目を覚ますと、そこは一面の砂漠だった。よく見慣れた砂漠だった。向こうまで行けば、私の居場所がある。そのような確信があった。だから、何となく歩き始めた。
しばらく歩き続ける。歩いて、歩くと、いつの間にか疲れている。───おかしい。こんな距離で疲れを感じたことはなかったはずだ。認識している体力と実際のそれに乖離を感じる。
それでも、かまわず歩き続ける。ここは本当に見慣れた砂漠だろうか?何かが違う気がしてきた。このまま歩いても本当にいいのだろうか?
疑心が芽生えたが、歩き続ける。止まらない汗と張り付く砂の不快感に感覚の煩わしさを覚えた。嫌に神経質になってる。もしや、体が不調なのではないかと勘繰った。
確かめながら、歩き続ける。そこで、ようやく気付いた。この体は私ではない。この異常さに何故か心は凪いだままだった。
私とは違う足、私とは違う手、私とは違う肌の色、私とは違う体つき、私とは違う顔立ち。
私とは違う、私とは、私とは──────私とは?
足が止まった。
外界の全てが静まり、ただ一つの事実が私を支配する。
この体を他者と結論づける自我は、輪郭を保ちながらその内実を伴ってはいなかった。詰まるところ、私は誰なのかという問いに答えられない。私は自身を構成している記憶の想起に注力した。
無限にも思える刹那を駆け抜けた後、私は一つの答えを見出した。
そうか、私は─────────。
そのとき、視界がぼやけ、少しずつ暗くなる。地が急激に傾き始めた。思考が明瞭さを失っていく。薄れゆく意識の中で最後に見たものはこちらへ駆け寄る一つの影だった。
「アリス、それ何?」
私はアリスが手に持つチラシに興味を覚えた。というのも、見覚えのある名前が記されていたからだ。
「はい!これはアルバイトの募集です!アビドスの生徒からこの条件に合う冒険者の斡旋を依頼されました。」
アリスはいつものように明るく笑って、説明してくれた。アビドスの生徒とも関係を持っている彼女の行動圏の広さには感心させられる。
「なるほど・・・・・・。それ、少し見てもいい?」
「はい!」
これは・・・・・・。縁を感じずにはいられない。私はぱっと閃いた思いつきを口にした。
「この募集、応募するよ。」
アリスは一瞬、きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに笑顔を見せてくれた。私の思惑を伺わずとも、意思を尊重してくれるところは彼女らしい。
「!はい!頑張ってください!」
早速連絡してみると、面接をするとのことで今日の予定は決まった。
アルバイトを始めようとしたのには、もちろん理由がある。私は目覚めてからこのかた、ずっと無職だった。それにはいくつか理由がある。私の肉体的がキヴォトス的には脆弱すぎること、私の以前の経歴は余りにも時が経ちすぎて使えないこと、そして何よりも、私が生徒たちの力になれる立場でいたいこと。いろいろ調べたが、都合の良い仕事は存在しなかった。
・・・・・・・・・・・・シャーレが求人を出していたら、いや出していなくても雇ってもらえるまで頼み込むのだが、シャーレはないので諦めるしかない。
そんな感じでこれまでは、家事とちょっとしたお手伝いとして毎日過ごしていたわけだが、いい加減に収入なしという状況を何とかしたい。そう考えていた矢先にあのチラシだ。これはもう、バイトの神様が私に行けと言っているに違いない!
「よーし、絶対に雇ってもらうぞ!」
これが決まれば、私も晴れて無職を卒業だ。張り切っていくとしよう!そんなやる気に満ちた私の横には、残念そうな顔をした少女が一人いた。
「そんな・・・・・・。先生が働きに行ってしまうなんて・・・・・・。」
トワである。活力に満ちた私とは裏腹に何やら落ち込んでいた。これまでの流れを考えると、何となく分かってしまうような気がする・・・・・・が、決めつけたりするのはもちろん駄目なので、一応聞いてみよう。
「どうしたの、トワ?もしかして、何か不都合あるかな?家事とかについてはこれまでと変わらずにやるつもりだけど・・・・・・。」
「いえ・・・・・・、ただ先生のアイデンティティの一つである、無職、ニート、穀潰しといった属性がなくなってしまうことが可哀想だと思いまして・・・・・・。」
「・・・・・・トワは私をなんだと思ってるのかな?」
酷い言われようだ。無職はともかく、ニートと穀潰しには断然抗議させてもらいたい。・・・・・・まあ、無職を否定できなかった時点で情けないことに変わりないか。
そんなトワの信頼(?)から来る軽口を流しつつ、私はアビドスへ向かう事にした。訪れるのは久しぶりだから、いつぞやのように遭難する可能性もある。そう考えて、しっかり準備して出発した。皆は私の行動を何やら怪訝な目で見ていたが、恐らくアビドスの砂漠の恐ろしさを知らないに違いない。あそこは地形をしっかりと理解しない限り、学校につく前に行き倒れてしまうほど危険な場所だ。万が一に備えることは当然のことだろう。同じ轍を踏むような愚行は犯さない。
───などと考えていた私が間違えていたのは、アビドスに到着してからよくわかった。
「ここまで変わったのかぁ・・・・・・。」
驚いたことに、かつての寂れた空気はどこにも無く、人々の行き来はとても活発だった。その全容を把握することはもちろんできていないが、この光景だけで変化を実感するには十分だった。これなら、私の行動はさぞ不可解なものだっただろう。フル装備の自分が恥ずかしくなってきた。
・・・・・・さて、行くとしよう!
目的地は駅から近いようで、数分で到着した。
「いらっしゃい!好きな席に座ってくれ──────」
声の主は驚いた様子を隠そうともしなかった。それもそうだ。彼から見たら、私は幽霊としか思えないだろう。
「ご無沙汰しています。今日はバイトの面接に来ました。」
「まさか、本当に本物とはねぇ・・・・・・。生きていれば、不思議なこともあるもんだ。」
「本当にそうですね。ご壮健で何よりです、柴大将。」
そう、ここは柴関ラーメンである。
「よしてくれ。体はかなりガタがきて仕方ねぇ。知り合いももう何人もポックリ逝ってるもんだから、俺もいつ迎えが来ることやら。」
確かにかつてと比べると年老いてはいるようだ。しかし、背筋は曲がっていないし、声には活力が漲っている。言葉とは裏腹に元気そうな様子だった。
「こうしてまた会えるとは思っていませんでした。失礼ですが、キヴォトスでは普通のことなんですか?」
「いや、俺たちみたいな獣人は人によるなぁ。大半はあんたたちとそう変わらねえよ。でも、俺みたいに長生きしちまう奴もそこそこいる。親父もそうだったから、看取る側になるだろうと覚悟はしてたもんだが、本当にそうなっちまったってわけさ。」
大将は何でもないように語り続ける。冗談めかして笑う彼と目が合ったとき、朗らかな微笑みが穏やかさを湛えた。
「・・・・・・おいおい、そんな悲しそうな顔しないでくれ。これでもよかったと思ってんだ。たくさんの出会いに恵まれてるってことだしなぁ。それに、こうしてまた先生と会えた。」
その有り様には、積み重ねた月日によって培われた深い思慮や、あの頃と変わらない優しさが感じられた。
「そう言っていただけると、嬉しいですね。」
私は同じように微笑みを返す。彼の気遣いが伝わった事を、私もまた伝えた。この話はこれで十分だろう。仕切り直すとする。
「立ったまま長話もなんだ、適当に座ってくれ。ちょうど客もいないしな。」
ご厚意に甘えて、カウンター席に座らせてもらう。落ち着いて見渡してみると、恐らく店を構えてからそれなりの年月が経ったことが察せられる。しかし、手入れはしっかりとされているようで、不潔な印象はなかった。
「それで、先生は化けて出たってわけじゃないんだよな?疑っているわけじゃないんだが、あの頃とあんまりにも変わらないから、にわかに信じがたくてねぇ。それに最近の噂を考えるとなぁ・・・・・・。」
「?」
「いや、なんでもねぇ。すまねぇな、変なこと言って。」
「いえ、当然のことだと思います。こうして生きてることには、私自身も驚いていますから。」
私はこれまでに起こったことを掻い摘んで説明した。大将は私の話を落ち着いた様子で聞き続けていた。
「なるほどねぇ。それは大変だったな、先生。いろんな奴らを見てきたが、あんたはとびっきりぶっ飛んだ人生を送ってんなあ。」
「自分ではとても多くに恵まれた人生だと思っています。こうして今、大将と会うこともできましたから。」
「はは、嬉しいことをいってくれるねぇ。やっぱり本物の先生に違いねぇや。」
それから、しばらく歓談を続けていた。しかし、突然何かを言い争うような大声とともに、店の扉が開け放たれた。
振り向いてみると、そこには二人の少女がいた。特徴をとらえようと観察を始めたが、突然の衝撃とともにそれどころではなくなった。
「先生!!!」
片割れの少女は叫びながら、押し倒すように私に抱きついてきた。勢いを押し殺すことができず、椅子から転げ落ちる。かろうじて出来たことは、カウンターに激突することを避けるように体を捻り、少女を受け止める。地面と激突した体が痛みを訴える。更に少女の抱きつきが強く、体が軋むような感覚に襲われる。フルフェイスのヘルメットが体に食い込んでいくのも加えると、まさに三重苦だ。
「あの、ごめん。ちょっとっ・・・・・・、痛い、かもっ・・・・・・」
「あ、ごめん。」
少女は素直に私を解放してくれた。痛みのなごりにけりを付けつつ少女の観察を始めたが、私には見覚えが無かった。生徒のことが分からないなど先生失格にもほどがあるので、脳を切り分けてでも見つけ出すつもりで思考を駆け巡らせたのだが、該当する生徒を想起することができなかった。私が戸惑っていると、少女はヘルメット越しのくぐもった、しかし、確かに震えていることがわかる声で、私に話しているのか、独り言なのか判断がつかない様子で話し始める。
「先生・・・・・・もう会えないと思ってた。よかった・・・・・・よかった、先生が生きてて・・・・・・。」
少女の激しい感情の震えは、察するまでもない。しかし、いや、だからこそ、私は誠実に、誤魔化さずに向き合うべきだ。
「─────ごめん。私は、君が誰なのか分からない。本当に、ごめん。」
少女は少しの間、表出した心の動きを落ち着けるように黙っていたが、それが収まるとおもむろにヘルメットを取り始めた。
あらわになった少女の顔には見覚えが無かった。だが、妙に既視感に似た、強い予感を覚えた。この少女は、恐らくヘルメット団と思しき制服を着ていて、小柄な背格好で、置き捨ててあるアサルトライフルは真っ黒で、マフラーはしてなくて、狼の耳はなくて、髪は確かに銀色だけど肩にもかからないくらいに短くて。明らかに別の生徒なのに、何故か、ある一人の生徒の事を想起せずに入れない。
「アビドス対策委員会2年生砂狼シロコ。久しぶりだね、先生。」
場所は変わって、ミレニアムのゲーム開発部の部室。
「はい、こちらは天童アリスです!はい、はい。静かな場所に移動するので待っていてください!」
アリスは立ち上がり、部室を出た。何しろ、部室は少々騒がしい状態にあったのだ。
「ちょっ、ちょっ、ちょっ!!なにそれ、反則だよ!」
「 へへーん!あたしの一週間の努力を存分に味わえ!」
「あー!負けた!悔しい〜〜〜!!」
モモリが悔しさをコントローラーにぶつけながら、泣き叫ぶ。
「くぅ〜!だいたい、反則だよ、あんなコンボ!」
「反則じゃないよ!しっかり練習してきたんだよ!」
「彼女の言う通りよ。このコンボにはゲームの仕様に反した操作は行われていなかったわ。むしろ、一週間前に貴方が行ったバグを用いたハメ技のほうが、余程卑怯だったと思うのだけれど。」
「それは言わない約束だよ、会長!」
「あー!やっぱり、あのハメ技おかしいと思ってたんだ!モモリ〜!?」
二人が取っ組み合いを始める。戯れの範疇ではあるが、エスカレートしていることには間違いない。
「二人とも、そろそろ落ち着いたほうがいいと思うのだけれど。」
そんなマオの発言は、二人の耳には届かなかった、いや、左から右へ、もしくは左から右へと通り過ぎていったのだ。しかし、過熱する二人にも無視することができないものがあったのだ。
「二人とも煩い・・・・・・。静かにして。」
ロッカーが僅かに開き、しゃがれた、しかし、背筋が凍るような声が聞こえてきた。その声に一同は動きを止めた。
「ご、ごめん、部長。」
「分かればいい・・・・・・。あと、コントローラー、気を付けて。」
「う、うん・・・・・・。」
「あ、あたしもごめんね〜・・・・・・」
ロッカーが静かに閉じられる。部屋に充満した重圧が消えた。
「一瞬目が合ったのだけど、あの目、正に二つ名に相応しい女王の瞳だったわ。」
「会長、そういうの好きだよね。それにしても、怖かった・・・・・・。」
「部長、寝起きは機嫌悪いんだよね・・・・・・。昨日も徹夜してたし。」
そのとき、アリスが部屋に戻ってきた。電話が終わったようだ。
「アリスちゃん、なんの電話だったの?」
「はい、仕事の依頼でした!特異現象捜査部からです。」
「特異現象捜査部?あそこが動かなければいけない、ましてや、協力を必要とするほどに切迫した状況が発生したの?」
「いえ、簡単な調査だそうです。外部から依頼が来たそうですが、別件で忙しいから任せたいと言っていました。」
「なるほど、あの子らしいわ・・・・・・。それで内容は?」
「死者の復活について、です。」
「・・・・・・アリス先輩。その件、私に託すというのはどうかしら。」
マオには、この件をアリスに持ちかけた少女の真意を理解した。あの少女は死者の復活が実在することを信じていない。そして、アリス先輩が先生の治療を長い間行っていることを知り、その先生が目覚めたことを知らない。だから、遠回しにこう言いたいのだ。過去に縋るのをやめるのだ、と。
あの子は才能というものに深く思いを馳せていた。そして、こうも言っていた。才能には与えられただけの責任が伴い、多くの才能を持つ者は皆に対してそれ相応の貢献を行う義務がある、と。天才と謳われ、それを自称する彼女の自負が、そして、他者との違いを受け止める分別と優しさが表れている。しかし、その信念は彼女が認めたものに対して、少し過剰に働いてしまう。それは、それだけ他者に期待できるという彼女の美徳を表しているが、同時に悪癖ともなりうる。そう、アリス先輩に対しては後者として働いてしまったのだ。
それだけアリス先輩を信じていることはわかる。だが、まだあの大人が冷たい棺の中で眠っていた頃に、待ち人を語る先輩の瞳を見たら、そんなことが言えるわけがない。今となっては、的外れなメッセージに過ぎないが、アリス先輩もいい気持ちはしないだろう。
「ありがとうございます、マオ。でも、アリスは後輩が助けを求めたのなら、アリス自身で助けたいのです。」
「・・・・・・そう。ごめんなさい。出過ぎた真似だったわ。」
「いえ、気にしないでください。では、アリスは出発します。帰ってきたら、アリスとも対戦しましょう!」
そう言いながら部室を後にしようとするアリスだったが、制止する声が二つあった。
「待って、あたしも連れてって!新しいグラフィティーのインスピレーションになる気がする!」
「うんうん!この事件はゲームの題材としてはもってこいだよ!」
同行を申し出る二人に対して、アリスは迷う素振りを見せた。
「調査が数日で終わるとは限りません。いいのですか?」
「もちろんだよ!」
「学園側にはどのような理由で欠席届けを提出するのですか?」
「それはアリス先輩の付き添いってことでなんとか・・・・・・。」
しかし、この場でその制度を最も理解する者がそれは不可能であることを告げる。
「この依頼はアリス先輩が公式に外部から受けたものではないわ。だから、これはあくまで個人的な依頼をアリス先輩がこなすに過ぎない。」
「で、でも、アリスちゃんってここの教員なんでしょ?」
「確かに、アリス先輩は学園内では生徒の一人として扱われているけど、正式には高度な研究や実験の管理者、及び、ミレニアム内の諸問題の解決を任された教員という立場よ。しかし、この件は学園側から与えられた権限の範疇に無いわ。だから、この件を正当に欠席する理由があるものとして認可させることはできない。」
「えー、それじゃあ、ハッキングするしかないね。」
「それを私の前でよく言ったわね・・・・・・。でも、その必要はないわ。」
「ど、どういうこと?」
「私も同行すれば、私の権限でこの活動をセミナーによる認可を得たものとして扱うことができるわ。」
「えっ、てことは・・・・・・。」
「ええ、私も同行させてもらうわ。」
実に半年ぶりの更新となります。少し話が長くなってしまうので、読まないでいただいても構いません。
まず、半年間更新をしなかった言い訳ですが、私自身忙しかったことに加え、デカグラマトン編の話を踏まえた上で続きを描きたかったからです。しかし、半年経った現在でもデカグラマトン編が完結を迎えることはなく、また、本来はトリニティを舞台とした話を予定していましたが、新たに公開された、過ぎ去りし刻のオラトリオ編によってアリウス側の新情報が来ましたので、これは方針を転換せざるを得ないと判断し、今回の話を始めました。前回の話を完全に無視する形になってしまいましたが、ご容赦ください。
次に現在明かされているデカグラマトン編の情報についてなのですが、これについてはまだ更新が来るので、現在は設定をすり合わせる措置は取らないこととさせていただきます。完結を迎えた場合には、また改めてこの作品にどのような措置を行うか発表するつもりです。
最後になりますが、半年ぶりにもかかわらず再び読んでくださった方、あるいは新たに読んでくださった方には大変感謝しております。少しでも楽しんでいただければ幸いです。
誤字脱字や文章のおかしなところがありましたら、ぜひご報告ください。感想や質問、評価は大変励みになりますので、お気軽にお願いいたします。