天才打者の忘れ形見   作:通りすがりの猫好き

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投稿を始める前から書きたかった話をようやく書けたので私は大変満足です


そして俺は息を吐く

 開幕戦から一月が経とうとしていた。

 ドルフィンズは現在3位、スタートダッシュには失敗したがここまで大きく順位を落とすことなく奮闘している。

 開幕のドルフィンズの打者たちは、分かりやすく明暗が分かれていた。

 目立って好調なのは、槍塚(やりづか)鳥居(とりい)の二人だ。

 特に槍塚は2番打者として長打力と高い出塁能力でレギュラーを完全に奪うほどの活躍。

 この1か月で7本塁打と量産体制に入っており、新しい打撃フォームを完全に掴んでいると言えた。

 ホームランパフォーマンスの「怪獣ポーズ」もSNSを中心に人気を博し、明るいキャラクターが野球ファン以外にも浸透しているようだ。

 鳥居も華麗な守備はそのままに、打率3割5分と絶好調をキープしている。

 課題だった長打力は去年の経験を通してコツを掴んだのか、既に3本塁打を放っている。

 4番としてその後を打つ阿晒(あざらし)も得点圏で最大限の力を発揮するクラッチヒッターとして十二分にその力を発揮するなど、ここまで聞けばチームが躍進する要素しかない。

 実質、この上位打線のおかげでチームは順位を保つことが出来ていると言っても過言ではなかった。

 

 しかし、それ以上に深刻だったのが主力候補二人の不調。

 その渦中にいるのが1番打者を務めている入夏と新外国人・ポンズだ。

 ポンズは日本の投手の配球やボール、ストライクゾーンの広さなどアメリカとの野球の細かな違いに苦戦している。

 打率は2割台前半をずっと続ける低空飛行で、本塁打は1本のみ。

 ストライクゾーンを巡って球審と口論になり、退場を宣告されるなどトラブルも起こしており、首脳陣の期待に応えきれているとは言い難い。

 

 それよりもさらに打率が低いのが入夏だ。

 ここまで全ての試合に1番打者として出場し、打率は2割を下回るかどうかといった数字で、本塁打も2本のみに留まっている。

 持ち前の選球眼で出塁率はなんとか2割後半を保てているものの、入夏にとっては到底納得できる結果ではなかった。

 

 デーゲームを終え、既に外は暗くなっている。

 屋内練習場で入夏は大粒の汗を流していた。

 バットを振る。

 首を傾げて、打撃の形を再び練り直す。

 違う。

 違う。

 こんな形じゃない。

 もっと鋭く。

 もっと力が自然と抜けるような。

 これじゃない。

 粘土で作りかけた形を崩して、また一から作り直すような作業をずっと続けている。

 入夏からは開幕からあった打席への納得感などとうに消え去っている。

 残っているのは焦りだけだ。

 

 出来るはずだ。

 期待された人間ならば。

 才覚のある人間ならば。

 レギュラーを任される選手ならば。

 伝説の打者から指導された選手ならば。

 いくつもの期待が折り重なって、体が重くなっていくのを感じる。

 嬉しいはずなのに。

 期待に応えたいという気持ちは本物のはずなのに。

 何故自分の体は思い通りに動いてくれないのだろうか。

 

『君らしいと言えばらしいけど、明らかにやりすぎだよ』

 

 呆れたような口調で勇名が言った。

 

「やりすぎ? 違いますよ。足りないんです」

 

 そうだ。足りない。

 練習量も、技術も、精神力も。

 何もかもが足りない!

 こんなものはプロの選手たり得ない。

 ただの木偶の坊だ。

 俺は、期待してもらっておきながらチームの足を引っ張っている。

 その事実が何よりも悔しくて、惨めだった。

 

『……やっぱり、君には重荷を背負わせ過ぎたね。能力的な問題じゃない。君は必要以上に自分を苦しめすぎている』

 

「じゃあ、どうすればいいって言うんですか!!」

 

 上ずった、当てつけのような言葉がこだまする。

 自分以外誰もいない球場にはその声がよく響いた。

 ずっと、自分を苦しめる事で前に進んできた。

 入夏にとっては苦しむ事こそが前進だった。

 必要以上? このやり方しか知らない自分が、他に何が出来ると?

 

「……声を荒げてすみません。明日からまた仕切り直しますから。だから、あともう少しだけ―――」

 

「お。やっぱり、ここにいたね」

 

 入夏の背後から声が聞こえた。

 

角田(かくた)、さん……」

 

「心配になって来たけど、やっぱり来たのは正解だったね。スポーツドリンクを持ってきたけど、飲む?」

 

 

 汗に濡れた体をタオルで拭き、角田が持ってきてくれたスポーツドリンクに口をつける。

 

京華(きょうか)ちゃんみたいな可愛らしい女の子に渡された方が良かったんだろうけど、彼女は球団関係者じゃないからねぇ。嫌でしょ、おじさんから渡されたスポドリなんて。僕なんて爽やかさとは無縁だからねぇ」

 

「いえ、助かりました。一人だと色々と考え込んでしまうので」

 

「……まぁ、そうだろうね。君の手に残ったマメを見ればよく分かるよ」

 

「あの、責めないんですか?」

 

 入夏は困ったように笑う角田の事が不思議でならなかった。

 角田がそんな事を言うような人物でないことはよく分かっている。

 それでも球団OBとして、こんな醜態を見れば文句の一つや二つくらい付けたっておかしくないだろう。

 

「うーん、君が責められたいならそうするけど」

 

 一瞬、角田に心を見透かされたようでどきりとした。

 責められる事で、自分がまた楽になろうとしていたのだと、入夏は自分がますます恥ずかしくなった。

 

「気を抜いたプレーがあるなら別だけど、頑張っている人間を責めるほど僕は無遠慮じゃないよ。君は海をも割ろうと必死になって戦っている。僕にはそれだけで、充分格好良く見えるけれど、違うかい?」

 

 角田は続ける。

 面と向かって格好いいと言われたのは、随分久しぶりのような気がした。

 

「けど、プロは結果が全てで……」

 

「そうだね。結果は大事だ。けど、結果がダメでも足跡は消えやしないんだよ。いくら迷走しても、違う道に行こうともね。それって何だか残酷なようで、素晴らしいと僕は思うよ。あぁ、それとね。僕は君が欠点の無い人間だと思った事は一度も無いよ」

 

「え?」

 

「だけど。いや、だからこそ、なのかな。僕は君に夢を見ているんだよ。理想に悩み、現実の壁にぶつかり、それでも前に進む事をやめない。夢を重ねる先は、浮世離れした超人よりも、ちょっと人間くさいくらいの主人公が丁度いいのさ。それは、きっと僕だけじゃないと思うけど?」

 

 にっこりと笑いながら、角田は言う。

 何も言えなかった。

 今まで完璧になりたいと思った自分が、完璧じゃないからこそ夢を重ねられていた?

 それは……嬉しいけれど、どうすればいいのだろう?

 

「おっと、話し込みすぎたかな? ま、君の努力は無駄じゃないって僕は思うんだよね。月並みな表現だから、あんまり響かないだろうけど。それじゃあ僕は練習の邪魔にならないように帰るけれど、オーバーワークだけはしないようにね。君が怪我で出場できなくなるのは一番嫌だからさ」

 

 角田はそう言って立ち上がり、練習場のドアを開けた。

 嵐の中にいるような、それでいて台風の目にいるような感覚だった。

 

『で? 角田はああ言ってくれたみたいだけど、どうする?』

 

「……あと、5スイングだけ」

 

『もー、欲張りだなぁ君も!』

 

 少しだけ晴れた気持ちで、再びバットを手に取る。

 その後の5スイングは完璧ではなかったけれど、確かな温度を残していた。

 駆られるような熱さでもない、諦めさせるような冷たさでもない。

 平熱だ。

 それは、入夏が見失いかけた自分を少しずつ取り戻していたようだった。

 

 

 汗をシャワーで流し、ロッカールームでスマホを手に取る。

 見れば通知が着いていた。

 同級生の塩谷(しおや)からのものだった。

 

『元気か? 体調は悪くないか?』

 

『電話しても良いか?』

 

 通知の記録では、メッセージが到着してからもう2時間も経っていた。

 ずっと練習をしていたせいで気が付かなかった。

 急いでスマホを操作し、電話をかける。

 メッセージの送信から時間が空いているのにも関わらず、たったの3コールで着信に出る音がした。

 

『もしもし』

 

『塩谷、俺だ。入夏だ』

 

『そんなもん、通知見れば普通に分かるよ』

 

『すまない』

 

『別に謝んなくたっていいっての。で、大丈夫なのか? 技術的な事は知らんけど、主にメンタル的な意味で』

 

 自分の喉に唾が流れ込む音がする。

 悩みはある。シーズン序盤だけど、数えきれないほど悩んでいる。

 けれど言ってしまって、本当に良いのだろうか。

 俺が今苦しいと言って、誰かを落胆させたり傷つけたりしないだろうか。

 

『……入夏?』

 

 心配そうにこちらを窺う塩谷の声が聞こえる。

 塩谷は高校時代から、ずっと仲間だった。

 一方的に味方をしてくれるわけではないけれど、冷静で、友達も多くて、気取らなくて。

 本当に人間として尊敬している。

 高校時代に塩谷に会えなかったら、きっと自分がプロになる事はなかった。

 それくらい、入夏の野球人生には大きな存在だ。

 だからこそ、なおさら迷惑をかけていい人間じゃないと思った。

 

『大丈夫だ。……大丈夫。俺は、平気だから』

 

 見えもしないくせに、下手くそな笑いを取り繕う。

 塩谷は少しの間、無言になった。

 何かを考えるような呼吸音だけがかすかにスマホ越しに聞こえるのみだった。

 

『なぁ』

 

 塩谷がようやく言葉を発する。

 

『どうして嘘をつくんだ?』

 

 皮肉でもなく、ただただこちらを心配するような口調だった。

 

『……なんで』

 

『分からないとでも思ったか? 何年の付き合いだと思ってんだよ。ふっつーに気づくわそれくらい。お前あれだよな、人の事を気遣うけど小説の心情を答える問題は昔から苦手だったもんな』

 

 そう言った後、塩谷は「いや、こんな事が言いたかったわけじゃないんだよ。馬鹿か俺は」と呟く。

 

『俺はさ、お前の事をすごいって思ってるんだ。もちろん深瀬(ふかせ)もそうだけど、同じ高校の部員だった奴らがプロの一軍で戦ってるって、お前が思っているよりもずっと誇らしいんだぜ。お前にとってその支えになってるのは、やっぱり並外れたストイックさだと思う。そこは素直に尊敬しているよ。でもさ。……でも、たまには息を吐いてもいいんじゃないかって思うんだよ』

 

『息を、吐く……』

 

『人間ってのは複雑なんだよ。生物学的に生きていればいいとかそういうわけにもいかない。「心」がそこに生きていなきゃ意味が無い。そんで、「心」にも呼吸がいる。今まであった事を吸って、自分のものにして。それで、苦しくなったらちゃんとそれも吐き出して。息をするって、きっとそういう事だと思うんだ』

 

 塩谷の言葉がはっきりとした輪郭を帯びていく。

 すっと息を吸って、塩谷は続けた。

 

『俺は、お前に息をしてほしい。お前がどんだけ深くに潜れて、どんなに潜れる時間が長くても。ちゃんとどこかに吐き出す場所があってほしい。何も吐き出せずに一人で沈んでいくなんて、間違ってる。俺はプロ野球選手じゃないけど、それだけは断言できる。迷惑だなんて思わなくていい。吐き出す先が俺じゃなくたっていいんだ。人間、生きていく上で迷惑なんて散々かけるんだから』

 

 「心」が呼吸をする。そんな発想は幻想的で、それでもどこか的を射ているような気もする。

 ああ、素晴らしい表現だ。

 そうだ。自分はずっと、息を吸いこむばかりだった。

 何もかもを抱え込んで生きていくことが必要だと思っていた。

 その生き方は苦しいけれど、心地よかった。

 それ以外の生き方が出来るだなんて思ってもみなかった。

 

 右眼から一筋の涙が伝う。

 それはまるで、今まで溜め込んで来たものが少しだけ流れ落ちていくような、そんな気がした。

 

『……ありがとう。伝えてみる』

 

『おう』

 

『でも』

 

『あ?』

 

塩谷(お前)にも、ちゃんと伝えたい。今はまだはっきりとしないけど、ちゃんと自分の言葉で伝えたい。その時は、迷惑をかけてもいいか?』

 

『……はっ、当たり前だよバーカ』

 

 そう言って、お互いに笑う。

 二人とも少しだけ鼻水をすする音がした。




ここから下は、書きたかった話を書けてテンションが上がっている人間の話なので、読んでも読まなくても大丈夫です。
でもやっぱり読んでくれると嬉しいです。

「呼吸をする描写」を随所に散りばめたのは全てこの話のためです。
はい。前書きの通り、この話は「入夏水帆」の根幹のような部分であり、話の上でとても大事にしたい部分です。
「その生き方は苦しいけれど、心地よかった」
これが入夏水帆という人物です。
人のせいにすることを嫌い、とことん自分の実力不足に落とし込むタイプの人間の心理をうまく書けていたら良いな、と思っています。

しかし、こうやってみると改めて塩谷がヒロインみたいなポジションしてんなと思います。
BLではないですけど他のヒロイン、というか出てくる女性は入夏の事を「異性」よりも「憧れの選手」や「祖父の生まれ変わり」だと思っているので、まぁ。仕方ないですよね。
ポット出で全部かっさらっていくタイプのヒロインなんだろうな。
書いていないけど、高校時代に一番入夏と親しく(そもそもほぼ均等に親しくしていたけど)して、入夏を1・2番に理解している人物が塩谷なので、大役を背負っていただきました。

感想や評価、お気に入り登録などいただけると嬉しいです!
どう転んでも、体調を大きく崩さない限りは頑張りますけどね!
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