※株式会社 明治の「大人かわいい かんたんデコトリュフ」のレシピを参考にしました。
https://www.choco-recipe.jp/milk/recipe/281.html
「どうしよう……」
2月13日。いつものチームスピカへの密着取材を終えて退社し、家に帰ってきたサイレンススズカはキッチンで悩んでいた。
『明日いつ渡すの?』
『えー、いきなり朝とか行っちゃおっかなあ』
『度胸あるね〜』
『そっちはどうなの』
『無難に放課後のトレ前とか? そっちのが絶対渡せるし』
『ちな本命?』
『ほっ本命っ!? そ、そんなわけないじゃんさ』
『ホントに〜?』
『ホントだって!』
強豪ぞろいの中央トレセンの中でも、その実績の豊富さで異彩を放つチームスピカ。そこに所属するメンバーであっても、さすがにバレンタインデー前日となればトレーナーにいつどんなチョコレートを渡すか、その話題で持ちきりだった。そしてスズカは、その会話を小耳に挟んでからしばらくして一人で帰路についている時に、ふと「あれはバレンタインデーの話か」と理解したのである。
「(びっくりはしてくれるでしょうけど……)」
もちろんスズカの学生時代にもそういうことはあった。同室だったスペシャルウィークにあれこれ教えてもらい、ホワイトチョコを買ってきて渡していた。中には市販のチョコを溶かして手作りにする子もいたが、スズカにはその発想がなかったのと、手を出すとろくなことにならなさそうだという理由でそのまま渡すのにとどめていた。トレーナーは優しく、スズカと二人きりの時に食べて感想を言ってくれていたから、それでいいと思っていた。
「(買ってきてしまった以上……やるしかないのだけど)」
思い出したならやるしかないと、チョコ作りに必要そうな器具を一通り調べて購入、帰ってきてからそれらを台所に並べて、本当にこれでよかったのかと悩んでいるのである。忙しい社会人になった今こそちょっとお高いチョコを買ってきて、普段世話になっている感謝の気持ちを伝えてもよさそうなものだが、思い切った勢いですっかり器具の数々を揃えてしまった。
「(初心者にもできるかな……)」
器具たちと一緒に買ってきたお弁当で夕食を済ませた後、スマホでレシピを出して取りかかる。
チョコレートをじっくり溶かしつつ、ビスケットを袋に入れて細かく砕く。ビスケットに生クリームを入れてよく混ぜ、最後にチョコレートと混ぜ合わせてから丸める。文章にすれば短くて簡単そうだが、それでもみんながどんな形にするかとかどれくらいの大きさにするかとか、どんなデコレーションにするかであれこれ迷っていたのを見ていたスズカは、不安半分期待半分で作業を進める。
『スズカさんは作らないんですか?』
『私は……いいわ。ちょうど可愛らしいチョコを、見つけたところだから』
『分かりました、もし作りたくなったら、一緒にやりましょうね!』
「(一度くらい手作りを贈ってみるのもよかった……のかも?)」
スペシャルウィークが一緒にチョコづくりをしようと誘ってきたのを、スズカは思い出す。自分では作らない代わりに、授業終わりに街まで走ってお店に行き、トレーナーのことを考えながらチョコを選ぶのが毎年の楽しみだった。バレンタインデーを控えた日本のチョコ市場では各メーカーが熾烈な争いを繰り広げており、毎年のように新作チョコが何種類も発表される。楽しくショーケースを眺められるだけでなく、行き帰りにいつもと違う道を走って景色の変化を楽しむ。スズカにとってバレンタインデー周辺もまた、楽しめる期間の一つだった。とはいえ、スズカの場合は誰にも邪魔されずに景色を楽しみながら走れる点の方が大事なのかもしれないが。
「(できた、けど……初めてなら、こんなもの、かしら?)」
丸めて小さなボールをいくつか。溶かしたチョコでコーティングしたり、トッピングシュガーを散りばめてデコレーションしてみたり。格闘した末に完成したものは、お店に並んでいるものと比べれば確かに決して見栄えのいいものではなかった。だが、「味がある」のは間違いなくスズカが作った方。台所をあちこち汚してしまったのに、あの時のようにトレーナーに食べてほしいという思いでいっぱいになっていた。
「(トレーナーさん、何て言うかしら)」
チームスピカを導くトレーナーは、スズカの現役時代にも世話になった人だ。スズカをはじめ、後世に語り継がれるほどの実績を残したウマ娘を何人も指導してきた。相変わらずいい意味でも悪い意味でもメリハリがあって、加入希望を出す新入生は少なめなようだが、所属するウマ娘たちを応援したいという声は多い。学園が出すお知らせだけでなく、外部機関が出す記事でも近況を追いたい人がたくさんいる。元チームスピカ所属のウマ娘が出す密着記事とは、それだけで価値があるのだ。
***
「トレーナーさん」
「ん、どうしたスズカ……おっと」
次の日、バレンタインデー当日。チームに所属するウマ娘のレースがあるということで、午後からレース場に出発するという情報をスズカは聞いていた。朝や休み時間には生徒たちがチョコを渡しに訪れるので、授業中のタイミングでスズカはトレーナーを呼び、ポップで可愛らしい包装でラッピングした手作りチョコを見せた。普段はおちゃらけているというか、自然体なところを見せているトレーナーだが、二人きりでこういう場面になった時に急にかしこまってくる。
「あんまり見ない包装だな……もしかして」
「はい。少し……自分の手で、作ってみようと思いまして」
「嬉しいなぁ、スズカが作ってくれるなんて」
「そうですか?」
「うちのチームのみんなもそれぞれ、思い思いのチョコを作ってくれるが……大人になったスズカにもらうのは、また違うな」
「そう言ってもらえると、嬉しいです」
本当に子どものように目をキラキラさせながら、トレーナーがスズカ作のチョコを頬張る。可愛いとか甘くて疲れた頭によく効くとか、あれこれ褒めつつその場で平らげてから、あ、とトレーナーが声を出した。
「どうされましたか?」
「いや……そういや他のチョコもいっぱい食ったんだった。また太るな……」
「それじゃ、走りましょう」
「えっ?」
「最近走ることがめっきり減って……さすがに現役の時よりかは遅くなってるでしょうけど、まだまだ自信、ありますよ」
「そうは言ってもだな……人間なんだから、ウマ娘に走りでは……」
「先に行ってますね、午後からのレース場まで……」
「ちょ、ちょっと待て、そもそも腹一杯で……」
スーツのまま意気揚々とトレーナー室を出てしまったスズカを呆然と見送るトレーナー。大人になり、記者という仕事を始めてすっかり変わったように見せかけて、先頭の景色を見たい、とにかく走りたいという根っこの気持ちは変わらない。それが分かりほっとして、決して追いつけないとは分かりつつ、トレーナーも小走りで学園を後にしたのだった。