天才打者の忘れ形見   作:通りすがりの猫好き

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俺と彼の第一打席②

 野球を始めたきっかけは今でも鮮明に覚えている。

人数が足りないからと、兄に誘われたのだ。

家や図書館で絵本ばかり読んでいた俺は、バットの持ち方すらもままならなかった。

ドッジボールをしてもすぐに外野に回されるようなどんくさい子供だ。

実力を期待して誘ったわけではない事はすぐに分かった。

しかしセンスはあったらしい。

兄の友人にコツを教えてもらうと、ボールは面白いくらいにポンポンと飛んだ。

 

「お前、兄貴よりもセンスあるな!」

 

 誰が言ったのかは覚えてないが、その言葉はずっと心に残った。

今まで見向きもされなかった俺が人の輪の中心にいる。

それは野球のセンスがあったからに他ならない。

 

「いやぁ~、俺も野球じゃこいつに敵わないかな~」

 

 兄が困ったように笑った。

たとえ苦笑いでも、その言葉だけで十分だった。

当時を振り返ってみても、野球を除いて兄に勝てた事は無い。

勉強も運動も、容姿も身長も、性格も社交性も、何一つ兄には及ばなかった。

そんな自分が兄に勝てた唯一の手段、それが野球だった。

 

 一度味を覚えると、もう一度、さらにもう一度と求めてしまうものだ。

その勝利の味が心地よくて、何度もバットを振った。

どこまでも子供じみた性格だ。

人と優劣をつける事に快感を感じるなんて、兄とは大違いだと今でも思う。

少年野球団に入れてもらい、活躍してもてはやされても、心は次の快感を求めた。

一人でも、ボールが無くても素振りは出来る事は幸いだった。

兄が中学生になって野球に飽きても、俺はバットを振った。

中学生になって、同じシニアに入っていた友人に見放されてもバットを振った。

 

 バットを振っている間は、『入夏水帆』は無敵だった。

 

 

 桜も散り始める4月中旬の事だ。。

太陽はまだ少し低く、鼻から息を吸えば潮風の匂いがする。

バットが空を切る音だけが耳に残る。

心地よい朝の気配を感じながら、入夏(いりなつ)水帆(みずほ)は素振りをしていた。

 

 この公園には遊具が無い代わりに土地が広い。

子供からすれば退屈かもしれないが、入夏にとっては好都合だった。

思う存分にバットを振れてなおかつ家からも近い穴場だ。

少し歩けば海が見える、というのも一つの魅力である。

 

 ちりん、ちりんと自転車のベルの音がしたのは素振りが400回を超えたころだった。

 

「やぁ、元気そうだね」

 

 聞きなじみのある声に気づき、入夏がバットを振る手を止める。

自転車に乗っていたのは60代後半の老人だ。

光る頭頂部には哀愁と思い切りの良さを感じさせられる。

背中にはバットケースを提げており、ややバランスが悪い。

 

「おはようございます、角田(かくた)さん」

 

入夏が頭を下げてあいさつをする。

角田(かくた)善一(よしかず)

千葉ドルフィンズのOBにして、入夏が入団した頃から世話になっている恩人である。

 

「練習の途中だったかな」

 

「……あと100回は振ってから休憩しようと思ってました」

 

「じゃあ振りながらでもいいよ、ちょっと老人の話に付き合ってくれないかい」

 

 そうですか。

それじゃ遠慮なく。

再びバットを握り、空を切る音がリズムよく繰り返される。

 

「状態はどうかな。この前はいい当たりを打っていたみたいだけど」

 

「底ですね。全然ダメです」

 

 入夏が吐き捨てるように言った。

今シーズン、1軍で未だにヒットを打てていない。

今年で24という年齢を考えてももう後がない入夏の心は焦りに満ちていた。

 

「それにしても朝早くからよくやるね。今日の試合は夕方からだろう? そういうのストイックって言うんでしょ?」

 

「……違います」

 

「じゃあ、どうしてそこまで頑張れるんだ?」

 

「俺は野球しかできません。人間関係を作るのが上手いわけでもないし、勉強が出来るわけでもない。だったらこの道を進み続ける以外、俺に行先は無いんです」

 

 バットを握る手に力が入る。

遊びだった野球が、強迫的に感じるようになったのはいつからだろうか。

ストイックだとかそんな綺麗なものじゃない。

バットを握っていないと。野球をしていないと。

自分の存在を証明できない。何者でもいられない。

他の人間とは違うのだから。

 

 見当違いな話をしてしまったかもしれない、と入夏は自分の発言を恥じた。

他の人の気持ちの100%が分からないように、この焦りはどう口に出したところで伝わる事などない。

そんな事を分かってくれると思って話した自分が悪い。

 

「ふーん……ところで頑張ってる君に、渡したいものがあってね」

 

「渡したいもの……?」

 

 嫌な予感。

悪寒がして入夏のバットがピタリと止まる。

角田には色々と世話になっている入夏だが、それはそれとして少しお節介が過ぎるという所が苦手であった。

打撃に口を出さない事は一貫している事が唯一の救いであった。

 

 角田がバットケースのジッパーに手を伸ばす。

中から顔を出したのは古びたバットだった。

塗装はない。企業のロゴも彫られておらず、使い古された形跡がある。

しかし綺麗に保存されていたようで欠けは見られず、ホコリもほとんどついていなかった。

 

「これ。聞いた話だと折れない、曲がらない、そして壊れない! そういうバットらしいよ。僕はやったことないけど」

 

「いらないです。お気持ちだけ受け取ります」

 

 入夏は、はっきりとNOを突き付けた。

バットは野球選手にとっての仕事道具以上の意味を持つ。

こだわる人は重さはもちろん、材質から始まり作ってもらう職人にまでこだわる。

いわば一心同体の道具だ。

そんな道具を他の人に選んでもらうのは、流石に無遠慮が過ぎる。

 

「というか何ですかそのキャッチフレーズ」

 

「まぁ、とりあえず一回持ってみてよ。別に変なものが入ってるわけじゃないんだから」

 

「いや、ですから……」

 

「一回スイングしてみるだけでも、ね?」

 

 やんわりと断ろうとする入夏に対して、角田は引こうとしない。

いつもはニコニコしているだけなのに、何故か今は押しが強いように見えた。

もっと強く、がつんと断ろう。

そう思って口に出そうとした時、入夏の手にバットが添えられた。

 

(持ちやすい)

 

 その手触りで入夏の心では雷にうたれたような衝撃が走った。

材質は固く、長持ちしそうな印象を受ける。

入夏が普段使っているものと比べて少しだけ重いが、グリップ部分は丁寧に巻き直されているため不快感は感じなかった。

それどころか持つために必要な力がほどよく握りやすい。

始めて出会う感覚に心が高く弾む音がした。

 

「どう、持ってみた感想は?」

 

「……一回だけ、振らせてください」

 

 そう言って入夏はバットを持ち替え、構えて試合を想定する。

想像した先に見えるのは相手のエースピッチャーだ。

ワインドアップと同時に体の重心を後ろへと下げる。

普段の構えから息を止めて一振り。

吸いつくようにバットが綺麗な軌道を描き、ブオンと音が鳴った。

白球が鋭くライト方向の空に消えていくイメージがする。

……打てそうな気がする。

 

「おー、いいスイングだねぇ。気に入ったみたいで良かった」

 

「気に入ったとは言ってないですけど」

 

「とても楽しそうな顔をしているじゃないか」

 

「……そりゃあ振りやすいとは思いましたけども」

 

 入夏が咳ばらいをしながら答える。

振りやすいと思った以上、否定はできなかった。

 

「ま、僕は満足さ。お代はいらないからね。じゃあ頑張って」

 

「は?」

 

 入夏の制止など耳にも留めず、角田は自転車にまたがって帰ってしまった。

本命はこれを渡すことか。

一方的にもほどがあるやりとりに入夏は呆気に取られたまま視線をバットに落とす。

そしてもう一度、確かめるようにバットを振った。

見た目は古いし、さっき言っていた壊れないという話を信じたわけではない。

 

 けれどその手に残る感触は確かなものだ。

人に言われる事はぴんと来ないが、自らの感覚というものは信じられる。

 

「いいバットだ」

 

 思わずそんな言葉が口から転び落ちた。

このバットを作っている人はさぞ良い職人なのだろう。

今度角田に紹介してもらおう。

 

『どういたしまして! 君もいいバッターだね!』

 

「は!!??」

 

 突然の声に入夏は文字通り飛び跳ねた。

聞かれたのか、今のこっぱずかしい発言を。

慌ててあたりを見回すも誰もいない。

 

「……っ、そうだよな。気のせいだよな」

 

『なるほどね、これが運命の出会いというやつか!』

 

「はッ!?」

 

 聞き間違いではなかった。

声だけがするのに誰もいない。

声だけが入夏の近くで響いている。

 

『これからよろしくね!』

 

 三度目の声がして、入夏はようやく声の主に気が付くことが出来た。

喋ったのは人ではない。

バットであった。

 

「うわあああああああああああ!!」

 

 悲鳴を上げながらバットを力任せに叩きつけた。

しかしバットは折れるどころか、バウンドして地面に垂直に立っている。

怪奇現象、そんな言葉が入夏の頭を過った。

頬からは冷や汗が流れ、体温に冷たさが走る。

 

 震える手でバットにもう一度手を伸ばす。

 

『酷いじゃないか! いきなり叩きつけるなんて!』

 

 怒っている。バットが、俺の手の中で。

頬をつねる。走る痛みが現実であるという事を証明していた。

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