青は藍より出でて藍より変   作:西尾王太郎

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プロローグ

 隣の席の森下さんのことが気になる。

 

 別に好きだとか、あるいはその逆で嫌いだから気になっているとかではない。そもそも同じクラスになっただけでほとんど話したこともないし――撤回、一度も話したことが無いし。

 顔が可愛いだとか、そういった要素で好印象を持ってはいるけれど。後は小テストの成績がまあまあ良かったとか、そういう最低限の情報しか知らない。この状態で森下さんのことを好きになっていると言えば、顔がいいから好きみたいで抵抗があるし、長々と話したが本当に好きではない。

 

 全く話が変わるが、ひとめぼれというと運命的なものに思われがちだけれど、これはつまるところ顔が良いから好きになったという事なのだろうか。僕には経験がないので分からないが――もちろん顔がいいと思った事はある。現に森下さんや坂柳さんのことを可愛いと思っているし、その評価を変える予定もない。神室さんとかは美人だとは思うけれど、僕には苦手なタイプの顔立ちだ。そういう意味では、僕は神室さんにひとめぼれすることは無いのだろうか。いや、もうすでに一目見ていて惚れていないのだからひとめぼれすることはあり得ないのだ。

 

 勘違いしてもらいたくないのでもう一度だけ、ここまでの話を纏める。僕は別に森下さんのことが好きなわけではないのに、彼女のことが気になって仕方がないのだ。

 

 そして、どうして気になっているのか分からない。

 

 それでも気になった以上はついつい視線を向けてしまう。

 席が隣というのが良くない。気が付いたら真横を見ているわけだ。せめて斜め前の席だったら。森下さんが廊下か窓側の席で、僕がその内側の後ろとかだったら視線が黒板に行っていないのが分かるから、森下さんが少なくとも左右二列目以降の席だったら。黒板を見ているふりをしながら森下さんを見ることも出来ただろう。

 

 

 

 さらに良くないのが、今まさに起きているこの状況。

 

 

「四条京太郎。授業中に何度も私に視線を向けていましたが、何か用ですか?」

 

 

 休み時間になって、立ち上がった森下さんは僕の席の前で、まだ座っている僕を見下ろした。そして僕と視線が合うなり、こんなことを言ったのだ。

 

「いやあ、あの……」

 

 つい気になって見てしまっていた。そんな風に正直に言ったとき、どんな反応をされるのだろうか。あまり良い感じには受け取って貰えそうにないな。例え森下さんに悪いように受け取られなかったとしても、他の女子生徒からの評判が下がりそう。

 学校生活が始まってひと月。僕にはまだ友達もいないし、暗い印象を持たれている自覚がある。これ以上マイナス評価をされたくない。

 

 ならば誤魔化すか。授業中にみていない、森下さんの勘違いだと主張してみる。

 

 うーん、どうだろうか。森下さんはあっさり引くタイプにも見えない。まだそこまでクラスメイトから注目を集めているわけではないけれど、ここで見た見てないの言い合いになったとしたら、今以上に注目を浴びることになりそうだ。

 

「……四条京太郎? 聞いていますか?」

 

 誤魔化すのが無理ならば、また別の手段。いっそのこと見ていたと素直に認めて――認めた後どうなるんだろう。森下さんがいっそのこと強く拒絶してくれれば、他の女子からも同情されてあまり評価を下げずに済むのではないか。

 例えば、森下さんが「気持ち悪い視線を向けるんじゃねえ雑種」とか言ってくれたら、他の女子も「そこまで言わなくていいのにねぇ、血統書くらいはあるよ」と擁護してくれるかもしれない。血統書と言えば、僕の場合は戸籍謄本を見せればいいのかな。遺伝子検査とかでも可能か。

 ただ、森下さんがそんなことを言うかというと微妙だ。結構容赦のない物言いをすることもあるけれど、無意味に罵倒するタイプではないはずだ。

 

 見惚れていたと言えば、あまり悪いようには受け取られずに済むかもしれないな。いや、そんなチャラい事、かなりのイケメンでも許されない。よくイケメンじゃないと許されないという表現があるけれど、こんな歯の浮くようなセリフ、どんなイケメンでもドン引きだ。かなり仲が良いとか、そういう冗談が許される空気じゃなければ。今この状況では例え僕が人類史に残るイケメンだったとしても無理だ。森下さんが無言で立ち去って、女子生徒たちがくすくすと陰口を言って、男子生徒には痛い奴だと思われる。

 

 もしかして詰んでいるのか? いや、先ほど誤魔化すのが無理だと思ったけれど、相手の意見を否定しなければいいんだ。つまり見たとも見ていないとも言わずに。

 

「森下さん僕の名前憶えてくれていたんだ」

「クラスメイトの名前くらいは憶えてます」

「僕はまだ全員のフルネームを覚えられていないからなぁ……コツとかある? 結構名前憶えるの苦手でさ」

「? 普通に覚えればよいのでは?」

 

 まったく別の話をする。これこそ最良の策だ。

 

「僕の名前はかなり憶えやすいと思うんだ。四条って京都の通りにあるでしょ? それでなくとも京都っぽくて、京太郎。結構簡単……他にも――――」

 

 

 他にも――の例でいろいろと考えたが最適な例は見つからなかった。

 坂柳有栖は覚えやすい。坂柳さんは背が小さくて、銀色の髪と整った顔立ちが人形みたいで、いかにも子供っぽい所がアリス……なんて言ったら僕はどんな目に合うか分かったものじゃない。

 橋本正義も、せいぎという名前の割には軽薄な雰囲気とか、どうにも信用できそうにない感じにギャップを感じて覚えやすい。

 鬼頭は、下の名前憶えてない。鬼みたいな感じだと思えば苗字はピンとくるのだけれど、見た目を悪く言うのと同じなので、褒められた例えではないだろう。坂柳さんも、可愛らしいという意味で、少し褒めた感じもあるけれど、どうあれ不用意に人の見た目に触れるべきではない。だからと言って全く触れないのも、まるで腫れもの扱いみたいで良くない気がするけれど。

 

 それこそ今僕の目の前にいる森下藍。藍――にしてはそこそこ濃いめだけれど、髪色から下の名前を思い出せそうだ。だから覚えやすい例として、森下さんの話をしようとも思った。

 でも、もしかしたら森下さんは自分の髪を良く思っていないかもしれないし、そもそも女性の髪についてそれほど仲良くない男が言うのはマナー違反な気もする。

 

 

 

 

 いや、というかそもそも話を変えて誤魔化すのが目的だから、そろそろ切り上げて逃げよう。

 

 

「他にもは無かったけれどまあとにかく僕もクラスメイトの名前を覚えられるようにしなきゃねちょっとトイレ行ってくる」

 

 早口で言って席を立つ。そのまま教室から出ようと――

 

「ところで四条京太郎。授業中にじっと私を見ていた理由をまだ聞いてません」

 

 窓側の僕の席から、廊下へ出ようとしている僕に向かって。教室一つ分考慮した声量で――つまりは大きな声で、森下さんは言った。

 

「…………あ、そうだ」

 

 そう。僕の席は窓側。それから森下さんの席……森下さんの席の向こうには、廊下に出るドアがあるわけだ。

 

「トイレ我慢しててね! ドア見てたんだよ」

「それなら――」

「時計も何度も確認したよ」

 

 言い切って、それ以上何か言われるより先に教室を出る。

 

 何とかなったな。




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