「将来はともかく、今は無理です」
ケナンジ・アベリーがそう告げると、青年は「唖然」という名の彫刻と化して固まってしまった。
ドミノコス隊本部の建物の最上階には、司令官専用の部屋がある。紆余曲折ののちドミニコス隊の司令に復帰したケナンジは、二人の客を迎えていた。グエル・ジェタークCEOと、その弟であるラウダ・ニールだ。
内密の話がある、と、そう二人に前置きされてから明かされたのは、半年前のプラント・クエタでのテロの裏側で起きていた出来事だった。
グエル・ジェタークが、父であるヴィム・ジェタークを手にかけた、という。
告白の内容にケナンジが驚いていると、グエルはさらに請うてきた。自分はいかなる方法で裁かれるべきなのか、教えて欲しい、と。
驚きから立ち直ったケナンジは、数秒考え、こう答えたのだった。今はあなたを裁くことはできない、と。
「そ……それはどういう意味なんですか、ケナンジ隊長!? 俺の罪は有耶無耶にしろってことですか!?」
硬直から解けて勢い込む青年を、ケナンジはまあまあと宥める。
このCEOは、この宇宙では珍しいレベルの善良な人間だ。自分の責任と罪をまっとうに受け止めることができる青年だ。だが若さゆえか、いささか視野が狭い。
ふとグエルの隣に座るラウダを見やると、彼は済まなさそうな表情で、小さく頭を下げてきた。どうにか兄を説得してくれと言わんばかりだ。やはりグエルを裁きたがっているのは当人だけのようである――この状況では当然だが。
やれやれと思いつつも、ケナンジはひとつ咳払いし、真面目な表情で若者に説明を始めた。
「理由の一つ目。正式な捜査を経て判断すべきことだという前提を踏まえた上で申し上げますが……あなたのお話を聞く限りでは、あなたの行為は殺人ではなく、正当防衛の範疇です」
「そ、それは……」
口ごもるグエルに、弟がもの言いたげな視線を向ける。「ほら、僕の言ったとおりだろ?」という感情が透けて見えるようだった。
自らの命を守るための行動であったこと。
相手が明白にグエルを殺そうと行動していたこと。
過剰な武力による反撃ではないこと。
グエルの行為はその3点を満たしていた。過剰防衛とみなされる余地もないわけではないが、それでも問えるのは傷害致死罪までだ。殺人罪とは天と地ほども違いがある。
「司法を守る者の一人として言わせてもらえば、あなたを今すぐ起訴する必要性が薄いんですよ、ジェタークCEO」
「だっ……だとしても、俺は容疑者です。逮捕して捜査すべきではありませんか!?」
「あなたが一般人なら、その通りだと言えるんですが……」
やはりこの若者は、自らの立場をいまいち呑み込めていないようだ。彼がいま被告人となった場合に世界がどうなるのかを想像できていない。
胸中で嘆息しつつ、ケナンジは説明を続ける。
「理由の二つ目。あなたは今やクワイエット・ゼロの反乱を鎮圧した英雄であり、宇宙と地球の和解のために立ち上がった指導者とみなされているんです。そのあなたにスキャンダルが発覚すれば、せっかくの和解の気運などあっという間に吹き飛んでしまいます。そうなってもいいのですか?」
「それこそ欺瞞です!」
グエルの拳が机を叩いた。
ここ一か月ほど、青年のもとにはマスコミがひっきりなしに取材に押しかけ、地球と宇宙の両方のイエローペーパーで彼の名前がコミックヒーローのように祭り上げられていたものだが、そのどれもが、彼にとっては不本意極まることだったようだ。
「俺は英雄なんかじゃない! 英雄というならスレッタの方でしょう!? あいつが身を挺してエアリアルを止め、ILTSを止めたからこそ、あの戦いで誰も死なずに済んだんだ。俺はただ、あいつを手助けしたに過ぎない……!」
「では真相を明かしますか? そうした場合、あなたの周囲の騒動は、すべてスレッタ・マーキュリーのほうに向かうことになりますが」
ケナンジがそう問うと、たちまちグエルは沈黙した。彼もまた、スレッタ・マーキュリーの平穏を望む一人だったからだ。
世界に真相が知れ渡れば、傷心のスレッタに追い打ちをかけるように、世間は彼女を追いまわすだろう。その事態だけは絶対に避けなければならなかった。だからミオリネもグエルも、クワイエット・ゼロ鎮圧にあたった主要メンバーのリストから、敢えてスレッタの名前を外したのだ。
「話はスレッタ・マーキュリーだけに留まりません。あなたはノレア・デュノクに約束したんでしょう? 地球への暴力をやめさせる、と。その約束を反故にするおつもりですか?」
「それについては、ミオリネとも協力して、ベネリットグループの方針の改定作業を進めています。我が社に残ってくれた幹部たちも、弟やカミルたちも、新しい方針を支持してくれています。だから俺がいまCEOを辞任したとしても……」
「ベネリットグループだけが態度を改めれば済む問題ではないでしょう? 宇宙全体にその機運が広がっていかなければ、地球にとっては片手落ちだ。そして今、和解を推し進めていける最も有力な指導者はあなたなんです。
そう……宇宙からも地球からも英雄扱いされているあなたこそが、平和のキーマンなんですよ」
これもグエルにとっては不本意な話であろうと思いながらも、ケナンジはそう指摘する。
若きCEOが自らモビルスーツに乗り込み、デリング・レンブランが極秘に建造した大量虐殺兵器に挑んで、死者0で鎮圧した。そのストーリーは多くのスペーシアンの目に、堕ちた英雄の悪行を新しい英雄が未然に防いだ、という判り易い英雄譚として映った。さらには――おそらくはノレアが、フォルドの夜明けを通して地球にもグエルの約束を伝えたために――アーシアンにもその物語は流入し、グエルはスペーシアンの身でありながら、地球からも歓迎される稀有な存在となった。
クワイエット・ゼロ鎮圧の功労者はグエルだけではない。だが、宇宙と地球の両方から支持を集めているのは彼だけなのだ。
「俺はそんな、大した人間じゃない……。ただの罪人です。それなのに……」
「英雄の半分はそんなものです。残り半分は誇大妄想患者ですが、あなたには当てはまりませんな。あなたはご自身を過小評価しすぎだ」
気休めにもならないセリフを、ケナンジは青年に投げかける。
実際のところ、ケナンジ自身は青年に心から同情していた。彼の今の境遇は、21年前の自分自身でもあるからだ。
ヴァナディース事変の英雄。実情はただの民間人虐殺に過ぎないのに、ケナンジはデリングとともに世間から持ち上げられ、過剰な期待を浴びせられ、そして体を壊した。
あのときに患った過食症と右腕の震えは、今もケナンジを苦しめ続けている。
この好青年が、自分と同じ目に遭わなければいいのだが。
敗北者のように沈痛な表情でうつむくグエルを見ながら、かつての英雄はそう祈らざるを得ない。
「今日あなたがお話ししたことは、私の胸の内に留めておきます。
もう一度、弟さんや信頼できる人たちに相談してみてください、ジェタークCEO」
ケナンジは若きCEOに帰宅を促し、部屋の外へと送り出す。
そして、グエルに続いて部屋を出ようとするラウダの耳元に、そっと舌打ちした。
「彼はこれから何度も難しい舵取りを迫られることになる。どうか君たちが、しっかりと彼を支えてやってくれ」
新たな英雄への過剰な期待と好意は、それと比例した量の反発と悪意、さらには佞言と誘惑を呼び込む。今後のグエル・ジェタークの道行きは、細く長い断崖を歩むが如しだろう――少しでも足を踏み外せば、堕落と自滅の待つ谷底へ転げ落ちる。
「わかっていますよ、ケナンジさん。兄さんに、父やデリングと同じ轍は踏ませない。
僕とジェターク社の皆で、今後も兄を支えていきます」
ラウダ・ニールは力強くうなずいてみせた。彼には兄の立場と、自らの使命がしっかりと見えているようだ。
ラウダ自身も一時期CEOに祭り上げられ、様々な艱難辛苦を味わったと聞く。その経験がきっと、この兄弟の道しるべとなってくれるだろう。
弟は部屋を出ると、とぼとぼと進む兄を守るように、その隣に肩を並べて歩き去ったのだった。
「彼のような人間がそばに居てくれるなら、若社長は道を踏み外さずに済むだろう。
俺も若社長に協力してやりたいところだが……ま、さすがにそれは叶わんか」
ケナンジは、そろそろ涼しくなってきた己の首に手をやった。
ヴァナディース事変の再調査が始まり、その実情が明らかになれば、当事者の一人である彼も責任を取らざるを得ないだろう。逮捕・拘禁ということにならずとも、今の地位に留まることはまず不可能だ。
否、後輩たちに累を及ぼさないためにも、司令官職を辞さないわけにはいかない。彼がこの部屋に戻ったのも、それあるを覚悟してのことなのだから。
「助けが必要な若者が目の前にいるというのに、ままならぬものだ……」
嘆きを口にしたのち、ケナンジは思い直し、首を振った。
それは思い上がりに過ぎない、と。
デリングは逮捕された。彼の側近であるラジャンは、連帯責任を取る形ですべての職を辞した。
サリウスは後継者候補の一人にCEO職を明け渡して引退を宣言した。
ペイル社の4人のCEOは、数々の非道な人体実験を主導した容疑でまとめて逮捕され、裁判を待つ身だ。
古い時代の登場人物たちが、それぞれの形で表舞台から退いていく。ならば自分も黙って引き下がり、グエルやラウダのような若者たちに全てを任せるべきなのだろう。
新しい時代が今よりも良い時代になることを祈りながら、ケナンジは踵を返す。
部屋の扉を開ける直前、ふと彼の脳裏に、昔の部下の顔が思い出された。
ドミニコス隊の一員でありながら、ベネリットグループの横暴を許すことができず、隊を出奔して地球に降った青臭い男の横顔。
「お前はどうだ? 戦いは終わったのか?
……なあ、リドリック」
リドリック・クルーヘル。今はオルコットと名乗り、フォルドの夜明けの戦闘員となっていたはず。
彼は今、この時代の変化をどう感じているのか。いまだ不十分とみなして銃を握り続けるのか、それとも……
「お前もそろそろ年だ。このへんで裏方に退いて、若者に道を開けてやれ」
かつての部下に胸中でそう忠告しつつ、ケナンジは部屋に入ったのだった。