遙子さん……佐伯遙子は麻奈ちゃんがアイドル活動をするよりも少し前からアイドル活動を行っていた星見プロ最古参のアイドルだ。
俺がアイドルに嵌ったきっかけが麻奈ちゃんで、彼女のデビューライブがアイドルを初めて見たときだったため、遙子さんのデビューは見たことがない。
だけど、きっかけが麻奈ちゃんだったとはいえ、そこから俺をアイドル沼に落とし込んだのはそのあとに見た遙子さんといっても過言ではない。ライブではなく、麻奈ちゃんとの絡みがきっかけだったけども。
でも、素の性格を知ったおかげか、俺は佐伯遙子というアイドルを知ることができたし、その魅力に気が付くことができた。周りが見えすぎるがあまりライブで力が発揮できないことも、自分に自信が持てなくて委縮してしまう癖も見抜くことができた。
だから俺は、たとえライブバトルで勝てなくても、人気が出ず低迷し続けても、俺は彼女を最前列で応援し続けたのだ。長瀬麻奈という伝説のアイドルも認めた佐伯遙子というアイドルを、三年間も、ずっと。いつか必ず花開くと信じて。
だが、そんな遙子さんは現在、アイドルを辞めようとしているらしかった。
きっかけはいつものストーカー…いや違うパトロール中のことだった。
星見プロの子たちもオフの日みたいで、遙子さんも一人どこかへ出かけていた。
そこまではよかったのだが、そのあと少しして、こそこそとした様子のサニーピースの面々と探偵が被るような鹿撃ち帽をかぶったマネージャーが出てくる。
トラブルの予感を感じた俺は、ひっそりと彼女たちの後を追うことにした。
そこで耳にした言葉がそれだった。
『遙子ちゃん、アイドル辞めないよね?』
驚天動地。世界がひっくり返ったかのような衝撃だった。しばらくしてその言葉の意味を理解できた俺は、いつも以上に集中して尾行を続けた。
やがてたどり着いたのはお洒落な喫茶店だった。一人では入りずらかったが、今回ばかりは譲るわけにはいかない。心を無にして入店した。
案内された席は奇しくも遙子さんとは遠く、サニーピースの面々を後ろから見える席。マネージャーはこちらが見える場所に座っていないからバレることはないだろう。
遙子さんは……誰かと待ち合わせしているようだな。喫茶店で待ち合わせ…なにかの打ち合わせだろうか。だとしたらなぜマネージャーとサニーピースのメンバーが尾行を?
考えても埒があかない。何も頼まないのも店に失礼なので、コーヒーだけ頼むことにした。
「今だとプラス300円でお好きなデザートつけられますよ!」
そうなのか。でも今日はそんな気分じゃないから遠慮させて……。
俺が断ろうと考えていると、カランコロンと音を立てて入り口が開いた。
そこから現れたのは数人の男性と一人の女性客。その女性は店員と話をすると、遙子さんの席へと向かった。
「……え?」
サニーピースの動揺の声が聞こえる。あの女性、明らかに雰囲気が芸能関係者だ。サニーピースのメンバーも知らない打ち合わせということはもしや、別業界からの引き抜き、か?
「なんてこった……これは参ったな」
「パンナコッタですね!かしこまりました!」
おいちょっと待て、誰もパンナコッタなんて言ってない。
引き留めようとしたがすでに女性店員はオーダーをもってどこかに去っていく。目立つ真似は避けたいし、諦めて食べるしかないか。……というかどう間違えたらパンナコッタに聞こえたんだよ。
まぁそれはどうでもいい。問題は遙子さんだ。
……女性の話は全然聞こえないが、何やら遙子さんは真剣に話を聞いている様子だった。確かに遙子さんの芸歴は長いし、技術も長瀬麻奈が認めるくらいのものだ。アイドル以外の他の芸能でも活動はできるはずだ。
……それに、アイドルとしての遙子さんの苦痛を見てきたからこそ、遙子さんがアイドルとしての道をあきらめて別の道を選ぶ可能性も十分にあると思える。
……もし、だ。もし、本当に遙子さんが自分の意思でアイドルを辞めようとしていたとすると、俺はどうするべきだろうか。
ファンとして次の舞台で輝けるように送り届けるべきだろうか。それとも、アイドルとして居続けてくれるように説得するべきだろうか。
俺は……。
「お待たせしました!こちらレギュラーコーヒーと、特製パンナコッタです!」
思考の海に沈んでいると、店員の明るい声で現実に引き戻される。同時に目の前に見えたのは明らかに豪華な飾りつけのパンナコッタだった。
「えっと、特製?」
「はい!サービスです!お値段は一緒ですので!」
そんなサービス要らないよ。それに、俺甘いものそんなに食べられないんだけど…。
「では、ごゆっくりどうぞ!」
あの店員は俺に恨みでもあるのだろうか。それとも一人で喫茶店に入ってきた俺をあざ笑うためにこんなことしてきているのだろうか。
とはいえ、出されたものを残すなんて俺の流儀に反する。胃を壊す覚悟で頑張って完食しよう。
「胃が…終わった……胃薬買って帰ろう……」
特製という名の通り、十分に盛り付けされていたそれは中までしっかりと作りこんであった。
そのおかげさまで、俺の胃は限界を迎え、甘さを抑えるためにコーヒーを飲みすぎたこともあって、完全に胃が死亡した。
しばらくは甘いものを食べる気にはなれない。ついでに言えば今日の晩飯も食べる元気も作る元気もない。あいつには悪いが、外食で済ませてもらおう。
家に帰りつくとリビングでスマホを触っている妹がいたため、そのことを伝えた。
「りょーかい。……あ、そういや今日駅前の喫茶店行ったらしいね」
……おいちょっと待て。なんでそれがわかるんだ?ブラフというにはピンポイントすぎるし…誰かに聞いたか?
「あー、あそこ友達が働いているんだ。その子が連絡してきてさ。ゆきちゃんのお兄さんが来たーって」
妹…
というか、もしかしてこの写真撮った子ってあの店員か?俺にあのパンナコッタを仕掛けてきたあの店員か?……類は友を呼ぶとは言うが、友達含めて俺をいじめにかかるのは止めてくれませんかね。
「……そういえばその子はなんで俺の顔を知っているだ?会ったことないだろ」
「知らない。私のプロフィール写真でも見たんじゃない?」
あー、確かにこいつのプロフィール欄は去年の冬家族で行った札幌旅行のものだ。そこに俺の姿も映っているし、わかる人にはわかるか。
「……まぁあれだ。盗撮はやめとけって伝えておいてくれ」
「はいはい。それで、あそこで何してたの?」
「さぁな」
「へぇー」
馬鹿正直に答える必要もないだろう。答えをはぐらかすと、彼女は興味なさげにスマホいじりを再開した。
「……まぁ一応言っておくけどさ、アイドルの追っかけもほどほどにしときなよ。仮にも家族が警察に捕まるなんて嫌だし」
「……捕まるようなことはしねぇよ」
まぁその場にいた人がいればバレるよな。遙子さんの一大事で焦っていたというのはあったが、確かに今回の行動は焦りすぎていた。気を付けよう。