その日の夕方、どこかに行く気力もなく病院で待機していると、慌てた様子で母がやってきた。
偶々近くの国にいたそうで、話を聞いて文字通り飛んで来たらしい。
私は母に兄の状態を話した。昨夜に車に轢かれたこと、骨は数本折れたものの命に別状はないこと、ただ事故のショックと過労もあって目を覚まさないこと。
母は静かに聞いた後、私のことをぎゅっと抱きしめてくれた。
「よく頑張ったわね。一緒にいられなくてごめんね」
その言葉に思わず泣きそうになってしまった。
医者からも母に詳しい容態について伝えられた後、私たちは兄が眠っている病室を訪れていた。
朝からずっといたはずの季乃はいなかった。
そのことを疑問に思いつつも、私は気になっていたことを母に聞いてみることにした。
「……お兄ちゃんは何をしていたの?」
TRINITYAiLE…トリエルが四回戦に出場する前、私の元に母から連絡が届いていた。それは兄である慎二が無理をしないようにしてあげてほしい、といったもの。
兄がトリエルを救うために何かをしていたことはわかっていた。でも、具体的に兄が何をしていたのかを私は知らなった。
母は少しの間話すかどうか迷っている様子だったが、やがて諦めたように口を開いた。
「有希はこの業界……アイドル業界についてどれだけ知っている?」
「あんまり知らないかも」
「そっか。本当はそれでいいんだけどね」
母は困ったような表情を見せた後、言葉を続けた。
「Venusプログラムは知っているわよね?」
「うん」
「解析AIによってアイドルの実力を正確に順位付けする仕組み。今のアイドル業界はそれが全てなのよ。アイドルだけでなくそれに関わるマネージャー、ディレクター、プロデューサー、事務所すべてもね」
「……どういうこと?」
「簡単な話、Venusプログラムが一位のアイドルを有すればその事務所がアイドル業界を牛耳れる。だからこそ、歪んでいるのよ」
牛耳れるといっても限度はあるけどね、という言葉を耳にしながら私はいつの日か兄と話したことが脳裏に浮かんだ。
朝倉社長はリズノワとトリエルを解雇させた。その理由の推測が確か、実力が確かな二グループを姫野の手が付かないように遠ざけた。そんな話だったはずだ。
母の話も合わせると、この推測は筋が通る。
「有希も心当たりがあるようね。……業界を牛耳るとまではいかなくても、上位にいけば権力と言う力を得ることができる。力とは恐ろしいものよ、あっという間に人を変えてしまうの」
……姫野もきっとその力に魅せられた人の一人ということだろう。
「変わってしまった人は何としても自分のアイドル勝たせようとする。どんな手を使ってもね。……それが今のアイドル業界の裏側」
……嫌な世界に来てしまったものだ。輝かしいステージの裏にはこんな醜い戦いが広がっていたなんて。
「でもそれがお兄ちゃんと何の関係が?」
「慎二はその裏側の戦いに足を突っ込んでいたみたいなの。アイドルを勝たせようとするわけはじゃなくて、アイドルたちを守るために」
「それがトリエルの?」
「そうね。私にも連絡が来たわ。大手メディアに圧力をかけて、動けなくしてほしいってね」
「お母さんに?」
「そう。……あの子もすっかり大人になってしまったわね」
兄がトリエルを救ったというのは本当だったらしい。でも、やっぱりわからないことがある。
「お兄ちゃんはどうしてそこまでしてアイドルを助けようとしているの?家族でもある私がいるグループならわかるんだけど、トリエルって他人でしょ?」
「それは慎二に聞いてみないとわからないんだけど、でもやっぱりアイドルというものが好きなんじゃないかしら?」
「好き?」
「好きなものだから無くなってほしくない。いつまでも眩しい輝きで居続けてほしい。……なんて慎二なら言いそうじゃない?」
「……うん、言いそうだね。お兄ちゃんらしいくさい台詞だ」
「あはは、でも私は素敵だと思うよ。だけど、ちょっと頑張りすぎかな」
そう言って母はお兄ちゃんの頭を撫でた。……遠くにいたとしても母は母だ。私たちのことを想ってくれているし、何より一番理解してくれている。
だからこそ、自分の至らなさが申し訳なく感じてくる。
「……ごめん。私がもっと止められればよかったんだけど」
母から話を聞いて、季乃にも相談して兄に余計な負担がかからないように色んな出来事から遠ざけていたつもりだった。トリエルのあの話も兄に聞かせたら余計に考えてしまうということから話を聞かせなかった。……でも、それだけじゃやっぱり足りなかったのだろう。
「ううん、有希も今大切な時期なんでしょ?有希のせいじゃないわ」
「でも……」
「でもじゃない。悪いのは勝手に突っ走って勝手に転んだ慎二よ。いくらでも怒ってあげなさい。私も怒ったので毎日自炊しないと腐る量の食材を仕送ります」
「それはちょっと困るかも」
そう言って母は少しだけ微笑んだ後、言葉を続けた。
「でもね、一番悪いのは二人が苦しんでいるときに傍に居てられなかった私。親失格ね」
「そんなことない!お母さんはいつも私たちのことを見てくれて――」
「ありがとう、有希。でもね、親っていうのは子供になにかあったときに責任を取らないといけない立場なの。だから――」
その先の言葉は聞きたくなかった。
私にとって母は憧れで一番かっこいい存在だ。世界を股にかけて活躍する仕事ぶりは立派だし、私たちに会う時はその姿を一切見せず母親として愛情を渡してくれるのはとても美しく思えた。
そんな母だからこそ私は好きだし、自信をもって誇れる存在だ。だから、大好きな母が私たちがいることで今の母じゃなくなってしまうとすれば……。そんなこと嫌だ。
言葉を遮ることも、耳を防ぐこともできないまま、母は言葉を続ける。その言葉を先を私は正面から耳にした。
「責任をもって、あの子を泣き止ませてみせます!」
「……え?」
「あはは、仕事辞めるっていうと思った?ごめんね、今の仕事はお父さんの形見みたいなものだからね。死ぬまで辞められないのよ」
呆然としている私をおいて、母はお兄ちゃんの眠っているベッドへと向かうと、その布団を勢いよく引き上げた。
バサッと音を立てて舞い上がったそれの後には、横たわったままの兄の体、そしてそれに引っ付くようにして体を丸めている季乃の姿があった。
「…………何してんの?」
母の言動と、予期せぬところから現れた季乃の姿。それを目にして理解した後、私の口から出てきたのはそんな言葉だった。
「あら、盗み聞きしているのかと思ったけど眠っているみたいね。ならこのまま寝かせてあげましょう」
そう言って母は布団を元に戻す。
……いやいやちょっと待ってほしい。
「なんで季乃がここにいるの?というかお母さん気づいていたの?」
「布団の膨らみ方がおかしかったからね。有希もいくら疲れているとはいっても、ちゃんと周りを見れるようにならないと駄目よ」
さすがにそんなところに隠れているとは思わない。私もいないと思って恥ずかしい姿を見せたし……。あ、でも眠っているんだっけ。
「季乃……有希と同じグループの子よね?」
「そうだね」
「未来の慎二のお嫁さんかしら?」
「そうなるんじゃない?」
実際のところ二人がお互いのことをどう思っているかは正確にはわからないが、なぜかどうでもよくなったから適当に言葉を返す。
「やっぱり!可愛くて、愛嬌もあって、一途。慎二もいい子見つけてくるじゃない!」
「……愛嬌というか、腹黒な子だけどね」
「益々いいじゃない!女はそれくらい計算高くないと」
……母の変なスイッチが入っている。妙に高いテンションについていけず思わずため息が零れた後、私は母に尋ねた。
「それでこれからどうするの?起きるまで待つ?」
「それもいいんだけど……実はお母さん、朝から何も食べずここに来ちゃったからお腹空いちゃって……ごめん、有希、何か買ってきてくれないかしら?」
「はぁ……わかった。何がいい?」
「せっかくだから日本らしいお弁当!お金は出すわ、だからお釣りで何か買ってきてもいいわよ」
そういって母は私に万札を渡してくる。……どこの国のお弁当に万札が必要なんだろう。
「わかった。ゆっくり探してくるから」
「うん……ありがとうね」
そんな言葉を交わしてから私は病室を出た。
……あまり遠くまで行きたくはないけど、近くすぎると時間を潰すのがめんどくさい。
一時間くらいで帰ってこれる場所は…あの辺かな。