先生、私たちは間違っていたのでしょうか。
ここ数日、ベルメリア・ウィンストンはそんな自問を続けている。
先生――カルド・ナボ博士の提唱する理念に、若きベルメリアは大いに魅了された。
ワクチンやインプラントアプリといった高額で不完全な技術に頼らずとも、GUND医療によって、宇宙開発につきまとう身体の危険を排除できるようにする。そして、富裕層に独占されている宇宙開発の門戸を貧しき者にも広げることで、宇宙と地球の間に横たわる貧富の差を縮め、ゆくゆくは二者を隔てる深刻な分断を解消する。
カルド博士の理念が実現すれば、貧困と紛争、差別とテロで覆われたこの世界に、きっと平和で豊かな未来を築くことができる。そう信じたベルメリアは、ヴァナディース機関に集った多くの俊英たちとともに情熱的に研究を続けた。斬新で先鋭的な技術がいくつも提唱され、そのいくつかは実際に実現し、世界に送り出すことができた。
だが、先生の理念を体現したはずの技術は、実際には何を生み出したのだろう。
義肢との一体性を高める技術は、医療ではなく兵器に転用され、ガンダムという乗り手の命さえ奪うマシンとして結実した。
データストームを利用して超密度情報体系を構築する技術は、全人類を一方的に支配するための装置を作り上げた。
平和で豊かな未来どころか、さらなる暴力と抑圧と分断をこの世に生じさせたのだ。
21年前のヴァナディース事変さえ無ければ。先生と皆が健在だったならば。
目の前の現実を受け入れられなかったベルメリアは、最初、そんな夢想にふけった。拾われた先のペイル社で半ば強制的にガンダムの研究を続けさせられ、結果として何人もの強化人士を死に至らしめたときも、これは自分たちの本意ではない、自分たちのせいではないと自らに言い聞かせ続けた。
だが――
数日前、自分の手のひらにべったりとついた赤い血の色が、現実から目をそらす彼女の肩を強引に掴んだ。
宇宙議会連合のフェン・ジュンが、ベルメリアを庇って銃で撃たれたときに流れ出した血。武力衝突の回避のために己の命をかけた調査官の最期の姿が、ベルメリアを自分勝手な夢想から目覚めさせるきっかけとなった。
そして、今。
ベルメリア・ウィンストンは、本社フロントへと向かう株式会社ガンダムの船の中で、スレッタ・マーキュリーに向き直る。
デッキで配られた夕食パックを手に自室へ戻ろうとしたところを、背後から少女に呼び止められたのだ。
ベルメリアに正対したスレッタは、感謝の笑顔を浮かべて頭を下げてきた。
「ありがとうございます、ベルメリアさん。キャリバーンに乗りたいっていうわたしのワガママを聞いてくれて」
ベルメリアは表情を曇らせる。
キャリバーンもまた、パイロットの命を削る欠陥マシンに過ぎない。自分が感謝されていいはずがなかった。
「違うのよ、スレッタさん。違うの。
そもそもこれは、私のせいなのよ」
クワイエット・ゼロを生み出したのはヴァナディースの技術。そして、その完成に協力したのはベルメリア自身だ。プロスペラに脅されてのこととは言え、先生の理念に反するはずのモノを、ベルメリアは自らの手で稼働状態にしてしまった。そしてそのクワイエット・ゼロは、今や全人類に牙を剥こうとしている。
スレッタは、これからそれを止めに行こうとしているのだ。
「私がもっと勇気を持てていたら、あなたに命の危険を冒させることはなかったのよ。
お願いだから、私に礼なんか言わないで」
だが、ベルメリアがそう断っても、スレッタは重ねて感謝の意を示してきた。
「クワイエット・ゼロでみんなに迷惑をかけようとしているのは、わたしの家族です。ベルメリアさんは、わたしの家族を止めるための方法を用意してくれている。わたし一人じゃ、クワイエット・ゼロへ行くための手段すら見つけられませんでした」
スレッタは、決してこちらを責めようとしない。
少女のその優しさが、よりいっそうベルメリアの良心を苛む。
「ごめんなさい、スレッタさん……!」
ベルメリアは深々と頭を下げる。
自分が魅了され追い求めたGUND技術が、心優しい一人の少女に残酷な試練を与えている。その現実から目をそらすことは、もう彼女には不可能だった。
事ここに至って、ようやくベルメリアは、自分の罪と向き合う覚悟を持つことができたのだった。
―――――――――――――――――――
「……で、手始めに、僕に謝りに来たってワケ?」
「…………」
強化人士5号から皮肉げな笑みを向けられて、ベルメリアは目線を落とした。
株式会社ガンダムの船は中古かつ小型であり、居住空間に余裕がない。しかも今は外部からの客を3名ほど乗せているため、社員の人数分の居住空間を確保することができなかった。社員のうちの何人かは臨時で倉庫を自室代わりに使うような状況だ。
株式会社ガンダムの中では一番下っ端である強化人士5号も、当然のように窮屈な部屋――おそらく、元々は自衛用の武器を置いていた場所――に押し込められていた。とはいえ本人はあまり気にしていないのか、妙に機嫌が良さそうではあるが。
「まあいいや、心変わりしたってんなら聞いてやるさ。入りなよ、狭いけどね」
青年は、ベルメリアを室内へ通すために横に下がる。
と、青年が退いた背後に、こちらを不審そうに見つめる少女がいた。部屋の隅の椅子に腰掛けて何かを書いていたのか、鉛筆と手帳を手にしている。
「……彼女は?」
「ん? あ、そうか。アンタはまだ直接対面してなかったか。
ノレア・デュノク。地球のガンダムのパイロットだよ。プラント・クエタを襲撃した2機のガンダムのうちの1機のね。
ペイル社の報告書にあっただろ?」
「……彼女が!?」
まだ14歳かそこら、下手するとさらに2年は若いかも知れない。子供と形容するしかない幼い外見に、ベルメリアは衝撃を受ける。
「こんな小さな子をガンダムに乗せていたの、オックス・アースは……!?」
テロリストのガンダムの正体については、フェン・ジュンとグストン・パーチェから聞かされていた。宇宙議会連合の上層部は、破綻したオックス・アース社を密かに接収して工作機関として存続させ、ガンダムの開発と運用を続けさせていたのだ。
つまり、アスティカシア学園の入学年齢にすら達していないであろうあの少女を、ベルメリアのかつての同僚たちはガンダムに乗せ、生体パーツとして使い潰していたのである。
「なんて酷いことを……!」
口元に手を当て、ベルメリアは呻き声を上げる。
そして、強化人士5号の視線に気づいて押し黙る。
人間をモルモット代わりに――否、生体電池代わりにしていたのはベルメリアも全く同じだ。かつての同僚を非難する資格は、今の彼女にはない。
ベルメリアが沈黙したのを見てとってから、青年は部屋の奥に視線を転じた。
まだ事情を飲み込めていない様子のノレアに対して、部屋の入口に立つベルメリアを手の平で示す。
「こちらはベルメリア・ウィンストン。僕の元上司にしてペイル社のガンダムの開発責任者。そして、君たちのガンダムを運用していた連中のかつての同僚なんだってさ」
「その人が……ガンダムを……?」
複雑そうな表情でノレアがつぶやく。
かつて彼女はソフィとともに、ペイル社のガンダムであるファラクトを調査したこともあったのだ。プリンスの計画の障害になりそうなら破壊せよという命令を受けてのことで、開発者当人に用があるわけではなかったが。
今のノレアはプリンスに裏切られ、友の命のためにスペーシアンに投降した身だ。今さらファラクトの開発者に敵意を向けるつもりはない。だが、ガンダムの関係者に対して思うところがないわけでもない。
「…………」
どのような態度をとるべきか分からず、少女もまた黙り込む。
挨拶も交わさないまま沈黙を続ける二人を横から眺めて、青年はやれやれと首を振った。
「僕の部屋でコミュニケーション不全を起こされても困るんだけどね。
……まあいいや。せっかくだから、自己紹介と事情説明と行こうじゃないか。二人とも」
強化人士5号に促されるまま、ベルメリアは自分の過去と自分が知りうるすべての事情を、ノレア・デュノクに伝えることにした。
カルド・ナボ博士の提唱した理想。資金難に陥った末のオックス・アース社への身売り。GUND技術の軍事への転用。ルブリスの誕生。ヴァナディース事変。魔女狩りを逃れて隠れ潜む日々。……そして、ペイル社に拾われ、孤児たちをモルモットにしてのガンダムの研究の日々。
それはベルメリアにとっては、自分の犯した罪の告白でもあった。
「……これが真相。
貴方たちを苦しめているのは、かつて私たちが研究した技術が、この世に生み出した代物。
私は、貴方たちに何をされても仕方のないことをしてしまった」
二人に向けて、深々と頭を下げる。どれだけ怒りの声を浴びたとしても、ましてや暴力を振るわれたとしても、仕方がないと覚悟して。
だが、二人の反応は、ベルメリアが予想だにしなかったものだった。
「別に、アンタの研究については、僕はそれほど怒っちゃいないけどね。
僕がムカっ腹立ったのは、アンタがいつまでも被害者ヅラしてたことだし」
「私たちが乗っていたガンダムに、そんな由来があったとは知りませんでした。
……ただ、あなたに怒りはありません。純粋な感謝もできかねますが」
――なぜ?
ベルメリアが驚いていると、強化人士5号がひらひらと手を振った。
「身体を弄られ改造されても文句は言いません、ってのが、僕とペイル社との元々の契約だからね。で、どん詰まりのド底辺から抜け出すためにそんな契約をしたのは僕の意志。アンタを恨みようもないってことだよ」
そしてノレア・デュノクという名の少女は、わずかに目を伏せつつも、きっぱりと断言した。
「オックス・アースに拾われなければ、私もソフィも間違いなく野垂れ死んでいました。ガンダムの性能が無ければ、私もソフィもとうの昔に戦死していました。私たちがここまで生きてこれたのは、ガンダムを開発したあなたたちのおかげです」
ベルメリアは絶句する。
強化人士5号が怒らないのはまだ理解できる。彼とはそれなりに長く顔を合わせてきたし、彼が自分に深刻な憎しみを抱いていないことは察していた。
だが、地球の少女が自分を恨むどころか礼を述べてくるのは、さすがに理解の範疇を超えている。彼女はガンダムに自分の命を削られることが怖くないのだろうか?
「別に、死ぬことなんて、恐くは――」
そこまで言いかけてから、少女は口を閉ざし、そして青年の方をちらりと見やった。
青年は少女にニコニコと微笑んでいる。少女は何故か、少しばかり不服そうな顔で青年を睨んでいる。
やがて少女は根比べに負けたように嘆息すると、ベルメリアに向き直った。
「死ぬのは、怖いです」
どういう理由なのか、ノレアは一転してあっさりとそう認めた。
「怖いし、理不尽だと思っています。
でも、私たちが乗るのがガンダムでなかったなら、とうの昔に私たちはベネリットグループに殺されています。私たちに入手可能な他のモビルスーツの性能は、残念ながらスペーシアンのそれより何段も劣っていますから」
悔しそうな表情を浮かべたあと、少女は首を振り、そしてベルメリアをまっすぐに見つめた。
「地球では、ガンダムは抵抗と解放の象徴です。ベネリットグループに唯一真正面から対抗できる兵器。スペーシアンの暴力と支配から、いつか地球を解放する力を持ったモビルスーツ。ガンダムは確かにパイロットの命を吸う呪いの兵器ですが、同時に、私たちの希望でもある」
だから、私たちは怖くても乗り続けた。乗り続けなければならなかった。
私たちが逃げ出せば、ベネリットグループに故郷を焼かれ家族を殺された人々の頭上を、絶望の闇が覆うことになるから。
少女は最後に、そう締めくくったのだった。
――違う。
目の前の少女に、ベルメリアはそう言いたかった。
ヴァナディースの理念はそうではない。
暴力に暴力で対抗するのではなく、平和と安全とを世界にもたらすこと。
地球と宇宙の断絶をさらに深めるのではなく、地球と宇宙の架け橋になること。
それが自分たちの理念だったはずだ。
少女の言い分は、カルド・ナボ博士の理想を真っ向から否定するものだ。
だが、結局ベルメリアは何も言えなかった。
地球の人々にガンダムを横流ししたのは、他ならぬ自分の同僚たちだったから。
そして、ベネリットグループの地球に対する仕打ちの過酷さについては、ベルメリア自身も多少ならず聞き知っていたからだ。
富裕層の集まる街や、宇宙ではなかなか採掘できないレアアースの産地はまだいい。
しかしそういう特別エリアから外れた街は、基本的人権どころか生存権すら蔑ろにされていた。
富を収奪するだけ収奪しておいて、還元されるのは雀の涙の額の援助金のみ。
過酷な税金の取り立てに抗議する非暴力のデモ隊に対して、容赦なく実弾を発砲し、何千人もの人間を殺傷する。
自分たちが治安維持活動で破壊したインフラに対しては一切の補償をせず、電気や水道が断絶しようとただ放置するだけ。
ベネリットグループへの攻撃を企てる運動家や、地球独立を掲げる思想家に対しては、モビルスーツ部隊を差し向け、周囲の民間人ごと抹殺する。
地球寮の少年少女たちの口から、ベルメリアはそれらの事実を聞かされていた。
人類の歴史上でもおよそ類を見ないレベルの暴政でもって、ベネリットグループは地球の人々を虐げていたのだ。
ガンダムになど乗るな、抵抗せずに大人しく死んでいくべきだ、などと、眼前の少女に言えるはずがない。
ベルメリアは、両手で顔を覆った。
「やはり……私たちは……」
間違っていた。
地球と宇宙の間に横たわる断絶の深さを見誤っていた。
たかが技術一つで埋められるようなものではない。そこを見誤ったがために、自分たちは地球と宇宙の架け橋にはなれなかった。流血と混乱を広げるような道具しか作れなかった。
GUNDは結局、呪いでしかなかったのだ。
すべてを悟ったベルメリアは、人目をはばからず泣き始めた。
尊敬する恩師、ともに学んだ同僚たち、青春のすべてを掛けた日々。それが害悪しか生み出さなかった事実に、完全に心を折られたのだった。
「……ちょっと。この人いきなり泣き始めたんだけど。どうすればいいの」
「あー、うん。まあ、しばらく待ってあげてよ。どうも21年前のことが大分トラウマになってるみたいでね」
「……ヴァナディース事変。この人も結局はデリングの被害者。スペーシアンの企業に協力したのも、死ぬのが怖かったから、か……」
泣き崩れるベルメリアの横で、少女と青年がひそひそと会話を交わす。
二人はベルメリアの気持ちが落ち着くのを待ちつつ、今後について相談を進める。
泣き続けたベルメリアが我に返ったのは、それから3分ほどが経過したあとだった。
あわてて懐からハンカチを取り出し、目元を拭う。
「……ごめんなさい、わんわん泣いちゃって……迷惑だったわよね」
ベルメリアが顔を上げると、地球の少女は、待ち構えていたように口を開いた。
「もしあなたが、ガンダムを作ったことを悔やんでいると言うなら。
すべてが片付いたあとで、私の友人を診ていただけませんか」
ノレアの友人であるソフィ・プロネは、ノレアを無事に逃がすためにルブリス・ウルに乗って魔女狩り部隊に挑み、パーメットスコアを上げすぎたために危篤状態に陥った。ジェターク社の病院での治療で一命はとりとめたが、恐らくこのままでは、回復したとしても重い後遺症を残すことになるだろう。
「あなたはデータストームによる障害について深く関わり、そしてその治療方法をひそかに研究していたと聞きました。なら、その知識を私の友人に使ってほしいんです」
少女に指摘されたベルメリアが、はっと目を見開く。
確かにそうだ。ガンダムのデータストームによって弱っていく強化人士を見かねて、ベルメリアは上層部には無断でその治療を何度か試みていた。時間も設備も限られる中では、誰ひとり救うことはできなかったが。
そして、ベルメリアがそんなことをしていたのを知っているのは、今はこの世にただ一人。
彼女が視線を向けると、強化人士5号は肩をすくめた。
「アンタはさ、人の体を改造したり兵器の開発をするのには向いてないぜ。
これからは人助けに生きなよ」
「…………」
ベルメリアは無言のまま、青年と少女とを交互に見やる。
GUNDの呪いの被害者たちは、加害者である彼女に対して提言したのだ。
呪いを世界に振りまいたことを後悔しているのならば、その呪いを解くことで己の罪を償え、と。
「……ええ、そうね」
ソフィ・プロネだけではない。目の前の少女と青年の二人にも、まだ重くないとはいえデータストームの障害は出ているはずだ。
そして、これからキャリバーンに乗るスレッタも、大量のデータストームを浴びる可能性は高い。
強化人士たちの犠牲を無駄にしない方法があるとするなら、それはきっと、彼らを救うことであるはず。
「私は必ず、そうするわ」
やるべきことを見つけたベルメリアは、やっと微笑むことができた。
――先生、私たちは間違っていました。だから、私は必ず、その罪を償います。
ベルメリアは決意の光を瞳に宿らせて、二人にうなずいてみせた。
「約束する。貴方の友人も、貴方たちも、そしてスレッタさんも。私が全力で治療するわ。
だから、絶対にこの戦いをみんなで生き残りましょう」