遅くなりました。
追いつきたい、追いつかなきゃ。そう考えてきた。たった一人の親友に、追いつかなきゃ、と。
俺は置いていかれと感じた/彼は置いていかれたと感じた。
ただ一人最強になって、それで何になった?
お前と喧嘩別れして、あとはがむしゃらに走った。背中を追いかけているつもりだった。総監部の連中を皆殺しにした時、本当の意味でお前が言っていることを理解できた気がした。
焦がれていた。求めていた。追いかけていた。
そんな相手が、最期に出迎えてくれたんだ。そりゃ、嬉しいさ。その手を取りたかった。やっと、呪いが解けた気がしたんだ。でも、駄目なんだ。
まだ止まってはいけない。ここで俺が救われて、じゃあ誰がアイツらの呪いを断ち切る。俺は、僕は教師になったんだ。僕の背中を追い抜かそうとする相手がいるのに、その僕が簡単にくたばってどうする。
「あー。ちょっと、行ってくるわ」
コンビニにでも行くような気軽な調子で、五条悟が立ち上がる。
くすり、と彼が笑う。
「いいのかい?相手は史上最強の術師、両面宿儺だよ?」
「ビビってんの?」
大丈夫、なんとかなるって。
砂浜に、波が寄せては返す音がする。目の前には、吹雪が荒れ荒む森が広がっている。お前がいない世界は寂しいよ、傑。でも、一瞬、そんな名残惜しさを振り払う。
「「
いってらっしゃい。
背中を押される。
尽きかけた命に火を灯せ。
正真正銘、生涯最後の
「領域展開」
死に際につかんだ無下限術式の本質。
生と死の境界を極限まで展延し、死へ向かう速度を極限まで0に近づける。この一瞬だけ、五条悟は己の術式対象を概念にまで拡張することに成功した。
六眼が狂ったように輝き、不安定な領域がチカチカと明滅する。虚空の星々は明滅を続ける。
徐々にこぼれ落ちる命を繋ぎ止めながら、少しでも長く無限の情報を送り込む。1秒、2秒、まだ足りない。
「生徒には、人間として生きていて貰いたいからね」
若人の青春を奪う権利なんて、誰にも無いんだ。勿論、僕にもね。
虚空の中、全てが制止する。これが最後のチャンスだ。
耐えろ、まだ止まるな。走り続けろ。
3秒が経過しただろうか。その瞬間、両面宿儺の影が隆起する。
意識はない筈、ならばどうやって──いや、なるほど。残しておいた脱兎と円鹿は、保険としてこの瞬間の呼び出されるように設定していたってわけか。二体とも、戦闘能力は低いけど、縛りと能力の引き継ぎでそこは補うって訳か。
普段ならなんてことない相手。だけど、上半身だけで無理やり領域を維持している状態。そこに、曲がりなりにも術式の中和ができる相手が呼び出された。
「茈を...いや、それだと領域が耐えきれずに崩壊する。ならばどうするか」
今にも死にそうな時。今にも敗れてしまいそうな時。そんな時どうするか。それを教えてくれたのは、実はお前ら3人なんだよ。
無意識のうちに、あの技を選び取っていた。どんな術式よりも効率よく呪力を圧縮し、解き放つあの術理を。親友の術式の最奥を。
圧縮された呪力の渦が、式神を破壊し尽くす。領域の崩壊が加速する。
完全に崩壊するまであと数秒。
星々が、その寿命を終え、次々と爆散し、最後の輝きを放つ。
流星は次々と堕ち、宇宙は段々と真の漆黒へと染まってゆく。
「勝つさ」
あいつらなら。
領域が崩壊する0.2秒前。残った全生命力を乗せた茈を、両面宿儺目掛けてぶつける。
一対の二重星だけが残った天蓋の中で、茈色の光が炸裂する。
最後に、別れた彗星はまた一つに戻った。
「が、は...っ」
目から血が溢れ、呪いの王が膝をつく。
やられた。1分にも満たない時間、それで十分だった。間違いなく、目の前の男は今。俺の命の一歩前まで追い縋っていた。
「捌、◾️」の取り出し不可。
領域展開、不可。十種影法術、接続不能。「解」、出力低下。反転術式、出力低下。五感減衰、思考力低下、認知力低下。
「見てろよ、宿儺」
そう言い残して、最強は散った。
知っている。貴様の教え子たちの強さは、厄介さは。誰よりも近くで見ていたからこそ知っている。
この体で、あの龍達を堕とせるか。
「今は機嫌がいい...だから興を削ぐなよ術師共!」
♦︎
五条悟が、最強が死んだ。その衝撃は大きかった。
それ以上に、残したものは大きかった。高専術師達は、あらかじめ決めた通り、下手に介入して背中から刺されるよりはマシだと、間髪入れず鹿紫雲一に追撃させた。
「伏黒を起こす。そしたらあとは全員で全力で殺す。それだけだ」
今しかない、史上最強が、手の届く範囲まで落ちてきた。
「いざとなれば、残された切り札もあるからな...対策されてそうな気もするけどなぁ」
「いや、パンダ先輩のそれは、万が一に不完全な同化呪霊が誕生した時用の切り札だからな」
あくまで自然体で。勝てない戦いじゃない。全員が、全員の120%を、死力を尽くして戦えば、勝てる。
「乙骨憂太の奇襲が終わる前に引き剥がして、戻ってきた瞬間に一気呵成に畳み掛けられるのが理想だが...だが、その前に」
「あぁ、そうだね」
何のことを言っているのか。いや、もしかして。
虎杖悠仁は、気づけば駆け出していた。アイツがいない。
烏が共有した視界には、雷神を落とした両面宿儺相手に、たった一人で突撃する彼女の姿が映っていた。
♦︎
廃墟と化した東京を眺める。
恵を取り戻す。
恵の姉の時の方法は使えない。今の私じゃ、万全の状態の宿儺と殴りあって勝てる可能性は無い。だから、別のアプローチが必要だ。
五条悟が死んだタイミングで、急にクリアになった視界で、世界を見渡す。大丈夫、あの方法なら行ける。
まずは、恵の体に触れて、その魂を呼び起こす。そして、恵と両面宿儺との間に無理やり結ばれた縁を断ち切り、私に繋げ直す。
最低でも30秒は私と真人で触れ続ける時間が必要だ。そのためにもまずは、両面宿儺を限界まで削る。
共振現象によって、作戦がばれるかもしれない。だから悠仁は連れて行かない──と、思うでしょうね。相手は。でも、悠仁が来ないわけないでしょう?
さぁ、やりましょうか。
紫電の残火がパチパチと震える。
取り戻す。絶対に。...
「『龍鱗』『四諦』『分つ彗星』」
目の前の相手に腕を向ける。
完全な受肉を果たし、平安の──異形の体となった両面宿儺を睨む。
返してもらうわよ、その体。
極ノ番『次元振』
「ケヒッ」
「ケヒひひひひ、ひゃはははははは!」
「待っていたぞ、この時を!やっときたか、釘崎野薔薇!」
次元をずらす一撃を断ち切ったのは、世界を切る斬撃。
詠唱も掌印も無い。なるほどね。
「随分と私のことを高く評価しているみたいじゃない?呪いの王ともあろうものが」
掌印に加え、祓詞、術式の指向性を手印で、更にその方向を直視し、範囲も縮小。この縛りの元、ある一定の条件を満たす相手に対してはノーモーションでの解を撃つことを可能にしていた。
「奴相手であれば、予備動作なしの一撃でも、警戒していれば避けられる可能性はあったがな」
自身が、強いと認めた相手のみ。より正確にいえば、己の命を喰らう資格がある、己以外の強者にのみ予備動作無しでの世界を断ち切る解を撃つことを可能にする縛り。
両面宿儺は認めた。目の前の女は、命を喰らう資格がある、その領域まで至ったのだと。
「『簪・虹薔薇』」
火、雷、風、氷。
間髪入れずに、半ば呪霊化した自身の体から、釘型の呪力の塊を分離させる。式神の呪力を付与した百の簪が、七色の軌跡と共に放たれる。
それを解で叩き落とそうとする宿儺の懐に潜り込み、その腹目掛けてローリングソバット。そのまま飛び退くように後ろへ下がり、片腕から恒星の如く呪力の砲弾を放つ。
「人を越えたか。その半身、俺の呪力が混ざっているな。食ったわけではなさそうだが...。何度も何度も、共振の仕組みを利用して、呪詛を送り続けてきたのは、中々に楽しめたぞ」
拳が人の倍あることは、それだけで脅威である。蝗GUYのような相手ならまだしも、それが両面宿儺ともなれば話は変わる。
「碌に効いてなかったくせに」
釘崎野薔薇の体は、千切れるより速く再生する。反転術式で回復する生の肉体よりも、呪力をそのまま注ぎ込めば回復する呪霊の方が効率が良いのは確かだ。
「それに引き換え...ケヒッ。やはり小僧はつまらん。共振を恐れ、小僧は連れて来れなかったか...あぁ、あまりにも哀れだ」
「『やまたのおろち』『ガネーシャ』」
呪いの王を襲ったのは、山々を喰らい、野を喰らい、人を喰らった八岐の化け物と、あらゆる障害を取り除く外の国の神の概念から生まれた呪霊。
その首から吐き出される炎を散らしながら首をちぎり取り、しかしその隙にガネーシャに殴り飛ばされる。
体を締め付けるように首が絡みつき、ガネーシャがその巨体で脱出した宿儺を突き飛ばす。
解の雨をその鱗で受け止めながら、投げつけられたガスボンベを破壊し、轟音と共に炎が上がる。
「『共鳴り・丑の刻』」
煮え立つ水銀の中に投げ込まれた人形越しに、両面宿儺の肌が一瞬だが焼かれる。駄目だ、まだ抵抗力が高い。
再生を続ける呪霊に苛立ったのか、両面宿儺が詠唱を始める。
「やはり貴様は厄介だな。『龍鱗』──」
縛りによって詠唱などを短縮したのだろう。それは知っていた。...でも、その省略が式神に適応されなかったことから、多分融通のきく形にされていないってことがわかったわね。それで十分。
二体の式神が、それぞれの能力ごと断ち切られる。その瞬間、彼方より飛来した超音速の式神が、両面宿儺の肋骨を砕きながら衝突する。
「ホンマ、式神使いが荒いんねん!」
文句をいいながら離脱した式神の背中に浴びせかけられた解は、縛りにより強度の上昇した甲羅に散らされる。
「直哉でも致命傷には遠いのね...!『龍鱗』『四諦』『分つ彗星』」
全方位からの攻撃。待機させておいた簪、花御の大樹、陀艮の魚、そして直哉の突撃。
「『簡易領域』×『解』」
自身を中心として、半径10mに侵入した相手に自動で解を浴びせ続け、攻撃に対応する。菲狗から学習した術理。領域が使えない以上、これで代用するしかない。鋼鉄製の、等級にして準一級に相当する強度の釘が一瞬で粉砕され、魚や大樹など塵すら残らない。しかし、音速を超越した彼だけは、その守りを突破する。
「これでお前殺したら、実質悟くんに勝ったってことにならへん?ならへんかぁ」
ギチギチと、互いに鍔迫り合いするように拮抗する。
そこ目掛けて背中から殴り飛ばされ、両面宿儺の口から激しく空気が漏れ出す。
「ケヒッ、いや、ここでお別れだ」
背後に向けて解を放つ。直後、直哉目掛けて腕を構える。
簡易領域展開中、腹の口で詠唱だけは始めていた。そして、簡易領域の終了と同時に間髪入れずに世界を断つ斬撃を放つ。
半ばから切り飛ばされた呪霊直哉の式神が吹き飛ばされる。それと同時に、地面から這い出た形代の群れが宿儺を縛り上げる。
「『共鳴り・丑の刻』!てめえを直接燃やすのは無理でも、周りはどうだ!さぁ、燃えろ!」
藁人形を使った術式。ドルイドと呼ばれる術師達の技術。ウィッカーマンを模倣した、形代の檻が炎上し、内部に囚われた両面宿儺を焼き、同時に窒息を狙う。
「斯様な小細工が通じると思うか、釘崎野薔薇っ!」
「いや、思ってねえさ!『簪・綾目』『簪・彼岸花』」
火と雷を纏った釘を投擲し、それより速く宿儺の眼前へ移動して、その拳を潜り込むようにして回避する。しかし、僅かに体勢が崩れてしまう。
次の瞬間、回避不能の位置から手刀が振るわれる。首が落ちる、必中の一撃。
「虫ケラ風情が...!」
それを受け止めたのは、少年院の呪霊の式神。
放たれた解を、鎧型の呪霊と、呪具を盾にして防ぎきる。並みの呪霊ならバラバラになっていた一撃を受け止めてなお、虫と呼ばれた式神は不敵に笑う。
「畳み掛けるわよ、花御、陀艮!」
地面から這い出た大樹の森が、両面宿儺の体を何重にも縛り、メガロドンを隠した水の竜巻が、その体を飲み込む。
そして、私は虫ケラと共に飛び上がり、互いの両脚を蹴るようにして、前へ向けて加速。自分も竜巻の中に飛び込んだ。
詠唱途中だった両面宿儺は僅かな驚きとともに、その詠唱を中断する。まぁ、私を狙ったんでしょうね。
片腕を犠牲に、さらに前へ。その拳が、黒い火花を散らす。更に再生させた片腕を再生させ、もう一度。
海の中で、互いに何度も殴り合う。
一発、黒い火花が散る。二発、三発。絶対に助ける。その意思さえも焚べて、力へ。四発、五発。まだだ、まだ足りない。
「が、あぁあああああああ!!!!」
心臓を握りしめられ、そこを中心に全身を裂くように解が放たれる。
あの時とは違うんだ。心臓なんてなくても、この意思は魂で燃えている。
「もう、いっぱぁつ!」
何かを、私の拳が捉えた気がした。
あぁ、そうだ。今だ。いや──今しかない!抵抗力の弱った、この瞬間しか!
「『共鳴り・丑の刻』」
次の瞬間、両面宿儺の体が拘束具に包まれる。夜蛾学長の作った、獄門疆の情報を利用した呪骸。それに両面宿儺が囚われる。破られるまで30秒と言ったところか。
「真人!やるわよ!」
「はいはい、『無為転変』」
両面宿儺のその奥、恵の魂にそっと触れる。
あぁ、やっぱり。恵は、あいつは諦めちゃいない。必死に手を伸ばしている。その魂を、震わせる。
共鳴りの本質。
共鳴りとは──魂の振動。
貴方との縁を辿り、その魂を震わせ、浮上させる。
両面宿儺の魂から、伏黒恵の魂を引き剥がす。でも、これだけじゃ足りない。
「釘崎いいいいいいいい!ごめん、遅くなった!」
本当、最高のタイミングだよ!
パン、と穿血を放つように掌を揃え、その手のひらをハサミのように少しずらす。
「『龍鱗』」
その手には、巨大な裁ち鋏が握られていた。
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その花言葉は、『奇跡』