星見市は星が見える高台が有名だが、海沿いの海岸も美しく観光客は絶えない場所だ。
だが、夜遅くの星が反射したこの海を知る人はなかなかいないだろう。俺もあの日初めてここに来てそれを知ったから。
昼間とは違い、音が少ないからこそ、波打つ音がしっかりと聞こえる。幻想的な光景も合わさって、世界に人がいなくなったように感じられる。
……俺がここに来たのは単なる偶然。俺も夜遅くまで星見寮の子たちを見守るわけにはいかないし、あいつにもごちゃごちゃ言われたくない。夜は家にいるというのもあいつとの約束だしな。
だが、俺はそんなあいつとの約束を破ってまでここに来たのは、なんだか居ても立っても居られなかったからだ。
それはおそらく……遙子さんが、アイドルを辞めようとしているからだろう。
自分でも気づかなかったが、俺にとって佐伯遙子というアイドルはそれほど大きな存在だったらしい。
……思えば、麻奈ちゃんが死んだあと、ふさぎ込んでいた俺が立ち上がるきっかけだったのも、遙子さんのライブを見てからだった。
誰より近くで接してきた親友が亡くなっても、立ち止まらずアイドルとして輝くその姿がとても眩しいと感じたから。その姿に勇気をもらえたから、俺も立ち上がろうと決めたんだった。
ま、結果として就活はうまくいかず、どっちつかずの生活はしているんだけど……。
……あ、そっか。俺は遙子さんの姿に俺自身を重ねてしまっていたのか。
ずっと宙ぶらりんだったピースが嵌った感じがする。そっか、だから俺は佐伯遙子というアイドルが好きだったのか。……我ながら不純な想いだな。
自虐気に笑いながら、俺は星の映る海を眺めていると、どこからか声が聞こえてきた。
「んん~!夜の浜辺って新せ~ん!」
「ん?」
幻聴かと思えた。なぜなら、先ほどまで考えていた人物の声が聞こえてきたからだ。
振り向くと、浜辺の入り口、そこにマネージャーらしき男性の姿と、そして遙子さんの姿があった。
待った、隠れなければ。
瞬時に移動し、階段の物陰に隠れるとこっそりその姿をのぞき込む。
確かにあれはマネージャーと遙子さんだ。けれどもこんな時間に何を?まさか逢引き…いやいやあのマネージャーだぞ。それは無理がある。
聞き耳を立て続けると、どうやら話は遙子さんのアイドルとして素質の話になっていた。……やっぱり彼女のアイドルとしての進退の話をしているのだろうか。
「……でももし、私が…自分で自分の素質を信じることができない、って言ったら?」
……遙子さんはやっぱり自分に自信を持てていないのだろう。先輩だったにも関わらず後輩のアイドルに抜かれ、自らはずっと低迷し続けた。その事実が、彼女自身に重くのしかかっている。
そんなことはない、自信を持て、と心から言いたい。貴女のおかげで立ち上がれた人がいるんだって。
だけど、そんなことを言う資格は俺にはない。
「今は……信じることができないよ。だって、あんなに簡単に揺らいじゃったんだもん」
「ミュージカルのことですよね」
ミュージカル。おそらくそれが、彼女を揺らがしているものなのだろう。あの喫茶店でミュージカルへの勧誘があったのか。
……俺はどうするべきだろうか。たとえ資格がなくても、無理に出て行ってアイドルを続けてくれと叫ぶべきだろうか。それともここで、黙って見過ごすべきだろうか。
どうすれば、どうすればいいのだろう。
彼女の感情の吐露とマネージャーの励ます言葉が続く。途中、マネージャーが遙子さんを褒める言葉に詰まったときは蹴り倒しに行くところだったが、必死にこらえた。
「なんか、決心ついたかな」
あぁ……ダメだ。この流れはダメだ。もう資格とかどうとか考えている場合じゃない。彼女がその言葉を発する前に、この言葉を伝えに行かなくては。
そう思い、砂浜を駆けようとしていたその瞬間――わずかに気配を感じた。
「っ!」
はっと背後を振り向くが誰もいない。人どころか、生き物の気配一つ感じ取れなかった。
……何だったんだ?…いやそんな場合じゃない!
「うん、私ね……」
この後に続くのはおそらく決意の言葉だ。これを口にしてしまえばもう後戻りはできなくなる。
その言葉を防ぐため、俺はそこへ飛び出そうとして――
「まだまだアイドル、続けるよ」
――全力で自らの体を押し留めた。
急アクセルから急ブレーキで足が痛んだが、それよりも話が気になる。どうしてだ、今の流れ的にアイドル辞めるって話だったんじゃ……。
「話の流れ的に、ミュージカルの方に傾いていたんじゃ…」
「少しだけね……でもここでアイドル辞めるのって今までやってきたことを投げ出すのと一緒でしょ?私のことを信じてくれている人がたくさんいて、いろんなところを実力だって言ってくれている」
……あぁ、そうだった。遙子さんは信じてくれている人がいることなんて、とっくに理解していて。
「なら投げ出さないで、自分をちゃんと信じて自信を持たないと……申し訳ないもんね」
自分自身が自信を無くしているだけだってこともちゃんと理解できていて。
「それに……やっぱり、裏切りたくないもん。みんなのことや牧野君の言葉を……」
そのうえで、皆やマネージャーの想いも抱えて、前に進んでいける。
「そういう訳なので!佐伯遙子はアイドルを続けようと思います」
そんな立派なアイドルだった。……麻奈ちゃん亡き後に見た、遙子さんのその姿に俺も勇気をもらえたんだった。なんで忘れていたんだろう。
サニーピースのメンバーが遙子さんに駆け寄るのが目に映る。これ以上は俺が盗み聞きするのは野暮だろう。
音を立てないように静かに階段を駆け上がり、海に背を向ける。
……あぁそうだ。久しぶりに連絡しておくか。
スマホを起動し、メッセージアプリを開く。少ない連絡先のうち、三年前に連絡が途絶えたその名前を開き、メッセージを打つ。
『遙子さんを引き留めてくれてありがとう。頑張れよ、牧野マネージャー』
夜風に当たりながら家へと帰ると有希に怒られた。約束破っていたこと忘れてた。