テロ騒動と入院騒動の翌日――早朝。
ジェターク寮のミーティングルームにて、ペトラ・イッタとフェルシー・ロロは横並びに立ち、二人そろって意気消沈していた。
彼女らの目前では、寮長代理であるカミル・ケーシンクが自らの学生証兼個人端末を握り、厳しい表情で通話をしている。
通話相手はグエル・ジェタークCEOだ。昨日のうちに連絡を取りたかったのだが、グエルのほうも大忙しだったらしく、今日になるまで通話が繋がらなかったのだ。
「やっぱり、叱られちゃうのかなあ……」
カミルの顔色を窺いながら、フェルシーがそう漏らす。
グエルやラウダに無断でテロリストを救護し、さらにはジェターク社直営の病院で匿ってしまった。ジェターク社の評判を落としかねない行為をしてしまった。
「フェルシーは関係ない。叱られるのは私だけだよ」
ペトラは小声で返す。叱られるだけでは済まないだろうな、と胸中で付け足しながら。
あのテロリスト――ソフィ・プロネは、以前ランブルリングで何人もの命を奪った人間だ。ジェターク寮生にとっても、ラウダを傷つけ、フェルシーを危険な目に遭わせた仇敵だ。
……まあ、フェルシー自身はあまり気にしていないようだったが。「あんなちっさい子、騙されて利用されてたに決まってるじゃん!」と憤慨すらしていたほどだ。
それはともかく。
恩人たるスレッタからの願いとはいえ、ペトラは独断でテロリストをジェターク社に匿わせてしまった。
その行為を世間は許しはするまい。そしてジェターク社を背負うグエルも、ペトラの判断を是とはするまい。
……下手すると、退学処分、かなあ。
……ひょっとして、ベネリットグループから一家そろって追放処分、なんてことも……
カミルは声を潜めて通話を続けているので、グエルとの会話の内容は聞き取れない。しかし彼の厳しく寄せられた眉根を見ていると、次々と暗い予想が浮かんでくる。
寮長代理のしかめっ面の前で、ペトラは覚悟を決めた。
やがてカミルが、個人端末を耳から降ろした。
通話が終わったのを確認し、少女二人はさっそく寮長代理に問いかける。
「あ、あの、グエル先輩どうでした!? 怒ってました!? めっちゃ怒ってましたよね!? ええと、ペトラとわたしとで叱られてきます!」
「フェルシーは関係ないです、ていうか私以外誰も関係ないです! 責任は私が取りますから、だから処分は私だけに――!」
「……何を言ってるんだ? お前ら」
きょとんとした顔を二人に向けてから、カミルは続けた。
「ソフィ・プロネの入院の件については、グエルから事後承諾が下りたよ。いや、むしろ積極的に治療するよう依頼されたぞ。あらゆる方法を投入していいから、何としてでも元気にしてやってくれ、とな」
意外な返答を耳にして、フェルシーとペトラは揃って目を丸くする。
アーシアンのテロリストを匿ったことを叱られるどころか、むしろ延命してくれと頼まれるだなんて、思ってもみない展開だ。
ペトラが呆然としていると、カミルがにっこりと、いかつい顔面に優しい笑みを浮かべた。
「この件について、グエルからお前らへのメッセージだ。
よくやってくれた、と。ありがとう、と。感謝が遅れてしまってすまない、と」
「……っ!」
ペトラは思わず両手で口を覆ってしまった。
ああ、これだ。これがグエル先輩だ。
行方不明から戻ってきて、なんだか少し雰囲気が変わってしまったけれど、やっぱりグエル先輩はグエル先輩のままだ。
ジェターク寮生をひとりひとり気にかけ、その心と丁寧に向き合ってくれる、みんなの兄のような存在だ。
ペトラは両手で口を覆ったまま、「くうっ……永遠に推せる……っ!」と呻いた。目の端には、ちょっぴり涙も浮かんでいた。
「ええと、じゃあ、どうしてカミル先輩はあんな険しい顔をしてたんですか?」
立ったまま自分の世界に浸るペトラを横目に、フェルシーは先輩に尋ねかける。
するとカミルは再びしかめっ面に戻った。小さく溜息をついてから、口を開く。
「俺たち全員、今すぐこの学園から避難する準備を始めろと、グエルに命令されたんだ」
「えっ!?」
フェルシーが大声を上げ、感涙していたペトラも驚きで我に返る。
テロリストの延命よりも、さらに意外な命令だった。
「避難準備って……どんな危険があるって言うんですか!? またテロが起こるってことなんですか!?」
ランブルリングへの襲撃後、休学して家に戻る生徒は確かに増えていた。
被害者0に終わったとはいえ、実際に昨日テロ未遂事件も起こったばかりだ。
だが、それらを主導していた犯人は昨日のうちに捕縛され、学園の危機はひとまず去ったはずだった。
少なくともここにいる3人はそう聞いている。
「わからん。あいつは理由を何も言ってくれなかった。ただ、これから厄介なことが起こる可能性がある、としか」
カミルは力なく首を振るばかりだ。ジェターク兄弟の腹心ともいえる彼にすら事情を明かせない、ということなのか。
「ラウダ先輩は……ラウダ先輩に事情は聞けないんですか?」
ペトラがそう尋ねてみるも、カミルは再び首を横に振った。
「あいつの行方はグエルも知らないそうだ。グエルと一緒に本社フロントに向かったわけじゃないらしい。
どこに行ったんだ、あいつ……」
グエルにダリルバルデを届けるため、ラウダ・ニールは昨日の授業を早退し、ジェターク寮艦に乗って本社フロントへ出かけていた。
その後、ジェターク寮艦は爆発したダリルバルデの残骸を回収して学園フロントに戻っていたが、それに乗っていたはずのラウダはいまだ寮に姿を見せていない。ペトラやカミルが何度か通話を試みたが、端末の電源が切られているのか一度も繋がらなかった。
きっと、グエルを手伝うために本社フロントに行ったのだろう、とペトラは考えていたのだが。
「こんなときに何やってるのさ、ラウダ先輩……」
うつむくペトラの横で、フェルシーはカミルに食い下がる。
「本当に避難準備を始めるんですか、カミル先輩!?」
「……理由がよく分からんとはいえ、CEO直々の命令だ。従うしかあるまい」
「でも、だって、それじゃあ……っ!」
フェルシーは子供のように両手を振り回す。
彼女はあまり言語化が得意ではない。豊かな感受性をもてあまし、何も言えなくなってしまうことがたびたびある。そんな時、彼女はよくこんな動作をする。
しかし、決して頭の回転が鈍いわけではない。フェルシーはこのとき必死に頭を働かせて、ここにいる3人が心中で抱く不安をきちんと言葉にしてみせた。
「……グエル先輩はどうなっちゃうんですか!? 今の先輩のそばにはラウダ先輩もいないんでしょう!? 何か危ないことが迫っているっていうなら、グエル先輩はたった一人でそれに立ち向かおうとしてるんじゃないですか!?」
「…………!」
ペトラとカミルは顔を見合わせる。
そうだ、確かにその通りだ。
グエル・ジェタークとはそういう人間だ。
「ダメですよ、グエル先輩を一人にしちゃあ! あの人、悪いことほど、危ないことほど一人で抱え込んじゃうんだから! 私たちが助けに行かないと、そうしないと……」
涙目になって両手を振り回すフェルシー。
ペトラは真剣にうなずく。
カミルは目を閉じ、考え込む。
思えば、数か月前にグエルが行方不明になったときもそうだった。
決闘での敗戦を重ねた彼は、父親からの命令でジェターク寮を追い出された。多くの寮生はそれでもグエルを慕い、こっそりと応援や差し入れを申し入れていた。
だがそのすべてを、グエルは「お前らも父さんの逆鱗に触れちまうぞ」と言って断り、ただ独りで個人用テントに住む道を選んだ。
その結果、彼はさらに追い詰められ――そして、ついには一人で学園を脱出してしまった。
今の事態はあの時よりさらに悪いかもしれない。
命を危険に晒すのは自分だけだと、グエルはそう決断してしまったのかもしれない。
その懸念を胸に、数秒後、寮長代理は目を開けた。
「俺はこれから、寮生全員に集合をかける。全員をここに集めて、移動の準備を始める」
「カミル先輩! そんな!」
「早とちりするなフェルシー。移動の準備……つまり、グエルを応援に行くための準備でもある」
にっと笑ってから、カミルは続ける。
「グエルの命令通り避難するのか、それともグエルの応援のために本社フロントに向かうのか。それは寮生全員で決める。
ただ、どんな判断をするにしろ、今はあまりにも情報が足りない。だから――」
寮長代理は二人を見回し、告げた。
「お前らはラウダを探してくれないか。あいつなら、俺たちより事情を知ってるはずだ」
「わかりましたぁっ!」
フェルシーは顔を輝かせ、元気よくうなずいた。
ペトラも続いてうなずこうとして、ふと気づく。つい昨日に耳にしたセリフを思い出す。
――もしかしたら、また大変なことになるかもしれません。
そうだ、スレッタ・マーキュリーは確かにそう言っていた。
きっとアイツも、これから何が起こるかを知っていたんだ!
ペトラは慌てて個人端末を取り出した。
昨日番号を交換したばかりの相手を画面に呼び出し、通話ボタンを押す。
だが、何秒待っても呼び出し音は終わらない。どうやら相手は、自分の端末をカバンの中にでも置き忘れたようだ。
「あーもう! やっぱりアイツはなんか頼りにならないっ!」
そしてペトラは、きょとんとしている他の二人に顔を向けた。
「カミル先輩! 心当たりがあるので、私まず地球寮に行ってみます!
ごめんフェルシー、先にラウダ先輩を探しに行って! 私もあとで合流するからっ!」
そしてペトラは返事を待たず、ミーティングルームを飛び出した。
巡回バスに飛び乗り、イライラしながら目的地への到着を待つ。乗り合わせた他寮の学生たちがその剣幕にビビっていたが、ペトラは気にしない。大事の前の小事だ。
数十分の後、巡回バスはやっと僻地にある地球寮の建物の近くに辿り着いた。ペトラは慌ただしくバスを降り、地球寮の敷地内に走りこむ。
そして玄関にたどり着く直前で、彼女は思わぬ人物とばったり遭遇した。
「うわっ!? 経営戦略科の煽りモンスター!?」
驚きと焦りが相まって、口から思わず率直な比喩が漏れてしまった。というか、これではただの悪口だ。
当然ながら、煽りモンスター、否、セセリア・ドートは顔をしかめた後、じろりとペトラを睨みつけてきた。
「誰が煽りモンスターですってぇ? グエル先輩の取り巻きその3が言ってくれるじゃない」
その目線の強さに、さしものペトラもたじたじと後ずさる。
どうにもこの煽りマシーンは苦手だ。口喧嘩で勝てる気がしない。否、この学園にコイツをビビらせることのできる奴は居ないんじゃないかとすら思える。なにしろあのグエル先輩すら真っ向から皮肉るクソ度胸の持ち主なのだから。
だがペトラは気を取り直した。朝っぱらからこの煽り屋がどうしてこんな場所にいるのかは不思議ではあったが、今その理由を詮索している暇はない。
「ちょっとソコどいて! 地球寮に急ぎの用があるの!」
「あらあらぁ、奇遇ですねぇ。私も地球寮に用があるんですけどぉ、グエル先輩の取り巻きさんは一体どんな用があるんですかぁ?」
「……はあ? アンタには関係ないでしょ!?」
「ありますよぉ。なにしろ、地球寮とジェターク寮が昨日のテロ未遂に関わってるんじゃないかって噂について調査しに来たんですから」
「なんですってっ!?」
思わぬ言葉を投げつけられ、ペトラは反射的に聞き返してしまった。
すると、恐ろしくムカつく煽り顔で、セセリアが続けてくる。
「だってホラぁ、テロリストのモビルスーツの墜落現場に、スレッタ・マーキュリーがバイクを飛ばして向かっていったって目撃証言がたくさんあるんですよぉ?
さらにはその場所に、ジェターク社のマークをつけた救急車が走っていくのを見たって人も大勢います。
これだけ情報があれば、良からぬ噂が立つのも無理からぬコトじゃあないですかぁ♪」
「ふざけんな! そんなモン、安直で無責任な邪推に決まってるだろーが!」
さすがにペトラも青筋を立てた。テロリストを治療したという悪口ならともかく、テロの協力者だという誹謗中傷まで受け入れるつもりはない。
無自覚にヤンキーじみた口調になりながら、彼女は同級生にまくしたてる。
「スレッタ・マーキュリーは人道的理由から救助活動をした! 私たちはアイツに恩があった! だから協力したっ!
それだけだっつーの! 私たちがテロなんかするもんか!」
「……ま、確かにねえ。どこの筋とも分からぬモビルスーツを使ってのテロ……なんて面倒なマネ、脳筋ジェタークが手を出すはずもないか」
「納得しつつ小馬鹿にしてくるんじゃねーよ!」
「……が、しかし」
煽り顔を崩さぬまま、セセリアは嬲るように質問を重ねてくる。
「テロの件とは無関係っていうなら、アナタはどうしてこんな朝っぱらから地球寮に押しかけてるんですかぁ?」
ぬあああ、面倒くせえぇー!
ペトラは胸中で絶叫する。セセリアに絡まれるといつもこれだ。応えづらい質問が何度も飛んできて、適当に誤魔化せば言葉の矛盾を的確に指摘され、さらに追い込まれる。
かと言って、ジェターク寮生たるこの自分が、口喧嘩に負けて拳で反撃、なんてみっともない真似ができるはずもない。
進退窮まったペトラは、開き直ることにした。セセリアを真正面から睨み据え、短い言葉で端的に答える。
「わかんない!」
「……は?」
「今何が起こってるのか、これから何が起こるのか、さっぱりわからない。だから、何か知ってそうなスレッタ・マーキュリーに聞きに来たんだよ。本当にそれだけ」
「……ふうん?」
「さあ、どいたどいた! ジェターク寮のみんなが情報を待ってるんだから!」
そしてペトラはセセリアの横をすり抜け、地球寮のドアの呼び鈴を鳴らしたのだった。
これから思わぬ情報が手に入ることになろうとは、そして、これから怒涛の展開が待っていようとは、もちろん彼女は、予想だにしていなかった。