「楽しみにしてるところ悪いけどさ、スレッタ。
卒業式なんて、特に面白いもんでもないぜえ? 卒業生が証書を渡されたり色々スピーチするのを眺めたあと、お偉いさんのお説教を1時間ばかり聞かされるだけだしさ」
オジェロ・ギャベルが冷やかしを入れる。
「実は俺も、一年のときは楽しみにしてたんだよ、ここの卒業式。地球の貧乏学校じゃなくてスペーシアンの最大手の学園だし、さぞかし荘厳なんだろうなって。でもまあ、普通に地味だったよなあ……」
ヌーノ・カルガンが同調してぼやく。
だがそれでも、式典会場への出発の時間を待ちながら、スレッタ・マーキュリーはわくわくする気持ちを抑えられない。なにしろ正真正銘、生まれて初めてなのだ――卒業式なる儀式に参加するのは。
「真・やりたいことリスト、また埋まっちゃいます……!」
地球寮の居間の椅子に座って、スレッタはにこにこと笑う。
かつて少女が持っていた「やりたいことリスト」は、この学園に来る前に母から促されて、水星での乏しい知識をもとに作った貧弱なものでしかなかった。留置場でゴドイから諭されたことをきっかけに、自分の本当の望みを見つめ直し、学友たちからのアドバイスも参考にして、少女は新しくリストを作り直したのだ。
「あー、そういや、卒業式への参加もリストにあったっけ。送り出す側と見送られる側の両方で」
「スレッタは2年生として転校してきたから、卒業式に参加するチャンスは2回しか無いもんな。今日を逃せば、送り出す側で参加することはもう二度とできないってワケか」
「そういうことですっ! だから、一度しか無い機会を体験することができて嬉しいんですっ!」
拳を握って力説する少女に、オジェロもヌーノも苦笑しつつ頷く。退屈でしかないと思っていた学校行事だが、そういうふうに捉えれば、参加する意欲も少しは出てくるというものだ。
人類圏を震撼させたクワイエット・ゼロ事変から3ヶ月。
アスティカシア学園には、卒業と進級の季節が巡っていた。
地球寮からはマルタン、ティル、アリヤの3名が、この学園の全課程を終え、いよいよ社会へと巣立つことになる。
「私たちは地球に戻るよ。株式会社ガンダムで私たちができることも、もうあまり無さそうだしね」
一ヶ月ほど前、アリヤ・マフヴァーシュは皆にそう告げた。
株式会社ガンダムは、もともとは魔女疑惑をかけられたスレッタを守るために設立され、ヴァナディース機関の理念を引き継ぎ、GUND技術の医療活用を目指していた会社だ。だが、ペイル社の極秘研究の結果、および21年前のヴァナディース事変で闇に葬られた数々の実験結果が明らかとなり、GUND技術の危険性が改めて世界に知れ渡ることとなった。株式会社ガンダムの目的である医療技術への活用は時期尚早とみなされ、株価は暴落し、一法人として存続することは不可能となった。
だが、まだGUND医療への望みが完全に断たれたわけではない。キャリバーンのAIが垣間見せてくれた、人と寄り添う意思。それが将来、データストームを克服する突破口となる可能性がある。
またそれとは別に、ソフィやノレアらGUND-ARMの被害者たちを、誰かが救済しなければならない。
ゆえに株式会社ガンダムはジェターク社に吸収合併され、AIとの意思疎通、およびデータストーム疾患の治療・軽減方法を研究する部門に生まれ変わることになったのだ。
「そちらについても興味はあるけれど……僕たちには、ベルメリアさんのような医療知識はない。だったら、地球での復興を手伝ったほうが、きっと世の中の役に立つ」
アリヤに続いて、ティル・ネイスはそう語った。
学園で学んだ知識を活用し、企業活動を通じて地球のインフラを整備し直す。それが二人の描いた未来図だ。彼らは卒業後、アスティカシア学園への入学を推薦してくれた企業に就職することになるだろう。
「二人とも、そっちの道に進むんだなあ……」とオジェロが感慨を深めれば、「今の宇宙開発競争は行き過ぎだ、競争の陰で犠牲になってるものを見直すべきだって機運になってきたしな」とヌーノが応じる。
デリング・レンブランと宇宙議会連合過激派が共倒れに終わった結果、彼らが強引に押さえつけていた穏健派の声が主流を占めるようになっていた。このままなら、人類の開発の向かう先は、宇宙から荒れ果てた地球へと変更されることになるだろう。
……地球と宇宙の格差や、間に横たわる憎悪といった問題が、足を引っ張りさえしなければ。
「ニカさんが出てくる頃には、地球の復興事業が本格化してますよ、きっと」
スレッタがあえて楽観的に未来を語ると、他の二人もうなずく。
彼らの同級生であるニカ・ナナウラは、自らの罪を償うため、ミオリネやベルメリアからの身元引受の申し出も断って、刑務所で服役する道を選択した。きっと彼女も今頃、変わりつつある世の中の流れに喜びを覚えているに違いない。
「……と、そういえば」
オジェロが話題を変えた。地球寮の人間ではないが、株式会社ガンダムの同僚だった人物の名を口にする。
「エランのヤツはどうするんだっけ? アイツも卒業生のはずだけど、今日は姿を見ないぜ」
「あいつは卒業後も株式会社ガンダムって聞いたけど……もう学園の行事とかには出席するつもり無いんじゃね?」
ヌーノが机に頬杖を付きつつ返答する。
いちおうは上級生であるエランに対して、二人ともやけに馴れ馴れしい態度だ。まあ、これはエラン自身のコミニュケーション能力の高さゆえなのだろうが。
なんとなく苦笑しつつ、スレッタは、当人から預かった伝言を二人に明かす。
「エランさん、今日は欠席だそうですよ。学園生活に思い入れは無いから、と言ってました」
彼の学生としての姿は、仮初のものでしかない。ペイル社の命令で学園に潜り込み、仕方なく他人を演じていただけだ。懐かしむべき思い出はここには存在しない。学園から離れた今こそが、彼にとっての本当の人生の始まりなのだろう。
しかしオジェロは、そういう込み入った事情を無視して、はん、と不機嫌そうに唇を歪めた。
「どうせノレアとイチャイチャしたいだけだろ、アイツ」
普段はあまり他人の悪口を言わないヌーノも、遠い目をしてオジェロに同調する。
「当人たちは付き合ってるのを隠してるつもりだろうけど……バレバレだよなー、あいつら」
ねちねちと愚痴り始めた二人を、スレッタはまあまあと宥めた。
もしリリッケがこの場にいたら、エランとノレアの仲の進展具合をあれこれと推測し始めて火に油を注いでいたことだろう。幸いにも恋バナ好きの一年生は、同じ学年のチュチュとともに卒業式の会場設営に駆り出されていて不在だった。
「……まー、エランはともかくとして。
ソフィとノレアにとっても間違いなくいい結果だったよな、これは」
愚痴の途中で、ヌーノがぽつりともらす。彼もまた戦災孤児であるがゆえに、ガンダム乗りに仕立て上げられた二人の少女の境遇については気になっていたようだ。
ソフィはまだ集中治療室の中だが、一週間ほど前に意識を取り戻し、順調に回復へと向かっている。
ノレアは保護観察処分となり、エランと同居しつつ通信教育で勉強を続けている。
使い捨ての少年兵だった二人もまた、紆余曲折の末、どうにか未来を勝ち取ることができた――そう振り返ったのち、ヌーノは肩をすくめる。
「この件についてはジェタークさまさまだな。あの二人の問題はデカすぎて、俺達じゃ手に負えなかったし」
データストームに晒されたソフィを死の淵から救ったのはスレッタだが、神経や内臓の移植手術といった高度な治療を施したのはジェターク直営の病院だ。
ノレアの身元を引き受けたのはエランだが、その彼を今後も雇い続け、彼の社会的身分を保証し続けるのはジェターク社だ。
地球寮だけでは、二人の問題は解消できなかった。その事実を思い出し、オジェロがつまらなそうにつぶやく。
「結局のところ、世の中を動かしてるのは、スペーシアンの金持ちってことだよな。
俺らがどんなに頑張ったところで、大したことは……」
「違いますよっ」
急にスレッタが強い口調で割り込んできたので、二人の少年は驚いた。
少女は両脇に拳を作り、二人に反論する。
「大切なのは、自分にできることをやること、だと思います。
オジェロさんもヌーノさんも、自分にできることをやった。地球寮のみんなもやるべきことをやった。エランさんもミオリネさんもグエルさんもラウダさんもペトラさんも……みんな、自分にできることを、やるべきことを精一杯やりきった。だから、ソフィさんもノレアさんも助かったんですっ」
オジェロとヌーノは顔を見合わせ、そして同時に笑いあった。確かにその通りだ。
あの3ヶ月前の戦いでは、金持ちや貧乏人の区別なく、全員がやるべきことをした。非戦闘員であるオジェロもヌーノも、クワイエット・ゼロの分析からシュバルゼッテの改修、無人艦のプログラム改修、ロケット弾の準備に至るまで何役もこなして勝利に貢献した。
それが結果的に、ソフィとノレアを含む全員の未来を繋ぐことになったのだろう。
「そーだよな……俺たちだって、端役だけど全人類のピンチを救ったヒーローなんだ。変に自虐する必要はないぜ」
「アーシアンだの貧乏人だのって腐ってても、何にもなりゃしないしな。俺たちはこれからも、俺たちにできることをやっていけばいいんだ」
オジェロが得意げに鼻を鳴らし、ヌーノが頬杖をついて微笑む。スレッタもまたうんうんと頷く。
あの戦いを乗り越えた記憶は、きっとこれからも皆の中で生き続ける。ただの経験という意味ではなく、自信や誇りという形で皆の心を奮い立たせていくだろう。
と、そのとき。
玄関の呼び鈴が鳴った。
三人は顔を見合わせるが、すぐに誰が来たかを察する。スレッタにとっての特別な客だ。
「迎えに行けよ、スレッタ。主役たちのお出ましだぜ」
「俺たちは奥に引っ込んでるから、会場への移動時間まで水入らずで話せよ。もう今後は、こういう機会もなかなか無いだろうしさ」
少年二人に促され、少女は一人、椅子から立ち上がった。
彼らの言うとおりだ。いま来たのは、常に多くの仕事に追われる人たちだ。この機会を逃せば、次にゆっくり話せるのはいつになるか判らない。
逸る気持ちを抑えて、スレッタは小走りで玄関に向かったのだった。
事の発案者は、マルタン・アップモントである。
ミオリネたちも卒業式に呼んでみたらどうかな。2ヶ月ほど前、彼はスレッタにそう提案してきたのだ。
「もちろん、みんな忙しいとは思う。でもきっと、君に誘われたなら、みんな喜んで来てくれると思う」
「ご迷惑にならないでしょうか……?」
「大丈夫、仕事に差し支えるようならきちんと断ってくるさ。
……あの人たちは、卒業するより前に社会に出なければいけなくなった。だから、最後に少しでも学生気分を味わって欲しいんだよ」
語るマルタンの瞳には憂いが見えた。彼は彼で、ミオリネたちの今の境遇について、いろいろと思うところがあったようだ。
スレッタにも後ろめたい気持ちはあった。彼女が今も学生を続けていられているのは、先に社会人となった人々が様々な手配をしてくれたお陰だからだ。だから少女はマルタンの提案に従い、学園を退学したメンバーに、卒業式への参加を打診するメールを送った。
スレッタの申し出は、快く受け入れてもらえた。一足早く社会に巣立った人々もまた、今日の卒業式に関係者枠で出席する運びとなったのだ。
玄関に辿り着いたスレッタは、満面の笑顔で扉を開ける。
「お久しぶりですミオリネさん、ペトラさん!
忙しいところをありがとうございます、グエルさん! ラウダさん!」
直後、スレッタは唖然となった。
扉の外に立っていたのは2名だけだった――ミオリネ・レンブランとグエル・ジェタークだ。
二人とも疲れ切ったような表情で、しかも身にまとったスーツは少しばかり乱れていた。まるで全速力でここまで走ってきたかのようだ。
「ど、どどど、どうしたんですか二人とも!? 来る途中で誰かに襲われたんですか!?」
「あー、まあ、そんな感じ。このバカが行く先々で学生に囲まれてワーキャー騒がれてね……なんでこうなることを予測しとかないのよ、アンタは」
ミオリネがじろりとグエルを睨みつければ、グエルが憮然とした表情で反論する。
「予測はしてたし、ラウダに警備も手配してもらってたさ。でも、あんな大人数が一斉に押しかけてくるなんて思わないだろ、いくらなんでも」
どうも、人類圏全域での有名人となったグエルに向かって大勢の生徒が押し寄せたようである。街に繰り出したアイドルがファンに群がられるようなものか。
「ラウダとペトラには悪いことをしたわね。あと、警備の人たちにも」
「そうだな。……今は、あいつらが学生をうまく鎮圧することを祈るだけだ」
会話から察するに、ラウダとペトラがいないのは、ミオリネたちを逃がすために学生たちを止める役目を引き受けたからのようだ。
あまりにも予想外の事態に、スレッタは顔を青くする。
「あ、ああああああ、あの、やっぱり、私が皆さんを卒業式にお招きしたのは、かえってご迷惑だったのでは……!?」
すると、眼前の二人は同時に反応した。
「そんなわけないでしょ。嬉しかったわ、本当に」
「ああ、そのとおりだ。お前のお陰で、俺たちも心残りが解消できるよ」
微笑む二人の雰囲気は、完全に垢抜けていた。少し前まで学生だったとは思えないほどの、大人びた穏やかな笑顔。
二人ともほんの数ヶ月前までは、スレッタと同じくアスティカシア学園という揺り籠の中で過ごしていたのだ。二人とも宇宙でも有数の権力者の子息であり、二人ともそれぞれの特権を振りかざしてはいたが、しかし、学生という分を外れるものではなかった。
だが今やミオリネはベネリットグループ総裁となり、グループが収奪した富を地球に還元するため、そして自身と前総裁が犯した罪を償うために奔走している。
グエルは宇宙と地球の融和を果たすため、地球側との交渉の最前線に立ち、そして地球の再復興の指揮を執っている。
――二人とも、重い責任を背負っちゃったんだ。もう、子供じゃいられないんだ。
ほんの数ヶ月前に彼らとともに過ごした日々のことが、今となっては遠い昔のように感じられて、スレッタの涙腺がわずかに緩む。
ぐすぐすと鼻を鳴らしつつ、少女は二人を建物の奥へと招いた。
「お二人とも、どうぞ、こちらへ」
「なんであんたが泣いてるのよ、スレッタ」
当然ながらミオリネからは呆れられたが、しかし二人とも笑いながら、建物へと上がったのだった。
ゆっくりと思い出話に耽りたいところだったが、卒業式の開始までもうあまり時間がない。居間の椅子に座った三人は、さっそく近況を報告し合う。
「ベネリットグループの被害者に対する窓口となり、彼らへ賠償を実行する委員会……その設立にやっと目処が立ったわ。総裁を辞めたあとは、私はこの委員会のメンバーの一人として働く予定よ」
ミオリネは、父や自身の裁判に関わりつつ、被害者への弁済を続けていく。すべてが完了するのはとうぶん先のことになるだろう。
「ノレアの伝手を頼って、地球のいくつかの武装勢力の幹部と接触できた。来月には和解に向けての交渉が始まると思う」
紛争が続くままでは復興はおぼつかない。テロ組織の武装解除も進めていく必要がある。
グエルは、地球側の主要戦力であるガンダムのパイロットだったノレアの協力を得て、抵抗組織との交渉を開始していた。今後はベネリットグループの治安維持部隊の規模縮小を条件に、彼らに自発的投降を求めていくことになるだろう。
そして、話がそこまで進んだところで、スレッタは唇を噛み、わずかに目をそらす。
「武装勢力……テロリスト……」
少女の反応を見て、グエルはもう一言、静かな声音で言い添えた。
「フォルドの夜明けも、俺たちの呼びかけに応えてくれた。交渉が始まったら、プラント・クエタでの戦死者の家族についても彼らに確認する予定だ。
だから、もう少し待ってくれ、スレッタ」
「……はい。ありがとうございます、グエルさん」
スレッタはグエルに、プラント・クエタで自分が殺めた兵士の特定と、その家族の身元調査を依頼していた。自分自身で会いに行き、謝罪するために。
ミオリネの命を守るためとは言え、正義の味方気取りで、ひとりの人間の命を奪ってしまった。スレッタはその事実を、残された家族に対して正直に話すつもりだった。せめてそうすることが、自分自身にできる精一杯の償いだと思ったからだ。
「私も、自分の罪と――向き合わなきゃ、いけない。
ニカさんやミオリネさんやグエルさんが、そうしたように。
だから、よろしくお願いします、グエルさん」
「……ああ。任せろ、スレッタ」
請け負うグエルもまた、沈痛な面持ちだった。
自身の罪と向き合い続けることの辛さは、彼もよく知っている。自分が殺めた人の家族と対面する怖さも、すでに体験している。そして、その辛さと怖さを、他人には決して肩代わりしてはもらえないことも。
スレッタは自力で、人を殺した罪の重さを背負わなければならない。グエルにできるのは、彼女が己の罪に潰されぬよう願うことだけだ。
居間の中に、しばし沈黙が満ちる。
三人の若き罪人たちは、しばし己の過ちと罪を噛みしめる。
しかし、いつまでも罪の意識に沈んでいては、贖罪を果たすこともできない。
ミオリネが顔を上げ、スレッタに問いかける。
「あんたは経営戦略科に転部するのね? 水星だけじゃなくて、地球にも学校を作るために」
「はい。やっぱりお金のことを判ってないと、学校をたくさん建てるのは無理ですから」
パイロットのままでは、自分の目的は叶えられない。スレッタはそう判断し、学友たちとも相談の上で、経営を学ぶために転部を決意した。勉強がこれまで以上にハードになることも、もちろん承知の上だ。
「可能な限りいろんな場所に、たくさん学校を建てないと……きっとそれが、わたしの使命だって思うんです!」
熱意に燃える少女に、グエルが首を傾げる。
スレッタ・マーキュリーの腕をよく知っている彼だからこそ、少女の選択には疑念があった。
「お前のパイロット技能だって、世の中の役には立つと思うんだが……」
彼女がかつて水星でそうしていたように、モビルスーツによる人命救助の仕事を選んだとしても、きっとこの世界に貢献することができるはずだ。
だがスレッタは、首を横に振った。
「知るってことは本当に大事なんだって、思い知りましたから。
エリクトにパーメットリンク経由で教えられるまで、わたし、何も知らなかった。21年前のことも、お母さんの本当の望みも、データストームのことも、何も。
知ることができたから、自分のやるべきことを見つけられた。知ることができなかったら、わたしは最後まで何もできなかった……」
少女は寂しげに笑う。
エリクトにあの時点で真相を教えてもらえたから、最悪の事態を防ぐことはできた。だが結果的に、エリクトはこの世界から去ってしまい、母は意識不明のまま逮捕されることになった。
もっと早く真相を知ることができたなら、母や姉を失う前に、もっと穏当な方法で事態を収めることができたかも知れない。あんなに大勢の犠牲者を出すこともなかったかも知れない。
悔やみきれない後悔は、今でも少女の心に残り続けている。
「知識がなければ、進むべき方向もやるべきこともわからない。
でも、知識が増えれば、どっちへ進むべきかを選ぶことができる。もっといいやり方はないか、考えることができる。
みんなで知恵を出し合えば、戦うのでもなく、奪うのでもない、一番いいやり方にたどり着けるかも知れない。
だから、知識を増やすための場所を、たくさん作らなきゃいけない。そう思うんです」
ノレアから地球の現状は聞いた。
まずは基本的なインフラの復旧が必要な状況だが、それはジェターク社やブリオン社らが果たしていくだろう。
ならば次に必要なのは、難民の子どもたちが学ぶ建物だ。
奪い合うのではなく分かち合う未来を築くために、皆が知識を得て、考える訓練を積むための施設だ。
「わたしが、それを作ります。それが今のわたしの、やりたいことなんです」
少女の言葉と、その中に秘められた決意の強さを感じ取り、グエルは納得した。
「……わかった。頑張れよ、スレッタ。俺たちも可能な限り協力する」
アスティカシアに来た直後はどこか危なっかしかった少女は、今は自ら考え、自らが歩むべき道をしっかりと見据えている。
もう、周囲が余計な口出しをする必要はない。彼女の歩みを応援するだけでいい。スレッタが大人になったとき、きっと彼女も、この世界を変えていく心強き仲間のひとりになるはずだ。
「さ、そろそろ卒業式の開始時刻よ。式典会場に向かいましょ」
話が一段落ついたのを見計らって、ミオリネがそう呼びかける。
スレッタが椅子から立ち上がった。グエルも続いて椅子から立ち上がり、そしてぽつりとつぶやく。
「……お前も、パイロットをやめちまうのか。それは……残念だな」
今の彼にはモビルスーツを乗り回すような時間は無く、せっかく鍛えた腕も宝の持ち腐れだ。そして、その彼を上回る腕を持っていた少女も、モビルスーツから降りることを選択した。
それは致し方ないことだ。だが、この少女とモビルスーツを駆って戦った鮮烈な記憶が、彼の心に郷愁を呼び込む。
対等の条件で腕を競うことができなかった悔恨が、CEOとなったグエルの心の奥に残った、少年じみた青い感情を呼び起こす。
「お前と、きちんとした形で決着を付けたかったよ……」
叶うはずのない願望を、グエルは小さな声で吐き出し。
「そうなんですか!? グエルさんも!?」
そして唐突にスレッタから距離を詰められ、仰天した。
「なっ……どうした急に」
「グエルさんも決着をつけたいんですね!? ですよね!? そうですよねっ!?」
更にぐいぐいと詰め寄られ、グエルはたじたじと後ずさった。
スレッタはわくわくと瞳を輝かせ、グエルをまっすぐに見つめている。先ほどまでの大人びた雰囲気はどこへやら、まるで小さな子供に戻ったかのようだ。
少女の意図が見抜けず戸惑う青年に、スレッタは早口でまくしたててきた。
「卒業式が終わった後、ちょっとお時間をくださいませんか!? わたし、経営戦略科に転部する前に、ぜひともやっておきたかったことがあるんですっ!」