扉から顔を出した鏡花は一礼すると席に着く。
彼女の表情からは相変わらず感情が読めない。俺たちが彼女の話をしていたことは理解しているだろうに、その素振りさえ見せないのは、まさにお人形、といったところか。
「……鏡花も見ていたとは思うが、君のご両親から契約書にサインをいただいた。だけど、俺はまだ君の意思を聞いていない」
「はい」
「だから聞かせてほしい。どうして君はアイドルになろうと思ったのか」
「あなたに誘われたからです」
彼女は間髪入れずにそう返した。いや、確かにそうなんだろうけど、そうじゃない。
「……きっかけはそうだったかもしれない。でも、最終的な決定の判断は鏡花が持っていたはずだ。その決定の理由を教えてほしいんだ」
彼女は少しだけ考え込む仕草を見せた後、真っすぐと俺を見つめて口を開く。
「……あの並木街道であなたと会話するにつれて、あなたという人物が信用のおける人物だということは理解できました。同時にアイドルというものに並々ならぬ想いを持っていることも」
鏡花はそこでいったん区切ると、思い返すようにぽつぽつと語りだす。
「私のいる風見家は、代々子が生まれると、物心がつく前から英才教育がなされます。私も兄も例に洩れず、様々なことを学習し実践してきました」
「兄は、合理的で巧みな人物です。習ったことをそのまま使うのではなく、どうすればより効率が良いかを考えそれをものにできる力があります。同時にその力を日常にも生かし、生活を豊かにすることができます」
「そんな兄の背を見てきたからか、私もそれに追いつけるよう努力を続けました。だけど、どうしても私には応用という観点でモノを考えることができなかった。習ったことは、習ったことでしか活かせなかったのです」
「そんな様子だったからか、私は風見家の任を解かれ、自由に暮らせ、と言われました。なぜ、と聞いても答えてもらえず、ただ言われるのは自己を磨けとのこと」
「昔から無表情とはよく言われます。自己を磨くとはそういうことなのだろうとも理解しています。だからこそ私は、信頼できるあなたの元でアイドルになって自己を磨くことにしました」
「以上が、私がアイドルになろうと思ったきっかけです」
「…………なるほど」
あの……一つだけ言わせてくれ。
風見家、お前ら全員で一回話し合ってこい。色々と誤解生まれまくっているじゃねぇか。そして、他所の家庭事情に俺を巻き込まないでください。いや、俺が巻き込まれに行ったようなもんだけどさ。
なんというか、先に鏡花の家族から話を聞いていたから全然シリアスに聞き取れなかった。本人たちからするとわりと深刻な悩みなんだろうけど。
それにもう一つ言いたいことがある。
こいつ、全然お人形さんじゃねぇ!しっかり感情あるよ、ただこの子教えられたこと以外はわからない素直な子なんだよ。休日の過ごし方を教えてやれよ。
……プレッシャーから解き放たれたというのもあるが、なぜか頭が痛くなってきた。
だけど、一つだけ解せないことがある。
「要は鏡花は自己を磨きたい。アイドルになろうと思ったのは自己を磨ける機会で、俺という信用における人物が誘ったから、そういうことだな?」
「はい、その通りです」
「そうか。じゃあ鏡花。一つだけ、しっかり聞いてくれ――アイドルを舐めるな」
「……」
「ぶっちゃけ俺はアイドルを目指す理由も、アイドルを続ける理由もなんでもいいと思っている人だ。だけど人一倍アイドル業界を知っている自負はある。その自負に掛けて言わせてもらうが、自己すら理解できていない子がNextVenusグランプリなんて勝てるはずがない。そんな甘い世界ではない」
鏡花は俺の発言を黙って耳にしている。相変わらずどんなことを考えているのかはわからないが、真剣に聞いてくれているのはわかった。
「……説教になってしまって悪かった。だが、アイドルになる以上、俺がさっき言ったことだけは理解しておいてほしい」
「承知いたしました。失礼を、申し訳ございません」
そう言って鏡花は頭を下げた。
礼儀正しいのも彼女の個性……だけど、俺に対してまでこれだと先が思いやられるな。
「……まぁともかく、俺からの話は終わりだ。何か聞いておくことはあるか?」
「それでは一つだけ。……過日より気になってはいたのですが、あなたを度々付けているベージュ髪の少女はあなたのご知り合いでしょうか?そうでないのならば、然るべき機関に知らせるべきかと」
……ベージュ髪の少女、季乃だよな。尾行バレてんじゃん。ダメだよストーカーは。本当にダメだよ。
「すまん、知り合いだ。言い聞かせておくから気にしないでくれ」
「そうでしたか。安心しました……私からは以上で問題ございません」
彼女はそれだけ話すと、それっきり口を結んだ。これ以上聞きたいことはないのだろう。
「わかった。……うぅん、恥ずかしいがこういうのは礼儀だからな」
「……?」
俺は立ち上がると、疑問符を浮かべている鏡花に向けて手を伸ばす。
「鏡花、アイドル業界にようこそ」
「えぇ、何卒、風見鏡花をよろしくお願いいたします」
そう言って彼女は俺の手を握る。
相変わらず無表情でその瞳の奥で何を考えているのかは見えない。
でも、この細くて暖かい手の感触を、俺は今後忘れられることはできないのだろうと、そう思った。