遡ること舘と亀津が待ち合わせする数分前。
「……何やってんだ?」
「ちょっと張り込みを」
とある球場の通路にて。
舘と亀津の知らないところで、特に必要のない諍いが生まれようとしていた。
入夏水帆は考えた。
飯と野球の事以外大して回りもしない頭を巡らせて考えた。
刑事ドラマで見る張り込みのように陰から様子を窺い、人が来たら追い返せばいいのではないかと。
そして初めに巻き込まれた被害者は、事もあろうに2軍監督である代永だった。
「まぁどうだっていいけど、何かに影響されるのも程々にしとけよ」
代永はアホらしいとでも言わんばかりにため息をついて、入夏をかわそうとする。
しかし入夏も譲らない。
代永が右へ左へ避けようとすると、入夏も同じ方向へと立ちふさがる。
「なんだよ」
「いや、別に」
「じゃあ通せよ」
「今は難しいですね」
「なんでだよ」
「……ちょっと今は答えられそうにないです」
「じゃあ通せよ」
「それは無理ですね」
「そうか。それじゃあ仕方ねぇな」
首を縦に振りながら代永は入夏に背を向ける。
ほっと入夏が一息ついたのも束の間、そこから急にスピードを上げて入夏の横を通ろうとする。
「……って言うわけねぇだろ! いかにも怪しい動きしてんのに見逃すわけねぇだろうがバカヤロー!」
さながらバスケの1on1かのように二人は意味のないせめぎ合いを続ける。
「本当に何でもないです。だから遠回りしてください」
「嘘つけお前! 何もないやつはすぐに通すわ!」
押し問答の末、代永が仕掛ける。
右、と見せかけて左へのフェイントをかけたステップ。
老体とは思えない俊敏かつ華麗な動きに思わず入夏は惑わされた。
「元アスリートを舐めるな」
代永が入夏を抜いた途端に足を止めた。
後ろを追おうとしていた入夏がぶつかり、よろけそうになる。
代永は、恐らく舘と亀津が話しているのを目撃したのだろう。
動かぬ彼の視線がそれを物語っていた。
「……なぁ、入夏。何で黙ってたんだ? 正直に言えば良かっただろ」
「二人からしてもあまり知られたくない話だと思ったので」
脱力するような、もしくは呆れるようなため息が代永から聞こえた。
「お前は本当によく分からねぇところで不器用っつーか律儀っつーか……。あのな、こっちだって色々選手の事見とく必要があんだよ。監督の『監』には監視の意味も入ってるからな。まぁ今回は多めに見とくが、『報告』『連絡』『相談』は基本だぞ」
「すみません」
「で、だ。お前があの二人に話すように仕向けたのか?」
「違います。話そうとしたのは舘の意思です。あいつは強制されたわけじゃなく、自分の意志で進もうとしています」
「そうか。俺はてっきりお前から何かしたのかと思ってたよ」
「それを言うなら最初に仕掛けたのは監督の方ですよ。何であんなに回りくどい事をしたんですか」
入夏が持っていた違和感。
その形を明白にしたきっかけは代永が送った映像だった。
まるで気づいてくれと言わんばかりに映像は見やすく分けられていた。
「……ここだけの話にしといてくれよ。亀津のやつ、去年限りで引退しようとしてたんだ。自分の過失で後輩に怪我を負わせちまったってな」
「でも、あの交錯は」
「そうだ。あの事故はどちらか一方が10:0で起こしたミスじゃねぇ。どちらにも何らかの緩みやミスがあって起こった事だ。だから俺はあいつを引き止めた。『責任を取るってのは何も辞める事じゃねぇ。責任を感じてるなら今残ってる問題を解決するのが筋ってもんだろ。道が必要ならいつでも作ってやるよ』っつってな。……まぁ、結果的に俺はお前に託すことになったわけだが」
「どうして、俺だったんですか」
「気になるって言ってたし、舘と年も近いからな。アレだ。年が離れるとな、言葉だけじゃ伝わらねぇ事も出てくるんだよ。いくら俺が上から押し付けるように『話し合え』っつってもやりづらいだろ? だからお前が行動を起こした事が大事なんだ。要するに、お前のおかげで舘は泥沼から抜け出すことが出来たわけだ。よくやったな」
子供を相手にしているような扱いに入夏の眉間にしわが寄る。
それに、今回の件で頑張ったのは舘の方だ。
褒めるべきは特に何かをしたわけでもない自分ではなく舘の方だろう。
入夏としては釈然としない思いである。
「上にはこの事をちゃんと伝えとくよ。お前にもちょっとは協調性が出てきたってな。後、フォームの事な。誰から教わったとかはもう聞かねぇ。成績が上がるんならそれでいい」
代永が入夏の肩を叩き、来た方へと戻っていく。
僅かにみえたその表情は普段より柔らかく見えた。
◇
『代永さんも丸くなっちゃったんだね。あーあ、変わってほしくない人に限って色んな事に影響されて普通になってく。世知辛い世の中だよねぇ』
最初に出てくるのが小言か。
事の顛末を入夏から説明したところ、勇名は気に食わない部分があったらしい。
不機嫌というか死人の癖して現世の無情さを憂う始末である。
「じゃあむしろこっちから聞きたいんですけど。昔の代永監督はどんな人だったんですか」
『昔? 昔はそりゃあ尊大というかプライドが高くてねぇ、俺に出来ない事など無いって顔に書いてあるくらいだったよ。何回ボコボコにしても練習に付き合ってくれたし、むしろ向こうから突っかかってくるくらいだったし』
声だけでも勇名が楽しそうなのが入夏にも分かった。
それはそれとして、あまり口触りの良くない事を嬉々として語るのはどうなのだろうか。
「野球は上手かったんですか」
『はい出た。それね、その言い方ね。俺みたいにならない限り、人生は引退してからの方が長いんだよ。野球の能力だけが全てじゃない。それのみで人を語るのは良くないと思うなぁ! ……まぁ、多少尖ってたところもあったと思うけど、良い人だよ』
俺は昔のあのとげとげした感じの方があの人らしくて好きだったんだけどね、と勇名が小言を続けそうになったので入夏が一度咳ばらいをして空気を遮る。
「それで、ちゃんと宿題通りにやりましたよ。見返りください」
『可愛くない孫みたいな事言うね。だが約束は約束だ! いいだろう、一つ気になっていた事を教えてあげようじゃないか!』
意外とノリがいいんだな
『今までどんな指導を受けてきたかは知らないけど、君はちょっと器用に打ち返そうとしすぎだね。ケースバッティングってやつだっけ? あれは向き不向きがある。昔で言えば角田はそういうの得意だったけど、多分君には向いていないね』
恐らく勇名が言っているのは、打球を飛ばす方向の事なのだと入夏は理解した。
高い打率を記録できる選手は得てして苦手なコースや苦手な事が少ない。
バットコントロールが上手いと呼ばれる選手の多くは幅広い方向に打球を飛ばす事が可能であり、戦術が広がるため首脳陣としても使い勝手が良い。
例に漏れず入夏もコーチ陣からは「柔軟なバッティング」を出来るよう指導を受けてきた。
『君は引っ張り一辺倒の方が打ちやすそうだ。不器用に、頑固に行こうぜ。それを恥ずかしがらずに突き通す事こそが大事なんだ』
勇名が否定したのはその「柔軟さ」だった。
打撃に模範解答はない。
当たり前の話だが、人それぞれの身体能力や性格によって答えは異なる。
そう分かっていてもなお、偉大な人に言われるとそれが正解なのかもと思ってしまう。
それを面と向かって否定された事で入夏の中で何かが変わったような気がした。
「……なるほど。じゃあ早速それを試合でも発揮できるように練習を」
と、入夏が言い終わる前に着信音が鳴る。
『何の音?』ときく勇名をよそ目にスマホを取り出す。
『角田さん』と出た通知から画面を開いて通話に出る。
『あ、もしもし入夏君? 今暇?』
「暇じゃないので切りますね」
『待ってごめんちょっと待って。冗談だよ冗談。いやね、明日は休養日でしょ? どうかな? 君に会いたいって人がいるんだよ。ここは僕のメンツを保つと思ってさ、どうか会ってくれないかな?』
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