季乃にとってもきっと好きな場所であることに違いないからだ。
「綺麗ですね……」
辺りはすっかり暗くなり時間的にも夜空を見上げるのに丁度いい時間帯だ。
俺たちは高台の手すりに体を預け、空を眺めた。
「でも、どうしてここなんですか?別に今日じゃなくてもここならいつでも来れますし」
「それはだな……って丁度見えたな。ほら」
俺が指さした先でわずかにかかっていた雲が剥がれ、大きな満月が姿を現す。そしてそれを彩るように桜の花びらが舞い上がった。
「わっ!」
「ピンクムーンって言うらしい。綺麗な景色だよな」
桜の咲く時期に満月になったときの月の名前だ。実際にピンクになるわけではないが、それでも幻想的な空がそこにある。この美しい光景を季乃に見せたくて今日ここにきた。
「綺麗……」
夜空を煌めく月明かりとそれに付き添う星々の光。それらを乱反射してさらに輝かせる地平線へ続く海原に、景観を彩る桜の花びら。
思わず感嘆の声が漏れた様子の季乃の姿に、俺は思わず笑みが零れた。その姿が見れただけでも今までの苦労が報われた気がする。
「あの、慎二さん。ちょっとだけお話いいですか?」
「どうした?」
しばらくその光景を目にした後、季乃はようやく口を開いてくれた。
「私の過去の話を聞いてほしいんです」
「……わかった」
なぜ、とか、どうしてって思いが浮かび上がるが、季乃の真剣な様子を見るとすぐさまそんな言葉が飛んでいった。勇気を出してくれて口にしてくれた言葉を余計な台詞で遮ってはいけない。
「私はですね。実は双子だったみたいなんです。でも、もう一人の子は生まれつき体がよくなかったみたいで、生まれた数日で亡くなってしまったと聞きました」
「だからこそでしょうね。両親は私はとても大切に育ててくれました。蝶よ花よ、ではありませんが、かなり甘やかされて育ってきた自覚があります。私もそんな両親が大好きでした」
「でもそんな両親もですね。私が小学校に上がって少ししたくらいに亡くなりました。事故だったそうです」
「それからは、慎二さんも見た通りあの家で、おじいちゃんと一緒に過ごしていました。両親と違っておじいちゃんはとっても厳しくて、私がちょっと悪いことをしただけで怒ってくるようなそんな人でした。当時はめちゃくちゃ嫌いでしたね。お菓子を食べることさえさせてくれませんでしたから。頑張って裏を取ってこっそりお菓子を食べるのがとても大変だった記憶があります」
「でもそんなおじいちゃんも私が中学生くらいで亡くなってしまって、今度こそ私は一人になりました。親戚に引き取ってもらう話も出ていたんですが、なんとなく嫌な感じがしたので全部断って、遠い親戚のおばあちゃんに身元保証人にだけなってもらって一人で過ごしてきました」
「そのときくらいからですかね。なんか人生がどうでもよくなってきちゃって、どうせどう頑張っても最後には皆死んで何も残らなくなるって思うと、真っ当に生きる考えがなくなっちゃったんですよね」
「私がこういう性格になったのはたぶんそれが原因です。どうせ死ぬんだったらせめて今楽しいことと思えることだけして生きていきたいなぁって」
……なるほどな。それが今の季乃を作った要因か。
「……大変だったんだな」
言葉は出ず、それでもなんとか絞り出して出てきたのはそんなありきたりな言葉だった。季乃はそんな言葉に軽く笑みを浮かばせると、再度言葉をつづけた。
「そんな時ですかね。彼女の、麻奈ちゃんの歌を聞いたのは」
「当時はアイドルどころか歌にすら興味はなかったんですけど、ある日偶然街中でその歌を耳にしまして、それが頭から離れなくなっちゃって、ライブに行ったんですよ」
「会場はすごい熱気で、来たの間違いだったなぁなんて思ってたんですが、麻奈ちゃんの歌を生で聞いてそんな考えは吹き飛びました」
「『心から好き、だと思えるものに巡り合えた』まさしく、そうだったんでしょうね。それから彼女の歌を真似てずっと歌ってましたね。どうしても歌えない時は、麻奈ちゃんに直接聞きに行ったりもしてました」
「でもそんな麻奈ちゃんも亡くなっちゃって、自分でも想像以上に落ち込んじゃって、でも麻奈ちゃんに教えてもらった歌だけはやめたくなくてずっとずーと、一人で歌っていました」
「私がアイドルを目指したのも歌を歌い続けたかったからなんですよ?歌手も考えたんですが、私ならアイドルの方が性にあっているかなぁって。麻奈ちゃんを見てきたというのもあるんですけどね」
それが私がアイドルになった理由です。と季乃はつづけた。
「……ここまで話してなんですけど、特に話した理由なんてないんですけどね。だけど、なんとなく聞いてほしくて」
そう言って季乃は少しだけ照れながらも満足した様子で、星を眺めた。
……こういったとき、どう言葉をかければいいのだろう。
安っぽい同情はしたくないし、未来に向けた力強い発言も思いつかない。俺の心の中には、いつもは言葉に溢れている空間にぽっかりと空洞が空いてしまったような、そんな乾きがあった。
ただ、それでも。
勇気を出して、俺を信用して、話してくれた季乃の気持ちに少しでも応えたくて。
俺は足りない言葉の中で、なんとかその言葉を吐き出した。
「季乃。俺は死なないよ」
「え?」
「俺だけじゃない。有希もそう簡単に死ぬようなやつに見えるか?俺も有希も最期のその一瞬まで足掻き続ける。そんなやつだろ?」
「……そうですけど、でも」
「未来は誰にもわからない。麻奈ちゃんが急に亡くなったように、俺も突然死ぬかもしれない。でもさ――季乃をおいてどこかに行くなんて絶対にしない」
「――っ」
「だからさ、そう怯えなくても大丈夫だ」
俺は目の前にあった季乃の頭をそっと抱き寄せる。彼女の温もりが肌を通して直接伝わってきた。
「ぅ……怯えてなんか…ない、ですよ……」
「そうか?俺には離れ離れになることを怯えて常に一緒に居たがる子供のように見えたけど」
「もう……いじわるです」
季乃の両腕が俺の背中に回される。体の隙間からわずかに漏れ出す季乃の声を聞きながら、俺は空を見上げた。
満天の星が映し出されたそこに、一筋の星が煌めいた。