「て、めっ……え゛!! 離しやがれ、この……っ!! クソキノコ!!」
BOMB! と爆豪は掌の汗腺から出したニトロのような汗を爆発させる。
その威力は、殺傷力こそ大きなものではないが。
放つ音と光は、人を威圧するには充分すぎるものだった。
この時完璧主義の爆豪が気にしたのは、学生同士の喧嘩で個性を使い暴走した――などという悪評の流布だ。
だが、この程度の威力であれば怪我をさせることもなく、舐められることもない。
たとえこの後緑谷たちが騒ごうと、証拠がなければなんとでもなる。
あの教師たちも、初の雄英進学者になるやもしれぬ爆豪を、全力で庇ってくれるだろう。
そう、これで充分だった。
みみっちいまでに完璧な道筋、計画だった。
――相手が、マッシュでさえなければ。
「がぁっ!!?」
「それだけ?」
手は離されなかった。
(こい、つ……片手で……っ、どんな握力してやがる……ッ!!)
爆豪の抵抗を経て、マッシュの力はむしろ更に強く。
ミシ、ミシ、と。
鈍い痛みを伴う軋むような音が、恐怖となって爆豪の脳裏を支配する。
(なんで、気づかなかった……! 明らかに……おかしかったろーが……!!)
爆豪が思い出していたのは、緑谷のノートの顛末だ。
(俺はあの時、イケスに落ちるようノートを落とした!! つまり……濡れてなきゃ変だ……!!)
そこから導かれる、驚愕の真実。
(俺がノートを落としたのを見て全力ダッシュ……!! 落ちる前に拾って……一瞬でここまで戻ってきた……!? ……オールマイト並だろ……!! こいつ……こんなモブ臭ぇ顔してモブじゃねぇ!! "爪"隠してやがったッ!!)
普段の爆豪ならば、その場で気づき、警戒出来た事だ。
緑谷が爆豪の精神を大きく掻き乱していたからこそ、こうなった。
目の前の敵の力量を見誤り――あろう事か、"勝利"を当然として、後始末の事ばかり気にしていた。
(え゛!? かっちゃんが……えぇっ!!?)
だがかくいう緑谷も――何が起きているのか、全く理解出来ていなかった。
それも当然だ。
緑谷にとって、爆豪が誰かにしてやられる所を見るのは、これが初めてだった。
上級生にも果敢に立ち向かい、必ず勝利をもぎ取る――ある意味では、オールマイトよりも尊敬できる身近な"勝利"のイメージ。
……それが、緑谷にとっての爆豪勝己だった。
たった今。その偶像が、崩壊する。
「て、めっ……クソっ!! 頭のネジ外れてんのか!? 遊びじゃ済まねえんだぞ……ッ!!」
お互いに雄英を目指す身であるならば、こんな所でいざこざなど起こしてはいけない。
ヒーローを志すならば、内申が満点である事は当然、風評として清廉潔白でなくてはならない。
緑谷への軽い嫌がらせ程度ならいざ知らず、"個性"を使ったガチ喧嘩は流石に厳しい。
ヴィラン予備軍……などと言われてしまっては、ひとたまりもない。
――ここで終わっておくなら、無かったことにしてやる。
それがWinWin。
互いの譲歩、その着地点。
爆豪は、そう思っていた。
煮えたぎるマグマのような感情を抑えるだけの冷静さが、マッシュの一撃を食らったことによって戻っていたのだ。
「えーっと……なんだっけ。一線級のヒーローは、残すんだよね。……"逸話"ってやつ。見てみたいな、それ」
「〜〜〜っ!! テメェ……ッ!!」
一見それは、低俗な煽りだ。
しかし爆豪は気づいた。気づいてしまった。
そう。爆豪には逃げは許されない。
特に、敗北はダメだ。
この場で負けたとして。
爆豪が職員室に駆け込み証拠の怪我でも見せれば、損をするのは確実にマッシュの方だ。
雄英進学、という点を抜きにしても。
曲がりなりにも二年間面倒を見てきた相手と、ぽっと出の転校生では心象に天と地の差がある。
それに加え、現時点では爆豪が一方的に怪我をさせられている形だ。
しかしその選択肢は、爆豪にはない。
選択の余地が、ないのである。
何故なら、そんな事をしてしまえば爆豪は。
己の経歴に"敗北"という傷を、自らつけることになるからだ。
それは爆豪にとって、死に等しい。
(それだけは、ダメだ……ッ!)
直後、爆豪は先程よりも、強力な爆破を起こした。
「あつ」
流石のマッシュも、これには手を離す。
(今ので傷一つねえのかよ……!)
爆豪は、幾多もの逡巡の後に、この喧嘩を買った。
何よりも。やられっぱなしでいる事を、彼のプライドが許さなかった。
こうして、マッシュvs爆豪の開戦の火蓋が切られた。
(どうしよう……どうしよう!? や、ヤバいよ……!!)
無論、この間に入ってケンカを止められる程の度胸は、緑谷にはなかった。
これが、あるいは片方がヴィランであったなら、話は違っただろうが――。
何よりマッシュに助けられた身である。
彼の意志を害することに、緑谷が臆したことは想像に難くない。
「ぶっ殺したらァッ゛!!」
もし相手がマッシュでなければ、"怪我しない程度に"やら"殺さない程度に"といった補足の枕詞がついたに違いない。
爆豪の持って生まれた天才的な戦闘センスがこの時、がなり立てるが如き警鐘を鳴らしたのだ。
――即ち。手加減などしている余裕は微塵もない、と。
「死ね!!」
自由になったのも束の間、間合を取り直した爆豪は、爆破を利用した慣性の操作によって、トリッキーに攻め手を構築する。
普段ならば、渾身の右ストレート。
それだけで圧倒できる。
だが爆豪は、マッシュに対してはそれでは通用しないと直感した。
本気を出さなくてはいけないと、脳が警鐘を鳴らしていた。
数秒の内に……入れたフェイントの数は占めて七。
目眩しの爆破に怯んだ所に、本命の一撃を――。
兼ねてより頭の中に描いてきた、無双のイメージを、そのままになぞる。
そして。
「フン」
「……ぁ……?」
爆豪は、気づけば地面に横たわっていた。
頬が、じんじんと痛んでいる。
(張り、手……? ビンタ……だと……!? い、いてぇ……!! クソいてぇ……っ!!)
血は出ていない。
だが……今ので爆豪は、脳をかなり揺らされた。
暫くは戦闘はおろか、まともに立つことも出来ない状態にされた。
たった、一発で。
(嘘、だろ……俺が、負け……ンな、馬鹿な……馬鹿な……ッ!! 俺、は……っ)
「なんか可哀想になってきたな……。終わりにしよっか。デクくんもこれ以上は困るみたいだし……」
マッシュが何を言ったのか、爆豪には分からなかった。
無論緑谷も、突然自身が呼ばれたことに驚くばかりである。
「えっ!? 僕!?」
「うん、ごめん」
「いや、その……」
「デクくん帰ろう。はい、ノート」
「え、あ、うん……か、かっちゃん……大丈夫……? 立てる……?」
「…………は?」
緑谷は、今何を言ったのか。
酩酊する爆豪の脳裏に、かつての光景がフラッシュバックする。
あれは、そう。まだ二人が、幼稚園児の頃の話だ。
爆豪は先頭を歩いている。
緑谷は、当然のように一番後ろだ。
爆豪が当然のように出来ることを、モブ達は賞賛する。
緑谷は何も出来ず、羨ましそうにただ見ていた。
人は生まれながらに、平等ではない。
齢四歳にして知る、社会の現実の縮図がそこにはあった。
(なの、に、こいつは……いつも、そうだ……前も……!!)
爆豪は、平気だった。
たとえ足を踏み外して川に落ちても、本当に平気だった。
(大丈夫だった!! 平気だったんだ!!)
そうに決まっている。
爆豪勝己は優れている。
そのように、天が自身を作ったのだから。
――大丈夫? 立てる? 頭打ってたら大変だよ!
心配するような目。
差し伸べられた手。
強者が弱者へ、差し伸べる慈愛。
(俺をそんな顔で見てんじゃねえ!! 俺は――俺が、一番……っ!!)
刹那。
爆豪の視界の中に――緑谷の他にもう一人。
圧倒的強者、マッシュ・バーンデッドの姿が映った。
彼は爆豪の方を向いていない。
何を考えているか分からない半開きの目で、緑谷の方を真っ直ぐ、見つめている。
勝者は、敗者に興味を持たない。
必然。爆豪は、己が"敗北"を否応にも実感させられた。
それは度し難い、感情の荒波だった。
(…………俺、が……負けた……?)
爆豪勝己人生史上、初の敗北。
混乱と焦燥の中で、爆豪は身動き一つ取れず。
惨めにも――自身が見下し続けてきた相手に、手厚い介抱を受けることとなった。
そうして爆豪を保健室に送り届けた後。
マッシュと緑谷は、共に帰路につく。
「ケンカは良くないことだけど……で、でも。凄くかっこよかったよ、マッシュくん。ありがとう……!! ……ぼ、僕も、君みたいになれたらな……」
「じゃあやろう。筋トレ」
「へ?」
「まずは筋肉に名前をつけるところから」
「そこから!!?」
「うん。ちなみに僕のはこっちがマイクでこっちがケビンで……」
「それ前に一回聞いたけど!!?」
あらゆる意味で、ツッコミの追いつかない緑谷なのであった。
次回、緑谷改造計画。