「兄さんが……父さんを……?」
ラウダ・ニールがそうつぶやいたとき、彼の精神は限界近くまで追い詰められていた。
艦の外では今も、彼の兄であるグエルと、逆賊シャディクの戦闘が続いている。本来のラウダであれば兄の待機の言いつけを破り、自身もディランザに乗って助太刀に駆けつけたことだろう。
だが、疲弊し、疑念と不信の鎖に絡め取られた彼の足は動かない。兄の乗るモビルスーツの苦戦がモニターに映ってもなお、艦の指揮所で漫然と時間を空費している。
半年ほど前に水星から転入生がやってきたことをきっかけに、ラウダは次々と苦難に襲われていた。
まずは、兄であるグエル・ジェタークの転落。水星女との決闘で敗北を喫した彼は、そこから失態を重ね、父の信頼とジェターク社内での地位を失い、ついにはどこかへと失踪するに至った。
さらには、プラント・クエタで発生したテロに巻き込まれ、ラウダの父であるヴィムが死んだ。
たった二人の家族を立て続けに失ったラウダは、だがその事実を悲しむ暇もなく、ジェターク社を守るための政争に駆り出されることになる。
不慣れな仕事、不慣れな環境。周囲の大人たちは誰ひとり彼に配慮などしてくれず、容赦なく要求と罵声を浴びせる。まだ20にもならぬ若者には耐え難いストレスの日々を、しかしラウダは歯を食いしばって耐え、どうにかCEOとしての役目を果たし続けた。いつか報われる日々があることを信じて、暗いトンネルの中を這い回り続けた。
しかし運命は、彼とジェターク社を容赦なく鞭打つ。
ヴィムの死に伴うジェタークの信用失墜と、株価の低迷。
学園内でのテロの発生と、ラウダ自身の負傷。
何をしようと、どう足掻こうと、状況は一向に好転しない。ジェターク寮生たちやその親からの同情と好意に支えられ、ペトラという可愛い後輩から全力でバックアップを受けてなお、ラウダの努力は空回り続け、彼の精神はただただ疲弊していった。
苦悩する彼に、運命の女神が微笑んでくれたこともある。テロで負った傷を押してCEOとしての仕事を続けていた彼の前に、行方不明だった兄が戻ってきてくれたのだ。……が。
「兄さん……! 兄さんが……!」
久方ぶりの歓喜のあまり、ラウダは倒れてしまった。そして、兄が失踪中に何をしていたのか尋ねるタイミングを失った。
後知恵を許すならば、彼は退院直後に兄の肩を掴み、その身に何が起こったのかを問いただすべきだったのだろう。兄の心を慮るあまりにそれを怠ったことが、結果的にラウダをさらに追い詰めることになる。
帰還した兄は、宿敵である水星女の乗るエアリアルを苦闘の末撃破し、ついにジェタークにホルダーの座を取り戻した。
ラウダの苦難の日々もようやく終わったかに見えた。
だが、彼の精神をほんとうの意味で追い詰めたのは、この日からあとの出来事だったのだ。
戻ってきた兄は、弟からCEOの座を引き継ぐと、ラウダを強引に学生の身分に戻し、学園へ帰してしまった。
兄のそばで助けになりたいというラウダの願いはいっさい聞き入れられることはなかった。
そしてグエルは、正式に婚約者となったミオリネをパートナーとし――ラウダにとっては信じられないような所業を繰り返していく。
たとえば、ジェターク社が決して手を出すはずのない呪いの技術を注ぎ込んだGUND-ARM、ジュバルゼッテの製造。それは正確にはラウダの父であるヴィムが生前に製造を命じたものだったのだが、何も知らされていないラウダにとっては、兄がミオリネに入れ知恵されて手を出したようにしか見えない。
たとえば総裁選のための地球行き。テロすら頻発する危険な場所に兄が向かうことにラウダは猛反対したのだが、ミオリネの当選のために必要なことだと押し切られた。ラウダは、ミオリネとともに地球に向かう兄の背を、無力感を噛み締めながら見送ることしかできなかった。
そして、その地球でのアーシアンの大虐殺。ニュースでは繰り返しミオリネ・レンブランが虐殺を指揮したと報じられ、当然ながらその婚約者であるグエルの名前も何度も話題に登った。中には、本当に虐殺を主導したのはグエルではないかと邪推するニュースキャスターも出る始末だった。
常に正しく、常に輝かしき道を歩んできたはずの兄の、突然の豹変。
真相は違っていたとしても、弟の目にはそうとしか映らない。
ミオリネという悪女に騙され、たぶらかされ、間違った道に引きずりこまれたようにしか見えない。
ラウダの心には生まれて初めて、兄への深刻な疑念が生じていた。
そのグエルは、地球から学園へとんぼ返りして来るや否や、ラウダに電話をかけ、そして怒鳴った。
「急いでダリルバルデを寄越してくれ! 今すぐにだ! 頼んだぞラウダ!」
虐殺の件について説明を求める暇もない。何もかもわからないまま、置いてきぼりにされた気分で、ラウダはジェターク寮艦の準備を進めるしかなかった。
そしてグエルは弟と再会するや、何の説明もないままダリルバルデで飛び出していき、シャディクと戦闘に入り――そのシャディクと、耳を疑うような会話を繰り広げる。
「父さんを愚弄するな!」
「その父親を殺したのは、お前だろう?」
――父さんを殺したのは、兄さんだった?
信じられない事実だった。
何よりも信じられなかったのは、父を殺したという事実を、兄が自分に隠し通していたことだった。
常に正道を歩んできたはずの兄が、後ろ暗い過去をこそこそと隠蔽しようとしている。
常に自分を信頼してくれたはずの兄が、自分に何も話さず、心を開いてもくれない。
ラウダの中でわだかまっていた兄への疑念が、その瞬間、確信に変わってしまった。兄は自分を、ジェタークを裏切ったのだ、という。
「……なんだって? もう一度言ってくれ、カミル」
だから、その一報は、最後の一押しでしかなかった。
限界近くまで追い詰められたラウダの精神を、暗黒へ突き落とすとどめの一撃。
兄とシャディクの戦闘が終わった直後、ラウダの個人端末が鳴った。
それは、グエルとラウダの両人が信頼する同級生、カミルからの緊急連絡だった。
学園で再びテロが発生。
それに続く報告を耳にしたとき、ラウダの表情から魂が抜け落ちた。
「ペトラが……?」
―――――――――――――――――――
そのときグエル・ジェタークは、次々と発生する問題への対応に忙殺されていた。
弟からCEOの地位を引き継いだあと、彼には心休まる日どころか、立ち止まって考える時間すら与えられることはなかった。
傾きかけた会社を立て直すためのミオリネとの密約。スレッタ・マーキュリーが駆るエアリアルとの決闘。ジェターク社の株主たちとの交渉。ミオリネを総裁選に勝たせるための地球行。そして、地球で知ったシャディクの暗躍と謀略。
あわてて学園に取って返してみれば、シャディクは部下たちとともに逃亡する直前だった。ドミニコス隊のケナンジらの助力もあって彼らを捕縛することには成功したが、もう少しでもグエルたちの到着が遅れていれば、サリウス代表の身柄は宇宙議会連合へ引き渡され、ベネリットグループは完全に崩壊していたことだろう。
だが、グエルにはほっと一息つく暇もなかった。
「ベネリットグループは秩序維持のため、学園の同胞を犠牲にした。
アーシアンの犠牲だけでは動かなかった議会連合も、これで重い腰を上げるだろう」
捕縛された直後、シャディクはグエルにそう告げたのだ。
それは、学園で再びテロを起こしたことを示唆する言葉だった。
「くそっ……!」
ラウダの待つジェターク寮艦に戻ったグエルは、慌ただしく指揮所に入室し、そして、
ひび割れ、ぽっかりと穴が開いたような弟の表情を、目の当たりにすることになる。
「ラ、ラウダ……まさか……」
弟の表情が、すべてを物語っていた。
それでも兄は、口に出して問わざるを得ない。
いったい学園に何が起こったのか。ジェターク寮生たちの身に何があったのか。
「ラウダ、どうしたんだ。いったい何が」
「学園が、ガンダムに襲撃されて……」
弟からの返答は、絞り出すような小声。
シャディクの示唆した通りだった。アスティカシア学園を、二度目のテロが襲ったのだ。
「それで、ペトラが……ペトラが……」
可愛い後輩の名が耳に届き、グエルは瞬間的に身を硬直させる。
弟からの無情な報告が続く。
「ペトラが、スレッタ・マーキュリーと……」
さらなる知人の名前を耳にして、グエルは顔を青ざめさせた。
いったいどれほどの被害が、どれほどの犠牲が出たというのか。
最悪の事態を想像するグエルに、ラウダは絶望の表情のまま、告げた。
「テロリストを、ふたりで救助したって。
そのテロリストを、いまジェターク社の病院で匿ってるって……」
「えっ」
グエルは目を丸くした。
「……いや、待て。落ち着けラウダ。
ペトラがテロリストに襲われて、スレッタ・マーキュリーに救助された、じゃないのか?」
「違うよ兄さん。そんな事態になってたら、僕は今頃ここを飛び出して学園に戻ってるよ」
「そ、そうか。まあ、そうなるよな」
そういえば、自分が失踪している間にラウダとペトラはずいぶんと仲が良くなっていたようだ。だとしたら確かに、ペトラ負傷の報を聞いたラウダがこの場に留まっているわけがない。
納得したグエルは、質問を変えた。
「じゃあ、ペトラもスレッタも無事なんだな」
「カミルからの報告だと、今のところジェターク寮生に怪我人はいないって。たぶん学園にも人的被害はないって言っていたよ」
「ああ、そうなのか。それは良かった」
心底からほっとして、グエルは目を閉じた。どうやら、シャディクの陰謀のひとつは成就しないまま潰されたようだ。
そして安堵のあまり、彼は弟の表情の深刻さを見落としてしまった。
……否。あと数秒の時間が与えられれば、グエルは気づいただろう。誰も死ななかったはずなのに、ラウダの瞳に絶望が浮かんでいたことを。天地崩壊を目の当たりにした啓典の民のごとくに呆けていたことを。
弟を観察する余地をグエルから奪ったのは、ケナンジからの連絡だった。
「御曹司、シャディクとその一派の捕縛と、サリウス代表の確保が完了しましたよ。急ぎ本社フロントまで運びますんで、こちらに戻っていただけますか?」
艦の通信機から響くその声に、グエルは慌ただしく指揮所から出ていく。学園のことは任せた、と、それだけをラウダに言い残して。
テロの被害のなかった学園については、弟とカミルに任せればいい。自分はすぐに本社プラントへ戻るべきだ。急ぎシャディクを尋問し、宇宙議会連合の企みを聞き出さなければならない。そして、地球での一件で落ち込むミオリネを立ち直らせ、グループの意思の統一を図る必要がある。
グエルのその判断は、間違っていたとは言い難い。
だがやはり結果論で言えば、彼はここで立ち止まり、弟の様子を観察すべきだったのだろう。
溜め込んだストレスが精神の壁を乗り越え、外にまで溢れてしまった弟の変調に気づくべきだったのだろう。
だが、兄は去った。去ってしまった。
指揮所に取り残された弟は、独りその場に立ち尽くす。
艦のスタッフたちはダリルバルデの残骸の回収で忙しく、ラウダの様子を顧みる者はいない。
「……テロリストを匿った、だって? ジェターク社が、ジェターク寮が?
なんてことだ。ペトラもみんなもおかしくなってしまったっていうのか?
兄さんだけでなくて、みんなも道を間違えるっていうのか……?
じゃあ、僕はどうすればいい? どうすればジェタークを守れる……?」
誰の耳にも届かぬラウダの独り言は、いつまでも終わることなく続いたのだった。
前作「ハズレ部屋のソフィ」でのif展開一覧
https://syosetu.org/novel/320668/
・14話でソフィが死なず、ノレアと一緒にグラスレー寮の一室に監禁された
・その後なんやかやあり、一緒に監禁されたニカや5号らと、原作よりも深い交流を重ねた
・結果、ソフィは20話でノレアを5号に託してウルで出撃し、瀕死の重傷を負った。そしてスレッタに救助された
・5号はノレアとともに無事に逃げ、今は学園の何処かに潜伏中
以上です。
約一ヶ月の間、お付き合い頂ければ幸いです。