夜の11時の少し前。新宿の喫茶店『キャッツ・アイ』にて。カウンターの後方で
「
その報告に店内にいた全員が「おおっ!」という歓喜の表情を見せる。平野と竹内がハイタッチを交わし、浅谷がやれやれと肩を落として力を抜く。
「瞳、愛……やったわ、ついに」
「ええ、姉さん。ようやく、ようやくお父様に」
長女の泪と次女の瞳が目に涙を浮かべて笑顔を見せる。反面、複雑な表情を浮かべる末娘の愛に、俊夫が「どした?」と声をかける。
「うん……私はパパに会った事無いし、なんか緊張するなぁって」
「ご安心ください愛様。ハインツ様はとてもお優しい方です。きっとあなたとの出会いを楽しみにされておりますよ」
永石がにこやかにそう告げると、「うん、そうね、楽しみ」と小さくガッツポーズを作って笑顔を見せる愛。
そんな和やかな雰囲気を見せる『怪盗キャッツアイ関係の面々』に対し、海坊主は未だ緊張を解かぬまま、こう続けた。
「明日の朝一でここに到着するそうだ。合流の後、彼の個展へとご一緒しましょう、と言っている」
「……え?」
その言葉に反応したのは瞳だ。なにしろ彼女は今日、その個展の作業員になり替わろうとして、思わぬ反撃を受けたばかりだった。
あの個展の主催者が只者ではないことははっきりしている。その人物が主催するハインツの個展へと、ハインツ自身が『一緒に行こう』と言っている……?
「キナ臭いわね」
「なーんか、ありそうだな」
冴子に続いてミックも訝しがる。美樹や麗華もまた顔を見合わせて、もう一波乱ありそうだと表情を曇らせる。
「なんだいなんだい、みんな暗いなぁ。ひょっとして
いつもの平野の軽薄な意見だが、今回に限っては不思議な説得力があった。確かに長年音沙汰もなかった父と娘の再会となれば、親の方がなにか大仕掛けを仕組んでいても不思議ではない。
「それも……ありそうな話ね。でもあなたが『お父様』って呼ばないで」
泪がお盆で平野の頭を軽く小突く。あたっ! そりゃないッスよ~、とリアクションする平野が周囲の笑いを誘う。
「さて、俺達は早速警戒に入るとするか。美樹、ミック、それに冴子……今夜は徹夜だぞ」
「ええ、任せて」
アイコンタクトを交わす『シティハンター』周囲の一同。彼らは皆、裏の世界の住人であり、成功の直前が最も危険な時間帯である事をよく知っている。ましてあのゴルゴ13がこの件に絡んでいるとなれば、ハインツと彼女たちが出会うまで、そしてそれから個展に出向き、無事に一日を終えるまで油断は禁物だ。
「じゃあ、早速動くぞ。新宿中に監視の網を張る、俺と美樹は狙撃ポイントの巡回と、情報屋からの情報収集に当たる!」
「オレは教授の指示に従って、ゴルゴや裏の組織の情報が無いか張っていくよ」
海坊主やミックが早速行動を開始する。彼らが共同で網を張れば、この街の裏側に潜む悪党や殺し屋の情報は、漏れなく手に入るだろう。
「私達は警察の情報網を使って、怪しい動きが無いか確認するわ。浅谷さん、お願いしますね」
「こちらこそ」
冴子と浅谷が頷き合って店を出る。ともに東京でも有数の敏腕女性刑事、しかも共に美人のふたりがタッグを組むのは何とも頼もしく、そして絵になる光景だ。
「では平野様、武内様。お二人には買収したビルの監視カメラの映像チェックをお願いします」
永石の指示に「アイアイサー」と言いながら敬礼する平野と武内。実は彼らキャッツ特捜科の面々は、かつて散々監視カメラの穴を突かれてキャッツに盗みを許している。
逆にその経験が、より監視カメラに対する警戒の仕方を学ばせていた。偽造の映像やタイマーセットのトリック等に今更引っかかる彼らではない。
「んじゃ俺は……」
「内海様には引き続き、皆様の警護をお願いいたします」
何かしようとした俊夫を永石が押しとどめるように言う。ずっとこの三姉妹と距離の近かった彼には、最後まで彼女たちの元にいてほしい、との意思を込めて。
「し、しかし……俺だけが」
「内海様。貴方はどこかハインツ氏に似ておられる所がある。どうかお嬢様方を安心させてやって頂きたい」
かしこまって言う永石に、うぐ、と息を飲む俊夫。どうもこの荘厳な爺さんに凄まれると、なにか有無を言わせない圧がある。
「俊夫さん、よろしくお願いするわ」
「俊夫さんなら安心ね、
泪と愛がご機嫌でそう告げる。愛に話を振られた武内と平野がジト目で「どーゆ―意味だ」と小さく返す。まぁこの三姉妹への好感度で俊夫に及ばないにはいつものことだが。
「俊夫……いよいよ、いよいよ明日なの。お願い、願いを叶えて」
瞳が俊夫の胸にしなだれかかって、甘い声でそう告げる。
「わかっているさ。俺達の長かったやり取りがいよいよゴールだな」
刑事と怪盗キャッツ・アイ。内海俊夫と来生瞳。追いかけ追われ、ずっと恋のチェイスを続けてきた二人。それは瞳の父、ミケール・ハインツを追い求める旅でもあったのだ。
全ての絵を集め終えた瞳たちはアメリカに飛び、そこで彼女は高熱病を患って記憶を失う。再会した俊夫の献身によって記憶を取り戻した瞳は、いよいよ俊夫との結婚を決意していた。
そのための、ただひとつの忘れ物。二人の縁を繋ぎ続けたハインツとの再会。それはもうすぐそばまで迫っていた。
内にも外にも、万全の体制を備えて父娘の対面に備える。例え何物であろうとも、それを阻害できるものはいないはず、であった。
だが、彼ら全員が気付いていなかった。海坊主たちが街へと出て行ったその時に、一台のタクシーから降り立ったその男が、まさに
殺気を放つでも無い、逆に不自然に気配を消すでも無い。ごく当たり前のサラリーマンのようにそこまで歩いてきたその男、
(3…2…1…23:00)
その瞬間、彼は何とためらいなく、そこにあった青いゴミバケツの中にもぐりこんだ! 店内から出た生ゴミの悪臭が充満するその中に、である。
そして中から上蓋を閉めると、そのままスゥッ、と気配を消し、そこにあるのは只のゴミ箱に戻ってしまった。
◇ ◇ ◇
眠らない街、新宿に朝日が昇る。ビルの隙間から差し込む光はなんとも眩しく、そして刺すように街を照らし、黄金色と黒のコントラストを描いていく。
夜通しビル街の狙撃ポイントをチェックし続けていた海坊主と美樹は、ようやく開けた朝に、ふぅ、と安堵の息をついた。網を張ったあらゆる糸からも、ゴルゴはもちろん、裏の組織の情報の一つもなかったし、狙撃が可能な場所には怪しい影一つなかった。
強いて言えば夕べの23:00、狙撃可能な再遠方の場所、新宿ゴジラ像にてゴジラの火吹き時報と共に、予定されていない派手な花火が上がった事くらいだ。
どうも若者が遊びでやっただけらしく、陽動を懸念した彼らはすぐに反対方向の狙撃点に向かったが、そこにも何の気配も痕跡も無かった。
「さすがに考え過ぎじゃない? いくらゴルゴが来日してるからって、別件なんじゃないの?」
「フン! だといいがな」
あの世界的なテロリスト、ゴルゴ13が現れたとはいえ、さすがに警戒が過ぎたかなとは彼も思う。だが油断してミスをするのは愚か者のやる事だ、当然最善を尽くした自信はある。
なのでここまでゴルゴの気配を感じないならば、やはり美樹の言うように警戒が過ぎたのかもしれない。まぁ何事もなくあの来生三姉妹に恩を返せるなら、それに越したことは無い。
と、海坊主のスマホに着信が入った、獠だ。
”あーもしもし海ちゃん? あと1分ほどでキャッツアイに着くから、よろしくねー”
「フン!……ご苦労だったな、一杯奢れよ」
獠の言う「よろしく」や、彼の「一杯奢れよ」は、彼が周辺の警護をしている事をお互いが悟っているからだ。満を持しての帰還は海坊主たちの協力なしには成らなかっただろうから。
「先方にはもう知らせたのか?」
”いんや、でもそこかしこの監視カメラで見てるみたいだしー、知ってるんじゃないの?”
やれやれ、永石氏や教授のカメラ網まで承知の上か、と息をついて電話を切る。うむ、これでいい。
間もなくあの場所で、ひとつの物語が終わりを告げるはずだ……
――ズキュウゥゥゥゥーン――
遠方から響いたその音に、海坊主と美樹が全身に戦慄を走らせて、ばっ! と弾けるように反応する!
「ファ、ファルコン! 今のっ!」
「M-16ライフルの……銃声ッ!!」
世界的に有名な暗殺者、ゴルゴ13愛用のライフルの音が、暁の新宿に響き渡った。
◇ ◇ ◇
「今、着いたっ! 瞳、泪さん、愛ちゃん!!」
「うん!」
「ええ!」
「はいっ!」
早朝の喫茶キャッツアイにて。俊夫が、永石が、そしてパソコンの前に座る平野と武内がいきり立つ。
応えて瞳たち三姉妹が、精一杯のおめかしをした彼女たちが店から飛び出す。続いて俊夫も、平野も武内も、最後に大粒の涙を早くも流す永石が、ばたばたと店の前の道路に並び立つ。
彼女たちの前に、朝日を背景にして、一台の
開いた運転席のドアに寄りかかるように立って笑顔を向けているのは、シティハンター、冴羽獠。助手席側には相棒の槙村香の姿も見える。
そして香が後部座席から、ひとりの初老の人物を招き出す。朝日の輝きの中に立ったその人物は、香に即されてゆっくりと一歩、二歩、歩き出す。
己がかつて置き去りにした、娘たちの元へ。
「お……お父様、っ!」
泪が、かつての温かさを与えてくれたその人物に向かい、一歩踏み出す。
「ああ、やっと、やっと……」
瞳が、長く待ち焦がれたその瞬間を、万感の思いで受け止めようと、両手を広げて歩き出す。
「あれが……パパ。うん、想像した通り」
愛が、初めて会う父に対して、ずっとい憧れていたパパの姿を重ねて、うれしそうに笑みを見せ、駆け出す。
万感の思いで迎えた再会シーン。俊夫も、平野達も、永石も皆、目に涙をためてその瞬間の感動を味わっていた。
そしてそれは獠も同じだった。いや……
その瞬間までは!
彼らのすぐ後ろ、喫茶『キャッツ・アイ』の建物のすぐ影から、長距離狙撃用のM-16ライフルを
「ハインーツッ!!! 伏せろおぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
叫び声と共に、弾けるように前方にダッシュする獠。
――ズキュウゥゥゥゥーン――
暁に銃声が轟く。その瞬間、ミケール・ハインツの左胸に小さな穴が開き、同時に彼の左胸の背中側から……
服と、血と、肉の欠片が爆発するように吹き上がり……
泪の、瞳の、愛の目の前で心臓を撃ち抜かれ、ゆっくりと後方に倒れて行く父――その場の誰も、その光景を目の当たりにして……
ただ、立ち尽くすしか無かった。