「お身体は大丈夫ですか、スレッタお嬢様」
ゴドイ・ハイマノは、面会室の対面に座る少女に問いかける。
少女はこくんとうなずいた。
「エリクトやエランさん、キャリバーンのおかげで、後遺症はほとんどないです。
右手にまだ痺れは残っているけど、ベルメリアさんが治療してくれてるから大丈夫。3年への進学式の日までには、きっと完治するって言ってくれました」
「それは何よりです」
微笑んだ後、ゴドイは別の問いを投げかける。
「学園でいじめなどに遭っていませんか、お嬢様」
「全然! ジェターク寮の皆さんが、わたしや地球寮の人たちの味方になってくれてるから。ただ……」
「ただ?」
「逆にジェターク寮の人たちからアネゴとか姉貴とか呼ばれて、過剰に持ち上げられるようになっちゃって。
悪い気はしないんだけど、あまり人前ではやらないでほしいっていうか……」
口を尖らせる少女を見て、ゴドイは微笑みを深める。再び学園生活に戻ったスレッタ・マーキュリーは、今のところ平穏に暮らすことができているようだ。
クワイエット・ゼロの戦いから一ヶ月。ゴドイはシン・セー開発公社の他の社員とともに逮捕され、裁判を待つ身となっていた。そしてこの一か月間、自分の家族の仇であった男が世界から断罪される様を、断片的ながら耳に入れ続けていた。
恨みが完全に晴れたわけではない。だが、仇が転落していく様を知ることで、十年以上も心の奥から湧き出ていた衝動は、少しずつ薄れていた。
デリングを許すな、デリングに味方した世界を許すな、やつら全員に思い知らせてやれ、という思いは。
衝動を失ったあとに心に残ったのは、いくつかの後悔。
自分の復讐のために奪った命と、自分たちの復讐に巻き込まれて人生を狂わせた人たちへの、慚愧の念。
スレッタ・マーキュリーも、ゴドイが人生を歪めさせたうちの一人だった。
プロスペラの本意が復讐ではないことを知りつつも、彼女の行動が間接的にデリングを破滅させることを期待し、十数年前にゴドイはプロスペラの求めに応じて、彼女の忠実な部下となった。
そして、彼女が道具として生み出した幼い少女――スレッタ・マーキュリーと知り合った。
ゴドイは護衛係として、少女を世話し、世間話をし、時には悩みに耳を傾けもした。
その過程で、どうしたって情は湧く。たとえプロスペラの道具に過ぎないと割り切っていたとしても、だ。
「学業は順調ですか、お嬢様」
「はい! みんなすごく丁寧に教えてくれるから、最近、勉強がとっても楽しいんです!」
「水星に学校を作るという夢は叶えられそうですか、お嬢様」
「はい! ……実は最近、水星だけじゃなくて、地球にも学校を建てたいって、そう思い始めているんです!」
少女は力強く答え、そして真剣な口ぶりで語り始める。
地球の難民たちの暮らしぶりをノレア・デュノクから聞き、学びの場がないために多くの子供達が貧困から抜け出せない現状を知った。ならば地球にこそ学校を建てるべきなのではないか。自分が学校を作ることが、地球の復興にも繋がるのではないか、云々。
身振り手振りを交えて熱心に語るスレッタに、ゴドイはふと、かつてベネリットグループに殺された自分の娘の姿を重ね合わせる。
あの子は6歳の誕生日を迎えることはできなかった。だが、もし生きていれば――
「あの……ゴドイさん? 気分が悪くなったんですか?」
「……申し訳ありません、お嬢様。少しばかり昔を思い出していました」
自らを戒めるように、男は首を振った。今は過去の思い出に浸っているときではない。
姿勢を正す。最後には道具としてプロスペラから使い捨てられる運命にあることを知りながら、10年以上何も伝えず、欺き続けてしまった少女に、向き直る。
「スレッタお嬢様、会いに来ていただいたことを感謝します。あなたの近況が聞け、あなたが平穏を手に入れたことを知ったことで、私の心も晴れました。
ですから……これからは、未来のことだけを考えてください。私やプロスペラのもとに足繁く通う必要はありません」
スレッタは、未だ望みを捨てていなかった。
意識不明のまま逮捕されたプロスペラが、いつか意識を取り戻すことを。そしていつか、彼女がスレッタに振り向いてくれることを。
だが、そんなことは起こり得ない。クワイエット・ゼロの内部でゴドイが最後に見たプロスペラは、廃人同然だった。仮に彼女が奇跡的に回復したとしても、スレッタを実の娘として愛することは決して無い。この十余年の経験から、ゴドイはそれを確信している。
「どれだけ待とうと、どれだけ愛情を向けようと、無駄なことです。
そもそも我々は、少なくとも何十年かは獄に繋がれなければならない。それだけのことを我々はやってきたのです。
だから、あなたは我々を待っていてはいけない。我々のことなど忘れ、勉学や交友に集中すべきです」
もうこれ以上、スレッタの人生と時間を浪費させるわけには行かない。ならばどれだけ残酷だろうと、現実を突きつけるべきだ。
その思いでゴドイが告げた言葉は、スレッタの顔を歪めさせる。目をそらし、下を向き、少女は小さな声で反論してくる。
「わたし……お母さんやゴドイさんのこと、忘れたくない。見ないフリなんてしたくないんです。
ふたりがわたしのこと、好きでなくても……それでもわたし、ふたりのことを失いたくない」
縋り付くようにして声を振り絞るスレッタを、ゴドイは悲しげに見つめる。自らの行為がどれだけこの少女を苦しませたのかを思い知り、胸を痛める。
だがそれでも、ゴドイは少女の手を取るわけには行かなかった。彼女のためを思えばこそ、突き放さなければならなかった。
「私もプロスペラも、あなたの元には戻ってこない。あなたがどれだけ愛情を注ごうと、あなたの家族にはなり得ない。
それはどうしようもないことです。やってしまった過去をなかったことにはできないし、心を都合良く切り替えることもできないのだから」
「…………」
「ですが、あなたはいつか、新しい家族に出会います。あなたであれば、あなたを真に愛し、あなたに寄り添う人間を見つけることができるはずだ。私も天涯孤独の身の上でしたが、私を愛してくれる妻と出会うことができた」
だからこそ、愛し愛された家族を奪ったデリングを、ゴドイは決して許すことができなかったのだが――それはスレッタに聞かせるべき話ではない。
「誰でも一度は、独りで歩かなければならない時がある。あなたにとっては今がそうなのです、スレッタお嬢様。
ゆりかごを出て、自らの意志だけを頼りに目的地を定め、歩き、学び、知り合いを得るのです」
目の前の少女は、娘ではない。
娘として愛することは、自分にはできない。
だがそれでも、実の娘にそうするように、ゴドイはスレッタを真摯に諭したのだった。
「あなたが我々を忘れないというのであれば――我々を反面教師としてください。
あなたは我々のように、いつまでも過去に留まっていてはいけない。狭い世界に閉じこもっていてはいけない。
広い世界に踏み出し、未来に向けて一歩一歩お進みください。……どうかお願いします、スレッタお嬢様」
「…………」
スレッタは無言で俯いている。悲しげな表情のまま、目を伏せている。
彼女にとっては母と姉を同時に失ったようなものなのだ。そう簡単に前を向くことができないのは当たり前だ。
だがそれでも、面会時間が終わる直前、スレッタは顔を上げた。
涙を瞳にたたえたまま、ゴドイを真正面から見つめて、
「いつか……いつかゴドイさんが、刑務所から出てきたら。
そのとき、わたしともう一度、お話ししていただけますか?」
そう、尋ねてくる。
ゴドイはにっこりと笑い、うなずいた。
「もちろんです。そのときは、あなたの思い出話をたっぷりとお聞かせください。
そのときまで、私も全力で生き続けます」
「だったら……わたしも、前を向きます。必死に勉強して、卒業して、たくさん学校を作って、それから……」
直後、面会時間の終わりを告げるブザーが鳴った。最後まで言い終えることができなかったスレッタが悔やむような表情を見せる。
だが、ゴドイにはもはや十分だった。椅子から立ち上がり、少女に退室を促す。
「おさらばです、スレッタお嬢様」
復讐の道具でしかなかった少女に。
最後まで家族とは成り得なかった娘に。
ゴドイは別れを、告げたのだった。