作戦開始2時間30分前。
グエル・ジェタークは、本社フロントのハンガーを歩いていた。
ディランザを始めとした複数のモビルスーツが並び、その足元で何人もの人間が作業を続けている。
武器の換装とOSの修正。作戦にあわせた最終調整だ。今頃はシュバルゼッテも弟たちによって最終調整が進められていることだろう。あまり彼らを待たせる訳にはいかないと、グエルは足を早める。
その途中で、ひときわ目立つ白いモビルスーツの前を通りかかる。キャリバーン――搭乗者の命を奪う呪いの機体にして、スレッタ・マーキュリーの今の乗機。
そういえば、スレッタがこの本社フロントに来たあとも、自分は彼女と一度も会話をしていない。クワイエット・ゼロ攻略の準備に追われ、まともに顔を合わせる暇がなかったのだ。
せめて一言、声をかけてやりたい。
そう思った直後、グエルは気づいた。距離にして数メートルほどの場所に設置された椅子に、見覚えのあるくしゃくしゃの赤髪が座っていることを。
……そして、パイロットスーツに包まれたその背が、短く震えたことを。
グエルは静かに彼女の背に近づき、そして小声で尋ねた。
「……体調は大丈夫か、スレッタ」
少女がびくりと身をすくめ、こちらに顔を向ける。そして、ほっとしたように笑顔を浮かべた。
「はい。大丈夫です、グエルさん」
いつもの弾むような声、ではなかったが、その口調はしっかりとしたものだった。頬にも赤い傷跡は浮かんでいない。今のところスレッタは、ソフィ・プロネのような危険な状態にはなっていないようだ。
だが、
「克服できてはいない……んだよな。データストームは」
作戦会議前にベルメリアから受けた報告を思い出しながら、グエルは確認する。
わずかに笑顔を翳らせながら、スレッタはうなずいた。
「……はい。エリクトの記憶をたどりながら色々アプローチを変えて試してみたんですけど……キャリバーンと完全に同調することはできませんでした」
遠くから声が聞こえる気はする。
少しずつ、キャリバーンの気持ちがわかってきた気がする。
けれども、あと一歩、手が届かない。
そんな感覚だと、少女はグエルに説明した。
「やっぱりわたし、エリクトのような特殊な力は持っていないみたいです」
「……ってことは、お前がキャリバーンに乗り続ければ、やっぱり」
「ソフィさんみたいに、なる……と思います」
控えめな表現ながらも、少女は断言した。
戦いが長引けば、自分にも重篤な障害が発生する、ということを。
天を仰ぎたくなるのを、かろうじてグエルはこらえる。
ここで自分が嘆いてみせたところで何の意味もない。キャリバーンがなければエアリアルには対抗できないし、キャリバーンをオーバーライドされずに戦わせることができるのはスレッタだけだ。そして彼女はもう、母を止めると決めてしまった。たとえ自分たちが白旗を掲げてプロスペラに降伏したとしても、スレッタは一人でクワイエット・ゼロに乗り込むだろう。
無論グエルとしては、少女にはもうガンダムに乗ってほしくない。だがいくら引き留めようと彼女は行くだろう。少なくとも自分では彼女を止めることはできない、と、そうグエルも自覚している。
彼にできるのは、自らの力不足を詫びることだけだった。
「すまない。結局、お前にガンダムに乗ってもらうしかなかった。キャリバーン以外にエアリアルを抑える方法を見つけられなかった……」
ベネリットグループの不祥事の尻拭いのために、一人の少女に命を削らせる。これほど非道な話もない。
だが当の少女は、大慌てで両手を振ってきた。
「い、いいえ! グエルさんが謝らないでください! 謝るのはわたしのほうです!
グエルさんとラウダさんがやるのは、わたしよりずっと危険な任務じゃないですか!」
そして少女は両手で自分の胸のあたりを押さえると、申し訳無さそうに下を向く。
「グエルさんやラウダさんやみんなに、こんなにたくさん協力してもらって……。
わたしの家族が起こしたことのために、いっぱい迷惑かけちゃったのに。
謝るのはわたしのほうです、グエルさん……」
落ち込んでしまった少女をなだめながらも、家族、という単語が、グエルの記憶を刺激した。
爆発する寸前のコックピットで、最期までこちらの身を案じていた、自分の父の姿。
グエルはそうとは知らず、自分の父と殺し合いをする羽目になった。そして相手が父だと知らぬままに自らの手で相手を殺し――その絶望から、今も抜けきることはできていない。
ならば、最初から家族を相手に戦う覚悟を決めなければならないスレッタはどうなのだろう。自分よりも遥かに深い絶望にその身を捩っているのではないか。
いまこの場で、尋ねるべきことではないかも知れない。
そんな思いを抱えつつも、敢えてグエルは問いかけた。
「家族と戦わなきゃならん、かも知れないんだよな。お前は。
……つらくは、ないか」
少女がもし心の奥に苦痛を抱えているなら、少しでも分かち合ってやりたかった。弟が、自分にそうしてくれたように。
いつかスレッタと乗り合わせたエレベーターで、彼女の母について教えてもらったことを思い出す。
これから彼女は、心から尊敬している母親に、正面から立ち向かわなければならないのだ。
グエルの問いに返ってきたのは、静かな声だった。
「つらい、というより、怖い、です。お母さんの言うこと、ずっと信じてたから。お母さんが正しいんだって、ずっと思ってたから。
……でも、」
それは、覚悟を決めた者の声だった。
「わたしはお母さんと戦います。お母さんがやっていることは、今からやろうとしていることは、絶対に間違っているって、そう、思うから」
いくらエリクトのためだとしても。
家族の未来のためだとしても。
大勢の人を無理やりデータストーム領域に閉じ込めて、命を危険にさらすなんてこと、絶対にやっちゃいけない。
拳を握り締めながら、少女はそう語る。
「データストームのためにみんなが死んだり、寿命が縮んだりしたら……もう元には戻せない。
みんな死にたくなんてないのに、みんな生きていたいのに、死んでしまったら……もう、生きることはできない。
わたしは、それを見過ごしたくないんです」
答えるスレッタの瞳には、確かに決意が宿っていた。
それは、何人もの人間の命を救ってきた者だけが持つ矜持だった。
少女を見つめるグエルは、わずかに息を呑む。
自分が惚れた相手の、その本当の強さを知る。
「……お前の母さんが、お前の言う事を聞いてくれなかったら。
そのときは、母さんとも戦う。……そういうことなんだな」
スレッタはこくんとうなずいた。
「お母さんが大好きだから。お母さんのことを尊敬しているから。
エリクトのことが大好きだから。また仲直りしたいと思うから。
……だからこそ、二人に間違ったことをさせたくない。
だからこそ、わたしはどんなことをしてでも、お母さんを、エリクトを止めます」
愛しているからこそ、家族と戦う。
それが少女の答えだった。
「……そうか。強いな、お前は」
心からの尊敬の念を、グエルはスレッタに捧げる。これほどの覚悟を持つことは、自分にはとてもできそうにない。
死ぬことの恐怖も知らず、人殺しという行為が取り返しのつかないことだということすら分からぬまま、父に褒めてもらうためにモビルスーツに乗り続けてきた自分には。
「つ、強くなんかないですよぉ。みんなが一緒に来てくれなかったら、きっとわたし、途中で挫けていました」
「強いさ。そう、お前は最初から強かった。ミオリネの温室で暴れていた俺の尻を叩いて、間違ったことをするなと叱ってくれたしな」
微笑みとともに、グエルは思い返す。
あれが彼女とのファーストコンタクトだった。あの出会いがなければ、自分は今も外の世界を知らぬまま、狭い学園の中でエリートごっこを続けていたのだろう。
「お前みたいに強くあることが、俺にできていたのなら。もしかしたら……」
父に真正面から言い返すことができたのかも知れない。
こそこそと逃げるのではなく、堂々と対立した上で、父といったん距離を置くこともできたのかも知れない。
そうなっていたなら、あるいは――自分が父を手に掛けることも、なかったのかも知れない。
すべては、自分の無知と弱さが招いた結末だった。
そして、少女が自分の家族との戦いを覚悟しているからこそ。
痛々しいほどに強いからこそ。
グエルは祈らずにいられない。
彼女が戦わないで済むことを。彼女の家族が、こちらとの交渉を望んでくれることを。
「……お前の母さんを、説得できればいいんだがな」
父を手に掛けたときの絶望を回想しつつ、グエルはそう吐露する。あの断崖絶壁から真っ逆さまに転落するような思いを、目の前の少女に味あわせたくないと願いながら。
スレッタもまた、沈痛な面持ちでうなずく。
「そうですね。お母さんが止まってくれれば……それが一番、いいんですけど」
だが、きっと母は、クワイエット・ゼロを手放しはしないだろう。
彼女の表情がそう物語っている。
恐らく戦いは避けられない。少女が命を削ることも、また。
だからグエルは、せめてもの願いを口にした。
「死ぬなよ、スレッタ。何があっても、絶対に無事にここに帰ってきてくれ。でないと……」
少しだけ言い淀んでから、グエルは残りの言葉を告げた。
「みんなが、悲しむ」
「……はい!」
花が咲くような笑顔を見て、グエルはその眩しさに目を細める。
この笑顔を守りたい。この笑顔を曇らせたくない。
だから、必ず守ってみせる。自分が、否、自分たちが。
「またここで会おう、スレッタ」
「はい。グエルさんも、絶対に無事に帰ってきてくださいね」
二人で笑顔を交わし合ってから、グエルは再び自らの乗機の元へと歩き始めた。
そして、充分に少女から離れた後。
グエルはぽつりと呟いた。
「すべてが終わって、俺が生き残ることができたなら。
俺は、今度こそ逃げない。
お前のように、正しく在り続けてみせる」
自らの手で、父を殺した。
その事実を、ラウダだけでなく、近しい人すべてに明かす。
彼らの嘆きと悲しみを、逃げることなく受け止める。
そして、会社を立て直し、宇宙と地球の和解への道筋をつけたなら。
出頭し、裁かれよう。
全てを明るみに出して、司法に全てを委ねよう。
そうする以外に、自分の犯した罪を償う方法など無いのだから。
シュバルゼッテのもとに向かいながら、グエルは静かに、そう決意したのだった。
作戦開始時刻、すなわちクワイエット・ゼロがこの宙域に到達するまで、あと2時間。
―――――――――――――――――――
「本社フロント宙域まで、あと2時間です」
全長数キロにも及ぶ巨大な要塞の司令室――とは思えぬほど狭い部屋の中に、ゴドイ・ハイマノの声が響く。
彼の隣に立つプロスペラは、忠実なる秘書の言葉にうなずいてみせた。
「やっとか……長い時間だったわ」
プラント・クエタで建造されていたコアユニットを、先回りされて押さえられ、本社フロントに運ばれてしまった。
宇宙議会連合の艦隊と二度にわたって交戦する羽目になった。
それらの余計な妨害がなければ、今頃自分たちは当初の目的を果たし終えていたはずだ。
歯噛みするプロスペラに、ゴドイも同調する。
「2日ほど、無駄な時間を奪われました。
……いえ。奪われたというなら、21年ですな。あなたは」
感慨交じりの同情。それに、プロスペラも無言で首肯する。
21年前のヴァナディース事変で、恩師を、同僚を、そして夫を奪われた。
唯一助け出すことができた娘も、その後の放浪生活で衰弱し、身体を失うことになった。
ありとあらゆるものを奪われたプロスペラは、そのとき誓ったのだ。
一つだけ。たった一つだけでも、絶対に取り戻す。
どんな手を使ってでも、何万の人間を踏みにじってでも。
エリクトの身体を取り戻し、彼女が自由に生きていける世界を作ってやるのだ、と。
その悲願を叶えるまでに、時間がかかりすぎた。
データストームに蝕まれたプロスペラの身体は、あと数年のうちに全身が使い物にならなくなる。エリクトと親子の触れ合いができる時間は、もうわずかにしか残っていない。
「……奴らに奪われた時間は、あまりにも長すぎたわ……」
プロスペラの声に憤怒が混じる。
だが彼女は一つ息をつくと、すぐに冷静さを取り戻した。
「けれど、それももう終わり。やっとエリィに取り戻してあげられる。
自由な世界を。自由に動ける身体を」
それと引き換えにできるなら、この身体などいくらでもくれてやる。師と同僚を奪われた怒りも、夫を失った悲しみも、復讐の心すらも捨てて、ただそれだけを求めてきたのだから。
プロスペラは前だけを見据え、指令室に立ち尽くす。
……と。
「本社フロントより通信が入っています。通常の光無線通信のようです。繋ぎますか?」
指令室詰めの技術者が、プロスペラにそう伝えてきた。
傍らのゴドイがいぶかる。今更何を話そうというのか。
だがプロスペラは彼を制し、通信を繋ぐよう命じた。もしかしたらベネリットグループからの降伏の申し出かも知れない。ラジャンあたりが白旗を掲げてコアユニットを差し出すと決意したというなら、こちらとしても願ってもない話だ。
だが、指令室に響き渡ったのは、ラジャンではなく聞き慣れた少女の声だった。
『……お母さん。エリクト。聞こえてる? わたしだよ。スレッタだよ』
瞬間、プロスペラは仮面の下で目を見張った。学園に残してきたはずのもう一人の娘が、まさか本社フロントに来ていたとは。
母の戸惑いをよそに、スレッタは光通信を介して言葉を続ける。
『聞いて、エリクト。ミオリネさんが約束してくれたんだよ。あなたに身体を取り戻させるための研究、株式会社ガンダムでやってくれるって。GUNDの技術を利用して、人間と同じ大きさの、自由に動かせる身体を作ってくれるって。
だから、クワイエット・ゼロなんて必要ないんだよ。そんなものなくても、エリクトはきっと自由を取り戻せるよ』
――今更、何を言っているのだ。
プロスペラはため息をつく。エリクトの意識を別の身体に移し替える研究なら自分自身もやってきた。そして、自分が生きているうちには成就しないという事実を思い知らされただけだった。だから皆の仇であるデリングに協力することを決意したのだ。
何も知らぬ娘は、さらに言葉を続ける。
『聞いて、お母さん。もうこんなことは止めて。データストームが有害だってこと、お母さんはよく知ってるんでしょう? たくさんの人にデータストームを浴びせ続けたら大変なことになるってこと、お母さんはもう知ってるんでしょう? そんなことしちゃダメだよ。
自分がされたら嫌なことは他の人にしてはいけないって、お母さんもそう言っていたじゃない。ねえ、もう止めようよ……!』
「もういいわ、通信を切りなさい」
苛立ちとともに吐き捨てたプロスペラに、ゴドイは視線を向けた。よろしいのですか、と。
「構わない。21年前、デリング・レンブランは交渉どころか一切の警告なしで皆を虐殺したのよ。全面降伏ならともかく、それ以外の言葉に耳を貸してやる必要などないわ」
「……スレッタお嬢様のことは、よろしいので?」
重ねて問われたプロスペラは、一瞬だけ口ごもった。
だがすぐにゴドイの問いかけに返答する。己の中のためらいを振り切るように、冷徹な声で。
「あの娘だって危険は承知のはず。スレッタは、学園に留まって安全に生きるのではなく、自分の意志でこの場所にやってきたのよ。
……けれど、相手にはしないわ。通信を無視してこのまま進んで頂戴。
どうせ大した戦闘は起こらない。あの娘が巻き込まれる可能性はさほど大きくはないわ」
「……承知しました」
ゴドイは技術者たちに、通信を切断するように命じた。
交渉を拒否するという、それは明確な意思表示だった。
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「クワイエット・ゼロとの通信が途切れました。むこうが回線を閉じたようです」
本社フロント近海で警戒態勢を取る戦艦。その指揮所に、オペレーターの報告の声が響く。
部屋の中央に設置された椅子の上で、ラジャン・ザヒは表情を曇らせた。
「……やはり、聞く耳を持ってはくれないか」
もはや戦いは避けられない。
アスティカシア学園の生徒たちを、ミオリネの命を危険に晒したくはないが――ここで引き下がる訳にはいかない。
このまま見過ごせば、プロスペラはクワイエット・ゼロにコアユニットを搭載し、全人類をデータストーム領域に閉じ込める。そして世界に絶対者として君臨し、逆らう者たちを皆殺しにするだろう。
そんな事態だけは絶対に防がねばならなかった。
ラジャンは自分の右手に顔を向ける。そこにはアスティカシア学園の生徒達が数人待機していた。
その中のひとりであるブリオン寮の女子生徒に、ラジャンは問いを投げかける。
「君の端末には連絡はないな?」
「はい、ラジャン臨時司令。転職希望者からの連絡は6時間前が最後です。向こうに動きはないと見てよろしいかと」
宇宙議会連合の艦隊は、クワイエット・ゼロのさらに後ろを、一定の距離を保って追尾していた。クワイエット・ゼロへの攻撃中にその艦隊に横槍を入れられたら厄介なことになるが、今のところその心配はなさそうだ。
ラジャンは前方に視線を戻し、そしてオペレーターに告げた。
「全ての艦艇、および本社フロントに通達せよ。作戦を開始する、と」
狼煙は上がった。
ベネリットグループ残存戦力によるクワイエット・ゼロ攻略が、ここに始まったのだった。