元一級呪詛師 スカー・レッド 作:傷んだ赤色
華胥/
その日は寒かった。
今年の春にあった任務以来、五条は不自然に明るく、夏油は異様に考え込むようになった。
多数の蝿頭が高専に侵入したらしいが、私も別の任務で地方に行っていたので詳しい事は分からない。だが、それ以降2人の様子がおかしくなっている事には気付いていたはずだったと思う。
当時の私にはそれに構っている余裕は無かった。日がな一日自室兼研究室に籠り、素材が無くなれば調達してまたしばらく籠りっぱなしになる。時間感覚はとっくに狂い、思考が冴える中、内臓がかき混ぜられているような感覚がずっと続く。まるで蛹になった虫が一度中で溶けるように。そうしているうちに、急に電源が切れたように眠る。
それが半年近く続くサイクルであり、これが永遠に続くのかと思ったこともあるほどに長くもどかしい日々だ。それでも、私という呪術師には必要な工程だった。ちなみに、交流会もバックレて研究していたら夜蛾にキレられたこともあった。
術式の中ではハズレとも言っていい構築術式が私の術式だった。入学時に五条に散々煽られた術式は確かに煽られても仕方がない程度のもの。だが、中学から上がったばかりの私にはそれが相当腹に据えかねたようで、死に物狂いで術式を伸ばし、様々なものを取り込み、昨年ようやく準一級へ昇格したばかり。
まぁそれでも煽られたが、その後なんとか1発叩き込む事ができたので気分は晴れた。『鞄』も『映写機』も無かったその頃は、何か前衛を作りたいと考えて手を出した物が人形だった。だが今は少しそこから外れ、私自身を作っている。きっかけは思い出せないが、たぶん徹夜しまくった末に思い付きで始めたんだろう。
それが私という呪術師にとってのターニングポイントとも知らずに。
「おーい、橙子ー?生きてるー?」
煙草を吸いながら遠慮なく人の部屋に入ってくる同期の声で、眠ってしまっていた事に気付き、跳ね起きる。咄嗟に視線を巡らせ、目の前にあった見られてはいけない物、パーツを机の下に隠す。……近くに積んであった資料の山が崩れた気がしたがそれは気にしない。
「うわ、そんなとこで寝てたんだ。風邪引くよ?」
「……あぁ、そうだな…今日何日だ?」
「17日」
「丸一日か…」
どうやらわたしは丸一日寝こけていたようだ。そもそも最後に部屋を出たのが五日前だったので、心配して部屋に入ってきたらしい。だが寝起きのわたしにそんな事を考える余裕は無く、ただ腹が減ったと思っていた。
「んで、完成したの?」
食堂の向かいの席で飯を食べている同期、家入硝子が問いかけてくる。硝子には戦闘用の人形を作るとしか伝えてない。もしかしたら何か違う事をやってると察されているかもしれないが、それを直接言われない限りわたしから打ち明けることはない。
「いや、まだまだ完成には程遠い。構造的に欠陥だらけで到底戦闘には耐えられないだろう。………わたしにはまだ人を救えないんだ…」
この頃の私には信念と呼んでいた物があった。弱きを助け強きをくじく。強きが呪霊だったりするがそんな感じのもの。今となっては唾棄すべきものと分かるが、あの時には何か輝かしいものに見え、それを必死で追っていた。
「そっか。……完成より先に不摂生で死ぬんじゃない?」
なんて事を言うのだろうかと思ったが、よくよく考えてみれば死ぬまでは行かなくても体調を崩していて当たり前なくらいの密度の日々。割と反論できず、目を逸らすしか無かった。
「…それで、硝子はどうしたんだ?」
「……何が?」
「隠しても分かるぞ。…治せなかったか」
少し俯く硝子。それに対してかけられる言葉がわたしの手持ちには無かった。
「私がやってる事に意味あんのかな」
聞こえるギリギリの声量で放たれたそれが、本音だと分かる。わたしにはそれに対する答えは分からない。いや、他の誰にも分からないだろう。それに答えを出せるのは彼女だけだ。
それでも。
「………前にわたしが実験の失敗で部屋を吹き飛ばして、死にかけた時に助けてくれたろ」
多少なりとも友人の悩みを晴らしてやりたいとは、思ったのだ。
だが、彼女は笑ったのだろうか、静かに泣いていたのだろうか。気恥ずかしさから目を背けてしまった私にはどんな表情だったかはわからない。ただ、なんとなく心が通じたような、あたたかな感覚があったことだけは何故かはっきり覚えていた。
その後すぐに硝子が急患で呼ばれていった。聞けば五条も夏油も地方の任務で出払っているらしかった為、大人しく自室に戻り研究を再開する事にした。
久しぶりに休息を取ったのがプラスに働いたのだろうか。それとも今までの積み重ねがようやく花開いたのか。この日、ようやくわたしは『私』という芯たるものを形成するに至ったのだ。その『原因』はそう、今目の前で横たわっている。
『私』だ。
わたし以上ではない。私以下ではない。完全な同一。
DNA、指紋、歩容などの肉体面はもちろん、記憶、思考回路、無意識など『蒼崎橙子』を構成するすべてが同じ『モノ』。
術式、呪力量、魂すべてが同じな為、六眼でも見分けはつかないはずだ。
あぁ、インスピレーションが止まらない。『私』が死んでも次の『私』がいるなら、この『私』にこだわる理由はない。なんという鮮烈。なんという感動。やりたい実験、作りたい物が無限と勘違いしそうなほどにあふれ出る。
世界など目に入らない。命などどうでもいい。私はようやく蛹から羽化したのだ。
溢れるアイデアに笑い、それを書き殴り、さらにそれを元にしたアイデアに笑い、時々現状を深く噛み締めるように目を閉じて歓喜に体を震わせる。やはりハイになっていたのか、私は相手の都合などかけらも気にせずに電話をかける。相手はもちろん硝子だ。
『もしもし、橙子?なんか用?』
「あぁ聞いてくれ硝子!ついに私は至った!やったんだ!完成させた!何を作ったかは言えなくて悪いが祝ってくれ!」
『……本当に橙子?完成して嬉しいのは分かるけどはしゃぎすぎじゃない?』
自覚はある。が、どうにも止まらない。いや、止めたくないんだ。
「多少ハイになってるかもしれないな。何せアイデアが溢れて溢れてしょうがないんだ!いや、でもすまない!治療中だったか?どうにも抑えきれないんだ、この感情を!」
硝子が何か話してた気もするが、無視して通話を切る。後から考えてみれば、私は『私』を作った事で呪力の核心を掴んだのだろう。
この日、私は『わたし』という夢から覚め、『私』となった。
/落華
しばらくして、落ち着いた思考を巡らせる。
これを他人に教えるわけにはいかない。腐ったミカンやその手下はもちろんのこと同期にもだ。情報がどこから漏れるかわからない以上、比較的安全なのは自室。しかし高専内に置いておくのはリスクが高すぎる。
どうしたものかと考えていた時に、その時の私にはまさに天啓のごとく地方での任務が入ったのだった。
そうして、私はかれこれ3~4ヶ月ほど高専に帰っていなかった。幸いと言うべきか、私は上層部の腐ったミカンに嫌われているから九州から北海道まで任務がひっきりなしだ。
私は一つの任務に1週間近くかける事は少なくない。五条などとは違って私自身は弱い。呪具も一つに特化したものが多く、相性によっては格下に負ける可能性がある物が少なくないので慎重に動く。その為必然的に任務期間が長くなることが多いのだ。
私はそれを利用して各地の山奥や廃墟となったビル、海底の地下などに小型の工房を作った。そこに『私』をいくつか保管しておいて、今の私が死んだらそこの『私』が目覚めると言う仕組みだ。
そして情報漏洩防止の為に工房から出て30分で工房の記憶が消去される。そうすればもし頭を覗かれても位置は分からない。まぁまた別のプロテクトはかけてあるが、念の為だ。
あと、私にはこの時期の任務に関する事以外の記憶が無い。だから、私にすら工房の場所は分からず、その後高専に戻った時の私がそれまで生きてきた『蒼崎橙子』なのか、どこかで作られた『蒼崎橙子』なのかも分からない。
思えば私はこの頃には既に変わっていたのだと思う。以前は自分の姿を相手に見せないことが殆どだったが、日本各地に工房を置き自分の命が補充できるストックにしか過ぎないモノになってから、さまざまな呪具の試験やデータ採取でわざと攻撃を受けることも多くなった。
今なら分かるが、私が一番気をつけるべきは自分の行動だったのだ。多少なりとも以前からの変化について考えていれば、後々あんな事にならずに済んだはずだ。
しかしこの時の私が抱いていたのは別の懸念だった。もし今の私が人形だとしたら、五条に見破られる可能性が多少ある。呪具で六眼の再現はできず、五条以外に六眼を持つ者もいない。私らしくないがこればっかりは祈るしかない。
高専に向かう車に揺られながら、私は渦巻く思考に身を任せていた。
変化の自覚がないまま高専に戻った私に、拍子抜けな事に五条からは何のリアクションも無かった。その時はクズに纏わり付かれなくて済んだ、程度の認識しかなかったが五条は五条で夏油のことで頭がいっぱいだったのだろう。
五条と夏油に対して無関心だった私は高専に戻ってから研究、祓除、時々死亡、研究、祓除、時々映画と自己完結した生活を送っていた。基本的に後輩に関わる事はなく、任務も人形を使って1人でこなす。時々同期や夜蛾とは顔を合わせていたが、それ以外は毎回変わる補助監督とスーパー、コンビニなどの店員程度のみの日々。
その日、私は飲み物を買いに自販機に向かっていた。ストックの数を勘違いしてしまい、飲み物が無くなったので気分転換の散歩も兼ねて。
自販機まであと少しのところで、高専ではあまり聞き慣れないエンジンの音が響いていることに気付いた。外を見ればTシャツ姿の夏油が金髪の女性と話している。一言二言交わして去ってしまったが、あれは確か特級術師だったはずだ。
残された夏油は少しうつむいてからこちらへ戻ってくる。どうしようか迷ったが、夏油が来るのを待つことにした。夏油は暗い表情のままで何か考えているようで、扉を開けてようやく私のことに気付いたようだった。
「やぁ、橙子、久しぶりだね。君が部屋から出てくるのは4日ぶりかい?」
「そんなに経ってたか?そろそろ硝子が乗り込んでくる頃かもしれないな」
そういうと薄く笑い、あんまり硝子に介護ばかりさせるなよ、とのたまう。
「介護されてるつもりは全く無い。……それよりも夏油、大丈夫か?」
「…………珍しいね、君が他人の心配なんて」
夏油は薄ら笑いを浮かべたまま茶化すような声色で言うが、私でもわかるほどあからさまにごまかしている。ここは踏み込むべきなのだろうか。
「私にすらわかるくらい萎れてるからな。何を話してたんだ?」
「…………」
「…夏油、吐き出してみろ。そうした方が軽くなることもある。私に言いづらかったら五条や硝子でもいい。こういう時はとにかく誰かに話した方がいいと何かで読んだことがある」
「…そう、か?」
「あぁ。でも私もあいつらもこういう経験はないだろうから補助監督の方がいいかもな」
「………ん?待て橙子、何の話をしてる?」
「お前がフラれてたのが見えたから慰めてる」
夏油が珍しくぽかんとした表情のまま固まった。
硝子だったら写真でも撮ってただろうな、と思いながら再起動を待つ。それから数分後に夏油はいきなり「ちがう!」と叫び、私の耳にダメージを与えたのだった。
それから私はまた自室に引きこもり、他人との関わりが薄くなっていった。名前も知らない私の後輩が死んだと知ったのはその2、3日後に夏油が私の部屋に入ってきた時だった。昨日ぶりに見た夏油には別人に見えるほど覇気がなかった。
その時の高専には五条も硝子もおらず、私が自室に籠っているだけだった。だから藁にもすがる思いで私に相談をしたのだろう。かつて、自分と同じ信念を持っていた私に。
丁度気分転換で外に出ようと思っていた私は夏油と共に教室に向かった。1週間ぶりに見る外は夕焼けで赤く染まり、人工の光に慣れた私の目には優しくなかった。
入った教室で私は夏油に言い放った。呪術師となったのは弱いからであり、誰かを守るなど分不相応だと。夏油からしてみれば背中を押されたような気分だっただろう。同じ信念を持っていた者もその信念を間違いだと、そして
夏油の天秤は呪詛師へと更に傾き、私はただ持論を述べただけだった。この時に私はようやく気づいた。相手の心情を多少なりとも慮り、不器用ながらも慰めの言葉をかけていた以前の私と、ただ興味を持ったもののみを眼中に入れる今の私。変化は致命的で、そして不可逆だった。
夏油とどう別れたのかほとんど覚えていない。思考の海から抜け出した時にはすでに暗くなり、夏油はいなかった。
聞いた話では、この数日後だったらしい。夏油が任務先で村の住人を虐殺し、姿を晦ませた。
青春という華にはいつしかヒビが入っていた。そのヒビは夏油の離反によって広がり、砕け、割れ、落ちた。
でも私の眼には落ちた華は映らない。
もう一話過去編をやって、その次で完結になります