「とりあえず……帰るか」
「まあそうやね」
「待って」
清隆くんと揃って寮の方向へ歩き出す。堀北が呼び止めるが、それに視線を向けることもなく私と清隆くんは歩きながら会話を交わす。
「それにしても、佐枝ちゃん先生必死やったなぁ。……そうや、私清隆くんに渡すもんできたからちょっと寮の前で待っててくれへん?」
「ああ、別に構わないが……渡したいものってなんだ?」
「それは後でのお楽しみやな。ま、期待させるのも悪いから言うとくけどそんなええもんでもないで」
その時、腕を掴まれる。私は渋々振り向いてその手の持ち主を見た。もちろん、堀北だ。
「待ってって言ってるでしょ」
「はあ? 何で私らが君の言うこと聞かなあかんの? 実力もないのに何でも自分の思う通りにしたがるとこ直したほうがええで」
「……そういうあなたは自分に実力があると思っているのね。忘れているようだから言わせてもらうけど、あなたも”Dクラス”なのよ。それほど自分の実力に自信があるのなら自分の手でこの状況を何とかしてみたいとは思わないの?」
「思わんなぁ。言ったやろ? 私は強者になることが目標やねん、そこらの雑魚に”落ちこぼれ”だの何だのレッテル貼られたところで、『で?』って感じやしな」
その言葉を聞いた堀北は少し考え込むようにじっと俯くと、顔を上げた。
「あなたがよくいう”強者”とはどういう判断基準なのかしら」
「は? ……そりゃ強者っていうんは、圧倒的な強さを持った人間やな。そいつがどれだけ強いかなんて見ればわかるやろ」
そして、研ぎ澄まされた肉体と精神をもつ強者の中でもまた選りすぐりの一握りの才能を持った人間。それがあっち側の人間。常人じゃまず、辿り着けない領域に足を踏み入れている者。他の奴らとの間には絶望的なほどの断絶されたレベルの差がある人間。
しかし堀北は理解しかねると言った表情だった。私は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。強さなど、見る者が見ればわかるんや。
な、清隆くん。しかし清隆くんも困ったような顔をしている。そんな馬鹿な。圧倒的な強者って言うんは見ればそのオーラに自然とわかるんちゃうん? 私だけなんか?
堀北が咳払いをして続ける。どうやらここからが本題のようだ。
「強さだけが強者の条件なのかしら」
「……何が言いたいん? 強者となるのに強さが必要なんは間違いないやろ」
いかなる状況においても唯一信頼できるのが己の強さだ。しかし堀北は腕を組んで言い放った。
「本当に? それだけがあなたの目指す強者なの?」
私は沈黙を返した。確かに、堀北の言うことには一理ある。強者とはただ剛力だけが必要な単純なものではないだろう。もちろん、私が目指すのは言葉もいらない睨んだだけで腰が抜けるような小細工が効かないそんな圧倒的な力。しかし時に己が勝つためには、どんな時も冷静に情報を取捨選択する合理的な精神、戦術、また戦略も時には必要だろう。そう、いつか憧れた甚爾くんのように。甚爾くんも研ぎ澄まされた体術そして、戦略で一度は最強を下した男だ。
「……君が言いたいことはわかってる。要するにAクラスに上がるのに協力させたいんやろ。そんな回りくどいことせんでもそう言ったらええやん」
「あら、人を動かしたかったら相手の望むものくらい予想しないといけない。そう言ってたのはあなたよ」
私は舌打ちをこぼす。平田に言った言葉を聞いていたのか。なるほど、堀北は私が望むものが強者だと理解し、こうして接触を試みてきたわけか。
「とにかく私は協力せんから。Aクラスに上がることで私の目指すあっち側の強者になれるという具体的な話を持ってきてくれる?」
「残念ね、綾小路くんは協力すると言っていたのに」
私はバッと清隆くんの顔をみた。清隆くんはブンブン首を横に振る。
「……本人は嫌がってるみたいやけど?」
「私には心の声が聞こえたの。協力するって言ってたわ」
とうとう頭がイカれたんか?……まあ、なんだかんだ流されやすい清隆くんをこのまま押し切ろうという魂胆だろう。それが成功すれば私も付いてくる。なるほどなぁ、鈴音ちゃんも考えたやん。
「じゃあ、考えがまとまったら連絡するから。その時はよろしく」
そう言い放つと、堀北は颯爽と去っていった。
私と清隆くんは顔を見合わせる。清隆くんは重いため息を吐いた。
◇
「清隆くん、お待たせして堪忍な。はい」
「いや、そんなに待ってないぞ。これは……ボイスレコーダー?」
寮から少し離れた木陰で、立ち尽くしていた清隆くんに駆け寄って、手にしていたものを渡す。女子寮の前で待たすのも申し訳なく、ここを指定したのだが、監視カメラもなく人気がない穴場になってるようだ。清隆くんは私が渡したボイスレコーダーを見ながら首を傾げている。
「あの女、勘やけど本気でAクラスに行きたいんやと思う。ああ言う目をしたやつはなりふり構わんからな。一応もっとき。個室に呼び出された時なんかは躊躇わずに使うんやで」
「……なあ、直哉は何でそこまでするんだ?」
清隆くんは少しの沈黙の後、顔を上げた。その瞳は真っ直ぐこちらを射抜いている。私はそれを真っ向から見返すとニコリと微笑んで言った。
「清隆くんが心配やから。清隆くんの目的はこの学校で平凡な学校生活を送ること、やろ? これはおそらくやけど……外部との隔離されたこの学校じゃないと清隆くんはそのささやかな願いを叶えられへん。だからここに来た。ちゃうかな?」
「……ああ、その通りだ」
冷たく固い声だった。私は人差し指を立てて顎に当てる。
「清隆くんは権力を持った”何か”から逃げてきたんやないの? …………父親とかな。お父さん政治家だったんやろ? 綾小路の名前。聞き覚えがあって調べたんよ」
瞬間。
胸ぐらを掴まれて木の幹に叩きつけられる。喉には腕を押し付けられて呼吸がしづらい。これでは大きな声も出せないだろう。鮮やかな手際だった。
何よりも清隆くんのその瞳。背筋が冷えるような冷たい目だ。私は咳き込みながらも目を輝かせて囁いた。
「ゴホッゴホッ……すごいなぁ、さすが清隆くんや! 強くてかっこええわ」
苦しいが、そんなこと今はどうでもよかった。眉を下げてニコニコとしながら言葉を続ける。
「私はな、清隆くんのやりたいことなら何でもやったらええと思うわ。協力したいんや」
少し首元の腕が緩む。私は身を乗り出して清隆くんの目をみた。その瞳に映る私の目は燃えるように輝いている。時にはどうしても譲れない時というのがある。それが今だ。
「だって、だって……清隆くんは自由であるべきや!! 誰よりも!! 自由でいられないのなら、それを阻むものがいるのなら。できることなら私が守ってやりたいんや。清隆くんを縛ってくる何ものからも守りたい!!」
守るなんて、強者に向かってなんて烏滸がましい言葉なのだろう。でも本心だった。
自由。
強者だったら持って当たり前の自由が、清隆くんにはないのだ。そんなの絶対に許されないし、私が許さない。清隆くんは誰よりも自由であるべきや。清隆くんにはその権利がある。誰よりも自由にこの空を翼を広げて羽ばたく権利が。イカロスなんて、清隆くんには似合わない。私からしたら、太陽は君のほうや。
「そのためやったら何でも協力する」
私はまっすく清隆くんの目をみた。目を逸らしはしない。私は本気やで。清隆くんの瞳が少し揺れる。本気で言っていると分かっているから、戸惑っているのだろう。清隆くんは少し強張った顔で口を開いた。
「何で、そこまでするんだ?」
そんなことが聞きたかったんやろか。でも清隆くんは眉を顰めたまま、こちらを注視している。
「だって友達やろ……いやちゃうな、ごめん言い直させて。私はな、例え清隆くんが私のこと友達やと思ってなくて、ただの駒として見てたとしても私は何度だって助けるつもりや」
清隆くんは瞬きもせずに黙って私を見ていた。彼が何を考えてるのかわからない。でも私が言うべきことは決まっている。私は頬を染め眉を下げてへにゃと情けなく笑った。
「君が大好きやから」
こんな世迷言を、この私が熱心に言っている事実がおかしくて笑った。少し前の私なら鼻で笑っただろう。
「困ってるのなら何だって力になる。どこにいたって駆けつけるし、望んでくれるのなら側で支える。私にとって清隆くんは大事な人の括りになっとるんや。一番やで。私の一番の椅子に座ってるんや」
もはや認めるしかない事実だった。私の中で燦々と輝いていた一番。それら全てを台座の下に叩き落とし、その王座を彼に明け渡した。
「あのな、清隆くん。もう清隆くんが強者じゃなくなっても、……例えば足が悪くなったり、体が弱くなったり、歳を取ったりしても……この感情は変わらん。信じてもらえるか分からんけど事実やで」
私は清隆くんの腕に手を置いた。もはや制圧の意思は感じられないただ置かれるだけの腕。清隆くんの目を覗き込んで微笑む。
「……確かに私は強者が好きや。清隆くんを気に入ったのも強者やったからや。それは否定せん。でも人間はな、そう簡単に割り切れへんのや。情を一度持ってしまったら、そう簡単に切り捨てられへん。悪いことでもないんや。人間ってそういうもんやしな」
どうしたらこの気持ちを伝えられるのだろう。まあ今はいい。
「グダグタ言ってるけど要するに……私、君と友達になりたいんや。笑う? でも本気やで。私欲張りやから清隆くんの一番の座も欲しいし、友達にもなりたいねん。……でもま、今は友達としてでいいわ。ただのやっすいペラペラな友達とちゃうで。本当の友達や。私にとっても初めての、対等な本当の友達になってほしいんや」
私は真っ直ぐ手を差し出した。
この人生の中で友達なんて欲しいと思ったことはない。でも清隆くんとなら……真の友情というものを知れるかもしれない。私らしくないけどな。
「清隆くんが私と本当の友達になってくれるんやったら。いくらでも協力する。君と一緒ならどんな困難だって乗り越えてみせるわ。だって友達ってそういうもんなんやろ」
本当は、清隆くんが私のことを友達と思ってなくても構わない。いや、ちょっと悔しいし悲しいかもしれん。でもこの憧れへの感情はどこまでも一方通行のものだ。私が勝手に清隆くんに憧れという希望を見出しただけなのだ。
私はこの感動をくれた対価をただ返すだけ。
「本当の、友達か……」
清隆くんは私の手に腕を伸ばし、少し躊躇したあと、そろりと手を重ねた。いわゆる握手だ。私は感極まって、清隆くんに飛びついた。しっかりとした体幹に支えられる。
「これからよろしゅうな、清隆くん!」