事務所に後にした俺たちは、その足で普段アイドルたちがレッスンに使っているスタジオにやってきた。……この時間は丁度学校も終わり、スタジオに来るアイドルが多くなる。ということで、ここらで顔合わせをしておこうという考えだ。
目論見通りやってきたアイドルたちに、俺と鏡花はしばらくの間、挨拶を交わす。
このスタジオはバンプロだけのものじゃない。当然、他所の事務所のアイドルたちにも挨拶することにはなるが、これも営業のうちだ。人の言伝も案外馬鹿にはならない。
「あ、御堂さんだ。こんばんはー」
「おー郁実ちゃんか。こんばんは」
現れたのは斜めの前髪が特徴の少女。上川郁実。バンプロ所属のDayDreamに所属しているメンバーでもある。
「こんばんは。初めまして、私は
「そ、そうなんだ……えっと、私はDayDream所属の上川郁実。よろしくね、ことちゃん」
丁寧に頭を下げたことの姿に驚いたようだが、郁実ちゃんはすぐさまいつもの調子を取り戻し、笑顔で返事を返した。
「はい、よろしくお願いします」
「えっと……」
「はい」
「……ご、ごめんね!もう行くね!」
「はい、お時間を取らせてしまい申し訳ございません」
郁実ちゃんは無言の空間に耐えられなくなったのか、逃げ帰るようにレッスン室へと入っていった。
「きょ……こと。何が悪かったか。わかるか?」
「会話をする空気を作ることができなかったからだと思われます」
「その通りだ。……俺も会話は得意なほうじゃないが、少しずつ学んでいこうな」
「申し訳ございません」
そう言って彼女は頭を下げた。いや、そこまで謝ることでもないんだけど。
それにしても、結構な数に挨拶してきたがまだ慣れないな。
「
「古都は元より母方の旧姓ですので慣れております」
「ことの方は?」
「違和感はありますが、意識していれば間違えないかと」
「そっか」
風見鏡花の名前は、一般的に広まっているわけではないが、知る人が見ればあの風見家のご令嬢だと一目で理解できる。そうだとわかれば、その権力を狙って色んな人物が近づいてくるだろう。
だからこそ彼女に関しては名前を変えて活動する必要があった。そのための芸名が古都ことだ。彼女らしくてそれでいて可愛さもある、いい名前だと思う。
とはいえ、だ。俺の中での彼女はやはり鏡花のイメージが強く残っている。人がいる場ではこと呼びだが、それ以外では鏡花呼びでいこうと思う。
そうこうしていると、さすがにピークの時間が終わったのか、スタジオに入ってくる姿も無くなってきた。ここらへんで仕舞いにするか。
「鏡花、そろそろ切り上げ……」
「……こんなとこで何してんの?」
「あ、担当の仕事をほっぽり出して遊んでいた慎二さん!何して……ってこいつ女連れてます!」
最後にスタジオに入ってきたのは胡散気な表情でこちらを見つめる少女と、怒ったような表情でこちらを指差す少女。というか、YUKINOだ。
「有希、季乃。お疲れ様。仕事ついていけなくて悪かった。想定より早く終わったんだな」
「女連れてます!!」
「この子は…」
「女連れてます!!!」
「何を言わせたいんだよお前は」
とりあえずこんなところで騒がれると周りに迷惑なので頭を撫でて黙らせておくと、改めて二人に鏡花の事を紹介する。
「二人には話していたと思うが、俺がスカウトしていたアイドルだ。自己紹介を」
「初めてまして。私は……」
「あれ、鏡花じゃん。やっほ」
有希は鏡花を目にして口を開いた。……当然、俺からは彼女の本名を話していない。ということは、まさか知り合い?
「お久しぶりです。有希」
「お兄ちゃんが話してたのって鏡花のことだったんだ。というかアイドルに興味あったんだ。意外」
「興味があったわけではなかったのですが、事情ありまして、こうしてアイドルになることにしました」
「へぇ。お兄ちゃんアイドルのことになると鬱陶しいからね。ご愁傷さま」
「おい、というかちょっと待て。二人は……なんだ、知り合いなのか?」
「うん」
「はい」
「いや、うんとはいじゃないが……」
同時に返事を返した二人に俺は思わず目頭を押さえる。知り合いならもっと早く言ってくれよ。あんなに悩んだ俺の時間は無駄だったじゃないか。
……まぁ過去のことを思い返しても仕方がない。これから同じ会社で仕事する仲間になるだろうし、鏡花と有希が知り合いなのは僥倖だと思おう。
となると、面倒くさくなるやつが一人いるな。
「慎二さん、誰ですかあの女」
「季乃がストーカーしてた女」
「失礼な!監視ですよ!」
「ちなみにその監視バレてたぞ」
「なんですと!……これはちょっと気をつけないとですね」
なぜか警戒心が上がってしまった季乃の姿を見てか、鏡花は改めて自己紹介を始めた。
「失礼いたしました。私は古都ことと申します。何卒よろしくお願いいたします」
「古都こと?あぁ芸名ね。私はYUKINOの有希。改めてよろしく」
「同じくYUKINOの季乃です!よろしくお願いします!ことことちゃん!」
「……ことことちゃん?」
「古都なのでことです。なので、ことことちゃんです!」
「なるほど。私は構いませんのでお好きにお呼びいただければと思います」
「じゃあことことちゃんに質問です!慎二さんとはどういう関係ですか?」
「マネージャーとアイドルの関係性です」
「それ以外にもあるんじゃないんですか?」
「どういう意味でしょうか?」
「こら、季乃。ことが困っているだろ」
なにやら不穏な気配があったため、その前に季乃の発言を止めておく。季乃は不満げに俺を見ていたが、やがて一つだけ言わせてください、と言葉を続けた。
「アイドルは想像以上に人に見られる仕事です。日常の一語一句、何気ない行動さえ問題になりえます。そのことをしっかり理解することですね!」
「……お兄ちゃんとデートしていた季乃が言える台詞なのそれ?」
「バレなきゃいいんですよ!それがことことちゃんもできますかって話です!」
季乃が言えるかどうかはともかく、季乃の言っている事はわりと的を得ている。だけど、そこに関してはことには問題ないと思っている。
「……私も御家柄、常に相応しき態度を学んできた所存です。しかし、アイドルとしての相応しき振る舞いを私は存じ上げません。なので、季乃さん、私にアイドルとしての振る舞いを教えていただけますでしょうか?」
「なかなか手ごわいですね……。仕方ありません。ここは私が退いておきましょうとも。先輩ですので!」
何やら会話がかみ合っていないような気がするが、二人とも意図は理解している様子だ。一体何を話しているんだか。
……ともかく、だ。偶然ではあったが、ここで二人に鏡花を紹介できたのはよかった。いずれ時間を取って三人で話す時間は設けようと思ってはいるが、事前に顔合わせを済ます事ができてよかった。
「有希、季乃、二人はこの後レッスンだろ?こともこの後やることあるから、そろそろこの辺でお開きにするぞ」
「じゃあね」
「……そういうことですので、季乃さん、また後日お話させてください」
「えぇ、たっぷり話しましょう。ではまた後日!アデューです!」
有希は軽く手を上げ、季乃は腕を前へと伸ばしながら別れの言葉を告げると、レッスン室に入っていく。
そんな二人の様子を見た後、俺は鏡花へと尋ねた。
「……二人からも自己紹介を貰ったと思うが、あの二人がYUKINO……俺が担当しているもう一つのアイドルたちだ。どうだった?うまくやれそうか?」
「アイドルとしてのお二方を存じ上げないため一概には言えないのですが、有希とは過日より連絡を取り合う間柄でこれからも良き関係で居たいと思っています。季乃さんに関しても悪い印象は覚えませんでした」
「そうか」
前々から知り合っていた有希とはともかく、季乃との初対面の印章としては上々だろう。なぜか季乃は鏡花を警戒しているのと、それに気づいているが故の鏡花の対応はちょっと気になるところはあるが、まぁそれは追々信頼関係を築いていけばいい。
「二人ともいい子たちだ。できれば鏡花も仲良くやってくれると俺としては嬉しい」
「はい、そのように精進いたします」
……催促したわけじゃないんだけどな。
俺は苦笑しつつ、鏡花を連れスタジオを後にした。
そういや今日は星見プロのアイドルは見なかったな、とふと思った。