彼方でもう一度あなたと。   作:Taichi2469

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追憶 ─邂逅─

 その男は一番奥の部屋にいた。その男は始めて私の前に姿を現したときから、姿を変えてはいなかった。紳士を気取ったような服装。室内にも関わらず被ったままの帽子。一際目を引くのはペストマスク。体の至る所が覆われていて、その格好はまさにペスト医師そのものだった。

 

「お久しぶりです、お嬢さん。こうして会うのも今回で三回目。どうやら、私達には切っても切れない縁があるようですね。」

 

 その男は座ったまま、平然とした様子だった。部屋には私たちを除いて、彼一人。ユキナとカナはもちろん何が起こってもいいように構えている。私もこの男以外には抱くことが不可能なほどの殺意を向けている。その上で、その男は一切の変化を見せなかった。

 

「ええ、あのときが最後だと思っていたのですが。まさか生きていたとは─────。では、今度こそ死んでください。」

「申し訳ありませんが、それは難しい話ですね。私もやる事が残っていますから。今日だってこの後、ゲマトリアの面々との約束があります。少々面倒ではありますが、やはり交友関係を良好に保つ事は重要でしょう?」

「黙りなさい。貴方と無駄話をするつもりはありません。」

「貴方はいつもせっかちですね。少し余裕をお持ちになったほうが良いです。焦っていると、また繰り返してしまいます。────────あの二人と同じ様にね。」

「────────────!!!」

 

 直後、銃声が室内に響く。音の主は指揮官だ。

 

「まったく、忠告したばかりだというのに。もう少し人の話を聞くべきですね。」

 

 男の周囲には半透明の膜があった。その膜が銃弾を弾いたのだ。

 

「忘れたのですか?私の研究内容を。」

「・・・・・・・・・神秘を持たぬ者への神秘の適用。」

「ええ、その通りです。そして、私が現時点において唯一の被験者ということもご存じですね?」

 

 男は立ち上がると、改めて確認する様に辺りを見回した。そして少しの間、何かを思案する様に顎のある辺りに手を当てていたが、やがて何かを決めたようだった。

 

「このままあなた達にこの後も追われるのは困るので、ここでお相手することにします。」

 

 その言葉が発せられるとともに、部屋の重圧は頂点に達した。

 

「初対面の方もいるようなので名乗らせていただきましょう。私の名はドクトル。神秘の略奪を企てる者です。」

 

 ようやく長きにわたる因縁の闘いは始まろうとしていた。不思議な事だがこんなときに頭をよぎったのはかつての日々だった。

 

 それはキヴォトス(ここ)に来る前のこと。今となっては大切なものが欠けてしまったノイズのかかった記憶。それでも、大切な、大切な────────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私の日常は地獄そのものだった。薄暗く空気の淀んだ路地裏が私の居場所だった。辺りには真っ当な人が忌み嫌うであろう穢れで満たされていた。それは人の生きる場所では無かった。今も忘れない、私を奴隷にして売り物にしようとした男の家畜を見る目を。近づいただけで私を物乞いだと思い拳をふるった商人の虫けらを見る目を。それだけではない。他にも数え切れない程の地獄がそこら中に転がっていた。そんな理不尽が横行する場所だった。本当は逃げてしまいたかった。しかし、他に居場所などありはしなかった。だから仕方がない。そんな諦観の中で生き続けた。やがて私は最早、自分を人だとは思わなくなっていた。ただ、死ぬ事を避けるだけの獣に過ぎない。私という人間はとうの昔にそこら辺で野垂れ死んだのだ。だが、そんなことはどうでも良かった。何故なら獣は自らの生に価値を見出そうとすることはないのだから。

 

 獣である私は何でもやった。始めは盗みだった。店の前で売られている果物を一つ掴み走り出した。後ろから店番をしていた男の怒号が聞こえた。捕まればその時が私の終わりだろうと思った。だから、必死で走った。走って、走って、走って、ようやく路地裏に入ることで何とか追手を撒いた。緊張から解放されて気が楽になるとすぐに手にしたものを口に入れたくなり、待ちきれずその場で食べ始めた。始めて口にした果実は今振り返ると粗悪な事この上なかったが、捨てられたものを漁ったり、目の前を通りかかる動物や虫を食らうことで何とか飢えを凌いでいた私にとってはこの世のものとは思えないほどだった。

 

 二度目は失敗した。前回上手くいったことで少し調子に乗ってしまったらしい。全身に無事な場所はないほど痛めつけられた。最初は盗みを働いた私への怒りから暴力をぶつけていた男は、やがて男をこき使う者への不満を発散する矛先として私を利用していた。それも気が済むと去っていった。動きの鈍い体をどうにか動かして立ち上がり、壁を支えとしながら、ねぐらへと向かう。やっと到着したとき、思いの外、簡単には死なないものだと自らの頑丈さを呪い、私のくだらない生の一つも刈り取れずにいる世界を嘲笑した。

 

 それからも生きる為の不徳を何度も繰り返した。掏摸、強盗、詐欺、誘拐、人身売買、殺し、ともかく出来ることを何でもやった。利用できるものは全て利用した。他人を平気で蹴落とし、自らの利益のみを追求した。良心なんてものはちくりとも痛まなかった。当然だ。私は人ではないのだから。そうしてより深い闇へ堕ちていった。積み重ねた罪過は私の全てを捧げたところで釣り合いが取れるわけがなく、死後があるとしても地獄の底辺への直行であることは考えるまでもなかった。そのままこの掃き溜めに相応しい存在に近づいていくのが私の生涯であるのだと諦観にも近い悟りを得ていた。事実、私は屑の集まりの中でもそれなりに名が通るようになっていた。そこに何かの意味を見出すことは終ぞなかったが。

 

 そんな私にも機会というものは与えられるらしい。もしも神というものがいるというならば、なんと寛容で気まぐれなことだろうか。性根のねじ曲がった私にはそんな皮肉じみた感想しか言えなかった。しかし、それは私という存在を規定させてしまうほどの出会いだった。

 

 そいつは私の部屋にいつの間にかいた。最初にそいつに気付いたとき、私はその眉間に鉛玉をぶちこんだ。その日は殺し合いの帰りだった為、殺気立っていた。引き金を引いてから、少し早計だったかとも思った。だが、全く持って問題にはならなかった。驚いた事にそいつは傷一つ負わないどころか、私に反撃をかましてきた。弾丸が肩を掠め、思わず顔を顰める。すると、そいつは何かにえらく驚いた様子だった。私はといえば眼の前の起こったことが理解できず、呆然と立っていた。よく見るとそいつの頭上には輪っかのような何かがあった。それを見たとき、こいつは私をお迎えに来た天使か何かかと思った。だが、どうも違うらしい。そいつは訳の分からん自己紹介を済ませると私に向けて撃ったことを謝りながら、怪我の手当てを始めようとした。警戒していた私はもちろん拒否したが、筋骨隆々の大男すら軽く凌駕する力がそれを許してはくれなかった。仕方なく好きなようにさせてやるとそいつは笑っていた。手当てを受ける最中、私はそいつを注意深く観察していた。今までいろんな人間を見てきたが、こんなやつは初めて見た。いや、本当に人間なのか?得体が知れなくて気味が悪いことこの上なかった。しかし・・・・・・・・・。少し悩んだ後、ここに住まわせてやることにした。拠点に置いておくのもリスクはある気がしたが、追い出した後、どんな騒動を起こすか分かったものではなかったので、監視下に置くほうが良いだろうと判断した。もしかしたら、その特異性を利用して何かしらの利益を上げられるかもしれない。そんな考えもあった。そいつは外に出たがっていたが、そいつの特異性を説得材料に家の中にいることを承諾させた。

 

 それからは仕事を終えた後に寝るだけだった拠点に賑やかになった。しかし、感じていたのは鬱陶しさだけだった。帰るといつも楽しそうに話しかけてくるのだ。こちらは疲れているというのに、そんなのはお構いなしだった。ほとんどは取り合う事はなく、たまに返すとしても嫌味だけだったのだが、それすら嬉しそうに喜んでいた。そして、私はそんな様子に余計に苛立ちを深めるのだった。そんな感じで交流を深める事もなかったのだが、少し分かったこともあった。それはこいつはきっと真っ当な環境で生きてきたのだろうということだった。私の本当の姿を知れば今と同じ様にはいられないだろう。例えば、こいつには私が何をして生計を立てているのかは教えていない。今も目の前で私が買ってきた食料を食べているが、きっと思いもしないだろう。その食料を他人を踏み躙って得ているなどということは。それを知ったとき、こいつはどんな顔をするのだろうか。倫理観や正義感の元に私のことを責めるだろうか。そんな様子を想像すると全く持って馬鹿らしくて滑稽だった。もしもそのような糾弾ができるならば、それはこれまで生きてきた環境がその素晴らしい理想を成り立たせてくれていたことも、死神が常に横を歩いているようなここの現実も、今生きていられるのがその穢れた行いのおかげだということも全く分かっていないという事だ。精々、そのような浅慮を晒すがいい。そうすれば、少しは私の溜飲も下がるというものだ。

 

 そんな昏い想像に浸っていた。とはいえそれを表に出すことはしなかったので、仮初ではありつつもそれなりの平穏は保たれていた。

 

 ある日の事だった。しくじって商売敵に囲まれてしまった。何とか切り抜けることはできたが、久しぶりにかなりの傷を負った。意識が少し朦朧とする中、やっとの思いで拠点に戻るとそいつはとても驚いた様子だった。もっと狼狽えるかと思っていたが、すぐに冷静になると私の手当てを始めようとしていた。私は傷ついた様子を見られることが弱みを見せるようで不快に感じ、全て自分でやると言った。しかし、そいつは以前と同じく頑固だった。私も以前と同じ様にそれを受け入れていれば、角が立つこともなかっただろう。しかし、その日は痛みが理性の効き目を弱くしていた。触れようとする手を振り払い、私に近づくなと言い放った。それでもなお食い下がる様子にやがて抑えが効かなくなった。そして、心の内に淀んでいた悪意を吐き出した。人懐っこい態度への苛立ちも、朗らかな人格への批判も、今の生活が人としての尊厳を捨てたものの上に成り立っていることも、仕舞っていた全てを曝け出した。言いたいことを全て一方的にまくし立てた。やがてそれも落ち着くと、何も言わないそいつがどんな顔をしてるか気になった。荒れた呼吸を整えながら、落としていた視線をゆっくりと上げる。すると目があった。しかし、そいつの態度は私が想像したものの悉くと違っていた。

 

 その()は凪いでいた。それは怒りではなく、悲しみではなく、失望ではなく、軽蔑ではなく、憐憫ではなく、無関心ではない。ただ私を視ていた。作り上げた虚像を見るのではなく、目の前にいる私を捉えようとしていた。私に対して真っ直ぐに向き合おうとしていた。どうしてそんな顔ができる?私が常に向けられてきたものとは余りに乖離しすぎていて、それが何なのかすらわからない。

 

 包み込むような微笑みを湛えながら、ゆっくりと私に近づく。これまで感じたことの無い温度に私はまるで幼子のように怯えた。情けない拒絶を見せる私にただ一言、大丈夫、と告げた。なおも体を強張らせる私を優しく抱きしめてくれた。この時私は気付いた。獣になったと思っていた私は死んだと思っていた人間の私が必死にその皮を被っていただけだったのだと。そして、これが人の暖かさなのだと。

 

 気が付いたら視界がぼやけていた。それが涙なのだと理解した瞬間、抑えられなくなった。盛大に泣きじゃくった挙げ句、泣き疲れていつの間にか寝てしまっていた。次の日の朝、顔を合わせたとき、いつもと変わらずに向けてくる微笑みに気恥ずかしさを感じたが、不思議と不快ではなかった。それはきっとかけがえのない大切なものになったからなのだと思う。

 

 私の中で「そいつ」という存在は「■■■」という無二のものになっていた。

 




 引き続き読んでくださりありがとうございます。誤字脱字や文章のおかしいところがあれば是非ご報告ください。
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