青は藍より出でて藍より変   作:西尾王太郎

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ナオミは聖書由来の名前らしい

 プールと聞くと夏のイメージがある。

 温水プールなんて贅沢なものを持っている学校はそう多くない。あったとしてもなんとなく夏にしか水泳の授業をしなさそうな気がするし、やはりプールと言えば夏。僕は中学の水泳の授業に一切参加していないし、思い返せば小学校高学年の頃も見学だった。もしかすると小学校一年生の頃に浅瀬の、子供からしてももう少し水位が欲しいと思うような、脇にこじんまりとある子供向けプールにしか入ったことが無いのではないか。だとすれば、深さのあるプールというのは未知の経験だ。未知は怖い。そもそも僕泳げないんだった。

 

「それなら先に言え」

 

 体育の教員に叱られながら、僕はプール脇までお姫様抱っこで運ばれた。

 

 まさか人生初のお姫様抱っこがこんな形で奪われるとは思わなかった。する方がまだだけれど、される方はこんなところで消費してしまったのだ。しかし、考え方を変えてみると、溺れかけた僕を助けてくれたこの体育の教員は、救世主――命の恩人――白馬の王子様。そうれならば、これもまた貴重な経験ではないか。

 

「王子様……!」

 

 思わず僕がつぶやくと、体育の教員は僕を取り落としそうになって、慌ててしっかりと持ち直した。

 

「ちょ、ちょっと。気を付けてください。労災案件ですよ。この場合病院代は学校が出してくれるんでしょうね!?」

「いや、うん……じゃあ、ちょっと指導しないといけないから……あー、泳げるように、次の授業からな……」

 

 僕を降ろすとすぐに、何かから逃げるようにプールの中へ戻っていった。おかしな人だな。

 

 

「うーん……身体が冷えそうでヤダな……」

 

 五月と言えども、まだ少し冷える。四月の間はプールの授業は見学させてもらったのだけれど、この先生きのこるなら、泳げなければ困る状況もあるかもしれないと考えなおした。サボるのをやめたわけだ。

 

「お腹痛くなりそうで嫌だなぁ……そうでなくとも風邪ひきそう」

 

 そんなことを考えていると、すでにお腹が痛くなってきたような気がしてきて、自分自身を誤魔化すためにも関係のない事を考えることにする。

 

 見学している生徒――坂柳有栖を眺める。彼女は、先天性の疾患で運動が出来ない。僕はあまりクラスに関心がないけれど、それでも注目に値する生徒だ。知的で、可憐な印象を持ってしまうけれど、どこか冷徹なところのある生徒。攻撃的なのは間違いない。

 比較的すぐにこちらの視線に気が付いて、僕に微笑んだ。

 

 まるで天使か妖精か。坂柳さんは宗教とか詳しいのだろうか。いや、あまりそういうのに関心を向けるタイプじゃなさそうだな。聖書くらいなら読んだことはありますが、とか言いそう。

 

 そういえば坂柳さんはどこがどう悪いんだっけ……記憶が確かならば心疾患だと聞いたことがある気がするけれど、不安とかないんだろうか。彼女だって他の生徒と同様、寮で一人で生活しているはずだ。何かあった時に助けを呼べないと危険だろう。

 でも、それくらい学校だって考えるか。お年寄り向けの緊急通報サービスの……首から下げる小さなボタンみたいなやつとか、電話機につなぐやつとか、そういうものが部屋にあるのかもしれない。あるいは、運動が駄目だからと言って、日常生活ではそこまでリスクが無いのかも。

 

 しばらく坂柳さんを見つめていると、困ったように、もう一度笑った。

 

 可愛い。

 

 そういえばこの学校の理事長は坂柳さんのお父さんだったか。それなら他の学校に通うよりも、安心なのかな。

 いや、やっぱり関係ないか。

 

 理事長というのはなんとなく他の学校関係者と比べても距離が遠い。校長とかなら、なんかの式で出てくるけれど、理事長はパンフレットとかを見た時に、顔が映っているなぁとか、そんな感じ。少なくとも普通に高校生活を送るうえで理事長と話すことは無いだろう。坂柳さんも、坂柳さんのお父さんも、不自然に会ったりはしないだろうし。一応みんな親元を離れて、三年間会えない状況で生活する中で、そんなことをしていれば不公平だ。

 

 でも、理事長と話してみたいな。学校の理事長と話すなんて、中々できなさそうな経験だ。話すとすれば何が良いか。

 

 ありす、という名前をどうして付けたのか気になる。ついついかわいい名前にしちゃった、とかなのか。あるいは海外でも通用する名前とか?

 

 海外でも通用する名前と言って、西洋風の名前を付ける話をたまに聞くけれど、別にそんなこと気にかける必要あるのかな。そういえばアリスって、古風過ぎておかしいなんて聞いたことがある気もする。逆の立場で考えてみて、例えば金髪碧眼の超絶美少女留学生が、お市・門左衛門・マルタンです、なんて自己紹介したらぎょっとする。まあ、ご両親が日本のことが好きだったんだなぁ、で終わるけれど。

 日本人なら日本人らしい名前を付けるべき、なんてナショナリズム染みたことを言うつもりはないけれど、無暗に伝統から乖離した名前を付ける必要もないよね。

 

 でも、ありすという名前もそこまで変な感じではない。もしも坂柳さんの名前が、坂柳絵里座部須(えりざべす)とかだったら、キラキラネームじゃないかと思うけれど。

 有栖川やら有栖川宮やら、ありすという音自体は昔からあったものだ。そう思うと、必ずしも西洋風の名前とは言い切れないのかもしれない。

 

「あ、別にお父さんが名付けたとは限らないのか」

 

 それだと、どうしてそう名付けたのか分からないな。

 

 

 今更だけれど、どうして僕はこんなに坂柳さんの名前の由来を気にしているんだろう。

 

「……」

 

 しばらく坂柳さんを観察し続けたまま考えていると、ふと気が付いた。先ほども感じたように、坂柳さんは可愛い。有栖という名前がぴったり似合っている。あまりにもぴったり似合っているから、逆に気になったんだ。

 僕の場合はあまり名前が似合っている感じがしないし。

 

 そもそも京太郎という名前がぴったりな人間というのは、どういう人間だろう。なんか強そうな感じはするから、その辺僕とは違うな。

 

「……あれ?」

 

 

 なんだか坂柳さんが不機嫌そうに僕を睨んでいる。何か怒らせるようなことを――出来るわけないな。プールを挟んで反対側にいるのだから。それに、さっきから十分以上ずっと観察しているだけで、僕は動いてすらいない。

 

「随分と細いですが、ちゃんと食べているのですか?」

「え? ああ、森下さん」

 

 プールから上がった森下さんが、座る僕を見下ろしている。森下さんに話しかけられたのは、前に僕が授業中にみていたことを指摘されて以来だ。まさか二回目もこんな風に見降ろされることになるとは思わなかったな。

 

 森下さんは僕の細い体が気になるらしい。病的に痩せているから、見ようによっては気持ち悪く思われるかも。

 

「冷凍食品多めだけれど、食べてはいるよ。素人なりに栄養に気を付けているし」

「そうですか」

「……それに、森下さんも細い方だと思うけれど……ちゃんと食べているのか心配になるくらい」

 

 スクール水着姿だから、普段よりも体形が分かる。全体的にスレンダーだけれど、まあ、ギリギリ健康的なのかもしれない。標準体重には届いていなさそう。

 

 言った後に、これってセクハラかなと不安になったが、森下さんはあまり気にした様子を見せずに昨日の夕食を語った。そのまま流れるように夕食時にみていたテレビの話をして、止まらない。

 

 前から思ってはいたけれど、森下さんって変な人なんだなぁ。

 

 とりあえず森下さんがセクハラだと思わなくて良かった。

 

 

「授業はここまでだ。各々着替えて教室に戻るように」

 

 と、ホッとしたのとほぼ同時に体育の教員からそんな指示が飛んだ。

 

 

「あ、じゃあ森下さん。また教室で」

「はい。ではまた。四条京太郎」

 

 

 こんな別れ方をすれば教室でも話すかと思っていたけれど、話すことなく放課後になった。




 いざ続きかこうと思うと、あまり森下藍の情報が明らかになっていない事に気が付いた。もっと情報が開示されるか、あるいは完結するか、一番最悪なパターンで森下藍が退学になったら続きかく。
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