「ただいまー・・・・・・。」
「先生、おかえりなさい!」
アリスの明るく元気な声がリビングから響き渡る。今日もいい一日を過ごせたようで何よりだ。・・・・・・しかし、“これ”をどのように説明したものか・・・・・・。
「どうかしましたか、先生?それにケイもいないようですが・・・・・・。」
迷っていたら、目の前の扉が開いてしまった。まずい、あまり心配をかけたくないのだが・・・・・・。
「先生、その怪我どうしたんですか!?」
先生の頬は大きく腫れ上がっていた。周辺に至るまで青紫色に変化しており、一目でわかるほど酷いものだった。
あの後、先生の説得によって、明日に指揮官と呼称される人物と直接交渉するまで漕ぎ着ける事が出来た。しかし、KITTEN小隊の2人と別れた後、トワは先生の胸ぐらを乱暴に掴み、責め立てるようにその意図を問い詰めた。先生は生徒を助けたいという一心であったことを伝えた。それは嘘偽りなく真実であったのだが、彼とほとんど交流のない、ましてや大人を信じることなんてできない、そんなトワにその言葉が信じる事はできなかった。そして、その苛立ちを言葉を介さぬ形でぶつけてしまったのだ。
「あ、あははは~、ちょっと盛大に転んじゃって・・・・・・。」
結局、どう言えばいいかわからず、曖昧に笑って誤魔化そうとしてみる。しかし、そのような小手先だけの言葉が通用するわけが無かった。
「先生、アリスは僧侶としても経験値を積んでいます。その怪我は転んでできるものではないことくらいわかります。・・・・・・何があったのですか?」
アリスの私を見る目はとても真摯なものだった。これ以上は嘘はつくのは不誠実だろう。嘘をつくのはやめることにした。
「・・・・・・私の余計なお節介で、ある生徒を傷つけてしまった。・・・・・・その子が悪いわけじゃないのはわかってほしい。」
言葉が足りていないのはわかっていた。だが、多くを語ることはできない。それは私の定める大人としての境界を越えることになる。
「・・・・・・・・・・・・わかりました。事情は聞きません。まずは怪我の治療をしましょう!」
アリスは微笑み、それ以上追求することは無かった。それは納得していないことがある、聞きたいこともある、その上で飲み込んでくれたことが読み取れるものだった。・・・・・・・・・心配をかけた上に、気まで遣わせてしまった。感謝とともに、相変わらずの自分の情けなさが歯がゆい。次こそ、誰もが笑っていられる最適な選択を見つけなければ─────。
「───ありがとう、アリス。それじゃあ、頼むね。」
「はい、任せてください!ところで、ケイはまだ帰って来ないのですか?」
「その子の件で頼み事をしてもらってる。私にはできない事だからね・・・・・・。」
あれから、どれくらい時間が経っただろうか?
辺りはそよ風が草木を揺らす音だけが聞こえ、すっかりと夜の帳に包みこまれていた。目の前では文明の光に照らされた街が燦然と輝いていた。
その輝きは普段は気づきもしなかったけれど美しいものだった。しかし、私の心を占めていたものは感動ではなく、寂寞だった。それはそこに自分はいない、自分の居場所はない、そんな感覚だった。何故か既視感のようなものを覚える。私はこの光景に対して何を重ねているのだろうか?
「探しましたよ、トワ。」
その声に私の思考は中断させられる。振り向きはしなかった。合わせる顔がないからだ。
「よく見つけられましたね、ケイ先輩。かなり遠くまで来たと思うのですが。」
「ええ、多くの時間を費やすことになりました。ですが、こうして見つけられたので無駄足ではなかったですね。」
そして、ケイ先輩は私の隣に座り込んだ。どんな顔をしているだろう。気にはなったが、やはり横を向く勇気はなかった。
「良い眺めですね。近くにいた時は何とも思いませんでしたが、こうして見ると綺麗なものです。」
「はい、そう思います。・・・・・・・・・・・・ところで・・・・・・その・・・・・・あの人は・・・・・・。」
あの大人を殴ってしまった後、私はどうしていいかわからず、逃げ出してしまった。後悔したがそんなのは後の祭りだ。今の自分がすべきことは、自分の過ちを受け止めることだろう。
「直後はかなりふらついていましたが、今は落ち着いています。頬の腫れは酷かったですが、それ以外の問題は見受けられませんでした。大事を取って先に帰ってもらいます。」
「あの・・・・・・私が謝罪していたと伝えていただけないでしょうか。」
「それは自分で直接伝えたほうがいいでしょう。」
「・・・・・・そう、ですね・・・・・・・・・・・・。」
「大丈夫ですよ。先生は本当に反省しているのならば、必ず許します。生徒には甘いですから。」
そこからしばらくの間、会話はなかった。その間、私は自分の思考をまとめていた。ようやく気が付いた既視感の正体を自分の中ではっきりと形にしたかったからだ。
私は目の前の景色とかつての居場所───────KITTEN小隊を重ねていた。暗闇の中で見た景色が感じさせる寂しさは、もう取り戻すことのできないかつてのKITTEN小隊への憧憬に似ていたのだ。自分でも未練がましいとは思う。だが、やはり私はもう一度KITTEN小隊、そして指揮官と向き合わなければいけない。そうしなければ、私は前に進めない。
「ケイ先輩、ありがとうございました。帰りましょう。」
「ええ、行きましょう。」
立ち上がりながら、ケイ先輩の方へと顔を向ける。ケイ先輩は相変わらずの仏頂面だった。でも、何処か微笑んでいるような気がした。
アリスの治療を受けた後、風呂や夕食を済ませた。帰ってきたケイに感謝を告げてから、部屋に戻ると疲れが押し寄せていた。本当に体力が落ちたことを実感する。ベッドに横たわると、すぐにでも寝れそうだ。そのまま意識を手放そうとしたが、タブレットが起動する音がした。何か話があるようだ。ゆっくりと体を起こして、テーブルに置いているタブレットを手に取る。
一度目を閉じ、開きなおすと私は教室にいた。アロナは机に突っ伏して寝ていたが、プラナは目の前に立っていた。
「先生、夜分遅くに申し訳ありません。お休みになるところでしたか?」
「大丈夫。気にしないで、プラナ。何か話があるのかな?」
「あのときの判断の理由を確かめたかったのです。どうしてあの時、防護フィールドの展開を遮断したのでしょうか?」
確かにあれは、シッテムの箱が危険だと判断するほどのものだった。そのまま受ければ、怪我をする事はわかっていた。だから、もちろん理由はある。
「・・・・・・・・・私はね、痛みには慣れている。だから、私が少し痛い思いをすることで生徒の気が済むのなら、それで良いんだ。」
「ですが、貴方が傷つくことでその生徒たちが心配するのではないですか?アロナ先輩や、私だってそうです。」
「・・・・・・そうだね。心配をかけてごめん。気をつけるようにするよ。」
「はい。お願いします。」
「それじゃあ、私はそろそろ寝るね。お休み、プラナ。アロナもお休み。」
目を閉じて、意識を体に戻す。今日の出来事を整理しながら、今度こそ眠りにつくことにしたのだった。
先生は私達に挨拶を済ませると、現実へと戻った。それから少しの間、私は先ほどの先生の言葉を反芻していた。
気をつけるとおっしゃっていましたが、先生のことです。再び無茶をする可能性は高いと考えられます。何が起こっても対処できるようにする必要がありますね・・・・・・。
そんなことを考えていると、アロナ先輩が目を覚ました。
「お疲れ様です、アロナ先輩。結果はどうでしたか?」
「現段階では断言はできませんが、予想は正しいかもしれません。・・・・・・・・・プラナちゃん、先生に伝えたほうがいいのではないでしょうか?」
「まだ確定したわけでありません。しばらくは観察を続けましょう。」
「わかりました。ですが、先生に負担をかける機能はロックしておきましょう。」
「そうですね。」
ふと見上げてみると、先生やアロナ先輩、そして“先生”と一緒に何度も眺めた星空がある。一筋の流れ星が瞬くのが見えた。
──────これからも一緒にいられますように。
そんな願い事をしてみる。振り向くと、アロナ先輩は一生懸命に手を合わせて、ギュと目を閉じていた。すると、目を開けたアロナ先輩と目が合う。どうやら同じ事を考えていたようだ。アロナ先輩につられて、私も笑い出すのだった。
「昨日は申し訳ありませんでした。」
次の日、トワは私に謝りに来た。彼女は深々と頭を下げ、元の姿勢に戻ると目を逸らすこともなく真っ直ぐに私を見ていた。それだけで彼女が誠実に向き合おうとしていることはわかった。
「うん、いいよ。次は気をつけてね。」
トワは十分に反省している。これ以上の言葉は不要だろう。この件はこれでおしまいだ。
「ところで・・・・・・、ずいぶん早く来たね・・・・・・・・・。まだ、朝の6時だよ?」
ケイから謝りに来るかもとは聞いていたのだが、トワの訪問は予想以上に早いものだった。おかげで急いで身なりを整えることになった。時々、行動が極端になってしまう天然さはトキを思い出すものだ。
「謝るなら早いほうが良いと考えました。」
「うん、君の気持ちは十分に伝わったよ。ただ・・・・・・・・・次に誰かの家に訪問するときはもう少し遅い時間にしたほうが良いかな・・・・・・・・・。」
「わかりました。」
本当に伝わっているのだろうか・・・・・・・・・?少し不安に感じるが、細かく聞くのは疑っているようなので、それ以上は何も言わなかった。
「ところでさ、朝ごはんもう食べた?」
「いえ、まだですが・・・・・・・・・。」
「今から作るところなんだ。食べていかない?」
「あの、その・・・・・・・・・。」
「大丈夫。これでも結構料理できるんだよ!」
「そうですよ、トワ!先生の料理は侮れません!是非、食べてみましょう!」
トワは遠慮しようとしていたが、先生といつの間にか現れたアリスの押しは思いの外強く、結局その誘いに乗るのだった。
そして、数分後。
「はい、できたよ!今日はフレンチトースト!なかなかうまくできたと思う!」
そう言いながら、先生は盛り付けも終えたそれを食卓に人数分並べた。自分の分が置かれたとき、トワは驚愕した。粉砂糖のまぶされたパンといちごやバナナといった果物、そこにクリームとチョコソースのトッピング、それらが無作為だと感じさせるほどに美しく配置されていた。パンを一口食べてみるとその味わいはとても素晴らしいものだった。強すぎず、しかし、確かに感じられる甘さがあり、食感は程よくしっとりとしていて、口の中ではとろける様な錯覚を覚えるほどだった。加えて、果物やトッピングとも非常によくマッチしていた。それはまるで凄腕の奏者たちによって紡がれる洗礼されたハーモニーだった。
「先生!今日も美味しいです!」
「ええ、本当に驚きですが、とても美味です。」
「ありがとう、二人とも。実はスイーツ部の子たちに振る舞ってあげようと思って、かなり練習したんだよ〜。だから、自信作なんだ。そうだ、紅茶も淹れてあるからどうかな?ティーパーティーに遊びに行ったとき、美味しい淹れ方を教えてもらってね。」
衝撃のあまり、トワの思考は完全に停止していた。そのまま動かずにいると、先生は心配に思って声をかけるのだった。
「トワ、大丈夫?もしかして、口に合わなかった?」
「いえ、とても美味しいです。それで、聞きたいことがあるのですが・・・・・・。」
「何かな?」
「これはどこで買ってきたんですか?」
出来が良かったためか、つい本当に先生が作ったのかと疑ってしまうトワであった。