天才打者の忘れ形見   作:通りすがりの猫好き

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お久しぶりです。
少しばたばたしていたため更新が遅くなってしまいました


「俺の師匠になってください!」

 状況は初回のウラ、2点ビハインド。

 スパークスのリードオフマン・綱井(つない)・キハダ・真紅郎(しんくろう)が打席に入る。

 綱井は追いかける展開に強い。

 複数の選択肢から選ぶ考え方というものは()()()()()()()()()が、一番性に合っているのはこういう展開だろう。

 

 打撃の状態はこまめに確認している。

 今日の分だと問題ないだろう。

 

 教えるということがこんなにハラハラするものだとは。

 僕、樫村(かしむら)勝男(まさお)は初めての緊張感を味わっていた。

 

 師匠とは教え、導く者である。

 教える技術は優れたものでなければならない。

 なので、僕は師匠たりえる人物では無かった。

 

 僕から何かを教わろうと思えば、きっと100人中99人が打撃を教わるだろう。

 現役時代、数多くのヒットを積み重ねてきたのだ。

 当然とも言える。

 けれどそれは、僕の教えたい事と反していた。

 

 僕の未練は「押し付け」だった。

 人から見れば些細で、されど僕にとっては大きな未練。

 例えるならば子供の野球を見て口を出す飲んだくれの(じじい)と同じだ。

 

 得意な事を伸ばすのは良い事だ。

 能力に応じてその分野に長けた人物に指導してもらおうという話だし、そういった面では師匠と呼べる人物は必要だろう。

 しかし壁にぶつかったときにどうするか。

 得意という事は、()()()()()()()()()()()()()()()()

 「出来る」側の人間である彼らがその時、ちゃんとした方針を示せるか。

 そういった保証がないのだ。

 

 その点において、僕は有利だ。

 何故ならこの世界に入ってからずっと、鈍足だったから。

 こと走ることに関して僕が優秀な事など一度もなかった。

 

 足の速さというのは一定までいくと限界がある。

 人類が100m10秒の壁を破る事に苦労したように、どれだけ優れた人間が100mという距離に命を賭し、フォームを磨いても大きな数字を出すためには多大な能力と運がいる。

 

 けれど野球の走塁は「よーいドン」ではない。

 当然リスクもある。

 しかし、自分でスタートを決められるのは野球ならではの醍醐味である。

 足が遅い? それがどうした。

 人には状況を図るための五感が備わっているじゃないか。

 優れた判断力、それが走塁において最も必要とされるものだ。

 僕はそこに可能性を見ている。

 速いというだけでは計れない世界がそこにあるのだと、僕は知っている。

 

 僕は元来、打撃しか能のない男だった。

 打撃なら負けない自信があった。

 とりわけ打率、この数字は毎年こだわりを持って臨んでいた記憶がある。

 自分はこの数字だけ残っていれば誰にも文句はつけさせなかった。

 家には大量のトロフィーが飾られている。

 これを見せびらかすのが老後の楽しみの一つだった。

 この()の鋭さだけは生涯誰にも負けるまいと、そう高を括っていた。

 

 けれど、その一本の矢だけで勝つ事には限界があった。

 

 勇名涼。

 あの男に完全な実力で打ち負かされて、僕はようやく自分に上がいる事を知った。

 

 それだけなら僕も認めなかっただろう。

 けれど、彼の名前が彫られたトロフィーを向けられたあの日。

 「こんなもの、欲しいならくれてやるよ」と言われたあの日。

 屈辱でぐちゃぐちゃになった怒りと勝てない事への無力感。

 あれは死んでも忘れる事はなかった。

 

 だから、打撃以外の技術を磨いた。

 足が遅いなりに試行錯誤を重ね、自分なりの結論を導き出した。

 走塁とは「隙を伺い、徹底的に突く」技術だ。

 「出来ない」側の人間だからこそ到達できたこの考えを誰かに伝えたかった。

 それが僕に残った未練だった。

 

 そしてさまよった末に出会ったのが綱井(つない)だ。

 プロの世界でもこれ一本で通用するレベルのスピード。

 それはまさに、野球人生の半分以上を打撃一本で生きて来た自分と重なるようだった。

 身体能力だけではない。

 まだまだ上手くなりたいという考え方が、何より僕の心をくすぐった。

 だから僕は、彼に自分の未練を託そうと決めた。

 最初に約束を交わして。

 ―――僕はあくまで押し付けるだけ。合わないなら断ってもよい、君の行く末を決めるのは君自身だ。だから、師匠とは呼ばないでほしいと。

 

 無責任? その通りだと思う。

 教えたいものがあるのにも関わらず、責任を取りようがない人間など信用には値しないだろう。

 しかし、そんな胡散臭さの塊でしかない自分の事を綱井は快く受け入れてくれた。

 

 実のところ、綱井の能力はかなり粗削りだった。

 身体能力の高さだけで野球をしているような部分はどこか危うさを感じさせる。

 それに体も頑丈ではない。

 なので、まずは怪我をしない程度の出力を覚えさせた。

 ……結局のところ、全力プレーの癖は直らなかったが。

 

 教えたのは、周囲を観察して隙を突く能力だ。

 足の速さは折り紙付きだ、一瞬の隙を見破る思考力があれば充分である。

 投手のクセ、内野の守備位置、中継プレーの様子。

 始めは動きに注目するあまり体と脳が連携できずに失敗する場面も多かったが、教えれば教えるほど綱井は伸びていった。

 

 その内、綱井は僕の現役時代のプレーを見るようになった。

 僕は君の師匠にはならない、と言ったはずだったけれどそれでも綱井は見る事を辞めなかった。

 

 そして、去年の冬。

 俺の師匠になってください!

 手を差し伸べて、綱井(つない)はそう言った。

 

 分水嶺(ぶんすいれい)とも言うべき場面だった。

 線を引かなければならない。

 指導者たりえない自分は、身分をわきまえないといけない。

 

『言っただろ。僕は君の師匠にはなれないし、なるつもりはない』

 

「なんで」

 

『自信と責任がないからだ。君にはポテンシャルがある。その優れた才能を下らないエゴによって潰すわけにはいかない』

 

「どうでもいいよ()()()()! 才能が潰れる? そんなのやってみないと分かんねーよ! 結局誰かから教わるんだ、だったら、俺は―――自分が最も尊敬する人から教わりたい」

 

 綱井の初めての反抗は、的を射ていた。

 真正面を突くような真っすぐな瞳は、まるで炎を灯したような明るさを持っていた。

 

「俺はあんたのおかげで()()()走れるようになった! それは他でもないあんたがいてくれたからだ! あんたの理想の選手にはなれないかもしれないよ、けどさ! あんたを道標に進みたいんだ!! 塁に出れなきゃ走塁なんて出来ないって言ったのはあんただろ、カッシー!!」

 

 それは綱井の叫びだった。

 取り繕う事のない、ありのままの感情だった。

 

 僕は勝手に思い込んでいた。

 指導が迷惑だということを。

 僕は勝手に決めつけていた。

 綱井本人の気持ちを。

 

 綱井の持つ熱は、確かに僕の心を動かした。

 

 

 初球、スピードの遅い変化球を見送ってストライク。

 下手に前のめりにならず、しっかりと体を止めている。

 このボールに引っかからないであろう事はバッテリーにもよく伝わっただろう。

 

 ここは多少ヤマをはってもいい。

 特に速球には。

 

 ピッチャーが2球目を投じる。

 低めへと速球が飛んでくる。

 いいコースだ、しかし。

 そのコースは綱井にとっても、僕にとっても得意なゾーンの中だ。

 

 打撃の基本はセンター返し。

 安打の数を一つの指標とする僕にとって、最も大事にする指針だ。

 降りぬいたバットはボールをしっかりと捉え、センター前へと運んでみせた。

 

 教科書通り。

 技術よりも、基礎に徹するその精神に拍手を送りたくなる。

 それは恐ろしいようで、誇らしい。

 これから綱井が何を経て、どうなるのか。

 将来の彼を生の目で見られないことは残念だけれど。

 それでもわくわくしている。

 

 さて、今度は走塁だ。

 フィジカル、テクニック。

 天性のものを持つ綱井に技術が合わされば、鬼に金棒である。

 

 じりじりとリードを広げる。

 1度牽制球が飛んできたので、すぐに帰塁する。

 牽制がかかることを意識しつつ、隙を窺う姿勢は忘れてはいない。

 投手の息遣いに常に注意を配れ。

 観察することの重要性は常に説いてきた。

 

 この場面でも観察して……あ、完全に裏を突かれた。

 やらかしたな、と思ったがそこからの綱井の機転は早かった。

 帰塁が間に合わないと即座に判断し、全速力で2塁へと向かう。

 2塁前でスピードをやや緩め、回り込むような形で右手で2塁ベースに触れてみせた。

 

 教科書通りのバッティングと、枠に囚われない走塁。

 

 相反する二つの考えを持つ綱井が、今後どうなるのか。

 僕以上に彼に期待する人間がいてたまるものか。

 そう思っている自分がいることが不思議でならなかった。




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