「まずはウォーミングアップから」
とーん、とーん、と軽く跳ぶ奴である。
マッシュは実演してみせ、緑谷に合図を送る。
「さあ、ご一緒に」
「いや出来るわけなくない!!?」
緑谷が叫ぶのも無理はない。
軽く跳ぶ、といってもあくまでマッシュ基準の話である。
たった今彼は十回ほどの跳躍で、最終的に五メートルほどの大ジャンプを見せた。
当然、一般人未満の緑谷からすればヒーロー並の離れ業にしか見えない。
「とりあえず否定から入るな君は」
確かに緑谷は否定から入る癖のようなものがあるが、そういうレベルの話ではない。
「いや……いや、うん!!? 教えてくれるのは嬉しいけど……! 僕にも出来ることからはじめたいかなぁって……!!?」
緑谷は、やはりマッシュが無個性というのは何かの間違いなのでは、と思い始めていた。
そもそもこの超人社会、個性というのはあくまで自己申告――あるいは親族の申告によるもので。
後から、実は違いました、こうだと思い込んでましたがこんな事も出来ました――なんてことが、割とポピュラーに発生している。
マッシュは自身のことを無個性と勘違いしている――それが、緑谷の出した結論であった。
(でも外見上の違いはホントにないよな……? 筋肉の働きが倍加するとかそんな感じの個性なのかな……? いやでも普通このレベルの身体能力を無個性として登録しようと思うか……?? マッシュくんってホント謎だな……)
「またブツブツしてる……もうそれが個性って事でいいんじゃ……」
「そんな個性嫌だよ!!?」
無論。マッシュは緑谷同様にすっからかんの無個性すっぴんそのものであり、緑谷のこの推測は全くの的外れであるわけだが。
緑谷が幼少期より植え付けられた"無個性"のイメージは、虐げられ何も出来ず這いつくばってきた"自分自身"であるが故。
最早、自身とマッシュが同じなどとは、到底思えないのである。
で、あれば。
自分には無理だから、マッシュの筋トレに付き合う必要などない――と、そんな思考に陥る可能性も充分にあったと言える。
しかし緑谷はこの期に及んで、愚直で前向きだった。
(……でも! そうだよな、ヒーローになるなら筋肉つけなきゃ。ロジカル&フィジカル……!! 座学だけじゃダメなんだ……!! 人の何倍も頑張らないと……今まで何をしてたんだ、僕は……!!)
何かと悩みがちな緑谷にとって、なにかに向かって一直線に努力する事は、とても気分の良いものなのだ。
「フンフンフンフンフンフンフン。はい、やってみて」
サイドレイズを一秒に十回。それをひたすらに。
緑谷は当然、首を横に振る。
「マッシュくん、怖い。あと無理だから」
「そっか……ごめん……シュークリーム食べる?」
「……なんで? でも、うん。いただきます」
取り敢えずこの参考にならない友人は放っておいて。
一日腕立て百回、腹筋百回、後はランニング辺りからはじめようと、決意を新たにした緑谷であった。
「あ。授業中は空気イスするといいよ。足腰を鍛えるにはそれがベスト」
「それは凄く役立ちそう!!」
緑谷のヒーローノートに、マッシュの似顔絵と共に筋トレの項目が追加された瞬間だった。
ここで一つ、ちなんでおくと。
「このxっていうのは一体なんなんでしょうか。うごごごご……」
「それは代数って言ってね……」
「ダンス?」
「別に踊ってない夜は知らなくていいからね」
専ら勉強に関しては、全くもって逆の立場になる。
マッシュは致命的なことに、バカだった。
バカのままでは、雄英には入れない。
つまり、片方が片方にただ引っ張られるだけの関係ではないという事だ。
互いに足りないものを教え合い、補う――そんな理想的な関係が、ここに構築される。
(なんか、二人で一緒に目指してるって感じでいいな……!)
緑谷は俄然、やる気と希望に満ち溢れるのだった。
■ ■ ■
懸念点である爆豪も、不気味なくらいに大人しく。
しばらく実に平和な時が流れた。
そして迎えた、中学三年はじめの中間テスト。
「赤点でした」
「どうして!!?!?」
「面目ない」
高々と掲げられたマッシュのテスト用紙に赤く刻まれた点数は、どれも悲惨だった。
「本当にまずいな、これは。……シュークリーム食べよ」
「危機感の欠如!!」
「ごめん。デクくんには沢山勉強教えてもらったのにな」
「いや……うん……僕の教え方があんまり良くなかったのかも……ごめんねマッシュくん、力になれなくて」
「そんなことないと思うけど」
実際の所、緑谷はあまり人に教えるのが得意ではなかった。
ついつい語りすぎてしまうが故に、メモリ不足のマッシュの脳では厳しい。
かくいう緑谷は、それぞれしっかりと九十点台をキープ。
学年一位こそ爆豪に譲ったものの、堂々の学年二位である。
(ほっ……)
緑谷は、自身が二位であることを確認すると同時、酷く安心した。
この期に及んで爆豪に勝とうものなら、どんな目に遭わされるか分かったものではない――と。
そこまで思考して、緑谷はハッとする。
(……そんなんじゃダメだ……!! 強くなるって決めたじゃないか、バカ……!!)
いつの間にか爆豪に道を譲るのが、当然になっている。
そうしておけば怒られないから、と。
(もう、出来損ないの僕とは……お別れするんだ……!!)
そんな決意を胸に前を向くと、そこには。
実に機嫌の悪そうな、爆豪がいた。
教室の中なのだから、会いに来るのは簡単だ。
いやしかし。
緑谷には、爆豪が何故ここまで機嫌を悪くしているのか分からなかった。
マッシュに負けてからは非常に大人しかったが故に、尚更である。
「かっちゃん!? ぼ、僕になんか用……?」
「テメェじゃねえよクソナード」
爆豪は緑谷を一瞥し、至極気に入らなさそうに舌打ちをすると、マッシュに話しかけた。
「おいテメェ……雄英行くんじゃねえのか、クソキノコ」
「うす。行きます」
「んな点数じゃ行けねえだろうがよ!! ちっ……放課後俺ん家に来いや」
「はて」
「え゛?」
「テメェが行かねえ雄英なんざ意味がねえ!! 徹底的に教え殺したらァ!!!」
「うす、お願いします」
兎にも角にも、こうして。
実に唐突に、爆豪のパーフェクト爆殺教室が始まった。
「あ、じゃあ僕も……」
「テメェはついてくんなクソデク!! 教えるまでもねぇだろうが勉強は!!」
「あ、うん」
何だか変な方向に話がころがってきたなぁ、と思わずにはいられない緑谷であった。
「ンでその答えが九になるんだ、あァ゛!?」
「ごめん。あ、シュークリーム食べていい?」
「分かるまで没収だボケ!! つか制服に直に入れんな汚いだろうが!!」
「そんな……」
その後、シュークリームは綺麗に盛り付けられた状態で振る舞われた。
爆豪によって。
「すごい。いつもより美味しい。なんでこんな事が出来るんだ」
「なんで出来ねーんだよ!! オラ続き殺んぞ!!」
「いえっさー」
爆豪の教え方は、とてつもなく乱暴でこそあるものの、決して独りよがりではなかった。
生まれ持った観察眼から、マッシュが何が得意で何が得意でないのか。
何故勉強がこれまで出来なかったのかを、直感的に分析し、対応する。
――つまるところ。
「追試、百点でした。あざます。ほんと助かりました」
放課後の教室、マッシュは爆豪に感謝を述べた。
「当然だクソキノコ!!」
「かっちゃん、すごい……!!」
「当然だクソデク!!」
思わず、緑谷も目を輝かせて爆豪を賞賛する。
……幼き日のあの頃に戻ったような、懐かしい気持ちが緑谷の中に湧き上がった。
「なんか。……君、あんまり悪い人じゃないんだね。ありがとう、勝己くん」
マッシュが零したのは、なんでもないただの感想だ。
事実、爆豪がいなければ勉強方面はかなり危ういものとなっていただろう。
……とはいえ。
そんな感謝の気持ちを、あの爆豪が素直に受け取るはずもなく。
「勘違いしてんじゃねーぞクソキノコ……!! 俺はテメェらと馴れ合う気はねえ。俺の目標のためにはテメェって踏み台が雄英にいなきゃなんねーんだよ……!! 俺様の完璧な将来設計だ、絶対受かれ死んででも受かれ……! いいな?」
「言われなくても受かる。それに、踏み台にはならない」
「ハッ……上等だ……!! デク、てめーもだ!! 言ってわかんねーなら仕方ねえ。雄英受けてボロボロに落ちて、俺の英雄譚の糧になれや」
「い、嫌だよ!! 僕だって頑張るんだ……!! 勝ち取るんだ……!!」
「うん。デクくん、頑張ろうね」
「チッ」
緑谷出久、爆豪勝己。
決して関係が修復されたわけではない。
内に秘めた思いは、積み上げてきたすれ違いは、そう容易くは覆らない。
それでも。
マッシュ・バーンデッドという異分子が入り込んだことによって、二人の関係には、確かな変化が生じてきていた。
……それが良いことなのか悪いことなのかは、まだ誰にも分からない。
ランス「まさかお前が俺の役割か?」
爆豪「黙ってろクソロリコン!!」
ランス「シスコンだ」