青は藍より出でて藍より変   作:西尾王太郎

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地下室のバラ

 ショパン、ピアノソナタ第二番。そのうち第三楽章、葬送行進曲。

 

 ショパンの葬儀の際にも演奏されたと、昔ピアノの先生から聞いた。中級者の頃に、背伸びして弾かせてもらったのだけれど、当時の僕の感性ではそこまで響かなかった。革命の様な、格好良くて激しめの曲の方がいいと思ったのだ。

 ただ、地の底から響く鐘のように、じわじわと暗さが広がっていく感じ。今の僕にはこれ以上ないほどの感受性を持って聞くことが出来た。

 

 

 めっちゃお腹痛い。

 

 

 頭の中をデンデーデデンデン、と葬送行進曲が流れてる。絶望的な状況だ。

 なんか脳内麻薬か何かが出ているみたいで、脳にじわじわと液体が広がっていくみたいな感覚。それはそれとしてお腹が痛い。

 

 昨日食べたのは、朝ごはんはトースト。昼は学食。夜は冷凍食品。何か食あたりを起こしそうなものはないし、やっぱり原因は分からない。

 何か天罰だったりして。悪いことしたかな。

 

 お腹痛いと、なんだか神に見放されたような気がする。

 日本人は熱心に信仰している人は多くないけれど、例えば敬虔なキリスト教徒とかもお腹痛いとき神に祈るのだろうか。いや、マジでお腹痛い。

 

 なんかあんま考えたくない。

 

 

 

 今は授業中。正直にお腹痛いですと言ってトイレに行くべきなきがするんだけれど、なんかもうちょっと我慢したら収まるんじゃないかと思ってしまう。あと数分もすれば、いったん収まるはずだと、数分前にも思っていたのに。

 

 とりあえず授業を聴いているふりはしておくか。

 

 そういえば、体調不良で退席した場合は評価に響いたりするのかな。そこまで鬼畜じゃないだろうとも思うけれど。でも、クラスメイトから何か思われるかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、どんどんと腹痛が悪化していくような気がする。

 

「四条京太郎。体調不良ならば報告するべきです」

「……んえ……」

 

 突然隣の席の森下藍が、よく通る声で言った。授業をしている教師が、息継ぎの為にちょうど黙ったタイミングだったものだったから、静かな教室に響いた。

 

 数人の生徒がこちらを振り向いて、十数人の生徒がちらりとこちらを窺った。残りの数十人も、あえてこちらを見ないようにしているだけで気になった様子を見せている。全く関心を持たない生徒も数人。

 

 意外というべきか、僕よりも黒板側の席の葛城はこちらを堂々と振り向いて、けれども葛城が何かを言うよりも先に教師の方が僕に話しかけた。

 

「四条、体調が優れないのか?」

「えっと……はい……すみません」

「確かに顔色が悪い」

 

 まあ、脂汗が流れているだろうし、顔色も悪いだろう。体調悪い時に顔色が悪いとよく言われるけれど、あまり僕は他人の顔色が悪いなと思ったことは無い。辛そうな表情をしているのを、顔色が悪いというのとは少し違う気がするし、真っ青になった人間というのも見たことが無い。これでも長い間入院していて、体調が優れないどころか三か月後には死んでるっていうような人と話したこともある。それもその人が症状に苦しんでいるのを、大人数部屋の隣の病床だったものだから目の当たりにしたが、それでも顔色が悪かったというような覚えはない。僕は、他人の顔を見て、顔色が悪くなるというのはどうにもテキトーなことを言っているような気がしてならないのだ。

 

 その人は死の間際には別部屋に行ったわけだし、本当にいよいよ悪い状態というのを見てはいないのだけれど、それでも顔色が悪い瞬間はなかったなぁ。

 ああ、あの時の事を思い出すとまたお腹が、さらに痛くなってきた。それだけじゃなくて、気持ちが悪い。胃のあたりが冷たくなって、一瞬爽快さを感じたかと思うと、急に熱を持って不快感がジワリと広がった。本格的に体調が悪いくなりそうな感じだ。

 

「……おい、もっと顔色悪くなったじゃないか。一応言っておくが、体調不良なら正直に報告しろ。やむを得ない事情の場合は査定に響かない」

「あー……安心しました……えっと、退室許可を……」

「お前と坂柳の事情は教員間で共有されている。事後報告でもいいから体調不良の場合は、お前の思う最適な行動をしろ」

「すみません……」

 

 

 日本史の授業は好きだし、ちゃんと受けたかったという気持ちもあるが、ここまで言われれば無理して受ける方が不自然な感じだし、退室させてもらおうか。

 

「えっと、保健室……医務室……すみません、ちょっと頭が回らないんですけれど、退室、します」

 

 

 いったんトイレに寄らせてもらってから、保健室へと向かう。養護教諭は僕の事を知っていて、大げさに病院に連絡しようとしたのを止めて、しばらくベッドで寝せてもらうことにした。

 

「でも、一応熱だけは測ってね」

 

 と言われ、腹痛はあっても熱はないだろうと思いながらも測ると、四十度を超えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局病院に連れていかれて、念のため検査なんかをされて、血液検査の結果感染性腸炎という結論になった。

 

 

 薬を貰って、しばらく学校もお休み。この学校ではクラス間の競争が大事だと知ったばかりだと言うのに、こうして学校にいけない状態が続くと言うのはどうにも苦痛だ。

 

 幸いにして数日で症状は治まった。それでも念のため今週中は休むと決めて、僕は健康な状態で学校に行かないという、小学生の時にインフルエンザになった時の様な、自由を得た。

 それでも病み上がりという事で遊んだりはせず、短い時間でも教科書を読んだりして大人しく過ごす。

 体調が良くなったと思って調子に乗って、結果さらに悪化するというのはこれまでの人生で何度も経験してきた。

 

 だからベッドに寝転がったまま、一日中過ごしていたのだけれど。

 

 

 

 休むと決めた週の最後の平日――なんて面倒な言い回しになったがつまりは金曜日。

 

 先ほどから何度も部屋のチャイムが鳴っている。別に無視したのではなくて、のそのそと起き上がっているうちに、せかすように何度も鳴っているのだ。はいはいと言いながらドアを開けると、意外な人物――と言いつつもしかしてとは思っていた。

 

 森下藍だ。普段通りの表情でこちらを見て。

 

「四条京太郎。いるのなら早く出てきてください」

「病み上がりの人間に随分と鬼畜なことを」

「……中間テストの範囲が変わったことを伝えるように指示がありました」

「指示……? いや、中間テストの範囲……?」

 

 中間テストの範囲変更とは随分と急な話だ。僕みたいな真面目で勤勉な生徒はずっと前から努力して――いや、そんな不測の事態に対応できるかも評価対象という事なのかな。本当ならすぐにでも勉強に取り掛かりたいのだが。

 

 森下さんは担任の真嶋先生から指示されて、僕を訪ねて来たらしい。

 

「四条京太郎は友人がいないのですか?」

「え? うーん……そうかも……?」

 

 どうやら真嶋先生が誰か僕に報告するようにお願いしたところ、誰も名乗り出てこなかったため、僕の体調不良を報告したのが森下さんだと聞いていたらしく、森下さんにその役が任ぜられたということらしい。

 

「本人に話しちゃダメなタイプの話じゃない? それ」

 

 普通に心の傷になる。

 

「ところで、随分と暖かい部屋ですね。まだ体調は優れないのでしょうか」

 

 玄関から僕の部屋を覗き込むように見た森下さんは、僅かに体を震わして言った。

 今日は少し冷える。胃腸が弱っている時に体を冷やすのは良くないと思って、少し設定温度を高くして暖房を入れたのだ。

 

「や、ううん。体調はかなり良くなったんだけれどね。また悪くなると良くないから、ちょっと暖かくしてるんだ」

 

 不意に強い風が吹いて、急に体が冷えた。

 

「そうですか。では、失礼します」

「あ、うん。また来週……あ、わざわざありがとう。また学校で」

 

 

 我ながら単純なもので、別に森下さんは僕のことを心配したわけではないだろうに、表面的でも体を気遣う言葉を言われて嬉しくなった。




 二話だとキリが悪い気がしたので。
 今度こそ本当に森下藍の情報が出るまでは続きません。出番ガンガン増えて欲しい。
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