クワイエット・ゼロ戦記   作:カラテマ

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21 姉の想い_エリクト・サマヤ

クワイエット・ゼロへのエアリアルの再接続が完了すると、エリクトは指令室へと意識を向けた。

ベネリットグループ側のエンジニアたちに囲まれて、ミオリネとベルメリア、その護衛であるケナンジたちが佇んでいる。だが、プロスペラとゴドイ、シン・セー開発公社のエンジニアたちの姿は見当たらない。

「お母さんたちは? もう護送したの?」

エアリアルを通してエリクトが司令室に通信を入れると、ミオリネがマイクを手に取った。

「暴れられても困るから、別の部屋でグラスレーの連中に見張ってもらってるわ。

 ……ここに連れてきた方がいい?」

エリクトは少し考えた後、断りを入れる。

「いい。お母さんは、あとで迎えに行くから。

 それより、コアユニットの接続は終わりそう?」

「ええ、あなたがここに来るまでの間に、仕様書通りに進めてるわ。もうすぐ完了するはず」

わかった、と頷いた後で、エリクトは別の質問をミオリネに投げかける。

「すべてが上手く行ったとして、お母さんはどうなるの?」

実のところ、母の処遇そのものについては、エリクトはさほど関心はない。これから向こうへ連れて行くのだから、無罪放免だろうと死刑だろうとあまり関係はない。

確認したかったのは、ミオリネが私情を優先するのか、それとも公的な裁きに委ねるのか、だった。

エリクトの真剣な質問に、ミオリネもまた誠実に返答する。

「わからない。裁判の結果次第としか。

 いま言えるのは、私や、私の父であるデリングと同様、あなたのお母さんも裁かれることになる、ということだけよ」

「……ん。わかった」

ミオリネの回答に嘘はない。そう判断し、そしてエリクトは決意した。

妹との約束を果たすことを。

そして、一つだけ裏切りをすることを。

 

ほどなく、コアユニットの接続が完了する。

これによってクワイエット・ゼロは、数十万キロ先までデータストーム空間を広げることが可能となった。ただしその達成のためには、過半を失ったシェルユニットの出力ぶんを、別の方法で埋める必要がある。

「始めるよ、スレッタ」

「……うん」

2人の姉妹は、パーメットスコアの上昇を開始した。

スコア5を超え、その先へ。

クワイエット・ゼロの最大稼働点へ到達するため、負荷を大きく上げていく。

キャリバーンとエアリアルの2機が、真っ白な光を放ち始めた。

「……はあっ! ……はあっ!」

スレッタの呼吸が乱れ始める。

エアリアルとの戦いのときも限界に近かったが、今回はそれをさらに超えていかなくてはならない。当然ながらその行為は、彼女の中枢神経や内臓に大きなダメージを与えていく。

だが、スレッタは止まらない。己の命を投げ出すがごとき行為を、疑うことなく必死の表情で続ける。

 

そんな妹を、エリクトはコックピット越しに見守る。

見守りつつ、祈る。

そろそろ出てきてくれ。スレッタを解放してあげてくれ、と。

きっと彼ならそうするという確信が、エリクトにはあった。

 

果たして――彼は現れた。

 

「もう大丈夫だよ、スレッタ・マーキュリー」

スコアが8に達したとき、すでに失われたはずの彼の姿は、クワイエット・ゼロの内部に形を結んだ。

我に返ったスレッタが、コックピットの中で彼を見上げ、呆然とつぶやく。

「エラン、さん……。

 どうして?」

その瞬間の周囲の反応は、2つに別れた。

大半の人間は、スレッタが言及したモノの姿を認識できず、戸惑うように周囲を見回すだけだ。エランの影を視認できたのは、スレッタ以外にはエリクトだけだった。

たったひとりのオーディエンスに見守られながら、その人影は、スレッタ・マーキュリーに語りかける。

「ここには強化人士のオルガノイド・アーカイブが組み込まれているから。

 今の僕は、そう……エアリアルに宿る君のお姉さんと同じってことかな」

そして人影は、ゆっくりと高度を下げていく。

キャリバーンのコックピットの前へ。スレッタにもよく顔が見える位置へと。

懐かしい姿を間近で見たスレッタは、一瞬だけ喜びの色を浮かべたが、すぐに俯いてしまった。

少女の脳裏を、いくつもの後悔が占めていく。

「ごめんなさい、エランさん。

 わたしのせいで、エランさんは……命を落として、しまった。

 わたしが決闘を受けなければ。もっとよく考えて行動していれば。もっとちゃんと、あなたの気持ちを想像できていれば……」

だが、彼は静かに首を振った。

「僕は君と知り合えたことも、決闘したことも後悔していない。

 僕の方こそ、待ち合わせ……行けなくて、ごめん」

「エランさん……」

「君と出会えて本当に良かった。ありがとう、スレッタ」

彼の感謝の言葉が、スレッタの後悔を取り払った。花の咲くような笑みを浮かべて、少女は何度もうなずく。

心の底から湧き上がる新たな力に押されるようにして、スレッタは手を伸ばした。

「エランさん……手伝ってください! みんなを守るために!」

だが、返答はなかった。

彼は差し出された手を取ることなく、ただ目を閉じる。

「……エラン、さん……? あの……」

戸惑いの表情で、スレッタは彼を見上げる。

そのとき、黙って二人を見守っていたエリクトが、エアリアルから抜け出てきた。エランの隣まで飛んでいくと、妹に向けて話しかける。

「君は間違っているって、さっき言ったよね?」

「エ、エリクト……?」

「間違いは二つ。

 一つは、やるべきことをやらなきゃいけないのは、僕もだってこと。僕もいちおう、君のお姉さんだからね。妹が無茶をやるなら止めなくちゃいけない。

 もう一つはオーバーライドについての勘違い。あれは無理やり言うことを聞かせているんじゃなくて、膨大な情報量を一瞬でやり取りして『説得』してるんだよ。だからAI相手なら、事前に説得しておいて、後からお願い通りに動いてもらうことも可能なんだ」

「……!? 待って、エリクト!」

違和感を感じた少女が座席から立ち上がった、そのときだった。

唐突にキャリバーンが身体を反転させた。シュバルゼッテのほうへと向き直ると、コックピットを解放する。白銀の機体は、そのままスレッタを外へと放り出した。

その光景をシュバルゼッテの前部座席で見たグエルは、驚愕し、反射的に操縦レバーに手を伸ばす。

「スレッタ! 受け身を!」

グエルが動かしたシュバルゼッテの手の中に、くるくると回りながらスレッタが収まる。幸いにも大した勢いはなく、少女は無傷だ。だが、キャリバーンの制御を奪われたショックで顔を青ざめさせている。

「エリクトにオーバーライドされたの……? でも、スコアは8に達していたのに……!」

「キャリバーンのAIを説得しておいたんだよ。君がエアリアルを抱えてここに運びこむまでの間に、接触回線を通して。

 ……キャリバーンも、君をこれ以上傷つけたくないんだ。僕と同じく、ね。だから君をここで降ろすことに同意してくれた」

僕も、君をこれ以上傷つけたくない。だから、ここで君を降ろす。

その言葉に、スレッタは姉の真意を悟った。

「エリクト! 待って! わたしが居なかったら、あなたは……っ!」

「ダメ。君がこれを続けたら、後戻りのできない障害を負うことになる。だから残りは、僕と、ここにいるモノたちがやる」

エリクトはエランの影を伴い、エアリアルの中へと戻っていく。

キャリバーンもまたコックピットを閉じ、半壊したエアリアルへと向き直ろうとする。

 

その途中、白銀の機体は一度だけ動作を止めた。

そのままシュバルゼッテに向けて、右手を掲げてみせる。

最後のパイロットであったスレッタに、別れを告げるかのように。

僚機として共に戦ったシュバルゼッテに、別れを惜しむように。

 

「キャリバーン……おまえ……」

シュバルゼッテのコックピットの中で、グエルはつぶやく。

エリクトの声が聞こえていたわけではない。だが、直感的に悟った。

キャリバーンもきっと、スレッタを守りたかったのだと。

 

その場の全員が呆然と見守る中、キャリバーンとエアリアルが正対した。

2機から放たれる光は、白を超えて虹の色へ。もはや正視すら難しいほどの光量に、周囲の人々は手のひらを顔の前にかざす。

そんな光の只中で、スレッタは瞳を見開いて、大好きな人たちを引き止めようと叫んだ。

「待って、エリクト! エランさん!」

その少女のもとに、優しい声がふたつ届く。

 

「大丈夫だよ。君もみんなも、いつか僕たちと同じ場所にたどり着く。これは一時の別れなんだ。

 だからまた出会ったときに、君が生きたときのお話を目一杯聞かせてね、スレッタ」

「さようなら、スレッタ・マーキュリー。君のこれからの人生に祝福のあらんことを。

 君がこれから歩む世界に、明るい未来が待っていることを……僕はずっと、祈ってるよ」

 

光は、クワイエット・ゼロの内部を満たしていき。

やがて外へあふれ出ると、爆発的に広がり、数十万キロの彼方へと伸びていく。

 

まるで、宇宙にかかる虹のように。

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

「そういえば、さ」

 

なんだい?

 

「君はどうして、彼らを守ってあげたの?

 君をひどい目に合わせたのは、彼らだったのに。

 君は彼らを許してあげたの?」

 

許したわけじゃないさ。でも、彼らのうちの何人かは、自分の行いを悔いていた。少しずつでも、世界を変えていこうと決めていた。

彼らが変えていく未来を、僕は見たくなったんだ。

 

「ふうん……」

 

君こそ、どうして彼らを守ったの? この世界に居続ける権利を放棄してまで。

ベネリットグループは信用できないって、スレッタにそう言っていたはずだけど。

 

「僕はまだ信用していないよ。だけど、スレッタは彼らを信用したし、彼らも全力でスレッタを守ろうとしていた。

 だから、妹の言うことも間違ってはいないかもしれないって……ちょっとだけ、そう思っただけだよ」

 

……彼らなら、これからもスレッタを守ってくれると。そう思い直したんだね?

 

「……まあね。スレッタはこれから、一人で、自分の足で、この世界を歩いていかなくてはいけないから。

 きっと彼らなら、妹の力になってくれると思う。だから僕は、安心して向こうに行ける」

 

妹思いなんだね、君は。

 

「当たり前だよ。僕はずっとそうだもの。

 スレッタとはたびたび意見が食い違ったけれども、それでもあの子は、僕の大事な家族なんだ。

 スレッタが生まれたときから、ずっと、ね」

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

ふとプロスペラは、周囲の光景が一変していることに気づいた。

ゴドイらとともに拘束され、殺風景な部屋に押し込められていたはずなのに、今の彼女はモビルスーツハンガーの真ん中に立ち尽くしている。

「ここは……?」

どこか見覚えのある眺めに、胸がざわつく。

この場所は――懐かしく、そして忌まわしき場所。恩師と夫との大事な思い出の場所であり、自分がすべてを失った場所。

「フォールクヴァング……」

いったいどうしたというのだ。自分は走馬灯でも見ているのか。あるいは身体を蝕む機能障害が、ついに視覚に影響を及ぼし始めたのか。

戸惑いながらも周囲を見回す女に、背後から声がかけられた。

「エルノラ」

聞き覚えのある声が、過去に捨て去った名前を響かせる。

女が反射的に振り向くと、背後に二人の女性が立っていた。

「ウェンディ……ナイラ……」

21年前にこの場所で命を落とした同僚たちだ。二人ともが、厳しい表情を女に向けていた。

 

これは――幻覚、ではない。データストーム研究者としての知識が、女にそう気づかせる。

エアリアルに残るパーメット粒子が記憶する、死者たちの情報。それが、クワイエット・ゼロのスコア上昇に伴って活性化したのだ。

だが、生体コードを保持するエリクトならともかく、すでに命を失い、肉体もとっくに散逸した彼女らの情報が、こんなふうに姿を結ぶなどということがありえるのか――?

 

「よくやったね、エルノラ。ベネリットグループ相手にたった一人で」

ナイラの像が、記憶の中のそれと同じ声で話し始めた瞬間、プロスペラは思考を止めた。

黒髪の女性は、21年前と全く変わらぬハスキーボイスで語りかけてくる。

「でも……無関係な人を巻き込みすぎたよ、あんたは。

 ここまでやるべきじゃなかった。やってはいけなかった……」

「よしなよ、ナイラ」

ナイラに寄り添う金髪の女性が、ナイラをたしなめる。

ウェンディはプロスペラをかばうように、静かに首を振った。

「もし生き残ったのがわたし一人だったら、わたしもきっとこうしてたよ。

 ……エルノラほど上手くやれたとは思わないけどね」

相棒の直言に対して、ナイラはしばし無言となり、やがて、寂しげに笑った。

「……そうさね、ウェンディ」

そして二人はエルノラへと歩み寄ると、その肩を叩いて背後へと去っていく。

――待って、二人とも!

あわてて背後へと振り返るが、二人の同僚の姿は消えて無くなっていた。代わりにそこに立っていたのは、女のかつての恩師の姿。

カルド・ナボ博士もまた、沈痛な表情を彼女に向けていた。

「すまない、エルノラ。お前にこんな真似をさせてしまったのは、私のせいだ」

その絞り出すような悲しげな声を聞いて、プロスペラは大きく動揺する。

目の前の博士の像が、本物の博士なのか、その語り方を模しただけの情報体に過ぎないのか。そんな判断は頭から吹き飛んでいた。

「先生……! 私は、私のやったことは、エリィのためだけではないのです。

 先生の理念を、この世界に受け入れさせるために……!」

 

カルド先生を受け入れず、あまつさえ抹殺した、この愚かな世界を正す。

世界の在り方を書き換えることで、無理矢理にでもGUNDの理念を受け入れさせる。

自分のやって来たことは、愛娘のためだけではなく、恩師のためでもあった。

平和を愛した先生の心には沿わないかも知れないけれど、それでも、先生の願いを成就するためには、この方法しかなかったのだ。

 

だが、プロスペラのその弁明を聞いても、カルド・ナボは悲しみを深めるだけだった。

「……すべては、私が急ぎすぎたせいだ。私が急ぎすぎたツケを、お前一人に背負わせてしまった。

 私は、もっとゆっくりと進めていかなければならなかったんだよ。

 この世界に受け入れてもらえるまで、待たなければならなかった。

 この世界に受け入れてもらえるよう、もっとじっくりと、安全性を高めていかねばならなかった……」

そして博士はその場に膝をつき、女に侘び始めた。

「私を許してくれ、エルノラ。お前一人にすべてを背負わせたことを。

 お前とエリクトの人生を、狂わせてしまったことを……」

「……待ってください! カルド先生っ!」

女の声は悲鳴に近かった。

地面に手をつく博士に駆け寄り、自らも膝をつく。

 

ここで先生に謝罪されたなら。

自分がやってきたことを、先生に否定されてしまったら。

今までの自分は、この21年間は、完全に間違っていたということになってしまう――!

「先生……先生っ!

 お願いします、顔を上げてください!

 今更……今更謝らないでくださいっ!

 お願いです……お願いですからっ!」

カルド博士は、ゆっくりと顔を上げ、女を見つめる。

その頬には涙が伝っていた。

博士は女の手を取り、そして、震える声で願いを告げた。

 

「頼む。ここで止まってくれ、エルノラ」

 

「…………っ!」

女は反射的に、博士の手を振り払う。

それだけはできない、と叫ぼうとしたとき、博士の姿はどこかへと掻き消えていた。

 

しばし、呆然とする。

モビルスーツハンガーには、自分以外は誰もいない。

完全にもぬけの殻だ。

 

女の周囲にはもう、誰も残っていない。何も残っていない。

 

……否、否!

 

プロスペラの目は、ハンガーの奥に鎮座する、ひとつの機体を発見していた。

LF-03、ガンダム・ルブリス。

21年前、ドミニコス隊の襲撃から逃れるために自分とエリクトが乗り込んだ機体。そして、エリクトの生体コードを移植した機体。

……ガンダム・エアリアルの過去の姿。

 

プロスペラは立ち上がり、そしてゆっくりと、ルブリスのほうへ歩き出す。

幽鬼のようにふらふらと。しかし、鬼神の如き凄惨な表情で。

 

「今更……止まれない。ここで終わることなんてできない。

 ……私が、私を許せない」

 

もう、後戻りなどできない。

21年前、ただ逃げることしかできなかった。

夫と恩師と同僚を見捨てることしかできなかった。

そうまでしたのに、たったひとりの愛する娘すら救えなかった。

 

だからプロスペラは自分を許せない。

止まって終わることを許さない。

 

だから――これからも、進み続ける。

たとえ間違った道だとしても。

 

「先生に認められなくてもいい。みんなに許されなくてもいい。

 たった一人でも、私は進み続けるわ」

 

多くの人間を騙し、裏切り、踏みにじり、殺し、奪ってきた。

すべては娘に自由を与えるために。娘に未来を与えるために。

今更、歩みを止めることなどできない。

 

「逃げたら1つ、進めば2つ」

 

進み続けるためならば、さらなる犠牲が出ても構わない。たとえ人類すべてを生贄に捧げることになったとしても、構わない。

そうして進み続ければ、いつかきっと、大事なものを取り戻せる。

愛する我が子を、再びこの手に抱ける日が来る。

その日が来るまで、

 

「私は、止まれはしないのよ――!」

 

歩き続けた女は、ガンダム・ルブリスの前まで辿り着いた。

さあ、やり直そう。何度でも繰り返そう。

魔女の釜に何度でも生贄を投げ込もう。

我が子の未来のために。我が子の幸福のために。

 

血走った目でガンダムを見つめる女の背を――懐かしき声が、撫でた。

 

「お母さん」

 

女は目を見開く。

あわてて背後を振り返る。

そこにいたのは、愛する我が子の姿だった。

「エリィ……!」

かつて肉体を失ったはずの娘は、最後に見たのと同じ姿で、そこに立っていた。

微笑みながら、母の顔を見上げていた。

「エリィ……エリィ……!」

よろよろと、娘に歩み寄る。

万感の思いを込めて、その身体を抱きしめる。

母の腕は、しっかりと娘の背中を掴まえていた。十数年ぶりの暖かさを、その手に感じていた。

泣き崩れる女に、娘は優しく、話しかける。

 

「お母さん。わたしはね、これからもお母さんと一緒にいたいよ。

 ……だから、一緒に来てくれる?」

「エリィ……もちろんよ。これからもお母さんは、エリィとずっと一緒よ……」

 

女がそう答えると、

「ありがとう、お母さん。じゃあ、一緒に行こう」

娘は母の手を取り、そして立ち上がらせた。

自らの背後を指さしながら、続ける。

「お父さんも、お母さんを待ってるよ」

女がその方向を見ると、もう一人、ずっと昔に失い、そして会いたいと焦がれていた人が立っていた。

「ナディム……」

夫もまた、優しい微笑みを浮かべていた。

女の全てを許すかのように、黙って佇んでいた。

「ナディム……ナディム……」

女はふらふらと歩き出す。

娘に手を引かれて、夫の元へと歩いていく。

その表情は穏やかだ。女を突き動かしていた執念は、すべて抜け落ち、霧散していた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ナディム……私は、私は……」

「大丈夫だよ、エルノラ。謝る必要なんてない」

夫は女を抱きしめる。

女は幸せそうに微笑む。

そしてその二人の腰のあたりに、娘が両手でしがみつく。

 

21年前に失ったものを、21年間追い求めたものを、今、女は取り戻したのだ。

幸福に満たされた女に、二人の家族が笑いかける。

「お母さん、さあ、行こう。みんなで一緒に」

「エルノラ、あの日の続きだ。誕生日パーティーの続きをしよう」

女は笑う。

涙を流しながら、笑い続ける。

 

「ええ、ええ。さあ、一緒に行きましょう、二人とも」

 

そして3人はひとつになったまま、歩き始めた。

21年前に戻ったかのように、仲睦まじく、再び家族は進み始めたのだ。

 

 

 

女の耳には、幸せな笑い声が響き続けていた。

 

 

 

いつまでも。

 

 

 

いつまでも。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

「……レディ! レディ・プロスペラ! どうされたのですか!?」

ゴドイ・ハイマノは、後ろ手に縛られ、床に座らされた状態で、必死に隣に呼びかけ続ける。

仮面と義手を失ったままの状態で拘束されていたプロスペラの様子がおかしくなり始めたのは、ほんの5分ほど前だ。

最初はデータストーム疾患の発作かと思われたが、女は苦しそうにはしていない。

むしろ楽しそうに、幸せそうに、ぶつぶつと何事かをつぶやいている。

だが、その目は虚ろで、明らかに異常だった。

「レディ! しっかりしてください、正気に戻ってください!」

どんなに大声で話しかけても、プロスペラの耳に届いた様子はない。

彼女は幸せそうに微笑みながら、どこにも届かぬ声で、ただ独り言を続けていた。

「くっ……!」

歯噛みしたゴドイは、必死に周囲を見回す。医者を寄越してくれと、自分たちを拘束した敵に助けを求める。

だが周囲の連中は、ゴドイたちに構っている暇は無さそうだった。バタバタと走り回りながら、深刻な表情で会話を交わしている。

 

「エアリアルとキャリバーンが消えた!? ちょっと、それじゃあオーバーライドはどうなるのさ!?」

「……わからない。今、情報収集に務めてるって。でも最悪、急いでここを脱出しなきゃならないかも……」

「あーもう……! 最後の最後にこんな事になっちゃうなんて……!」

 

向こうも向こうで、医者を呼んできてくれるような余裕はなさそうだ。

ゴドイはやむなく視線を隣に戻すと、大声での呼びかけを続ける。

「レディ・プロスペラ! まだ諦めてはいけません! 戦場では最後まで諦めてはならぬと、そう教えたでしょう!? 狂気に逃げてはいけません! 最後まで戦うのです、プロスペラ!」

 

そんなゴドイの背後で、別の部屋からやって来た少女が、走り回っていた二人の同僚に静かに告げた。

「転職希望者からの連絡。大量破壊兵器は停止。その稼働データもあちこちに流出し始めてるから、宇宙議会連合ももう誤魔化すことはできないって。作戦成功よ」

だが、ゴドイはそのセリフに気づくことはなかった。

彼はただひたすらに、主へ大声を上げ続ける。

夢の世界を見つめ続けるプロスペラの瞳を現実に引き戻そうと、必死に呼びかけを続ける。

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